春が近づいてくるのはうれしいのだが、花粉症が私の心に暗い影を落としてくる。
気象ニュースでも、そろそろ花粉情報を伝えるようになってきた。
何日か前から鼻づまりの現象が出てきている。
これは花粉症の予兆である。
なんでも、ことしは去年よりは飛散量が多いとの予報がある。
ただ、私に限ってのことだと思うが、飛散量が倍になったからといって、症状も倍になるとは限らない。
逆に、飛散量がわずかの年であっても、例年と同じような症状が出る。
とはいえ、50代後半からは症状が緩やかになってきたのは確かだ。
基本的には、前日の晩に市販の鼻炎薬を飲んでおけば、次の日はあまり苦しまずに過ごせるのである。
薬の効能なのか、あるいは体質が変わったからかはわからない。
私の花粉症なんて取るに足らない話題だが、水泳選手の池江璃花子さんの白血病はただごとではない。
情報によれば、昨今の治療技術の進展により、若い人の白血病であれば7割以上が治っていると聞いた。
渡辺謙さんだkではない、私が勤めていた会社でも、30代後半で白血病と診断されたものの、治療を受けて今では職場復帰している人がいる。
発症してから何年後であったのかは忘れたば、完全寛解との診断を受けたと報告があった。
面白いもので、そうなると今までの彼に対する同情がすっかり消えて、
「夏目雅子さんのかわりに君が死んだらよかったのに」
などと、当の本人に面と向かって言う人間が出てくる始末(汗)。
そこそこ年齢が行っている人間でも何ごともなかったかのように健康体を取り戻しているのだから、彼女の全快は十分な可能性がある。
水泳への夢はあきらめることになるが、これはやむを得ない。
健康に生きる道を選択するほうが優先だ。
彼女にとっては、水泳の世界を失うのは残酷極まりないことであり、悲劇そのものだと思う。
しかし、生きてさえいれば新しい可能性が開けるかもしれない。
明石家さんまさんがよく語っていた言葉に、
「生きてるだけで丸儲け」
というのがあった。
いま18歳なのだから、まだまだ人生は楽しめる。
近所の某コンビニは、わりと交通量の多い道路に面して立っている。
都合の悪いことに、この道路のすぐ近くに信号があって、時には渋滞になっていることもある。
見逃せないのは、右折で店から出ていこうという車が多いことだ。
対向二車線で道幅も狭いし、まして信号待ちの車が列をなしているところに入ろうとするのだから、少々の強引さでもって突っ込むことが必要になる。
今朝、私の10mほど前を60歳は過ぎていると思われる人が歩いていたところ、コンビニから右折で出ていこうとする車があった。
ちょうど信号が変わって止まっていた車が進みだしたタイミングを見計らって、その車が出ようとしたのだろう。
車の流れに気をとられていたのか、私の前を歩いている人には気づかないようで、あわや歩行者をはねてしまうところであった。
幸い、すんでのところで気がついたのか、急ブレーキをかけて事なきを得たから良かったようなものの、一歩間違えれば人身事故になっている。
実は、以前にもそのような場面を目撃したことがある。
半年で2回だから少ないのかもしれないが、とにもかくにも”右折”はリスクをはらんでいる。
守る守らないは別にしても、お店として”右折の入出庫禁止”の看板を掲げたらどうだろうか、と思いながら歩いていると、マンションの近くの道の真ん中に4トン車が止まっている。
仮設の工事をやっているようで、荷台に重機を積んで機材を運び入れている。
たまたま、私が近くを通りかかったとき、その重機のクレーンが動いていたので目をやると、なんと空中を旋回しているではないか。
私にしてみれば、その真下を通ることになるので、おそらく操作を一旦は止めるだろうと思っていたが、全くそんな気配はなかった。
これは危ない。
もし私の頭の上に落ちてきたら、当たり所によっては少しは頭が良くなるかもしれない(うそ)。
公共工事ならば絶対に考えられないシチュエーションだと思う。
一回の散歩でこれだけのリスクに遭遇するのだから、毎日、多くのアクシデントが起こっているのは無理はないと感じた。
今日、2月11日は「建国記念の日」であった。
「建国記念日」と言ったらよさそうなのに、なぜか真ん中に”の”を入れている。
制定当時、私は中学生であったが、一連の議論を見ていて”大人”の世界を感じたものである。
かねてより与党議員を中心に建国記念日制定の運動が行われていたが、野党系は戦前の紀元節の復活だとか、2月11日に科学的根拠がないなどの理由で猛反対を続けていた。
そこで、与党側が一歩譲る形で、建国という事柄そのものを祝おうとの解釈ができるようにと、「建国記念の日」の名称にして提案してきたのである。
ちょうど、クリスマスがイエスキリストの誕生を祝う日であるのと、同じ発想である。
野党にしても、これなら致し方あるないと、受け入れた。
おそらく、本心から反対していたというよりは、与党の言いなりになるのではメンツが立たないとの思惑でもって抵抗していたのではないかと、中学生時代から根性の曲がっていた私は見ていた。
思想やイデオロギーをめぐっての衝突よりも、自分の顔が立たないことのほうが気になるのが普通の人間だと思う。
ともかくも、そのような経緯を経て「建国記念の日」が実施された。
私が高校生になった頃は、”紀元節復活反対”を叫んで同盟登校を呼びかける運動もあったが、ほとんど反響はなく空騒ぎに終わった。
いまや「建国記念の日」は国民の間にすっかり定着している感がある。
だから、ネーミングに”の”の一文字を入れた効果には想像を絶するものがあったと思う。
川端康成の小説『雪国』の書き出しは、原作では
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
である。
しかし、
「・・・・”そこは”雪国であった」
と、”そこは”を入れて読んでいる人も少なくない。
”そこは”が入ることで、リズム感が出てくるからかもしれない。
しかし、続く文章が
「夜の底が白くなった。」
と”そこ”が再び出てくるので、続けて読んだらダブってしまって、冗長になってくる。
名作中の名作なのだから、原文通りに読みたい。
日本に生まれたことは私の幸せのベースになっている
スーパーの前で、女性がリーフレットを配っていた。
背中には、大きく”歯”と書かれている。
言うまでもなく、歯科クリニックの開院を知らせるものである。
12日からの正式オープンで、「11日まで見学会を行っているので来てください」という内容の文書であった。
俗に、コンビニの数より多いと言われる歯科医院であるが、いま住んでいる地域でも以前に住んでいたエリアでも、歯科クリニックは至るところで見かけた。
コンビニどころか、過当競争のシンボルのごとく見られているガソリンスタンドよりも、歯科医院の数のほうが多かった。
見えないところで、おそらくは熾烈な患者の奪い合いが行われているに違いない。
そういえば、こんな話を聞いたことがある。
既存の某歯科クリニックのすぐ近くに新しい医院ができたて、そこは若い美人が院長をしているというので、多くの男性患者が堰を切ったように新しいところに移っていった、と。
その手の情報というのは、なぜか広まりやすい。
これは極めてまれな例であって、一般的には、患者はあまり考えずに最も通いやすい場所にある歯科を選ぶのではないか。
家や勤務先に近い、駅からすぐなどのように、その歯科がどこにあるかが医院選びの第一基準になっているように思う。
ちなみに、リーフレットを配っていた歯科のウエブサイトを見てみたら、「診察室は個室です」「治療にかかる前にしっかり説明します」「予防に力を入れています」「院内は清潔です」などと、どこの医療機関でも載せている内容のことが書かれていた。
医療のサイトにつき、行政からの規制があって事細かには表現できないのだろうが、これだと特徴をアピールできないので効果的な集客は望めない。
医師はインプラント認定医らしいので、インプラントに特化したページを設けてもよかったのにと、ひとごとながら思う。
ともあれ、私が歯科に行くのは年に2回の検診だけなので、いまお世話になっているところから変えるつもりはない。
シュガーレスのグミがおまけについていた
くら寿司の調理場で起こった出来事が波紋を投げかけている。
バイトが、一旦はごみ箱に捨てた魚を再び取り出し、あろうことかまな板の上に乗せたという動画を投稿したからである。
どうやら、くら寿司としては、当事者である二人のバイトに、刑事と民事での法的な措置をとっていく予定とのこと。(→ 記事)
私の憶測ではあるが、おそらくは負担可能な金額での損害賠償請求の線で和解し、訴訟は取り下げるという結果になるのではないか。
刑事責任まで問うのは年齢を考えても難しいだろうし、民事にしても、実際に受けた損害額の計算は事実上無理である。
株価が暴落したはいうものの、人々がこの事件を忘れたころには、また戻っているかもしれない。
しかも、同社は、昨年から客離れのうわさが絶えなかった。
長く前年実績割れの状態が続いていたさなかで、今回の不祥事が発生したのである。
だから、株価が下がったのはこの事件が元凶だとは断言できない。
そもそも、未成年に調理場を任せていた会社側にも、落ち度がないとは言えない。
しかも、実際に不適切行為に及んだのは持ち場のリーダーであったという。
マネジメントする立場に任じたのは会社のほうだから、会社としても責任は免れない。
さらに、撮影した人がいるというのは、調理をする場にスマホを持ち込んでいたことになる。
もちろん禁止されていたのだろうが、会社ではチェックをしていなかったことを物語っている。
思いのほか、ユルユルの会社のようだ。
事件の舞台となった店ではないが、私も、近所にあるくら寿司には月に1回ぐらいのペースで食べに行っていた。
それだけに、客席からは見えない場所で起こっていた”ドラマ”には無関心ではいられない。
全く根拠のない想像ではあるが、実際にはこれに類したことは、外食店では日常的に行われているのかもしれない。
たまたま、今回はSNSにアップしたものだから表に出ただけのことで、実は日常茶飯事ではないのか、と。
それを考えるとそら恐ろしくなる。
そういえば、食品関連の工場に勤めている人は、自社の製品は口にしないとの話も時おり聞く。
至高の衛生状態を誇っていた日本ではあるが、それも過去の話になってしまったのか。