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9月15日(土)

亡父の納骨を行ってきた。

大阪府と奈良県の境の山頂の霊園に納めてきた。

7年前に母が亡くなったとき、実家のほうでこの地を契約したのである。

住み慣れた大阪と天理教本部のある奈良の間にあることで、亡き母には好ましいロケーションであるとの発想からであった。

天理教の考え方では、人間の身体というのはこの世で生きていくために神様からお借りしたものであって、死後は魂が神様の元に戻り、また人間に生まれてくる、とされている。

となると、教義上は、遺骨や墓というのは意味がなくなるのではないか。

実は、この霊園の契約にあたっても、私は「不要だと思う」の主張を家族内でしていた。

ただ、最終的に、実家でこの霊園に決めたとなったものだから、従うしかない。

私にしてみれば、実家に行けば神棚に両親の遺影が飾ってあるので、それが故人を偲ぶきっかけになるのだから、あえて遠いところに墓を設ける必要はないと考えていた。

もっとも、これは価値観の差だから仕方ないだろう。

もちろん、決まった以上はあえて事を荒立てるようなことはしない。

だから今日も墓前での納骨式に参列してきた。

ただ、私の思いの中では、今も父も母も私のそばにいて微笑みながら私のことを見守ってくれていると信じている。

式の途中、強い風に煽られて、飾ってあった榊が倒れてしまった。

もしかしたら、私のそんなわだかまりが風を巻き起こし、榊をひっくり返したのかもしれない。


20180915.jpg
納骨の後は約3時間にわたる食事会であった

20 : 10 : 35 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
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コメント
こんばんは♪

もう納骨の時期なんですね。
月日が過ぎるのは本当に早いです。
そうですね…
私も父や母はいつもそばにいるように感じます。
by: きっちゃん♪ * 2018/09/15 22:32 * URL [ 編集] | page top↑
きっちゃん♪へ
おはようございます。

5月23日に息を引き取ってから、文字どおりあっと言う間でした。
五十日祭のとき以上に、ひと区切りがついたように感じました。
by: 声なき声 * 2018/09/16 04:52 * URL [ 編集] | page top↑
おはようございます
お墓に関しては、最近色々な問題も出ています。
ご先祖様と言う意識も薄れて、
若い人は、お墓を守る意識も無くなっています。

私もお墓は、不要と言う考えですが、
両親だけでは無く、先祖があって、
そこから繋がって今の自分が存在するのですから
お墓は、それを実感させる場所でもあります。

お墓参りを口実に みんなが集まる場所でもあると思います。
命日にみんなで食事会をすれば、良い言うのとも
少し違うかな(^^ゞ

お墓が不要となれば、火葬したお骨はどうすれば良いの?
そんな問題も出て来ますね。

これと言った解決の見られない問題でしょう。
by: ヨンヨン * 2018/09/16 05:10 * URL [ 編集] | page top↑
ヨンヨンさんへ
おはようございます

私の場合、墓よりも実家の神棚のほうが先祖を意識するよすがになっています。
ただ、常に神棚に向き合っている実家にしてみれば、生活空間の一部になっている神棚と、遠き地にあるお墓とは感じ方が全く違っていることは想像に難くありません。
ただ、私は亡き両親を偲ぶという意味合いでは、実家の神棚で手を合わせるほうがしっくりと来るものがあります。

はい、お墓参りや法事の後には、必ず食事をするならわしがあります。
お金も手間もかかることではありますが、日ごろ疎遠の親戚が集まって語らうには好機であることも確かです。
何の行事もなく「食事会」だけというのでは、なかなか集まることができませんね。

昨今は、永代供養で納骨堂に納めたり、あるいは散骨をするケースも出てきています。
これは遺族の側の心の問題であって、骨になってしまった故人にはわからないことですが。
by: 声なき声 * 2018/09/16 05:47 * URL [ 編集] | page top↑
自分の信じる正義に殉じて他をないがしろにするふるまいは配慮に欠けると言われるかもしれませんが、同じ神教で墓はここだ、と実家で定めたなら分家は従うほかはないのでは、と。
一族に宗教かぶれのひどいのがいると墓をあばきかねません。
今回のケースはまだましかと。
どのみち墓なんて飾りだと思いますがないと故人を偲ぶ場所がない。
遺骨は死体遺棄になるので捨てるわけにはいかず、墓は絶対必要だ、と考えます。
もどかしいところですが、ここは世俗と法律に従っておくにしくはなし、というところでしょうか。
神棚を朝夕拝してそれで済むなら、あとは別に墓参り行くか行かないかくらいですか。墓参りが遠くて面倒だから奈良の山頂の墓は反対だ、みたいな話ならば一族で袋叩きに会うかもしれませんが(笑)。
悪いことばかりでもなくて墓があればいっそ永大供養にするときスムーズにいくのでは。墓もない、遺骨もない、位牌もない、あるのは遺影だけとなれば子孫が永大供養してくれって話になったとき納めるものがなにもないと話に困るでしょうし。
by: てかと * 2018/09/16 10:54 * URL [ 編集] | page top↑
てかとさんへ
まさにてかとさんのお言葉通りで、本家が決めたことには従うのが当然ですし、私も自分の考えは言いましたが、最終的に決まったことは守っています。

一般社会の感覚としても、最近は散骨を行う事例も多くなり、必ずしも「墓」に拘泥するばかりでもないように感じます。
そもそも、現在の「墓」自体はまだまだ歴史が浅いと言われています。
また核家族化が進んできて、子孫が墓守をするのが大きな負担になってきているとも聞きます。
実家の墓にしても、納骨式に立ち会った面々ならば記憶に焼きついているでしょうが、3代も後になると納められている人のことも知らないでしょうし、その墓に特別な意味を感じなくなるのは避けられないと思います。

確かに、日常的な親戚づきあいがほとんどなくても、墓参りとなると皆が集まってきます。
そのことは大いに意義があると、私も思います。
by: 声なき声 * 2018/09/16 11:12 * URL [ 編集] | page top↑

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Author:声なき声

昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、北摂のマンションに在住。   

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