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8月15日(水)

終戦の日であった。

私も中学生頃までは、両親から戦争体験をよく耳にしていた。

父も母も原体験としての戦争を知っており、子供ながらに説得力を感じたものである。

母からの話は、決まって空襲のことであった。

当時、母の一家は大阪市内に住んでおり、米軍の攻撃目標とされていた。

夜中に大きな空襲警報が鳴り、焼夷弾が投下される中、泣きわめきながら防空壕まで駆け込んだという。

空襲が何回も繰り返されるうち、「いつ死ぬかしか考えないようになった」との述懐は私の記憶にこびりついている。

想像を絶した恐怖であり、何十年経ってもその恐ろしさは忘れられないと語っていた。

高校野球の試合開始のサイレンが鳴ると、母は耳をふさいでしばらくは席を離れていた光景を思い出す。

殺されるかもしれない危機に直面した母と違って、父の戦争体験はのどかな雰囲気をたたえている。

昭和18年の秋に志願兵として入隊し、広島で訓練を受けていたが、実際に戦闘行為の場面に出たことは全くない。

軍隊には人を殴るのが趣味のようなサディストもいたが、粗食とはいえ1日3食が与えられ、夜は寝る場も提供されていた。

貧乏農家の七男坊にとっては、半ば天国であったかもしれない。

父が軍隊で死を意識したのは8月15日のこと。

日本が無条件降伏をし、軍隊が武装解除されることとなったとき、「全員殺される」との話が伝わってきた。

単に末端兵士の噂だけではなく、軍隊の将校クラスからも正式に通告があって、大事に温存してきたタバコやお酒を宴会で大放出したほどである。

この世の最後の宴席というわけだ。

ちなみに、父がタバコを吸い始めたきっかけがその宴会であるから、これも一種の戦争被害と言えるかもしれない。

もちろん、宴会だからといって死の恐怖が紛れるわけがない。

父が何度も語っていたが、「明日殺されると思ったら、すでに生きている気がしなかった」と。

しかし、武装解除にやってきた米軍は、兵隊に食事やお菓子などを与え家に帰らせたのである。

当時の日本軍の幹部クラスでも、戦時国際法を知らなかったのか、あるいは厳密に実行されているとは考えていなかったのだろう。

ちなみに、父が米軍からもらったお菓子の中にチョコレートがあって、これは珍しそうだからと土産がわりに家に持ち帰って、皆で分けて食べたらしい。

すると、家族全員、次の日の朝まで目が冴えて眠ることができなかったという。

当時はチョコレートのカフェイン含有量が相当に多かったのだろう。

ところで、昭和20年8月15日に日本が降伏した事実が国民に公表されたところから、”終戦の日”と言い慣わされている。

アメリカでは、日本が降伏文書に調印した9月2日を”対日勝戦記念日”にしている。

8月15日以降も、解体されたはずの日本軍は、当時のソ連軍と樺太で戦っていたのだから、必ずしも戦闘行為が終ったという意味合いではない。

国際法の上では、昭和27年4月28日のサンフランシスコ平和条約で多くの国との戦争状態が終ったことになるらしい。

考え方はさまざまだが、中華人民共和国は9月3日を”抗日戦争記念日”と定めているのは明らかな間違いだ。

1945年の時点では、中華人民共和国という国はできていなかったのだから・・・。

 
19 : 15 : 51 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(12) | page top↑
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コメント
記載の件、ごもっとも。
日本と戦ったのは中華民国ですからね。
その意味でUN(本来は「連合国」)の
常任理事国と言うのは大きな矛盾点です。
by: ichan * 2018/08/15 21:22 * URL [ 編集] | page top↑
ichanさんへ
中華民国の国民党と共産党との内戦に日本が関与したのが実態です。
ですから、毛沢東元主席は、
「日本軍が蒋介石の国民党と戦ってくれたことを感謝する」
とまで言っています。
なるほど、敵の敵は味方ですからね。
by: 声なき声 * 2018/08/15 21:29 * URL [ 編集] | page top↑
本当にそう思います。
8月18日のソ連軍の占守島侵攻を防いだ旧日本陸軍の皆様がいてくれたおかげで北海道・東北はソ連に分断されずにすんだこと、もっと沢山の人に知って欲しいですね。。。
特に若い人には。。。

私の両親は東北の山中育ちでしたので、戦中時の子供時代の話をよく聞きましたね。
当時は子供だったせいでしょうか。
親の話っぷりではあまり悲壮感は漂ってなかったです。

今の報道にあるような偏った内容ではなく色んな方の体験談を聞けたら良いのにと思います。

by: すすむ * 2018/08/15 21:41 * URL [ 編集] | page top↑
こんばんは♪

父も母も戦争で小学校さえ卒業していません。
勉強どころではなかったようです。
父は大阪、母は滋賀、戦時中はかなり違ったようですが、
そんな話も聞くことができなくなりました。
体験者が減ってきていますね。
by: きっちゃん♪ * 2018/08/15 22:19 * URL [ 編集] | page top↑
すすむさんへ
旧ソ連軍が日ソ中立条約を無視して侵略してきたことは、日本ではあまり語られていません。
不都合を感じる人が、日本にもいるからでしょう。

8月15日のテレビは、おっしゃっているように「偏った内容」が多いです。
ですから、なるべく報道関係のニュースは見ないようにしています(笑)。
by: 声なき声 * 2018/08/16 04:49 * URL [ 編集] | page top↑
きっちゃん♪へ
おはようございます。

空襲経験を受けていた母の話を聞いていて、子供心に修羅場をくぐりぬけてきた人間の強さを感じました。
もちろん、母だけではなく、当時の多くの国民がそうであったのですが。
私には真似ができないと、ひそかに思いました。
by: 声なき声 * 2018/08/16 04:52 * URL [ 編集] | page top↑
おはようございます
歴史には、あまり詳しくない私でも
8月15日が、終戦となった経緯は
知っています。

母からも、実体験以外にも
そんな話を聞いてました。
祖父が海軍に居たので
裏話も 知っていたからだと思います。

「終戦記念日」と言われますが、
何も記念するような事ではなく
「終戦の日」と思うのですが・・

母は、この頃 結婚して
広島の呉に住んでました。
原爆のキノコ雲は、はっきり見えたそうです。
実父は、戦艦を作る会社に居ましたから
戦線に出る事はなく、後方から支える仕事を
していました。

実父の事に付いて調べた時
弟は、19歳の若さで、戦地で戦死した事も
知りました。
それも、終戦になる数日前の事です。

戦争が終わって、73年も経ちましたが
沖縄の問題を考える時
まだ、その影響は 大きく残ってる事を
見過ごす事は、出来ないと思います。
by: ヨンヨン * 2018/08/16 05:32 * URL [ 編集] | page top↑
ヨンヨンさんへ
おはようございます。

近年では、意識してかどうかはわかりませんが、「終戦記念日」という言い方はされなくなりました。
まさに記念すべき性質のものではありませんね。
なお、戦後間も無い頃は、”敗戦記念日”と呼ばれていたそうです。
おそらく、米国の意向なのでしょうが。

父も広島の部隊におりましたので、原爆投下は目撃こそしなかったものの、末端兵士の間でも噂になっていたそうです。
それでも、まさか日本が負けるとは思いもしなかっただけに、8月15日の敗戦は奈落の底に突き落とされた感覚であったと聞きました。
客観的に考えれば、父はあまりに愚かであったことになりますが、当時の日本人にしてみれば極めて標準的な考えであったのかもしれません。

多くの人の心の中に戦争は残っています。
前途有為な学生が戦争で人生を絶たれたことは、彼にとっての悲劇にとどまらず、日本にとっても大きな損失でした。
雨の中の出陣式の行進の場面は、何回見ても、目頭が熱くなってきます。

by: 声なき声 * 2018/08/16 06:06 * URL [ 編集] | page top↑
戦時国際法をきっちんと守るなら、大阪の一般市民をまきこむような空襲はやっちゃいかんのですよね。
空襲と原爆投下を立案した米軍の関係者は戦後法廷で吊るされると覚悟してサインしたようです。
うちの地元水戸も空襲で焼かれましてね。家も蔵も水戸の城まで焼かれてさんざんだと亡くなった祖父に聞かれました。
by: てかと * 2018/08/16 11:17 * URL [ 編集] | page top↑
てかとさんへ
原爆にしても無差別空襲にしても、米軍は非戦闘員が対象だと認識した上で実行していたのは、明確に証明されています。
”焼夷弾”の”夷”の字は誰が考え出したのかは知りませんが、日本人が人間とはみなされていなかったのは間違いないようです。
それを考えると、父のいた部隊の武装解除にあたっては食料まで配ってくれたのですから、すこぶる人道的な配慮があったと感謝すべきかもしれません。
by: 声なき声 * 2018/08/16 11:54 * URL [ 編集] | page top↑
声なき声さんへ!!
いつもありがとうございます。
国民学校の男の子として鬼畜米英の教育で育った私も敗戦と聞いた時ほど悲しいものはありませんでした。姉が多かったので進駐軍に襲われるといううわさが広がり裏山に逃げました。私は。ガムやチョコをもらい怖くなくむしろ楽しくさえありました。沖縄がひどい目にあい気の毒ですが、一般的には米兵は慰安婦と仲良くして一般人には手を出しませんでした。無差別空襲とか原爆は許されません。喝)
by: 荒野鷹虎 * 2018/08/16 17:04 * URL [ 編集] | page top↑
荒野鷹虎さんへ
こちらこそ、いつもありがとうございます。

進駐軍がやってくるとき、女性が襲われるかもしれないというので、顔に墨を塗って真っ黒にしたとの話を聞いたことがあります。
今まで”鬼畜”と教えられていたのですから、その気持ちはわからないでもありません。

そんな米兵は、日本に来て子供の頭からDDTをかけて病気感染に努めてくれたのです。
ただ、原爆や都市部への空襲などのように、明らかに非戦闘員への殺戮を繰り返した行為は鬼畜そのものです。
かの国では、神と悪魔が同居しているのでしょうか。
by: 声なき声 * 2018/08/16 17:33 * URL [ 編集] | page top↑

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昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、北摂のマンションに在住。   

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