FC2ブログ

5月15日(水)

朝の11時のこと、突然、どこかのスピーカーがやや大きめの音を発生させた。

一瞬、体内を緊張が走り、耳をそばだてていると”Jアラートのテスト”であることを伝えられたので、ようやく事態がのみこめた。

今日は、Jアラートの全国一斉の試験日であった。

自慢にはならないが、私は格安スマホを使っているので、携帯での警報は鳴らなかった。

Jアラートといえば、東北大震災のときが記憶に呼び起こされる。

当時はメジャーな携帯会社の電話を使っていて、またたまたま東京に出張していたこともあって、ほぼ間断なく警報が鳴っていた。

慣れてきたとはいえ、あのチャイム音が頭にこびりついて、しばらく耳元でずっと響いてたような気がする。

いまだに、震災の被災者の中にはJアラートの警報音を耳にするだけでPTSDに呻吟する人がいらっしゃるそうだが、十分にあり得ることだと思う。

震災後は、北朝鮮からのミサイルというのか飛翔体というのか、その招かれざる客が来たときの警報としてJアラートは記憶に新しい。

もちろん、実際には北朝鮮から核を搭載したミサイルが飛んでくる可能性は、ほぼないと思う。

北朝鮮にしたって戦争を回避したいからこそ核武装しているのだから、それを自らが先に使うとはあり得ない。

ただ、誤操作や事故により、意図せずに発射されてしまう事態は皆無とは言えない。

もしそれが日本国内を目標に飛んでいるとして、Jアラートの警報が鳴った場合、どんな対応をしたらいいのだろう?

「30分後に津波がやってくる」という警報であれば、うまく行くかどうかは別にして、できるだけ高台の場所に逃げるという明確な対策をとることが可能だ。

しかし、「核を積んだ恐れのあるミサイルが飛んでくる」というとき、政府の指導の「建物の中、または地下に避難」で対応できるかどうかは、はなはだ疑問である。

ゴルフ場でプレー中の人はあきらめざるを得ないことになるし、台風で大きな損傷を受けるレベルの家屋では核の破壊力の前にはなすすべもないと思う。

ちなみに、私がマンションの部屋でミサイルのJアラートを受けたときは、トイレで待機する手はずになっている。

窓がないので外気と触れることなく、また構造的にも爆風や振動には強いと見ているので、私には最も安全な退避場所として考えている。

私のこのアイデアは、場所が場所だけにクソの役ぐらいには立つかもしれない(汗)。

 
20 : 21 : 00 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

5月14日(火)

圧力鍋での炊飯が、私の生活にすっかり根をおろしている。

白米が炊き上がったときの美味を覚えてしまうと、もう炊飯器を使う気にはなれない。

とはいえ、手放しで喜んでばかりもいられないのだ。

従来は、夕食には白米を食べることはなかったのだが、圧力鍋を使うようになってからは朝昼晩が米食となってしまった。

しかも、今までは一食一膳であったのが、ボリュームがにわかに増えてきたのである。

今日の昼は炊き上がった直後のホカホカということもあって、三膳も平らげてしまった。

さすがに自制心が働き、そこでストップをかけたが、内心はもっと食べたいとの気持ちがうごめいていたのである。

おかずには、ジャガイモとサツマイモの蒸したものは欠かさない。

つまり、炭水化物をふんだんに摂っていることとなり、これは過剰摂取の域に達しているのではないかと、やや不安である。

もとより、食事は満腹になるまで摂らないことには満足感を持てない性分であった。

「腹八分目」のフレーズは、私にとっては美しくはあるが現実性を伴わない理想に過ぎなかった、というのが偽らざるところだ。

むしろ「快食快便」については、字句の意味どおりに実践しているとの自信がある。

これで「快眠」が加われば健康優良児そのものだが、残念ながら、60歳を過ぎてからというもの、夜中や早朝に目がさめて眠れないときもある。

去年の5月の健康診断では、血糖値には全く問題がなかった。

そのときの肥満度がマイナス17%であったが、今年はどう変化するだろうか。

なお、いろいろなかたのブログを拝見していると、圧力鍋でご飯を炊くとおいしくない、という話に接することも珍しくない。

味の好みは人によって千差万別だと思う。

この記事はあくまでも私個人の感想であって、確実なおいしさを保証するものではない(汗)。


20190514.jpg
日本に生まれてよかったと思う瞬間である
20 : 19 : 33 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(12) | page top↑

5月13日(月)

学校時代の同窓会をやろうということで、その準備にさしかかろうとしている。

ようやく、準備委員というか幹事というか、5人と連絡を取り合ってあれこれ調整した結果、第一回の打ち合わせ会をする日時を決めるところまで漕ぎつけた。

遠くからやってくる人間もいるので、今度は夕方の4時スタートにした。

これなら、遠来の者であっても、会議と飲み会をこなしても、その日のうちに帰宅することができるはず。

日にち調整の電話をしながら感じたのだが、このことを決めるだけでも相当な時間がかかったのだから、全容を決定するのは相当な苦労を覚悟しなければならない、と。

5人のうちの一人が牛乳店を経営しており、未明の3時に起床しているという。

しかも、携帯ではなく固定電話のほうがつながりやすいと言っている。

彼は携帯電話は持っているものの、自分が電話をかけたいときに使うだけ、とのこと。

だから、メールもSMSも使っていないし、その使い方も知らないらしい。

要は、固定電話をかけることでしか、彼とコミュニケーションをとることができないのだ。

これには困る。

どの時間帯に電話をすればいいのか、そのタイミングがわからないのである。

朝3時起きだから、夜の6時以降は避けたほうがよさそうだ。

また固定電話だけしかつながらないから、午前中は仕事が忙しいだろうからアウト。

昼食の時間に電話を入れると私の常識を疑われることになる。

そもそも、昼食が世間並みに正午からということもなさそうだ・・・・・。

このようにいろんなことを考えていると、電話をするチャンスを逸してしまう。

結局、昨日の夕方からやきもきした結果、今日の午後1時にようやく用件を伝えることができた。

彼がメールをやってくれれば、こちらの用件を書いて送信しておくだけで済む話なのだが。

次回の打ち合わせで彼に会ったときに、それは頼んでみようと思っている。

顔を突き合わせての集まりとなると、遠くに住んでいる人間などは大変だ。

飲み会もついてくるからお金もかかる(汗)。

単なる情報伝達だけであればメールで十分だし、あらかじめ”宿題”をメールで知らせておけば、各自のプライベートタイムで考えておくことができる。

だから、彼にその必要性を訴えて、メールが使えるように環境を整えておいてもらおうと思っている。

彼の奥さんはちゃんとメールを使っているし、検索したりYouTubeも見ているようだから、事と次第によっては奥様に連絡窓口を代行していただくという手もある。

とにかく問題解決への道はいろいろありそうだ。

そう考えると、ちょっとしたパズルを楽しんでいるようで、ちょっとした刺激になる。

何よりも、つき詰めれば友人同士だという安心感があるので気が楽だ。

第一回の集まりは来週の5月21日。

さてどんな展開になることやら、今から腕が鳴る。

 
20 : 20 : 21 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

5月12日(日)

母の日ともなると、いろんなところでサトウハチローの手による母にちなんでの詩を見かける。

子供の目で母を見詰め、母を歌い上げている美しい詩は、人々の心に優しく響いてくる。

もっとも、彼自身は悪行の限りを尽くし、数え切れぬほど警察のお世話になったり勘当されたりと、親不孝そのものの生き方をしてきたから、詩作での表現はあくまでも仕事の上での仮面であったことになる。

そんな彼にしたって、異母妹である佐藤愛子さんの『血脈』を読むと、実母の訃報に接して大粒の涙をこぼしたとあるから、もしこれが事実だとしたら、母への思いも幾分かは持ち合わせていたと言えるかもしれない。

もう一つ、サトウハチローを語るにあたって避けて通ることのできないものが薬物のことである。

彼は覚せい剤のヒロポンを愛用していたことが知られている。

あれだけの膨大な詩や小説を生み出した原動力には、薬がもたらしたパワーもあったのかもしれない。

覚せい剤は、終戦後、軍部から民間に流出し、疲労回復やうつ病治療などに寄与していたものの、副作用がひど過ぎるというので昭和26年には禁止になった。

だから、法律で禁止されていなかった期間にヒロポンを使っていたというのであれば、違法でも何でもない。

ただ、彼の場合は先ほどの『血脈』を読むと、禁止になってからもこっそりと使用していたフシがある。

昨今は芸能界での薬物使用問題が表面化していて、先日もコカインを使っていたとして、その人の関与している作品がすべて公開にストップがかかりそうなムードになっている。

なら、サトウハチローの作品にしたって、何の制限もなく一般の人の目に触れる形で語られるのはまずいのではないか、という気もしてくる。

視点を変えて言えば、覚せい剤やコカインは現行法には反しているものの、その人のかかわっている作品のすべてをご法度にするのは、あまりに行き過ぎではないか、私は考えている。

飛躍した話かもしれないが、法律の適用を過剰に厳しく求めると、芸術も文化も花咲かないし、アーティストの気持ちが萎縮してしまうと思う。

母の寛容な心でもって、実害のない部分は受け入れていく度量が必要ではないか。


20190512.jpg
スーパーは『母の日』商戦でにぎわっていた
20 : 15 : 13 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

5月11日(土)

昼食に、蒸したカボチャを食べた。

実は、昨日に圧力鍋で蒸して、一切れだけ食べた残りは冷凍するつもりで、温度を下げるために部屋の中に置いたままにしておいた。

冷めた頃合いを見計らって冷凍室に入れるはずであったが、うっかり忘れてしまっていて、今朝、気がついた次第である。

あわててフリーザーバッグに入れて冷凍室に収めた。

それを今日の昼におそるおそる食べたのだが、気のせいか、味が違うような気がした。

もしかして食あたりしたのかなと思っていたが、脱力感があるだけのことで、吐き気も下痢の症状も全くない。

心なしかお腹がグルグルしているような感覚がしばらくあったが、その後は、散歩に出ても、あるいは夕方にアルコールを飲んでも、全く平気である。

難を逃れてほっとしたが、これからの季節、だんだんと暑くなってくるので食べものには注意をしなければならない。

まだ5月だからという油断があったが、室内の気温は昨日で23度を超えていた。

そんな中で食べ物を放置していたのは迂闊であった。

1年でも最も快適な季節に、トイレとの往復を強いられるのは嫌だ。

危機管理のためにも、冷凍中のカボチャは廃棄した。

食べものを粗末にするようで気が引けたが、自分の健康が一番大事である。

季節柄、バーベキューを楽しんでいる人々は多い。

肉や貝類はしっかりと加熱することで、たいがいの菌は死滅するが、おにぎりなどの毒素は火に強いので、加熱しても食中毒につながるリスクは高いらしい。

最近はラップでを使いながらおにぎりを握るのが一般化しているが、これは望ましい姿だと思う。

例年、バーベキューで食あたりして病院に運ばれたというニュースが、この時期には頻繁に伝えられる。

危険を伴う作業や大きな責任を持った仕事であれば、言われなくても慎重に事を構えるが、遊びとなると緻密な危機管理を忘れてしまうケースは少なくない。

自戒すべきだ。

 

今の季節になると必ず思い出すのが『若葉のささやき』である
20 : 11 : 28 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
前ページ | ホーム | 次ページ

プロフィール

声なき声

Author:声なき声

昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、北摂のマンションに在住。   

月別アーカイブ

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する