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12月30日(水)

元娘婿と孫たちとの面会交流があった。

12月の面会はすでに終わっているのだが、そのときはクリスマスプレゼントを買ってもらうことだけで終わっていたので、子供たちから「もっとおしゃべりしたい」との要望があり、今回、冬休み特別版の面会交流を当家のほうから申し入れたのである。

幸いなことに娘もかなり落ち着きを取り戻し、逆に今回の特別バージョンをみずからが提案してきたのである。

つまり、あくまでも子供の思いを最優先して交流を行うもの、という趣旨に持っていきたいとの意向からなのだ。

平たく言えば、子供たちが「お父さんに会いたい」というのなら交流の場を持つし、「もうお話をしたくない」となれば、会わない方向に持っていこうという作戦である。

今日は、そのための布石を打ったこととなる。

法律上は通用しない発想かもしれないが、彼にしても、そのあたりの空気感は自然とつかんでいくだろうと思う。

このようにして双方に距離ができていけば、お互いに相手のことを忘れていけるような気が私もする。

それが双方の幸せのためにも最も理想的な形であり、娘の父親の私としても切に望んでいる。

ところで、妻から、作ったおでんの一部や到来物の羊羹、カップ麺など、もろもろのお土産をもらった。

そのかわりというのではないだろうが、「元旦に使うお屠蘇を買ってきてほしい」と頼まれたのである。

周辺のドラッグストアがいずれも売り切れだというので困っていた。

そこで私がお屠蘇のお使いを引きうけたのだが、「お屠蘇」を知らない店員さんがいるのでこちらがびっくりした。

あらたまって、「お屠蘇ってどんなものですか?」と問われると、説明するのにも困ってしまう。

昭和も平成も過去のものになってしまった。



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6軒目でようやくお屠蘇を置いている店を見つけた



【ご挨拶】
この記事を今年最後の投稿とさせていただきます。

内容空疎なブログであるにもかかわらず、多くのかたにお読みいただき、コメントまでくださいましたことを心より感謝申し上げます。

次は1月3日から記事を書かせていただきます。

皆様がたにおかれましては、ご多幸な新年をお迎えになられますよう、心からお祈り申し上げます。
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12月29日(火)

久しぶりにスーパー銭湯に行った。

調べてみると、4月11日に行ったのが最後で、それ以降はずっとご無沙汰だから、実に8か月以上ものブランクがあったことになる。

本当であれば、毎年、大晦日にスーパー銭湯にやってきて、文字どおり1年の汚れを洗い流す、というのが今までの私の習わしであった。

今年もその心積もりであったのだが、気象予報によると明日から正月三が日は尋常ならざる寒波がやってくるらしい。

銭湯に入っている間は極楽気分だが、一旦、お風呂を出ると全身が凍り付くような寒さが待っているのかと思うと、寒さの苦手な私は二の足を踏んでしまう。

それで、比較的温暖な今日の日にしたのである。

長い間の空白があったものの、実際にいってみると、そこで展開している光景は8か月前と全く変わっていない。

受付で手首のところで検温をされたぐらいが、以前にはなかったことだ。

ほかに私が感じた「ちょっと違うな」は、客層が思い切り若い、ということ。

通常の昼間であれば、シルバー層が圧倒的に多いのだが、年末の今日は30代とおぼしき若い人の姿が目立った。

おそらく、私など、来場客の平均年齢を上げることに貢献しているのではないか、と思うほどである。

高齢者は家の大掃除の手伝いをしているのだろうか。

あるいは、若い男性の一人暮らしであれば、年末だからといってとりたててやらなければならない所用というのはない(と思う)ので、スーパー銭湯にやってきたのかもしれない。

他人のことはともかく、私は大いに羽を伸ばさせてもらった。

ゆったりとした湯舟が気持ちよく、ついウトウトしてしまうこともしばしば。

銭湯で溺死だなんて、孫にも顔向けができないほどの大失態である。

冗談はともかく、寒くなってくるとヒートショックによる痛ましい事故がよく起こっている。

もちろん家庭の風呂場でも全く同じリスクが潜んでいる。

年齢が上がると、冬には、朝風呂に入らないぐらいの心構えが必要かもしれない。

また、熱いお風呂が大のお気に入りという人は少なくない。

私もそうだが。

ただ、42度以上のお湯だと思わぬ事態が多発しているとのデータも出ている。

41度以下であれば、重大な事故に発展する確率は劇的に下がるらしい。

それを聞いて、私も41度設定に変更した(汗)。

風呂はリラクゼーションの場だからこそ、慎重に対処していきたいと思う。



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冬の間は室内風呂に入ってから露天風呂に入るのがマイルール

 
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12月28日(月)

いま直面している湯沸かし器の不具合のことだが、大阪ガスに電話をしたら、すぐに対応をしてくれた。

今日、工事手配をする会社が部屋まで来て、新品設置の場合の見積もり金額を出してもらった。

見積もりのための出張訪問は無料だとのこと。

こういうところにも、大手の会社らしい信頼性を感じる。

工事費や消費税も含めてのトータル金額を見て、おおよそ妥当な線かなとの感触を得た。

すぐにもGOをかけようかなと思ったが、そのときに頭をよぎったのが以前に勤めていた会社の先輩の言葉である。

「必要なものは買え、しかし、あったら便利というだけなら買うな」というもの。

やや乱暴に過ぎる表現かもしれないが、会社の仕事を通じての経費の使い方に言及したもので、私のその後のモノの発想に少なからぬ影響をもたらしたと思っている。

だから、営業担当になったときも、携帯電話を持つようになったのは、かなり経ってからである。

私としては、あえて携帯電話を持つことが「必要」とは考えなかったからである。

しばらくして、世間では携帯電話が普及し、外に出て仕事をする人の大半が所有するようになったのを見定めて、ようやく携帯を持つことにした。

「営業活動をするにあたって必要である」と判断したからである。

この判断基準は、私が会社の仕事でモノを買うときだけでなしに、自分の生活の上でも無意識のうちに忍び込んでいたと思う。

いま、湯沸かし器を新たに購入するかどうかを決めるにあたっても、例外ではなかった。

ただ、「必要か、それとも、あれば便利か」の判断を下せと言われたら、「絶対に必要」とは言えない。

食器を洗うというのが大半の用途だから、一人暮らしの世帯では必須のツールではない。

しかし、加齢のため、冷たい水に触れることで血圧を上げてしまう恐れがあり、思わぬ健康被害につながる可能性ががある。

さらに言えば、設置コストが手頃だということもある。

3秒ほど考えて、発注することを決めた。

「あれば便利」の基準は、その人の年齢や環境によって変わっていくものだ。

設置工事は年明けになるが、手配を済ませたので心配事が一つ片付いたことになる。



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簡にして要を得たキャッチコピーである

 
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12月27日(日)

梅田の百貨店に出かけて、年賀の品を買ってきた。

一軒だけ、顔を見せて新年の挨拶に出向いている親戚があり、そこに持参するものである。

今までは近所のスーパーで買ってきていたのだが、だんだんネタも尽きてきたので、ちょっと毛色の変わったものを贈りたくなったから、あえて百貨店まで出向いた。

私も、人並みにコロナやインフルなどの感染症を警戒しているので、開店と同時に入って迅速に買い物を済まそうと考えた。

10分前に百貨店の入り口前に着いたのだが、もはやその時点で長蛇の列ができていたので、思わず目が丸くなるのが自分でもわかったほどだ。

時期が時期だけに人出は少ないだろうと予測していたし、ましてや開店前から長い行列を作って順番待ちをする人なんていないだろうと、タカをくくっていたのである。

私の想像はきれいに裏切られた。

菓子売り場に行くと商品ごとにコーナーが分かれていて、当然のことかもしれないが人だかりしているところと、ほとんど客の姿が見られないコーナーがある。

ちなみに、私の意中とする某和菓子ブランドのコーナーは、2,3人の客がカウンター内の商品を覗き込んでいるだけであった(汗)。

片や、名前は知らないが、おそらくは人気が沸騰しているのであろうスイーツブランドなど、開店して間もないのに、すでに20人ほどの行列ができているのである。

飛沫感染を恐れてなのか、だれもがかたくなに沈黙を守っている。

一種、不気味な光景でもあった。

期せずして、人間観察をさせてもらうことができた。

日常とは一線を画した世界に行くと、望まなくても刺激を受けるものだ。

本当は、ゆっくりと時間をかけて「人間観察」をしたかったのであるが、客数が相当にふくれあがってきているので、不測の事態があってはならないと、撤退を決めたのである。

もし感染症の問題がなければ、朝10時半の時点で、少なくともこのフロアは満員札止めとなってしまったのではないか。

コロナによって経済活動が打撃を受けているというのは、総論的にはそのとおりだが、極めて少数ではあっても、しっかりと業績を上げているところもある。



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係員3人が出て整理にあたっていた

 
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12月26日(土)

不調の湯沸かし器のことだが、その後、話が二転三転した。

実は、昨日にメーカーに工事業者を紹介してもらって、湯沸かし器の点検をお願いすることにした。

出張費だけは負担するつもりであったので、その費用を尋ねてみたところ、
「業者から電話して説明させていただきます」
とのことであった。

そして、今朝に業者から電話がかかってきて、不具合の状況を逐一説明し、概算見積額を伺ったところ、
「出張だけで約5,000円、もし修理をして部品交換が必要だとしたら、さらに約10,000円です」
という返事であった。

内心、高いんじゃないかなとの疑問はあったが、とりあえずは聞きおいた。

次に、彼が、湯沸かし器の製造年のことを訊いてきたので、表示を見ながら「2010年」であることを伝えると、
「それなら、新しいものに交換することをおすすめします」
と即座に返ってきたのである。

なんでも「8年」を過ぎれば、いつ壊れてもおかしくないらしい。

費用をかけて修理をするぐらいなら、新品に買い替えるほうが得だ、ということである。

それを聞いて、すぐにホームセンターへと走った。

湯沸かし器の設置の工事を依頼しようと思ってである。

昔とは違って、今では資格を持っている人でないとガス機器の接続はできないこととなっている。

できれば年内に間に合わせたいと思っていて、そのためにも工事業者をキープしておかなければならない。

しかし、ホームセンターの窓口で言われたのは、
「年内の工事受付は終わっていて、来年になってから予約してもらうことになるので、いつ設置できるかは全く見当がつかない。」
と冷酷な一言であった。

すごすごと引き下がらざるを得なかった。

ほかを探せば、もしかしたら工事をしてくれるところがあるかもしれないが、足元を見られて相場以上に高い費用を請求される懸念もある。

しばし考えを巡らせた結果、どうするにしても、お正月が明けるまでは待つことにした。

新品を発注する以外に、湯沸かし器を使わないで行く選択肢もある。

食器を洗うときだけに使うのだから、必須のツールだというわけではない。

あるいは、ほかに問題解決の手法が見つかるかもしれない。

だから、年末年始は休戦ということにする。

そう決意して、夕食後の皿洗いをしていたら、突然に湯沸かし器で点火する音がして、炎が出てくるのが見えた。

生き返ったのかと思っていたが、喜びのつかの間、出てくる水は生ぬるくはなるものの、高温にはほど遠い。

しかも再現性はなく、次に試してみたときは点火しなかった。

ガス機器だけに、テストを何回も繰り返すのは恐いので、ほどほどにしておいた。

ロウソクが消える前に、ほんの一瞬だけ勢いよく輝くが、それと同じ現象だろうか。



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元気に活躍していた現役時代をほうふつとさせる光景だ

 
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12月25日(金)

調理器具を収納しておくパイプ棚を買ってきた。

いつ見ても調理台やコンロ部に鍋やフライパンが雑然と置かれているのは、美観上も好ましくない。

シンク下のスペースにも調理具は置けるが、取り出すたびに腰を曲げなければならないので、腰痛のリスクがある。

引っ越してきた当初はシンク下に入れていたのだが、腰痛を恐れて、コンロの上や調理スペースに放置していた。

自分でもだらしないと感じるようになり、使う頻度の高いものだけでも取り出しやすくするため、置き場を設けることにしたのだ。

ちょうと、自分自身ヘのクリスマスプレゼントの意味合いもあるし(笑)。

ちょっと器用な人なら、自分で材料を見つけてきて簡単に作ってしまうだろうが、私はすでに出来上がっている商品を組み立てるだけで精一杯である。

二階建ての仕様になっているが、横幅や高さの調整ができるのも、既製品だからこその特長だろう。

見た印象がいかにもちゃちだが、実際に少し体が触れただけで、躯体が大きく揺れる(汗)。

地震が来たら、ひとたまりもないだろう。

やや心もとないとはいえ、よく使う調理具4点を置いてみたら、調理スペースがぐっと広くなったおかげで気持ちいい。

「整理整頓」というのが苦手な私ではあったが、作業効率が良くなることにもまして、晴れ晴れとした気持ちが得られるということにも気づけたのは、これは大きな収穫であった。

自画自賛ではあるが、値打ちのあるクリスマスプレゼントであったと思う。



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1,700円の商品ではあるが貢献度は高い

 
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12月24日(木)

湯沸かし器の調子が悪く、火がついてもしばらくすると自動的に消えてしまう現象が続いている。

といっても、寒い時期しか湯沸かし器を使わないので、去年などは全く使わなかったし、今年も、きのうから使い始めたばかりである。

昨日、メーカーのサポートに電話したら、技術担当の人がかわって出てきて、
「おそらく電池がなくなっていると思われますので、まずは新しいものに交換してから、また電話をください。」
とのことであった。

さっそくスーパーまで電池を買いに走り、帰宅するやすぐに試してみたのだが、やはりうまくいかない。

点火はしても、しばらくすれば力なく消えてしまうのだ。

どこか私の使い方に誤りがあるのかもしれないと思い、再度、メーカーのサポートに電話した。

電話口に出てきた人に経過を説明したら、
「それでは、修理担当の者に伺わせます」
といきなり言われた。

きのうの電話での技術担当の話とは違うではないか。

修理の人が私のマンションまで来てあちこちとチェックをすれば、確実に費用が発生する。

その点を確認すると、
「保証期間が終わっていますので、費用はすべてお客様にご負担をいただくことになっております」
とマニュアル的に言われた。

その費用が、1,000円とか2,000円とかであれば構わないが、何万円かかるかはやってみないとわからない。

私にしてみれば、電話口でヒントになるものがいただければありがたいと考えて、それで電話をしたのである。

昨日の技術担当jの人のニュアンスも、
「電話対応をします」
と明言こそしなかったものの、再度、電話をするように私に言っているのだから、電話を通じてのサポートをすると匂わせていたのである。

それでも埒が明かないようなら、修理担当者が現場まで走る、というのが世間の常識ではないか。

だから、私から見れば、昨日の技術担当者の対応が適切で、今日のサポート担当者は誤った対応をしていると判断している。

とはいえ、おそらく会社が指示したマニュアルで、
「不調があって乾電池を交換しても問題が解決しない場合は、修理担当が現場までチェックに行く」
と決められているのだろう。

つまり、そのサポート担当者もマニュアルに従って説明したに過ぎない。

理想的なマニュアルを作っても、それを各職場のスタッフが正しく理解しているかどうかは別問題である。

私のように、きのうの人が言っていたことと今日の人が言うことが違う、というのであれば、混乱するばかりだ。

そこそこ規模も大きく、知名度も高い会社なのだが。

なお、湯沸かし器の不調については、ときおり自分で動作の確認をしてみるつもりである。

もしかしたら、突然に元気を回復するかもしれない(まさか)。



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水仕事をするとアカギレができるようになった

 
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12月23日(水)

年賀状の宛名の印刷をした。

全部で62枚である。

いっときは200枚近い枚数を出していたのだから、それを思うと、近年は交際の範囲が狭くなったものだとつくづく感じる。

しかし、プリンターで一気に印刷してしまうのだから、お世辞にも真心がこもっているとは言い難い。

そういうこともあってか、昨今は年賀状をやめる人も増えてきた。

ネット時代なのだから、SNSでもできるしメールでも挨拶はできる。

あえて切手代を使って葉書で送らなければならないという必然性はない。

ただこれには条件があって、相手側もネットで受け取ることができなければ一方通行になってしまう。

私が年賀状を送っている相手先は、ITとは縁遠い年代層の人が多い。

だから、物理的にネットでの挨拶は無理だということになる。

いまだに私が年賀状をやめられない最大の理由は、そういった背景があるからである。

なお、プリンターでの印刷文字だけであれば無味乾燥だというので、添え書きをしている人も少なくない。

印刷したハガキで送る場合は、それが望ましいと私も思う。

しかし、自分で文字を書くのが苦手な人間、つまり、相手がストレスなく読んでくれる文字を書けない人種にとっては、この添え書きは苦痛でならない。

字が下手な上に、気のきいた言葉も書けないものだから、いっそ手書きは何もしないほうが礼を失することもないと思うのだが。

実は、学生時代の友人で添え書きに異様にこだわるのがいる。

私が印刷文字だけの年賀ハガキを送ると、事あるごとに非難を浴びせてくる。

お互いに親しいからこそ、そんな無礼も許されるのだろうが。

飲み会の場でそんなことを言われると、酒がまずくなるではないか。

だから、不本意ながらも、彼のグループの連中に送るハガキには、ミミズが這ったような文字で添え書きをしている。

これで、少しは私の好感度が上がっているのだろうか?



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25日までに投函すれば元日に配達される予定

 
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12月22日(火)

きのうの血液検査の結果が出た。

私の予想に反して、鉄剤の服薬は今後も続くこととなった。

かかりつけ医は、再検査では「鉄分そのものの値」を示す項目を対象にしたことで、先月に受けた市民健診とのギャップが出てきたようだ。

市民健診では「フェリチン」という項目を調べて、そこが基準値を上回っているところから、もしかしたら鉄剤を飲まなくてもいいのではないか、との思いが湧き出てきたのである。

しかし、かかりつけ医のお話では、
「フェリチンは、たとえれば鉄分という貨物を運ぶ運搬船のようなものであって、入れものにすぎません。
 一般的には、フェリチンと鉄分の数値とは相関があるのですが、ごく一部には例外もあります。」
とのこと。

なるほど、今回の検査結果を見れば、鉄分そのものの値は基準値を何とか満たしている程度のもので、同じ年代の男性としては少ないほうに分類されるらしい。

何らかの原因があって、体の中の鉄分量が少ないので、鉄剤を飲むことと鉄分を含む食べものを積極的に摂ることが今後も必要だ、との助言であった。

この数値を見てしばらくは気落ちしていたが、これからの私の一生を考えると、少しでも健康を保っておくのが快適な生活のための大前提である。

鉄分が標準値よりも少ないと、明日明後日にどうということはないだろうが、何年も先にはそれが引き金になって、重篤な疾病に見舞われるリスクがある。

ことに、鉄分は体全身に酸素を運ぶ仕事をしているが、もし人間が酸素不足という事態になれば、これは文字どおり生死にかかわってくる問題だ。

昨年の夏の終わりごろに鉄分が足らないとの検査結果が出て、それ以降、食事と処方薬でなんとか最低限の鉄分量は維持してきたが、1年が経過してもさほど変わっていないという事実が判明しただけでも、私には益のある情報だと思う。

これからも、納得の上で鉄剤は飲み続ける。

なお、錠剤でなしに注射で鉄分を体内に注入するという手法もよく聞く。

医師のお話では、薬を続けて思わしい進展がなければ、そのときに注射を考える、とどこか歯切れの悪いお言葉であった。

ともあれ、再スタートを切るつもりでやり直す。

ところで、今日もこのクリニックの待合室は患者の姿があまり見られなかった。

インフルの予防接種以外の患者が激減しているのが、この春以降の傾向である。

人が密集する場での感染を恐れてであるのは言うまでもない。

新型コロナと関係のない中小の医療機関では、どことも事情は同じではないか。

もう一つの医療崩壊が進んでいるような気がする。



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鉄分たっぷりメニューのレシピ集をいただいた

 
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12月21日(月)

毎月恒例のクリニックでの定期診察に行ってきた。

ちょうど、先日の市民健診の結果、鉄分の数値が基準を超えて多く出ていたことを、かかりつけ医に相談した。

現在の鉄分の状態で、かかりつけ医から処方された鉄剤を飲み続ける必要があるのか、ご指示をいただきたかったからである。

医師からの返事は、
「もう一度血液検査をして、判断いたします」
とのことであった。

考えようによっては、当然のことかもしれない。

医師が投薬について決断をするのは、極めて重大な責任がかかってくることとなる。

まかり間違えば、訴訟にまで発展しかねないのだから、投薬をやめるか続けるかの判断を下すには、信頼できる検査結果に基づいて慎重に行う必要がある。

検査は主治医の知らない誰かが行い、しかも、一つのデータだけに頼って決めるというのは、あまりにもリスキーだ。

だから、医師の「もう一度」という方向性は妥当であり適切なものだと、私も頭では理解している。

ただ、私にしてみれば、「今日で鉄剤を飲まなくて済む」と内心は楽しみにしていただけに、当てが外れたという落胆の思いは残る。

処方薬が1種類減るというのは、取りも直さず、健康体に近づいたという証なのだから、喜ばしい話だ。

その感動を目の前にしながら、足踏みが始まったのだから、愉快なわけがない。

トボトボと採血室まで行って、鉄分がたくさん検出されますようにと祈りながら、血を抜いてもらった。

この結果は明日にわかるという。

運命の分かれ道は、明日に持ち越された(大げさ)。



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このクリニックではすべて「院内処方jである

 
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12月20日(日)

急に思い立って、部屋の模様替えをしてみた。

といっても、そんな大げさなものではない。

今まで、リビングに置いていたパソコンデスク兼食卓を、寝室に移動しただけである。

狙いは、一番は寒さ対策であり、次に気分転換である。

後者はともかくとして、冬の寒さを何とかしたいとの気持ちはすべての人が共有しているはず。

当方のリビングは東側の窓と廊下側の窓があり、どうやらその二つの窓からすき間風の冷気が入ってくるようなのだ。

寒くてたまらない。

片や、寝室は北側の窓の面以外は、壁とふすまで仕切られている。

だから、その分、寒さが緩やかではないだろうか、との希望的観測でもって移動をしてみた。

もし不都合があれば、再度、元の位置に戻してもいい。

その辺は柔軟に考えている。

パソコンに合わせて、天井から吊している照明器具も置き換えた。

また、WIFIが快適に届くかが気になっていたが、大邸宅でもないので、どうということはなかった。

ただ、夜になると著しくスピードが落ちた。

襖を閉じなければ、少しは快適になるかもしれない。

しばらく経過を見ながら、対応を考えるとする。

もう一点、リビングだと東の空からの日光が入ってくるが、寝室だと北側になるので、陽光が燦々と降り注ぐ光景は望むべくもない。

ともすれば、息詰まりな印象の強い部屋となってしまう。

その点は覚悟しておかなければならない。

なお、寝室の窓ガラスには断熱シートを貼る予定にしている。

何かと有益な生活情報を提供してくださるサイトで知ったものだ。

これで室内を少しでも温かく保ちたい。

さて、新しい生活スタイルがどんな展開を見せていくことか、想像するだけで胸の躍る思いである。



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パソコンをしながら食事をすることもある(汗)

 
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12月19日(土)

下の孫が、幼稚園でコマ回しを教えてもらってきた。

今日、コマを作って、それを回す練習もしたらしい。

令和の今、お正月にコマを回して遊んでいる子供の姿なんて私は見たことがないが、私が知らないだけで、実際にはコマ回しもやっているのだろうか。

幼稚園の先生からは、
「年明けにもコマ回しをしますので、休みの間にやっておいてください」
と言われているとのこと。

それとなく、練習しておくようにとプレッシャーをかけられたようなものだ。

孫にとっては、おそらく初めて見るものだろうし、紐を巻く手もおぼつかない。

そっと私に差し出すので、それを私の手にとって試しに回してみた。

すると、しっかりと回転しているではないか。

おそらく、小学生のときしかやっていなかったはずだから、約50年ぶりにコマを回したことになるが、はるか昔に覚えたことは忘れていないようだ。

これには驚いた。

そういえば、自転車にしたって、20年間のブランクがあってもひっくり返ることなくこげる。

Excelの関数などは、2年も使わなければ頭脳から跡形もなく消えていったが、体で覚えた感覚というのは一生続くものかもしれない。

孫娘はコマの回し方を教えてほしそうな顔つきだが、一つ、大きな壁があることに気づいた。

孫娘は左利きなのである。

となると、紐の巻き方やコマの投げ方が右利きとは逆方向になってしまう。

YouTubeを見ても、左利きを対象にした動画を見つけることができなかった。

やはり、世の中、右利きが多いのだろう。

冷製に考えれば、孫娘は新しい技術の習得に取り組もうとしているのだから、私たち大人が応援するのは当然のこと。

私も、毎日、だし巻き玉子を作る修行をしており、最近はだんだんとそれらしくなってきているのを実感している。

これも、本ブログをご覧の皆さまのアドバイスの賜物であるのは言うまでもない。

心から感謝申し上げる。

今日は、初めて「ふわとろ」感のある仕上がりとなった。

火加減のコツが少しは頭に入ってきたようなので、残された最大の課題は、玉子を巻いたときに形を崩さない、という点である。

まだまだ先は遠い。



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これでは外見はオムレツと変わらない・・・

 
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12月18日(金)

防寒対策の一つとして、手袋を買った。

もちろん、散歩のときに使うものだから、寒ささえ防げればいい。

そして、スマホの指紋認証ができれば、大助かりだ。

去年は100均で買った。

冬が終わるころには、縫い目がほつれてくるのは承知の品質でノープロブラムなのである。

そのときに処分してしまうのだから。

今年も、一昨日に、店こそ違うが、やはり100均でスマホ対応の手袋を買ってきた。

今日は今年初めての手袋であったが、手に冷たい風が当たらないというだけで、体に感じる寒さはかなり緩む。

良かったなと思いつつ、スマホを取り出してネットにつなごうとしたのだが、ロック解除ができない。

何度繰り返しても同じこと。

まさかと思いつつ、手袋をとって素手でタッチすれば、機嫌よくロック解除して中に入っていける。

「スマホ対応」を謳っていた手袋なのに、これでは不良品ではないか。

買ったお店に行って、交換してもらおうと思った。

家に帰ってしげしげと手袋を見詰めたら、あろうことか、人差し指の付け根に穴があるのに気づいた。

もちろん、100均のクオリティだから、何年も使い続けるなんて私も考えていない。

しかし、使った初日にほころびが出るなんて、つまるところ、私とは縁がなかったのだろう。

「タッチパネル機能が使えない」というだけであれば、正規品との交換を求める正当な理由になるが、「穴が開いたから」となると、これは使い方に原因があると言われるかもしれない。

いずれにしても、穴あきを理由にしての交換を、100均ショップの店頭で求めることは私にはできない。

目立つ場所ではないし、そもそもは寒さを防ぐための衣料品なのだから、その意味では現状でも十分に役に立つ。

思いも寄らなかった欠陥がダブルでやってくるのだから、至れり尽くせりである・・・・いや、踏んだり蹴ったりである(汗)。

十分にあきらめがついた。



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これで厄落としもできたと受けとめている

 
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12月17日(木)

元娘婿が先週で会社の長期研修を修了した。

昨晩は、私の孫たちとの面会交流が予定されていた。

そもそも、この日にクリスマスプレゼントを買いに行って、その後で、ファミレスで食事をするスケジュールが組まれていたのである。

そのために、10月から有給休暇をとっていたらしい。

われわれも、その予定でもってお膳立てをしてきた。

ところが、昨日の正午過ぎに彼からメールが来て、「今日は子供と一緒にプレゼントを買いにいくだけにしてほしい」と言ってきたのだ。

メールを読むと、
「人事異動があって、臨時的に他の部署に行くことになった。
 早速、今晩から勤務になるので夜の時間は空けられない。」
といった内容であった。

妻と娘に知らせたところ、娘は、間髪を入れずに
「これはウソ」
と言うのである。

「人事異動は4月か例外的に10月にしかない。
 それに、夜になってから始める仕事なんて、彼の会社にはない。」
というのがその根拠である。

確かに、不自然な話ではあると私も感じた。

娘の主張にはうなずけるところがあるが、それなら、なぜそんなウソをつくか、と尋ねたら、
「子供たちとの食事にかかる時間と費用がもったいないからではないか」
という。

まさか、”時間”はともかく”費用”は関係ないと思ったが、見方を変えれば、娘はそこまで元夫への信頼がないことを痛感させられた。

交際時代から計算すると15年に及ぶ関わり合いを通じて、彼が平気でウソをつくことはお見通しのようだ。

洗脳状態からかなり解放された今となっては、彼の口から出る言葉のすべてを、娘は疑ってしまうのである。

娘の頭の中では、彼は会社の仕事に向かう前に子供たちに会ってプレゼントを渡すという、良き父親を演じているにすぎない、と断じている。

もしそれが当たっていたとしたら、スタンドプレーもいいところだ。

なお、私の脳内の勝手な妄想ではあるが、彼は研修中に同じ職場の女性と親しくなったのもしれない、と。

その女性は勤務時間中だから夜しか会えないので、やむを得ず、子供たちとの面会の時間を最小限にしたのではないか。

まるでミステリー作家並みの推理力だと自画自賛しているが、確たる証拠は何ひとつない。

裁判所にも提出できるような明確な証拠が集まれば、それこそ推理小説を書き上げることも夢ではない。

私がベストセラー作家への道をまっしぐらに進んでいく、なんてのは初夢にもならないだろう。



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ミステリー作家はあふれんばかりの数のネタを持っている

 
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12月16日(水)

先月に受けた市民健診の結果をうかがってきた。

問題があった項目は一点のみ、血液検査で「ヘモグロビン」の値が基準値を下回っているところだけである。

「13.5~17.0」がストライクゾーンなのだが、それが「13.1」と少しはずれたのだ。

いわば残念賞レベルである。

なお、ヘモグロビンの値が低いと、貧血状態にあることを示している。

主治医によると、「鉄分摂取量の不足が考えられる」とのことで、食事指導を受けると同時に、鉄剤を処方されていた。

半年近く経っての検査で、なんとか鉄分量が基準値内に入ったというので、しばらくは様子見することになった。

そんな経緯があったので、今回、市の健診を受けるにあたって、オプションで鉄分量のチェックをしてもらうことにしたのである。

今日、その結果を見て、一瞬、自分の目を疑った。

基準値が「13~277」のところ、私の数値は「325」にも達していたのだから。

つまりは鉄分過剰である。

このまま行くと、鉄人28号になってしまう(汗)。

気合いを入れて、鉄分豊富な食べ物を摂り過ぎたからだろうか。

コマツナ、豚肉、納豆、牛乳など、ほぼ1年間にわたって毎日欠かすことがなかった。

何よりも、かかりつけ医から処方された鉄剤が強力であったからだろう。

鉄分量が増えたのは喜ばしいが、それでもヘモグロビンの数値が低く、貧血状態である理由の説明がつかない。

なお、健診を受けたクリニックの医師からは、
「基準値よりほんの少し低いだけですから、気にすることはありません」
と極めて事務的に言われた。

勘ぐった見方をすれば、私が「かかりつけのクリニック」という言い方を何回かしたのが不興を買ったのかもしれない。

いずれにしても、来週に「かかりつけ医」のところに行く予定にしているので、その際に相談させていただく。

生きるの死ぬのという重篤な症状でないだけに、慎重に対処しておきたいものだ。



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診察を受けなくても検査結果表さえもらえれば、手間は省けたのに

 
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12月15日(火)

昨晩、6歳の孫娘の誕生日会を開いた。

奇妙な表現になるが、妻の住んでいる家で行った。

主役はもとより、母親と祖父母も集まってのささやかながら心のこもったお祝いの会になったと思う。

一般的なしきたりどおり、ケーキに立てたロウソクを主役が吹き消すところから始まり、メインディッシュのチキンの料理に皆が舌鼓を打った。

正式な名前は知らないが、そこそこ大きな鳥の中に、野菜やご飯などが目いっぱいに入っていて、大食漢の私でも最後には満腹になっていた。

娘が友人に教えてもらって初めて作ったというが、ここまでできればなかなかの腕前だと、親バカながら思った。

チキンがほぼなくなり、いよいよケーキを食べる段になって、小学2年生の孫娘が異才を発揮した。

「私が切る」と言い出し、人数を数えて「5人やから5分の1ずつにカットするね」とボソッと口にした。

「5分の1」という分数を知っているので驚いたが、今は、小学校2年で習っているらしい。

最近の学校教育はかなり高度になっているようだ。

さらに、切り口をどこから入れるかをしばらく考えていたが、ケーキの円のまわりに置かれたクリームを絞った塊に目をつけたのである。

その数を勘定していくと25個あったところから、5個ずつを一人分とするようにカットしていった。

居合わせた大人3人が、みな、息を呑むようなひらめきだ。

孫娘は、私のDNAはあまり受け継いでいないのだろう(汗)。

それはともかくとして、笑いにあふれた一家団欒を満喫させてもらえ、貴重なひとときを過ごすことができたと感謝している。

「家族」というキーワードは、私には取りも直さず「幸福」に直結していると、あらためて実感した。



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ロウソクの火を吹き消すアクションは飛沫感染をもたらす恐れがある・・・

 
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12月14日(月)

使い捨てタイプではあるが、マスクを買った。

30枚入りで700円だから、相場的にはこんなものだろうか。

以前に買ったのは2年前の春で、花粉症に備えてのものであった。

100均で30枚入りのを何箱か買ったものの、その年の3月に花粉症がぴたりと完治したものだから、ほとんど使わずに済んだ。

おかげで、コロナ騒動でマスクが市場から姿を消したときも、難なく乗り切っていくことができた。

さすがに年末ともなると、残り枚数が少なくなり心細く感じてきたので、今日、購入に買い足したのである。

新型コロナ感染症の対策としてマスクが有効かどうかの議論がくすぶっているものの、一種の社会規範として、感染防止のためにマスクの着用が求められているので、それには従っておくべきだと考えている。

だから、私は外出のときの必須アイテムの一つに、マスクも名を連ねているほどだ。

ところで、今晩、孫娘の誕生日会があって、一緒に食事をする段取りになっている。

気になるのは、「出席者が5名」「会食中のマスク着用の義務」の2点である。

なんでも、メンバーが同居者以外の場合は4名以下、そして、会食中も会話のときはマスクをする、というのが望ましい対応とされているようだ。

今晩の誕生会は二つともひっかかるが、おそらくはどちらも目をつぶることになると思う。

孫娘にとってはハレの日にほかならないのだから、あまりに無粋なマネをするのは気の毒だ。

妻は感染症には敏感に反応しているものの、自宅の中ではマスクをしていないし、私という非同居人との会話のときも、マスクはしていない。

私自身はそれが自然な姿だと考えているところだが、今晩、どうなることやら。



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使い捨てマスクも洗えば何回かはリピート可能である

 
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12月13日(日)

歳末ともなると、スーパーの売り場のあちこちで、ワゴンでのバーゲンセールをやっている光景が目に入ってくる。

今日は、調理道具を「均一セール」と題して売り出しをしていた。

見ていると、玉子焼き器も並んでいる。

テフロン加工がなされていても500円となっているので、これは間違いなく格安だ。

今まではフライパンで卵を炒めていたが、スクランブルドエッグだけをするのであれば、従来のままで何ら問題はない。

しかし、レパートリーを増やそうとしたら、できれば玉子焼き器があったほうがいいと思っていたのである。

ただ、正規品の売り場を見ると、フランスの某著名ブランドの玉子焼き器など、5,000円前後の値段がついている。

私がそんな高機能な玉子焼き器を持っていても、宝の持ち腐れになってしまうのは明らか。

もっと身の丈に合ったものを求めていたので、500円のプライスに一も二もなく飛びついた。

家に持ち帰って、早速、試してみようと思い、まずは出し巻きを試してみた。

ネットで検索して、書かれている手順どおりにやればOK、というレシピを探してそのとおりに実行したのだが、だがしかし、結果は失敗であった。

ガスの火力が強過ぎて、焦げてしまったのである。

”ふわとろ”からはほど遠い仕上がりだ。

ただ、焦げの部分を除けば、ちゃんと出し巻き玉子の味がする・・・・当たり前だが(汗)。

再度、火加減に注意しながら試してみるつもりだ。

幾つかのサイトを見てみたら、玉子焼き器を「中火で強火」にするのがコツ、といったことが書かれていた。

私にはその感覚がよくわからない。

出来上がった出し巻き玉子を食べるだけであれば何の苦労もなかったが、いざ自分が調理するとなると、かなりの難度の高さに圧倒されてしまう。

ただ、こういった目標になるものがあることで、日常生活に張りが出てくるのだと思う。

もちろん、絵に描いたような理想的な出し巻き玉子ができれば、孫のところに持っていくつもりだ。



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焼きながら玉子を巻いていくときに形が崩れてしまう

 
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12月12日(日)

毎朝、デザートがわりにキウイを食べるのが日課になっている。

9月から食べ始めたからまだ3か月ちょっとではあるが、どうやら習慣として定着しそうである。

滋養分が豊富であることはよく知られているが、甘酸っぱい味も魅力的だ。

ただ、皮を剥くのが面倒だと感じてきて、何かいい方法がないものか調べてみた。

そして得られた回答は、なんと「皮ごと食べればいい」というものである。

キウイの代名詞的な位置づけにある会社のWEBに書かれていることなので、ウソでも誇張でもない。

(→ https://www.zespri.com/ja-JP/faq

消化器官がまだ発達していない子供とか、あるいは消化器官に自信がないという人はともかく、そうでなければ、キウイを軽く水で洗ってからヘタをとって、そのまま食べる、とのこと。

ちなみに、栄養分は身の部分以上に多く含まれているらしい。

リンゴやサツマイモ、ジャガイモと同じ理屈だ。

今までキウイの肝心の部分を捨てていたのだから、返す返すももったいない話だ。

早速、今朝から皮も食べてみることにした。

いざ、自分の口の中に皮のついたままのキウイを入れるとなると、尻込みしている自分の本心に気がついた。

軟弱な人間だから、初めてのことをするときというのは、いつもこうだ。

こんなときは、心の中で「あとは野となれ山となれ」と唱えることにしている。

すると、吹っ切れたというか開き直った気持ちが仕上がり、清水の舞台から飛び降りることもできる。

口に含んで噛んでみると、味も何もないのでおいしいとは思わないが、まずくもない。

皮が薄いこともあって、実際にはその存在があまり気にならなかった、と思う。

ただ、これはあくまでも人それぞれの受け止め方の問題だから、中には気にする人がいても不思議ではない。

そんな人は包丁なりナイフなりで皮を剥くとか、あるいは、スプーンでもってすくい上げる形で食べればいいだけのことである。

ともかくも、このようにして、皮のままのキウイを食べるという人体実験は、無事に成功した。

世のため人のために役立つ情報かどうかは自信がないが(汗)。



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ヨーグルトと一緒にキウイを食べている

 
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12月11日(金)

ずっと昔から抽選には弱かった。

ジャンケンや阿弥陀くじも負けてばかりで、子供のときの遊びでも悪者の役ばかりが回ってきていたし、会社に入ってからの到来ものの山分けもほとんどハズレであった。

だから、宝くじなんて、今まで自分でおカネを出して買ったことがない。

人生を振り返ってみて、私の運そのものはいいほうだと思うのだが、抽選運だけは別だ。

先日、大阪府が募集していた新型コロナの抗体検査に応募していたのだが、やはり選ばれることはなかった。

当選の人だけに10日中にメールで連絡があるとされていたのだが、昨晩、遅くまで待っていたのに、私のメールボックスには何の音沙汰もなかったのである。

今年の6月にも抗体検査が行われ、そのときも応募して落選したのだが、後で聞いたところ、19倍もの狭き門であったらしい。

おおよそ20人に一人という競争率なのだから、それでなくても抽選には弱いと自覚している私など、そもそも通るはずがなかった。

それがわかっていながら今回も応募したというのは、本当のところは懲りていないのだろう。

ところで、6月の抗体検査の結果は、大阪府で抗体保有率0.17%という驚くべき低さであった。

   → https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000640184.pdf

もちろん厚生労働省が責任を持って実施している検査だけに、予想もしていなかった低い数字が出たのには何らかの正当な理由があったのと思う。

まさか、新型コロナウイルスの感染力が話にならないほど弱い、ということなのだろうか。

やれ飛沫感染や接触感染やらと騒がれ、人混みを避けたりマスクをしたり手を洗ったりしていたのだが、それは過剰反応であったのだろうか。

それとも、万全の体制でもって備えをしているからこそ、感染をあまり広げないで推移してきた、と考えるべきなのだろうか。

専門的な知識を持たない素人には、全く見当もつかない。

いずれにしても、今回12月の抗体検査の結果に注目している。



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今もこういった抽選器は残っているのだろうか?

 
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12月10日(木)

この春、コロナ感染症の拡大によって、会社へ出てきて仕事をすることがご法度となった。

そこで家で仕事をするテレワークが普及し、そのためのツールとして、Zoomが頻繁に利用されるようになったのは記憶に生々しいところだ。

私も、コロナ騒動でもって初めて「Zoom」の名を知った、というのが偽りのない話である。

今日、Zoomの講習会に参加してきた。

あくまでも初心者が対象で、基礎から体系的に勉強し、あわせて、いろんな場面での役立て方も学べるというので、私も出席することにしたのである。

今までは見よう見まねで、主催者から送られてきたメールのリンク先をクリックしてZoomに入り、そこで会議に参加していたというレベルなので、Zoomの全体像をつかむことができていない。

だから、自分がホストになって会議を開くなどというのは、とんでもない相談である。

今のままでも私が生きていく上では支障はないが、たとえわずかではあっても、今の時代の流れを知っておきたいとの思いがあって、勉強することにしたのだ。

会場には、約20人の生徒がスマホかタブレットを持って待機していた。

講師の先生の持ち時間は2時間。

普段は3時間で組んでいるらしいが、今日は会場の都合もあって2時間しかとれなかったので、さぞやりにくかったことだろう。

だからか、概論的な説明はさっさと済ませて、いきなり操作実習に入っていった。

ゲストとしての使い方であれば、そんな問題はないようだが、ホストになる場合の操作方法となると、教える側もハードルが高くなる。

生徒の中には熟練している人もいたが、大半は私と似たようなレベルの初心者であったので、先生の思うようなペースでは講習が進まない。

事実上の「個人指導」の時間が、思いのほか長くかかってしまった。

結局、その間は、ほかの人はじっと待っている状態になる。

ホストしての操作の仕方の説明半ばで予定時間いっぱいになってしまって、「Zoomのいろんな場面での活用法」には全く触れることができなかったのが残念だ。

なお、次回も予定しているとのことだが、来年になるのは間違いない。

総合的に言って、思いっ切り基礎の部分に力を入れた勉強会であったので、少なくとも私の理解度は深まったと思う。

帰宅して、すぐにパソコンを立ち上げ、スマホに登録したIDとパスワードでもってZoomの世界に入っていった。

先生から、もしゲストでZoomをするのならパソコンでないと自由に機能が使えない、と伺っていたからである。

曖昧にしか見えていなかったZoomが、部分的にではあるが明確な姿を現してきていると実感した。

知らなかったことを知るというのは、それだけで胸のワクワクする達成感がある。

 

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大半は家族同士の会話で使うと思う

 
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12月9日(水)

12月も半ば近くになってくると、街の至るところが歳末ムードに包まれる。

スーパーマーケットなど、その代表格である。

私の生活圏にある3軒のスーパーを見ただけのことだが、おおむね、「クリスマス派」と「年末年始派」に分かれるようだ。

クリスマス商戦に力を入れている店では、BGMもクリスマスソングを繰り返し流しているし、陳列している品もクリスマスを意識したものが目立つ。

年末年始に重きを置いているところでは、暮れとお正月に使う商品にスポットを当てた売り場構成になっているのは言うまでもない。

客の気持ちを盛り上げて購買意欲を刺激するには、リズミカルなクリスマスソングはぴったりだが、しかしクリスマスだからといって売れる商品の種類は限られている。

子供用のお菓子かちょっとしたご馳走ぐらいのものだから、正月関連のおせち料理や年始用グッズなどに比べれば、規模はこじんまりしている。

ただ、聞いた話では、年末年始関連の品はクリスマスが終わってからの短期決戦がほとんどらしい。

もしかしたら、クリスマスソングを終日流しているお店というのは、12月24日まではクリスマス商戦で稼いで、25日になるや否や、電光石火の早わざで年末年始体制に切り替える、という作戦をとっているのかもしれない。

そんなことを考えながら買い物をしていると、ある正月用品のことに興味がわいてきた。

しめ飾りである。

門松を立てる家はめっきり少なくなったものの、しめ飾りを玄関に下げて、新年を祝っている家はいまだに多い。

私の住んでいるマンションでも、玄関にはしめ飾りを出すのが慣例になっている。

このしめ飾りは年末につけておいて、そして、一般的には関東では7日、関西でも15日にははずすのが通例である。

せいぜい2週間ぐらいしか活躍の期間がない。

役目を終えれば、たいがいは神社に納めるか、あるいはお焚き上げすることになる。

いずれも、燃やしてしまって「はい、おしまい」である。

ここで発想の転換であるが、しめ飾りを大事に取っておいて、来年も知らん顔して飾っておくというのはどうだろう。

でないと、もったいないと思う。

次の年もリユースすれば、環境保護にも貢献するのではないか。

新しい年には新しいしめ飾りを出さないと気が済まないのであれば、100均に並んでいるしめ飾りを使えばいい。

高額のしめ飾りを買ったからといって、特別なご利益をさずかるものでもないと思う。

とんでもないアイデアだが(汗)。



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100均で風呂掃除のときに使う履き物を買った

 
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12月8日(火)

私の所属団体の月例会議が終わった後、その団体の事務局長から
「ちょっと・・・」
と別室に呼ばれた。

何ごとかなと思いつつ、彼の後をついていった。

出てきた話というのは、来年度、私がメンバーになっている部会の長をやってくれないか、との打診であった。

私にしてみれば藪から棒の話だが、この団体のトップである会長が高齢のために、今年度の任期満了で退任する意向とのこと。

その後釜を、いま私がメンバーになっている部会の長が引き継ぐ方向で、目下、調整が進んでいるらしい。

流れで、現部会長が抜けた後を私に引き受けてくれないか、とのお話である。

そのお声かけは、ある意味では名誉この上ないことなのだが、即、丁重にお断りした。

私自身が、たとえ部会とはいえ、そこで責任を持って義務を果たしていくのがイヤだからである。

逃げているのは確かだが、私自身が幾つかのボランティア団体にかかわっているのは、好きなことができるとの前提で活動に参画しているのであり、リーダーシップを発揮してその団体を引っ張っていくなどと大胆な発想は皆無なのである。

要は、好き勝手にできる遊びの部分だけを楽しみたいとの手前勝手な動機でメンバーになっているのだから、上に立って責任を負ことになるのは、何が何でも避けたいのだ。

これが会社組織であるならば、もちろん通る話ではない。

しかし、会員の自由意思に基づいて活動をしている団体なのだから、わがままであったとしても許していただkるものと思っている。

話を切り出した事務局長にはお気の毒だが、明確に部会長就任は辞退する意思をお伝えした。

なお「しばらく考えさせてください」の言葉は口にしなかった。

私の結論が変わることはないので、単なるクッションとしてのフレーズは要らないと思ったからである。

事務局長は知性も自制心もある好人物だけに、非礼を承知のうえ、私は心を鬼にしてあえてストレートな物言いをさせてもらった。

彼の顔からは、おそらく了解を取り付けられる目算があったのに、思わぬ誤算であったとの失意の胸のうちが見てとれる。

ひたすら、心の中で彼には詫びた。

今日12月8日は六曜の「先負」に当たる。

事務局長とのお話は午後であり、本当なら彼にとって好ましい結果になるはずであったが、見事にハズレてしまった(汗)。

ちなみに、79年前の今日、真珠湾攻撃が敢行され日本軍は圧勝した。

当日の日本での暦は「大安」であった。

片や、現地のハワイは日付変更線の向こう側なので、日本からすれば前日に当たり、「仏滅」になる。

世間では、”わかりやすい”論理ほど説得力を持つもので、それ以来、六曜を過度に信頼する人が増えたと聞き及んでいる。

しかし、「大安」も「仏滅」も科学的根拠はないものだと考えるのが無難だと思う。



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息子の結婚式はこの島で挙げた

 
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12月7日(月)

年末を迎え、そろそろ確定申告の準備にかかろうかと考えている。

令和2年度の確定申告はe-Taxで行うつもりでいる。

今年、マイナポイントの申請に必要だというのでICカードリーダライターも買ったので、ハード面は問題ない。

時間が最もかかるのは医療費控除の部分だから、今年は年末には完成させておきたい。

それ以外は、さほど時間がかかるものはないので、資料さえ届けば、すぐにデータを打ち込んでいく段取りである。

できれば年明けの1月10日までにはデータ送信を済ませておき、早く還付金を受けとりたいと思っている。

今年度の私の確定申告ではとりたてて例外的なものはないので、おそらく悩むこともなく処理できるはずである。

ちなみに、GoToトラベルやGoToイートは全くやっていないので、一時所得の申告をする必要もない。

いろんなお話を聞いていると、GoToトラベルを積極的に利用して補助金をたっぷりと受け取っている人もいるようだ。

その補助金は一時所得に当たるので、50万円を超えている金額については申告をしなければならないのだが、このことが納税者に徹底できているのだろうか。

GoToイートで与えられるポイントも同じなので、これらを合算すれば50万円を超える人は少なくないだろう。

何人かが集まってのパーティーをするときにGoToイートを使って、そのとき自分の名前で他のメンバーの分も合わせて予約をすると、そのトータル金額に対するポイントが一時所得となるから、これは少なからぬ額になってしまう。

税務署がどこまで追いかけるかはわからないが、ルールとして求められているから、納税者としては無視できないのは当然である。

しかし、せっかく景気低迷を打ち破る政策の一つとして実施するのだから、こんな部分で税負担のことを気にすることなく、旅行や飲食を楽しむほうが精神衛生上はいいのだが。



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「教育・勤労・納税」は国民の三大義務だと習った

 
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12月6日(日)

いつも行く図書館が、明日の7日から休館することとなった。

言わずと知れたコロナの対策の一環である。

大阪で「赤信号」が灯ったことが繰り返し報道されて、とりわけ公共施設の場合は素早く対応しなければならないのだろう。

図書館など、語弊のある言い方かもしれないが、休館になったところで市民生活がたちまち困ってにっちもさっちも行かなくなることはない。

しかも、予約した本を借り出すことだけは許されているから、少なくとも私にとっては致命的に不便をこうむることはないと思う。

休みの期間は「当面の間」となっていて、目安としては「年末まで」を見込んでいるようだが、あくまでも希望的観測にすぎない。

この「当面の間」という言葉は、使う側にとっては便利そのものだが、言われた側は具体的なイメージができないので、戸惑うばかりだ。

ただ、もし私が図書館を管理する立場になれば、やはり「当面の間」を使うだろう。

いまの段階では、神ならぬ身には、いつ一段落つくことやら予測もつかないのだから。

公式に休館が発表になったのは一昨日の4日のことであったが、私が知ったのは昨晩であった。

予約を入れていた本が入ったかどうかの確認をのためにサイトにアクセスしたら、臨時休館の通知が載っているのに気がついたのである。

今朝は開館と同時に図書館に行って、その本を借り出してきた。

休館になっても借りることができるのだからあわてることはないのだが、気持ちが圧迫されるのかして、つい急いでしまう。

コロナ再燃で、またぞろ世の中全体が今年の春のような沈滞ムードに包まれるのだろうか。

感染症そのもの以上に、あの息苦しい雰囲気を思い出すだけで気が滅入ってしまう。

12月6時点での新型コロナウイルスによる死亡者数は2,315名で、人間の命はかけがえのないものであるのは当然だが、約1年間という単位で考えれば、決して過大な数とは言えない。

度を超えて恐れ過ぎるのもいかがなものかと思う。



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気のせいかいつもより来館者が多いように感じた

 
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12月5日(土)

スーパーで買いものをしてレジを打ってもらっているとき、担当が途中で読み取りをやめて
「バーコードが破れていますので、同じ商品をとってきます」
と言いおき、売り場のほうにそそくさと向かった。

マスクをしていたので顔の全容は見えないが、声の抑揚がないところを見ても、能面のように無表情であるのが見て取れる。

「客を待たせて申し訳ない」との遺憾の気持ちもなければ「自分の責任ではないのに余分な仕事が増えた」といったいらだちの感情も伺えない。

あたかもAI内蔵のロボットが動いているかのようであった。

程度の大小はあっても、このスーパーのレジ担当はほとんどが無機質な対応である。

皆が皆、喜怒哀楽といった人間的感情を限度ギリギリにまで封じ込んで、ひたすらレジ打ちの仕事に専念している。

もちろん、正確に仕事をこなしているのだから、私が難くせをつける筋合いのものではない。

彼女が正規の商品を取りに行くのを待っている間、バーコードがいつごろから日本で普及し始めたのか、私の記憶をさかのぼってみた。

たしか、当時の総理であった故中曽根氏の髪型を指して「バーコード」と盛んに言われていたから、少なくとも35年の歴史を持っていることは確かである。

というのは、娘が西暦1985年生まれで、そのときの総理大臣が今は亡き中曽根康弘氏であったから。

当時の私はスーパーマーケットに買い物に行くこともなかったが、レジにデータ読み込み式が導入されて混雑が劇的に緩和されたことは、情報として知っていた。

今では、QRコードも編み出され、バーコードはますます身近なものになってきている。

もし何らかの事情で「バーコード使用禁止」とでもなれば、世の中、大混乱は必至だ。

スーパーのレジのみならず、居酒屋での注文やコロナ対策でも使われている。

中国の都市部など、地下鉄やバスの改札でもQRコードを読み取るシステムになっていて、もしバーコードが使えないとなると暴動が起こるかもしれない。

人間、便利なものに慣れてしまうと、以前の生活には戻れなくなるものだ。

ケイタイやカーナビなど、いったん使い始めたらやめることができない。

これが人間にとって幸せなのかどうかは、私にはわからないが。



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なるほど途中で破れている

 
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12月4日(金)

私の住んでいる市には、「伊射奈岐神社」(いざなぎじんじゃ)を名乗る神社が2社ある。

やや複雑な話なのだが、片方が女性の神様である伊耶那美命(いざなみのみこと)を祀り、もう一社が男性神の伊耶那岐命(いざなぎのみこと)を祭神として祀っている。

戸建ての家に住んでいた頃は、わが家はそろって女性神のイザナミ様をお祀りしている神社に初詣や七五三などでお世話になっていた。

イザナミ様が祭神なのに、この神社も「伊射奈岐神社」(いざなぎじんじゃ)という名称なのだから、ややこしい。

必ずしも名は体をあらわすというものではないようだ。

むろん、神様には神様のご都合というものがあってのことだろうから、現代に生きている人間がこの神社に行って、「どっちやねん?!」と問いただすのは無礼そのものである(汗)。

それはさておき、私が今住んでいるマンションの地域は、男性神のイザナギ様を祭神とする神社が、氏神様に相当する存在だと思う。

引っ越してきて以来、一度もその氏神様にはお参りをさせてもらっていない。

以前から気になっていたので、今日、初めての参拝をさせていただいた。

それというのも、娘の離婚にまつわることで、女性の神様ばかりに頼っていたのでは男性神のイザナギ様から嫉妬されるのではないか、それを心配したからである。

もちろん、私とて科学の目で見て、神話はフィクションだと承知している。

ただ、人間の運命というのは不思議な力によって左右されることが多いのは確かだ。

もともと、イザナギ様とイザナミ様はお互いに深い愛情を捧げ合い、多くの子をなしたのに、最後には大ゲンカの果てに破局に至ってしまったという物語は、大筋では私の娘の事例にも重なり合う部分がある。

神話の時代には離婚という制度はなかったものの、お二人とも完全に袂を分かったのだから、現代でいうところの「離婚」と中身は変わらない。

イザナギ様にしてもイザナミ様にしても、双方に言い分があると思う。

現実の世界で、私は娘の父親として元娘婿を悪玉の極致として見ていたが、あるいは、彼にしても弁明したい部分があるかもしれない。

目下、彼は会社での長期研修のさなかにあって、関心はほぼすべて研修に向かっているはずだが、来週には研修も終わる。

わが家のハネムーン期間もあと一週間しかない。

どうか、その後は大きな波乱が起こらないように、すさんだ彼の心を鎮めてくださることを、男性神であるイザナギ様にお願いをしてきた。

文字どおり「苦しいときの神頼み」だと気がついて、自分に対して失笑した。



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拝殿に行くまでの階段は角度が45度ぐらいあった

 
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12月3日(木)

きのう作った筑前煮を妻のところに持っていった。

娘の話では、先に持っていた黒豆を、下の孫娘がいたく気に入ったらしく、大半をひとりで食べたらしい。

それとなく催促されたような気がしないでもないが、私には名誉な話なので、喜んで引き受けたのは言うまでもない。

来週中には、また黒豆煮を作って持っていくつもりだ。

片や、上の孫娘のほうは豆類が苦手で、今回の黒豆も一粒を口にしただけで、コメントもなかったという。

豆類が好きでない理由は「もさっとしているから」らしい。

だから、ジャガイモやナンキンも食べられない。

さて、「もさっと」なる日本語は、正式には学校では習わなかったと思う。

しかし、それでいて何となく私にも意味がわかるから不思議と言えば不思議だ。

”ぼんやり”とか”曖昧”とか、いずれにしても好印象の表現ではない。

外国の人に日本語を教えるボランティアをしている人から聞いたことがあるが、日本人が日常的に使っているオノマトペは、ネイティブでない人が日本語学習をする上では高いハードルになっている、と。

これが日本語を母国語とする人間だと、すんなりと理解できる。

「雨がしとしと降る」と「雨がザアザア降る」と聞けば、降雨量や風速などの客観的数値を言われなくても、そのときの様子は手にとるように体感できるものである。

カーペットを掃除する道具に、通称”コロコロ”がある。

使っていない人間でも、”コロコロ”ち言われれば何のことかはわかる。

調べてみると、正式な商品名は”粘着カーペットクリーナー”と呼ぶそうだが、おそらく99%の人には、”コロコロ”のほうが伝わりやすいのではないか。

これは理屈や論理の話ではなく、最終的には感性の問題に行き着くのだと思う。

小学2年生の孫娘がどのようにして「もさっと」の言葉を覚えたのか、そのプロセスに私は興味がある。



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「もさっと」と「もっさりと」は意味が違うのだろうか

 
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12月2日(水)

黒豆煮に引きつづき、筑前煮を作った。

文章で書けば簡単だが、準備段階から振り返ってみると、人知れず相当な手間をかけていたものだ。

黒豆煮同様、筑前煮もインターネット検索をかければ、レシピは尽きることなく出てくる。

贅沢を言うようだが、選択肢が多過ぎて迷っていて、時間だけがどんどん経っていったのである。

そこで、”COOKPAD”のサイトから「筑前煮」を選び出して、それを参考にさせていただいた。

恥ずかしながら、今まで、ニンジンやゴボウ、レンコンなどの野菜は、料理の前に皮を剥くのは国民としての義務だ、と信じ込んでいた。

しかし、タワシでこする、アルミホイルで表面だけ削る等々、汚れのついている外側部分を取り除く方法があるということを、今回、初めて知った。

ほとんどの野菜や果物は、皮の部分にこそ滋養分が含まれている、ということは聞いていたので、私は、サツマイモ、ジャガイモなどはよく洗ってから調理にかかることにしていた。

今日学んだのは、ゴボウやニンジンなども包丁で皮を剥く必要はない、ということ。

なんでも、ニンジンはすてに皮をとった状態で市場に出荷されているらしい。

そういった意味では、「皮」ではなくて「実」と表現すべきであるが。

ゴボウの汚れは、水洗いしてからアルミホイルでこすれば、気持ちいいぐらいにきれいになる。

こんなことも、もし筑前煮を作ろうとしなければ、気がつかないままで人生を終えていたことだろう(大げさ)。

なお、
「鶏もも肉を一口サイズにカットして、醤油と料理酒を揉み込んでおく」
のくだりにも、結構、考えさせられた。

「揉み込む」の意味するところは漠然とはわかるのだが、具体的にどんな作業をすればいいのか、それが見えなかったのである。

ほかのサイトを調べてみて、どうやらボールの中にもも肉を入れておき、そこに料理酒と醤油を加えてこね回すことのようだ、と判明した。

ただ、手で直接揉んでもいいのだろうか。

使い捨ての手袋をはめて揉むのが衛生的なのか、それが私にはわからない。

そこで、、ボールに入っている食材を食品ラップでくるんで、それを揉んでいくことにした。

しっかりともも肉の中に料理酒や醤油が練り込まれたかどうか、自信はないが(汗)。

あと、調理は圧力鍋がすべてをやってくれるので、何の苦労もない。

いざ出来上がってみると、ちゃんと筑前煮の匂いが漂ってくるではないか。

調味料をレシピどおりに入れているから、当たり前と言えば当たり前だが。

食べてみると、思っていた以上に柔らかい。

私などは硬くて噛み応えのある食べもののほうが好きなのだが、好き嫌いの基準は人によってさまざまだ。

新しいジャンルに挑戦するというのは、知らないことを知る絶好のチャンスである。

今回も何かと勉強をさせてもらった。



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九州では「筑前煮」のことを「がめ煮」と呼ぶらしい

 
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12月1日(火)

時節柄、喪中はがきを受け取ることが多くなってきた。

「近親者が亡くなったので新年の挨拶を欠礼させていただきます」という通知である。

今日は、学校時代の友人からも送られてきていた。

御母堂が93歳でお亡くなりになったとのことである。

ちょうど、昨年に同窓会を開いたとき、一緒に幹事をやった同期生であった。

同窓会の準備中に、彼の母が病院に入ったとの連絡があって、困惑したのをはっきりと覚えている。

彼は自分の母の容態が気で気でならなかったのだろうが、私は、ここだけの話だが、同窓会の役割分担に支障が出やしないか、そちらのほうを実は懸念していた(汗)。

おかげさまで、ご母堂は順調に体調を回復され、無事に同窓会当日を迎えることができて安堵したものである。

もしや、母の思いとしてわが子が熱心に取り組んでいる任務を完遂させるべく、渾身の力を振り絞って命を残されたのかもしれない。

それを思うと、不謹慎な妄想は慎まなければならないと、自責の念に駆られる次第である。

ご母堂には彼の結婚披露宴のときにお目にかかっただけだが、あらためて御霊の安からんことを祈った。

さて、喪中欠礼の葉書を受け取ったとき、私の場合はとりたてて特別なことはせずに、単に、そのかたへの年賀状を送らないようにしているだけである。

相手によっては、年が明けて松が取れてから、寒中見舞いを送ることもある。

最近は、喪中はがきを受け取ったとき、「喪中見舞い」のはがきをすぐさま返す人もいるようだ。

これだと年内に相手方に届く。

しかし、彼には、正月明けに「寒中見舞い」を送るつもりでいる。

もし「喪中見舞い」を彼に送ったら、変に気を遣うかもしれない。

だから「寒中見舞い」にしておく。

ちなみに、全く知らなかったのだが、「年始状」というのがあるらしい。

東北の大震災の後でよく使われているスタイルのようで、災害にあわれた相手を気遣って、「謹賀新年」や「おめでとう」の言葉を使わずに、新年の挨拶だけを書いたハガキだという。

なるほど、被災者の思いを察すると、浮かれた気持ちでの「おめでとうございます」は空虚に響くかもしれない。

こういった慣習というのは、地域や家庭、あるいは個人によって実にさまざまである。

定着してしまえば、それが「常識」というものになってしまうのだろう。



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年賀欠礼はがきに貼る切手代もバカにならない

 
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Author:声なき声

昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、北摂のマンションに在住。   

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