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12月28日(金)

年末だからか、来年の新年会の案内が増えてきた。

今年の忘年会は公式のものは二つだけであったが、新年会と銘打たれていなくても、要は年明けに皆の衆が集まっておしゃべりしながら飲み食いする集まりは、すでに5件の案内をいただいている。

飲んで食べてというのは嫌いではなのだが、夜の遅くまでかかるのがうっとうしい。

取捨選択して、行くか行かないかの返事をさせてもらうつもりだ。

”喪中”で出席しても、それは大目に見ていただけることと勝手に思っている。

ところで、あのリーマンショックをきっかけに、忘年会がにわかに少なくなったと記憶している。

”かつてない大不況”などと言われ、忘年会どころではないという理由からであろう。

ただ、忘年会をやめたところは新年会に名を変えてやっていたりして、結局は変わっていなかった。

”かつてない大不況”がメディアで繰り返し叫ばれていて、どんな展開になるのか私も戦々恐々の思いで想像したことがある。

自分の身に降りかかるものとして、まず会社をクビになり家からも追い出され、野垂れ死の憂き目にあう。

そして私は白骨死体になっていて、近くの中学校の理科教室に人体模型としてそっと置かれていた・・・。

そんな自分のなれの果てを頭に浮かべては、とりとめのない不安におびえていた。

しかし、実際には、世の中は混乱しつつも何とか動いていったのである。

私の勤務先では解雇は一人もなし、給与カットどころか定期昇給ではほんのわずかばかりだが上がったほどである。

工場部門などはかなり手すきになったものの、それでも一部には残業を強いられることもあった。

私自身も、骨になってしまう事態は避けられた(笑)。

”かつてない大不況”は言葉だけが先行していたに過ぎなかった。

10年経った今になって、あのときのカラ騒ぎを反省している声を聞いたことがない。

昭和48年のオイルショックのほうが、国民生活に与えたダメージは大きかったのではないか。

とにかくトイレットペーパーが店頭から姿を消す事態もあったのだから。

 
20 : 10 : 18 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
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コメント
こんばんは♪

新年会5件は凄いですね~
忘年会だけでなく新年会もないです^^;

昭和48年のオイルショックの時、
父が借りていたシャッター付のガレージに
トイレットペーパーを積み上げていた記憶があります。
by: きっちゃん♪ * 2018/12/28 21:22 * URL [ 編集] | page top↑
きっちゃん♪へ
おはようございます。

オイルショックのときは学生でしたので呑気なものでした。
実家では、最初は買い占め騒動を無視していたのですが、深刻に報道されるようになってきて、やはり買いだめに走っていました。
たしか、その後は洗剤も買い占められたと記憶しています。
by: 声なき声 * 2018/12/29 04:52 * URL [ 編集] | page top↑
おはようございます
来年の事を言うと鬼が笑うと言われていますが
ここまで 年末も押し迫れば、新年会の話をしても
鬼も笑わないでしょう(笑)

私は、忘年会同様 新年会と言う名前の集まりは
予定されていません。
家族やお友達との新年会という名目の
食事会は、みんなの都合でいきなりの
開催になります(^^ゞ

家族との食事は、小さい子も居るので
早い時間のお開きになりますが
お友達との食事は、その時の乗りで
カラオケへ行こうとなれば
帰宅が今日か!明日か!の境目になります(^^ゞ
翌日は、心ここに有らずの状態になりますが(笑)

リーマンショックにオイルショック
社会にかかわる度合いは、リーマンショックの時の方が
大きかったのにも係らず、イメージ的には、
オイルショックの方が 印象深いです。

リーマンショックは、金融関係のみが揺れ動いて、
オイルショックのように トイレットペーパー問題のような
国民生活には 目に見える影響を感じられなかったからでしょうか。
間接的に どちらも変わりない影響があったはずですが。
by: ヨンヨン * 2018/12/29 05:42 * URL [ 編集] | page top↑
ヨンヨンさんへ
おはようございます。

私も、家族とか気の置けない友人同士の食事会であれば、夜が遅くなっても平気です(汗)。
もちろん、小さい子供がいるときは翌日のことを考えて早めにお開きにいたしますが。

私も、オイルショックのときに、母が
「戦争中はイモとナンキンばかりを食べていた」
という意味の話を聞かされ、白いご飯が食べられなくなるかもしれないとの不安が頭をよぎったことがありました。
実際には、トイレットペーパーはじめ、モノは十分にありましたし、食べものにも困りませんでした。
当時は夜遅くまでテレビを見るのが好きでしたが、たしか晩の11時で放映が終わっていたと思います。
それが最も辛かったぐらいです。
by: 声なき声 * 2018/12/29 06:04 * URL [ 編集] | page top↑
あの時代はう〇こですね。
実際、ものすごい不興でした。給与が増えなくてイライラさせられましたし。
右肩上がりの経済成長とかもないし、所得倍増とかもないし、金利が高かった時代もない。
ぜんぜんいい目も見れなかったし、ほんとうに畜生な世の中だと思いましたw
おかげで資産構築によけいな時間かかった。呪いの言葉しかでてきませんw
by: てかと * 2018/12/29 13:58 * URL [ 編集] | page top↑
てかとさんへ
バブル崩壊の後も、言われているほど景気は悪くはなかったです。
金曜日の晩などは飲み屋は満席でしたし、ジュリアナもブラックマンデーが発生してからオープンになったのですから、少なくとも心理的にはさほどの不況感はなかったと思います。
そう考えると、リーマンショックは深刻さの度合いが格段に違っていました。
とはいえ、何とか乗り切ってこれたのですから、知恵も根性もあったのだと思います。

”所得倍増”とは、懐かしい響きを持った言葉ですね。
池田隼人元首相が使って一躍世間に広まったものです。
あの頃は、現実に倍増したのですから、時代背景が大きく違っていたと思います。
by: 声なき声 * 2018/12/29 15:02 * URL [ 編集] | page top↑

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Author:声なき声

昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、北摂のマンションに在住。   

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