91歳の父が、昨年末に一旦はリハビリ施設を退院したものの、再び、短期ステイで病院生活をすることとなった。
弟夫婦が父の世話をしてくれているのだが、休むことなく介護に徹するとなると、それは相当な負担になってくるらしい。
病院とも相談した結果、金曜の夕方から月曜の朝にかけて、病院で面倒を見ていただくことになった。
介護疲れの話は頻繁に耳にする。
本来は、私も介護の手伝いをしなければならないところだが、現在のように孫二人との共同生活をしている中では、それは無理であるというのが現実だ。
弟夫婦には厄介をかけて申し訳ないが、現状を考えるとほかに策はない。
今日、施設のほうに行ってきた。
ただ、父の様子を見ると、家にいたときのほうが活気があったと思う。
病院だと完全看護で、自分ががんばらなければ、との気持ちがわいてこないからかもしれない。
ときどき耳にする話だが、子が親のために良かれと考えてバリアフリーの家にリフォームしたところ、にわかに認知症が進んだ、と。
脳科学者も、そんな話をしていた。
自分で考えて動くという営みがなくなると、人間のメンタル面の衰えは早いのかもしれない。
91歳とはいえ、杖があれば歩くこともできるし、耳は遠くなって記憶力は減退したものの、判断力は確かなものがある。
私の顔を見ると、いつでもにっこりと笑う。
不老不死なんて無理なことは承知だが、それでも、一分一秒でも長く生きていてほしい。
私の切なる願いである。
夕方の地下駐車場は必要以上にさびしい
こんばんは♪
たしかに「自分で考えて動くという」は大きいと思います。
一人暮らしの人は結構しっかりされていますから…
でも、身体的に問題があると仕方ないのかもしれませんね。
きっちゃん♪へ
よく歩く人は、頭だけでなく体のほうの健康状態も良好だといいます。
やはり、体を動かすことが第一歩なのだと思います。
それにプラスして、頭を使うことも認知症の防止に役立つようです。
高齢になっても仕事を続けている人の頭がしっかりしているのは、常に考えているからだと聞きました。
おはようございます。
介護する生活の大変さは、お友達からも
聞いています。
弱って行く姿を目の当たりに見るのも
辛いと・・(>_<)
私の両親も、義父母も
もう居ませんから、介護は必要ありません。
私達が介護されるのに、一番近い年齢です(^^ゞ
確かに、お友達も、仕事が無くて
テレビ漬けの人は、話の内容が
単調になっていて、認知症へまっしぐら(>_<)
最近は、仕事をすることにも 疲れて来て、
もう、辞めたいと思う事も しばしばですが、
認知症予防に 頑張ります(^^)v
ヨンヨンさんへ
ほとんどが横になっている父ですが、5年前までは自転車にも乗ることができました。
もちろん、自力で歩けました。
だんだんと年老いていく姿を見ていますと、私としても覚悟を決めなければならない気持ちに追い込まれます。
気がつけば、私自身が介護をされていることになるかもしれません。
それまで寿命が続くかどうか、それはわかりませんが(苦笑)。
仕事もなく、ボランティアや趣味の活動もしてないという人は、認知症が始まったり、あるいは重症化する傾向があるようです。
社会とのつながりは、頭を活性化させる上からも大切だと思います。
なんか聞いたことがあるのですよ
この記事の話。
自発的に行動し選択をしている90歳と
なんでも上げ膳下げ膳する90歳。
認知症が進んだり寿命が前者より短めになったりするそうな。
頭も体も使えってことなんでしょうね。
先人の失敗に俺たちは学ぶところ大であります。
まぁ、100まで生きて寝た切りとかなんの罰ゲームってのもありますしw
てかとさんへ
子供のしつけでも、同様のことが言えるかもしれません。
倒れてもすぐに親が駆け寄って立ち上げたり、欲しいとねだるものを何でも買い与えていたりすると、自立が遅れてくることが考えられます。
ただ、子供の場合であれば、ある程度大きくなれば追いつくことも可能ですが、老人だと退化の一途を辿ることになりますから、リカバリーは困難です。
「寝たきり」というのは、本人にとっては”懲罰”かもしれませんが、家族にしてみれば、生きてさえいてくれればありがたい、との思いもあって微妙です。