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5月31日(日)

体重計を買った。

今まではスーパー銭湯の体重計で測っていたのだが、4月の初旬から休業に入ったので、自分の体重を知ることができなくなってしまった。

だからといって毎日の生活での不便はないものの、健康管理の上で、体重管理は大切なポイントの一つである。

明らかに減っていく傾向が見えてくると、何らかの病気の恐れを考えなければならない。

そのために、家に1台は体重計が必要だと思って、買った次第である。

いま、一日二食、いずれも満腹の相撲取りスタイルの食事をしているので、それが体重の数値としてどんなあらわれ方をしているのか、という点にも関心があった。

さて、最近の体重計はいろんな便利な機能がプラスアルファで付いている。

買った製品にも、BMIや体脂肪率、内臓脂肪、基礎代謝、骨格筋率、体年齢等々、おそらくは私が使うことがないであろう項目までもが備わっている。

なお、恥ずかしい話、「BMIが測れる」とネットの宣伝文章に書かれていたので、てっきり、この体重計に乗るとセンサーが働いて私の身長まで読み取るのだと、解釈してしまった。

いや、商品名の中に「カラダスキャン」のフレーズが入っていたので、つい早合点してしまったものだ。

もちろん、実際には、自分で機械に「身長」の数字を設定しておくことでBMI計算ができるのだが。

早速、夕食を摂った後であったが、テストで測ってみると46.9㎏であった。

夏場になると痩せていくので、なんとか6月中には空腹時でも48㎏までに持っていきたい。

去年の夏は、7月に45.0㎏まで落ちてしまった。

ちなみに、毎年、お正月は49㎏を超えている。

私の日常生活は平凡でかわり映えしないが、体重のほうは1年を通じての変化が目まぐるしい。



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「体年齢34歳」というのはサービスなのか?
 
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5月30日(土)

市役所から郵便が来た。

中を開けてみると、なんと『介護保険料 督促状』となっていたので自分の目を疑った。

「期限までに介護保険料を納めていないので、6月5日までに納付してください」と書かれている。

督促手数料も発生しており、納付書も一緒に入っていた。

これは何かの間違いだと思った。

私は、支払うべきものを払わないで知らん顔していられるほどの厚顔無恥ではない。

また、天草四郎ばりの「紅顔の美少年」と呼ばれたこともないが(汗)。

そもそも、介護保険料は年金から控除されているはず。

すぐにでも市役所に電話を入れたかったが、今日は休みだからそれもできない。

念のために、大切な書類をまとめてあるフォルダーを繰ってみたら、先月に「介護保険料の納付書」を受け取っていたではないか。

おそらく、「介護保険料は年金から天引きれるとの思い込みがあって、書いてある文章を読みもしないでフォルダーに入れてしまったのだろう。

保険料が前年よりも安くなっているところを見ると、何らかの事情の変化があったのだろうし、その関連で年金からの控除をしなくなったのだと推測できる。

それは月曜日に市役所に問い合わせるつもりだ。

ともかくも、まずは未納分をすぐにも収めなければならない。

納付書を手に、急いでスーパーに行った。

だがしかし、受付の人は納付書を見詰めながら、
「当店は納付金融機関に指定されていませんので・・・・」
と丁重に処理を断られた。

なるほど、小さい字で書かれている金融機関名一覧には、スーパーやコンビニは書かれていなかった。

これも月曜日の仕事となる。

ダブルパンチを食らったことになり、ツイてない日というのは何をやってもうまく行かないものだ。

今日5月30日は結婚記念日であるが、今まで祝ったこともないのに、どういうわけかふと頭に浮かんできた。

38年前のこの日は朝から雨であったのが、いまだに忘れられない。



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民間企業であればスーパー・コンビニからも納められるケースが多い
 
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5月29日(金)

ずっと休業を続けてきた某居酒屋さんが、今日から再開することとなった。

4月29日」の記事でも触れたが、4月早々にオープンしたものの、まさかの感染症騒ぎで商売どころではなかったはず。

5月に入って、すぐに「臨時休業」の貼り紙がしてあったが、それを見て、もう閉店かと勘繰った人は私だけではないと思う。

なのに、ここに来て息を吹き返したのだから、それはそれで大したものだ。

おそらくは、6月1日から会社も再スタートをとるところが多いので、それを見込んでのものなんだろう。

しかし、緊急事態の宣言こそ解除されたものの、街の人々の気持ちはいまだに警戒心でいっぱいだと思う。

ちゃんとした大義名分のない飲み会をやるのは、よほど好きな人以外は躊躇するのではないか。

会社帰りにちょっと喉を潤していこう、というノリだけでは、この時期に飲みには行かないと思うが。

居酒屋の中でも、感染防止のためにスペースを空けて座るとしたら、乾杯もできなくなる。

距離を縮める方法として、フェイスシールドをかぶって飲食をしている写真を見たことがあるが、そこまでして飲みたくはない。

この思いというのは、多くの人の考えの最大公約数ではないかと、私は勝手に思っているが。

大都会では宣言解除後は、居酒屋の夜は満席になった店があるとのニュースにも接したが、郊外都市の場合は事情が違う。

今日再開した居酒屋も、決して楽な道筋ではなかろう。



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居酒屋は過当競争だから生き残るだけでも大変だ
 
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5月28日(木)

ピロリ菌の除菌治療を2月に受けたが、それが成功したかどうかの検査結果を伺いにクリニックに行ってきた。

廊下の椅子で待っている間、自分でも説明のつかないほどの緊張と不安がこんこんと湧いてきたのである。

そんなに怖がらなくても70~90%の成功率なんだし、仮に一次治療でうまく行かなくても、二次治療のチャンスが残されている。

2回の治療機会が用意されていることで、ほぼ全員が菌を除去できる、と聞いている。

ただ、極めて少ないパーセンテージの人が、二次でも陽性反応が出るらしい。

その原因となっているのは、過去に使った抗生物質に求められるのが大半だという。

今までに抗生物質を使っていたとしたら、胃の中のピロリ菌も鍛えられて耐性を持ってくるので、せっかく除菌治療をしても効果が薄まってしまう。

実は、9年前に帯状疱疹にやられたとき、抗生物質を飲んだことを、後になって思い出したのである。

そのことは医師には伝えていない。

もしかしたら、帯状疱疹のときの抗生物質がピロリ菌除去の邪魔をしているのではないか、との疑惑が心の中を行ったり来たりしてた。

そんな思いが私の不安をふくらませていったのかもしれない。

ほどなく私の名を呼ばれ、診察室に入っていった。

いよいよ決定的な瞬間の到来である。

椅子をすすめられ、腰かけるときに何気なくテーブルの上を見たら小さな紙片があり、手書きで
「ピロリ菌(-)です」
と書かれているのが目に飛び込んできた。

おっと、陰性で出ているではないか、と心の中で快哉を叫んだのは言うまでもない。

私にしてみれば、ドラマチックな告知場面を想像していただけに、思わぬ形で朗報に接したことに脱力してしまったほどだ。

医師の口から結果を告げられるのを、まるでプロポーズの返事を聴くかのように、全身を耳にして聞き入る構えをとっていたので、当てが外れたというところか。

とにもかくにも、望ましい結果に終わって万々歳である。

あれほど心配して、損をした(汗)。



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「2.5未満」の基準値に対し「0.4」であったのだから優秀だ、と自画自賛した
 
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5月27日(水)

一昨日から地元の図書館が再開している。

タイミングよく、予約を入れていた図書が貸出可能になったというので、様子見がてら立ち寄ってみることにした。

実際に行ってみると、図書館のガードが固いのは意外であった。

入り口にチェックの人がいて、マスクをしていることの確認と、手の消毒、そして「図書借り出しカード番号」を記入してから、館内入場を認められる。

なお、事前にWEBを見ていったのだが、午前11時から正午までは65歳以上の人や病気を持った人が優先と書かれている。

飛行機の優先搭乗のようなものだ。

ちなみに、午前10時から11時までは妊婦さんの優先タイムとなっている。

ただこの図書館で、妊婦さんの姿はほとんど見かけた記憶はないが。

一般人が自由に入ることのできる時間帯は、午後2時から5時の間となっている。

3時間というのでは、あまりにも利用可能時間が短い、というのが率直な印象である。

なんでも、原則としては「30分以内に退出」との条件もあり、さらには椅子も撤去しているので、図書館でじっくりと読書にふけることもできない。

事実上は、本の予約と借り出しだけの機能を果たしているだけ、ということになる。

これなら、あえて「再開」と銘打って鳴り物入りで告知することもないと思うが。

私の図書館利用は貸し出しだけだから何ら問題はないが、街がよみがえる場面を実感したいと思っていただけに、期待がはずれて少しばかりガッカリした。

元のように自由に利用できる日はまだ先かもしれない。



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小説として読んでいくつもりである
 
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5月26日(火)

明日、マンション管理組合の理事会が開かれる予定である。

今朝、現在の理事長からメールが届いて、そこには議案内容等が詳細に記されていた。

時節柄、できるだけ短時間で終了させたいとのことで、至れり尽くせりの配慮である。

もちろん、マスク着用での出席となる。

そこまではいいのだが、以前からの懸案事項があって、その審議のために前理事長をオブザーバーで招いていると書かれているのを見て、急に気が重くなった。

余談ながら、「気が重くなる」という言葉を最初に思いついた人は、人間心理の微妙さに敏感であったに違いない。

憂鬱感たっぷりの感情を、「気が重い」というシンプルな言葉で表現したのだから、その感受性のシャープさには感服する。

そんな話はどうでもいい(汗)。

その案件の詳しい内容を書くのは差し控えるが、前理事長としては独自の考えを持っていて、日ごろからそれを主張している。

今回も、その意図があるのは明白で、しかも自分の子分である前々理事長も同席させるのだから、相当な熱の入れようだ。

常識人として判断すれば、彼女の主張はアブノーマルとしか言いようがないと私には思えるのだが、本人は至って真剣そのものである。

ただ、その正当性を裏付ける根拠というのは、彼女の記憶に残っている言葉のやりとりだけ、というのが弱いところだ。

契約書なりメールなりで文章として明確にあらわされていたのであれば、それを突きつければ有力な証拠となる。

しかし、「あのときに誰それさんはああいった」「そんな説明は受けた覚えがない」だけでは説得力を持たないのである。

自分でもその点で不利であるとわきまえているからか、とにかく会議ともなれば、同じことを何回も繰り返してしゃべる。

だから時間がかかるし、出席している人は疲労してしまうのだ。

言ってはいけないことであるが、煎じ詰めればマンションのことであり、自分個人の腹が痛むわけではない。

結局は放置プレーになっていたのだと思う。

明日の晩も、彼女の独演会となるのは目に見えている。

彼女にだけでいいから、もう一度、自粛要請をかけてもらうことはできないのだろうか。



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明日はマスク着用なので少しは口数が少ないと期待している 
 
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5月25日(月)

朝の散歩をしていて、今までよりも人の姿が多いことに気がついた。

特に駅の近くになると、改札口に急いでいる会社員風の人が目立った。

おそらく、自粛期間が終わったことを受けて、今日から企業活動を再開するところが多いからではないか。

地元の公立小中学校は、6月1日から授業を始めるものの、最初は分散登校をするとのこと。

いきなり本格稼働となると、思ってもいなかった事態が起こるかもしれないので、念には念を入れての対応となるのだろう。

1月半ばから世間をかき回してきた武漢ウイルス騒動も、どうやら着地点を見出したようである。

おりしも、「緊急事態宣言」が全面解除となった。

今になって振り返ってみると、今回の感染症対応には、空騒ぎの側面もあったのではないかという気がする。

5月24日時点での死亡者830名というから、毎年やってくるインフルエンザでの死亡者よりもはるかに少ない。

いや、お正月にお餅を喉に詰まらせてお亡くなりになる高齢者が約1,000人と言われ、その数よりも少ないとなると、語弊のある言い方だが、国家的に取り組むべき疾病であったかどうか、はなはだ疑問である。

もちろん、人間の命はそれぞれが大切ではあるが、それならお正月にお餅を食べる慣習も、高齢者は「自粛」すべきという議論が出てきてもおかしくないはず。

あるいは、テレビのワイドショーで「窒息死の専門家」と称する人が毎日のように出てきて、お餅が喉に詰まってしまう危険性を力説するかもしれない。

「お餅を食べるのは自己責任で・・・」とか言いながら。

中には、過度に人権を主張する団体が、お餅製造業者を「未必の故意による殺人」の疑いで提訴していったり・・・・。

愚にもつかない妄想に過ぎないが、新型コロナをここまで恐れるのであれば、それ以上の死者を出しているさまざまな事象のリスクに対しても同様の注意喚起が必要だと私は思う。

インフルエンザや交通事故、お風呂でのヒートショックなども、確実に人命を奪っているのだから。



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さあ仕事だ、元気いっぱいがんばろう!
 
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5月24日(日)

妻から、巷でうわさの特別定額給付金の書類を手渡された。

「書いて出しておくように」とのことで、要は、世帯主が申請する形になっているから、というのが彼女の論理である。

これぐらい自分で書いてくれ、という言葉が口から出かけたのだが、先日、いかなごの釘煮をもらったことを思い出して、その言葉はすんでのところで呑み込んだ。

そもそも、この給付金は、中国からの招かねざる客がもたらした災害によって、経済的な打撃をこうむった人たちへの補償という意味合いが含まれていた。

私のように年金をいただいて生活をさせてもらっている立場では、1円たりとも損害は受けていない。

これは妻も同様だ。

だから、私の世帯としては本来は受け取るべき性質のものではない。

ただ、住民基本台帳に名が載っている人全員に給付するというのが法律のたてまえだから、誰はばかることなく自分のポケットに入れられる。

もし私が辞退するにしても、妻は当然の権利として受け取るのは目に見えている。

同じ世帯の中で、特定の人だけが受け取らないというケースが起こることは行政としても想定していて、氏名の横にチェックを入れる欄を設けているほどだ。

ほんの何秒かほど、私だけが辞退するという選択肢も頭に浮かんだが、それをしたところで大局的には意味がないと考え、役に立つ使い方をするとの前提で受領することとした。

当初、その世帯の所得に応じて給付するといった構想で進んでいたが、急転直下、国民一律10万円支給という形に落ち着いた。

平等という観点からはいいことだが、そうなると矛盾も出てくる。

納税が趣味という高額所得者や死刑判決が確定した受刑者などが10万円を手にしても、その人生に何の意味も与えない。

片や、非正規従業員や自営業者の中には、10万円では焼け石に水といった人も目立つ。

しかし、法律がそうなっているのだから、例外は認められない。

こういった矛盾は必ずあるのだから、それはそれで受け止めるしかない。

私は有効な10万円の使い方を考えることにエネルギーを注ごうと思う。



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総額12兆円の経済効果は大きいだろう
 
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5月23日(土)

大阪府が緊急事態宣言の解除を受けたことで、私の住んでいる市の図書館も、25日の月曜日から再開することとなった。

私はネットで予約して借り出すだけの使い方しかしていないので、そういった意味では今と変わらないので、特別に喜ぶべき筋合いのものではないはず。

しかし、事態が改善して望ましい方向に進みいつつあることを実感できるのが、何よりもうれしくてたまらない。

そして、もう一つ、実際に助かる側面が確実にある。

今まで休館していた間、おそらくは運営側としては、本の貸し出しができる状態になっていても、調整を入れて、貸し出すのを遅らせていたのではないかと思われるフシがある。

図書の貸し出しができるからといって、機械的にそれを予約した人に連絡していれば、その人たちが一斉に来館した場合、たちまち「密」になるシチュエーションが出来上がる。

それを避けるために、意識して十分なゆとりを持たせた上で、「貸出可能」の通知をしていたように、私には思えてならない。

だから、自然と、希望の図書を読める日というのが遅くなる。

実は、今日、図書館のサイトで「貸出可能」のメッセージが出てきたので、受け取りに行ってきたばかりだ。

田中英道氏の『発見!ユダヤ人埴輪の謎を解く』がその本である。

2月13日にネットで予約を入れて、たしか10日ほど前に「確保済み」のメッセージが出てきたのだが、ずっとそのままで、なかなか「貸出可能」に変わらなかった。

予約を入れたときのこの本の待ち人数は覚えていないが、話題となった書だけに、結構、多かったと思う。

私の手元にやってくるのが遅くなるのは当然だろうが、「確保済み」となってからの期間があまりにも長い。

だから、これは意図してのものだと思う。

もちろん、混乱を防ぐための処置なのだから、この策は安全を優先するためにはやむを得ない。

・・・とわかっていても、いい気持ちはしないのだから、私は勝手な人間だ(汗)。

今後、気をつけなければならないことは、来週になって完全に元の図書館機能を回復したとき、堰を切ったように予約本を借り出してくると、返却期限の2週間以内にすべて読み切らなければならなくなる。

小説ばかりであれば事は簡単だが、ちょっと内容の入り組んだ本となると、私には負担になる。

対策としては、図書館での取り置き期限に遅れないように、1冊ごと小刻みに借りていく、という作戦をとるのが一番だ。

手間ではあるが、これだと期限までに読了しなければならないとの重圧から逃れることができる。

人間は追い詰められると知恵が出てくるものである。



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さすがに図書館で集団感染が発生したとは聞かない
 
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5月22日(金)

妻が、イカナゴの釘煮とジャコを持ってきてくれた。

淡路島出身の親戚筋からの贈答品で、そのお福分けにあずかったかっこうになる。

とりわけ、イカナゴの釘煮は春の季節感をたたえているとの意味合いもあって、毎年、ひそかに楽しみにしている品でもある。

ところで、この「釘煮」の言葉は、関西では、というか私の生活圏では普通名詞の扱いで気軽に使われている。

今まで全く気にかけたこともなかったが、某製造業者が「くぎ煮」の名称で商標登録しているのに気がついた。(登録1988658)

1987年10月27日に登録され、今も抹消されていないところから現在も現役として有効である。

もっとも、商標権をめぐってのトラブルや訴訟などは、寡聞にして知らない。

おそらくは、他社に権利を押さえられて自社で使えなくなってはいけないから、との防衛的な配慮から申請しただけのことだと思う。

だから、私が小さな魚を集めてきて、醤油や砂糖、味醂などで煮込んだ状態にしたものを製造して「声なきくぎ煮」とネーミングして販売したとしても、商標権を持っている会社からは文句を言ってこないと思う。

もちろん、私がそれをするならば、「声なき釘煮」と書き方をマイナーチェンジすることによってリスク対策をとるが。

こういった無粋な話はともかく、温かいご飯にイカナゴはぴったりとフィットして、食欲を徹底的に刺激した。

炊き立てのご飯と一緒に食べれば、際限なく食が進んだかもしれない。

感染症に明け暮れた今年の春であったが、イカナゴのおかげで春をたっぷりと堪能させてもらった。



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塩分や糖分、そして各種添加物が満載であったが(汗)
 
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5月21日(木)

いっときは荒れ狂っていた新型コロナも、ここに来て落ち着きを見せてきている。

私の地元である大阪府も、今日、緊急事態宣言が解除された。

事前に予測されたとおりであり、唐突感は全くない。

これで重くのしかかっていた呪縛からは解き放たれ、気持ちの上では少しは楽になった。

もちろん、解除されても、しばらくは緊張感を持っての行動を心がけなければならないが。

ここであらためて感じているのが、では5月4日の「延長」措置は意味があったのか、という疑問である。

スローガンであった「8割削減」が達成されなかったから、というのが延長の理由でもない。

そもそも、「8割削減」の具体的内容が一般人にはわからず、また、客観的な数値としてあらわせるものでもなかった。

理論上での数理モデルは開示されていたものの、それはあくまでも計算式の上での話であって、では具体的に私たちがどう行動すれば8割を削減できるかは、全く見えてこない。

私は、もっぱら「できるだけ人との接触を減らす」と解釈したのだが、いくら考えても曖昧でしかない。

その点、吉村知事が大阪モデルで示した3つの基準は、それが適正であったかどうかは別にして、誰が見てもわかる数字で出ている。

この違いは大きく、府民にとっての納得性を大きく左右したと思う。

2週間あまりであったが、少なくとも大阪府にとっては意味のない「緊急事態延長」ではなかったか。

人と人の接触を8割減らす、との目的のもとでは、「ステイホーム」はむしろ逆に働いたと、私は考えている。

私のようなひとり住まいであれば、家の中にこもってさえいれば感染拡大にはならないが、複数の人間が住んでいる家庭の場合、「ステイホーム」で余計に人との接触が増えてしまう結果になる。

現に、緊急事態が宣言されてからの期間、家庭内感染が急増していることは統計的に明確に出ている。

感染を拡大させないことが大切なのに、そこに「ステイホーム」のスローガンを持ち込んだものだから、本当に大事なものがわからなくなったのである。

さらに、「ステイホーム」によって、うつ病状態やDV、離婚、家事の負担増などさまざまな弊害も発生した。

だから、「ステイホーム」は、決して手放しで歓迎すべき性質のものではない。

なお、私自身はお目にかかったことはないが、交通標識の中には
「美人多し 脇見運転注意」
というのがあるらしい。

しかし、そんな標識を見たら、私など逆に身構えてしまって運転への注意が散漫になってしまうと思う(汗)。

キョロキョロしながら運転するドライバーを増やすだけではないか。

スローガンというのは、趣旨が正しく伝わって、そして、一般の人にもわかりやすいものでなければならない。

「8割削減」も「ステイホーム」も、スローガン選びとしては失敗であったと思う。



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吉村知事は作業着姿のほうが似合う (大阪府WEBより引用) 
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5月20日(水)

高校野球の夏の全国大会を中止することが、正式に決まった。

事前に、中止の方向で調整に入っているとのニュースは伝わってきていたので、多くの人は冷静に受け止めているのではないか。

インターハイの中止がすでに決まっているだけに、野球だけが特別な対応をするのも角が立つ。

感染対策以前の問題で、空気感から開催することには無理があったと思う。

夏の大会のために、高校生活のすべてを捧げてきた部員たちの無念を思うと、言葉もない。

全国大会はあらかじめ覚悟していたものの、、各都道府県レベルでの地方大会までも今年は開催しないというから、私の受けた衝撃は大きい。

確かに、地方大会で優勝しても全国には進めないのであれば、選手にしてみれば張り合いがなくなるかもしれない。

しかしながら、大阪高野連では独自の大阪大会を模索している、との話も小耳にはさんたことがある。

大阪であれば、首都圏に比べれば感染の度合いも落ち着いており、また、面積が狭いだけに選手の移動に時間もかからない。

かすかな望みをつないでいこう。

ところで、大阪大会といえば、息子の現役時代、高校3年生のときの思い出が色濃く残っていて、折りにふれてそれが蘇ってくる。

息子は名だたる弱小高校に所属し、大阪大会初戦は先発メンバーからはずれてベンチを温めていたのだが、なんと最終回にピンチヒッターで出てきた。

1死二塁、三塁で、2点差を追いかける場面であった。

おそらく監督はスクイズを命じると思っていたが、予想に反して強行策をとったのである。

いよいよツーストライクまで追い込まれた。

今でもそのときの私の緊張は鮮明に記憶に焼き付いている。

息を呑みながら、そして自分の心臓が激しく波打つのを全身で感じながらバッターボックスを凝視していた。

だがしかし、祈りもむなしく、懸命のスイングはかすりもしない空振りに終わった。

スタンドから見ていた感覚では、おそらくボールから30㎝ほど離れてバットが空を切ったように思う(汗)。

次のバッターも打ち取られ、敗退は決定した。

もう10年以上も経つのに、夏の大阪大会のたびにそのシーンが頭に浮かんでくる。

そんな息子も、いまや二児の父親である。



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たぶんボールが目に入っていなかったのだろう
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5月19日(火)

先週ぐらいから、シンクの排水溝の水の流れが悪くなってきた。

フライパンを洗った後にその水を流しても、排水溝のところで水が溜まった状態になっていて、先の部分に送るまでに時間がかかるのである。

日が経つにつれて、その滞留時間がだんだんと長くなってきたので、今日、ネットで検索してみたら、いろんな対策の方法が書かれていた。

最も楽に試せそうな手法をやってみた。

それは、シンクの排水溝の口にフタをして水を張っておき、一挙にそのフタをとる、というものだ。

というのは、排水処理が遅くなる理由は、排水パイプの中には知らない間に汚れが付いていて、この汚れが蓄積されると水の流れを止めてしまうことになるから、というのが一般的らしい。

もちろんわが家ではごみよけネットを使っているものの、時には小さな食材のかけらが漏れてしまうこともあったかもしれない。

また、フライパンで油を使ったあとはペーパーで拭きとるようにしているが、完全に油分がとられているわけではなかろう。

「ちりも積もれば山となる」式に、いつの間にか溜まっていったことは十分に考えられる。

そもそも、排水パイプは外からは目で見ることができないから、汚れの状態もわからない。

ただ、ほとんどの原因は排水パイプの汚れにあって、それを解決するために、シンクに張った水を一斉に流すというやり方が推奨されていた。

つまり、水流の勢いを借りて、パイプに付いた汚れを流してしまう、との発想なのだ。

実際に試してみたら、2回のトライアルでスムーズに流れるようになった。

あくまでも対症療法ではあるが、せめて年に一度でもやっておけば、安心して水洗いをすることができる。

またまたネットに助けられた。

この情報は水まわりのメンテナンスを業務にしている会社のサイトに書かれていたものである。

しかも、幾つもの同業の会社がUPしている。

私にとってはありがたい話だが、こんな風に手の内を明かしてしまえばビジネスチャンスを失ってしまうのではないかと、余計な心配をした。

 

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不要のハンドタオルを丸めレジ袋に入れてフタをした
 
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5月18日(月)

2月、胃の中に棲みついたピロリ菌除去に取り組んでいた。

といっても、医師から処方された抗生物質を、1週間にわたって飲んだだけのことであるが。

今朝、除去に成功したかどうかを確認するための検査を受けに行ってきた。

検査の方法は幾つかの種類があるが、私が受けたのは、「尿素呼気検査法」とやらである。

検査薬を飲んで、飲む前と飲んだ後の息の中の二酸化炭素量を比べてみることで、ピロリ菌が退治されたか残っているのかを判定する、というメカニズムになっているらしい。

飲んだ検査薬が胃の中にくまなく循環させるように、5分間横になった後は、15分間、座ったままじっとしているように言われた。

文庫本を持っていっていたので、時間を持て余すことがなかったのは救いである。

約30分ほどで検査は終わったのだが、その分析は外の機関が行っているらしい。

「1週間後に結果が出るので、また来てください」と言われた。

実は、即、結果が出ると思っていたので、最後に肩透かしを食らった思いである。

反面、もし「陽性」の結果が出たときの憂うつから逃れたことで、命拾いをしたような気になった。

合格率が80%とか90%とか言われている検査で不合格の烙印を押されれば、立ち直りがたいほどの劣等感に打ちひしがれるのは火を見るよりも明らかだ。

たとえば、認知症検査に落ちて運転免許証の更新ができなかったとしたら、自分に自信をなくすのと同じである。

だから、結果を聴くのがこわいのだ。

結果と直面するのが恐いというのは、中学生時代からのことである。

テストを受けるよりも結果発表のほうが苦痛であったり、思いを寄せている子に告白するのも断られるのがイヤで、結局できなかった。

あれから半世紀が経っても全く進歩がないことに気づかされて、愕然とした私であった。



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医師相手に書かれたとしか思えないほど難解であった
 
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5月17日(日)

レナウンの経営が行き詰まって、民事再生の手続きに入ったというニュースに驚いた人は少なくないだろう。

日本の大人であれば、同社が衣料品の分野で高い知名度と長い社歴を誇っていた会社であることは、よく知っているはず。

私も、学生時代に親と一緒に百貨店に行って、同社のブレザーを買ってもらったことを覚えている。

おそらく、それ以外にもレナウン製の商品は何らかの形で持っていたと思う。

身近な存在であっただけに、破綻したとのニュースは衝撃的であった。

かねてより経営不振に苦しんできて、2010年の段階で中国の会社の資本のもとに入ったものの、業績回復への道は厳しかったようだ。

そんな青息吐息のときに、コロナ騒動による店舗休業が致命傷になったのではないかと見られている。

レナウンという押しも押されもせぬ大手企業の破綻劇において、ひとつ意外であったのが、負債総額が約138億円と、その規模からすれば非常に少額な点である。

あれほどの企業であれば、なんとかなりそうな気がするレベルの金額なのだが。

低迷期が長かっただけに、これ以上頑張っていく気力を失くしてしまったのだろうか。

あるいは、少しでも傷口を広げないようにして、再生しやすくしたかったからだろうか。

同じ土俵で引き合いに出すのは間違っているが、マスクを配るのに466億円を使うのであれば、国民にも親近感のある名だたる企業の支援に138億円を使うほうが、より値打ちのある使い方になったような気が私はするのだが。

今回のコロナ禍に際して、中小零細企業に対しては、各種の政府の支援策が制度として用意されている。

手厚いとまでは言い難いが、融資であったり、給付金や助成金、税金の支払い猶予などの形がとられている。

しかし、上場企業相手に公費を入れるとなると、「大企業優遇だ!」と一部の人に叩かれるのは目に見えている。

よく日本は社会主義国だと言われるが、なるほどわからなくもない。




CM『ワンサカ娘』をいま聴くと、すこぶるダサく感じる
 
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5月16日(土)

当地はほぼ終日雨が降り続いた。

ほとんどの人がそうだろうが、雨に降られると気持ちも上がらない。

こんなときだからこそ、いつもとは違うことをやってみて気分転換を図ろうと思い立った。

そこで頭に浮かんできたのが、今まで作ったことのない料理メニューへの挑戦である。

かといって手の込んだものや時間のかかる料理はできない。

ちょうど、賞味期限ぎりぎりの豆腐一丁が残っているので、豆腐を使った簡単なものをやりたいと考え、ネットを検索してみた。

そこで見つけたのが『簡単 豆腐料理』である。

これならできそうだ、というのでやってみた。

4分の1にカットした豆腐を、一個ずつキッチンペーパーで拭いて水分をとっていった。

それをオリーブオイルを引いたフライパンにそっと並べていき、しっかりと焼いた。

豆腐のすべての面を焼き終わるのを待って玉子2個を入れ、固まるのを待った。

レシピでは「醤油」をかけることになっていたが、塩分制限の関係で、調味料は何もかけないで、そのままを口にしたのである。

食べ終わってから思ったが、ラー油をかけても味が引き立ったのではないか、ということ。

これは好みの問題だと思う。

テクニック不要で、文字どおり簡単にできる料理だ。

次回は、少しバリエーションを変えて試してみるつもりである。

おかずの一品と軽く考えていたが、食べてみると結構なボリュームがあった。



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味付けが全くなくても満足できた
 
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5月15日(金)

昨今、吉村知事の評価が高く、その人気は日を追うごとにウナギのぼりで上昇している。

端正なルックスもモノを言っているのだろう。

感染症対策でも大阪府独自のモデルを作り上げ、その基準が満たされたとして、休業要請が大幅に緩くなることが決まった。

  → https://www.yomiuri.co.jp/national/20200514-OYT1T50239/

早速、明日からの実施である。

一部には、感染症が再燃するのではないかとの不安の声もあるものの、大半の府民は好意的に受け止めているのではないか。

府知事としての手腕を如何なく発揮し、いまや首相候補に推す声も聞かれるまでになってきた。

そんな知事を見ていると、こうなることを運命づけられていたのではないかという気がしてならない。

故やしきたかじんさんの顧問弁護士であったが、彼からすすめられて市会議員になったのが政治との最初のかかわりであった。

それが本人の本意であったかどうかはわからない。

ともかく、その後は、揺れ動く社会の荒波に翻弄されて、国会議員、大阪市長、そして大阪府知事となり、未曽有の感染症対策に身を投じることとなったのである。

弁護士になったばかりの頃には、おそらくは今日の姿なんて想像すらしていなかっただろう。

自分の意思とは関係なく、社会が大きく変わっていく中で、気がついたら大阪府のリーダーとして矢面に立たされていた、というのが真実だと思う。

私の勝手な憶測だが、吉村知事自身も波乱万丈の人生展開を見ていて、そこに数奇な運命を感じていたのではなかろうか。

ここで頭をもたげてくるのは”運命論”である。

天や神が、あらかじめこうなるようにと定めておいたとおりに事が運んでいって、人間はただ単にそのレールの上を歩いているだけだという説である。

まるで自分がプランや構想を考え、自分の思いで判断して進めてきたことであっても、実際には、既定路線を歩まされているに過ぎない、という発想がベースにある。

私も、もしかしたら現在の環境というのは、ずっと以前から決められていたものなのかもしれないと思うと、なんだか無力感にとらわれてしまいそうになる。

私自身は過去を振り返っても、反省している点は数え切れないほどあるが、決して後悔はしていないし、自分の生きてきた足跡を全部否定する思いは毛頭ない。

ただ、ほんのときおり、もうひとつの人生があったのではないかと妄想にふけることがある。

進学や就職や結婚などで決断をしたとき、もし違った道を進んでいれば、今とは異なった人生を味わっているかもしれない、などと夢想したりするのだ。

しかし、今の姿が運命づけられているものであると考えれば、好むと好まざるとにかかわらず、その枠内で生きていくしかない。

吉村知事も、もしかしたらもっと自由に過ごせる立場に憧れていたのかもしれないが、いま、与えられた場で役割を演じることにすべてのエネルギーを投入しているではないか。

いっときは夜も寝ていなかったとの噂もあるが(汗)。



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大阪府WEBサイトより引用
 
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5月14日(木)

私がノートパソコンを使っているのは、リビングのテーブルの上である。

フローリングに直接テーブルを置くと跡がついたり、傷が入ったりする恐れがあるので、床の上に段ボールを敷いて緩衝材がわりに使ってきている。

しかし、2年も経つと段ボールの汚れがだんだん目立ってきて、見苦しくなるのは避けられない。

この機会に捨ててしまって、ほかのものに入れ替えようと思った。

そこでネットを見ながら代用品をあれこれと考えてみた。

世にはいろんなツールが用意されていて、テーブルの脚の裏にシールで貼り付けるタイプや葦の裏の形に合わせてカットするもの、ニットの脚カバーをかぶせるものなどがあるとわかった。

最も簡単につけられて、見た印象もよさそうなものは、脚カバーだと判断したので、それに決めたのである。

100均に行くと、脚カバーだけでもさまざまな種類のものがあった。

意匠性にも凝っているのか、猫の顔に縫ったものとかメルヘンティックな柄のカバーもあり、なかなか華やかな光景である。

ただ、毎日、身近で見るものだし、シンプルなデザインのもののほうが飽きが来ないだろうと思って、最終的にはあっさり系の商品を選んだ。

100均ショップに行って、デザインの選択に迷ったというのも、かつてなかった珍しい経験である。

ともあれ、家に帰ってすぐに取り付けた。

朝飯前だとばかり思っていたが、テーブルの脚に履かせるためには一旦は脚を持ち上げなければならない。

一本ずつ、脚を持ち上げ、肩で支えてカバーをはめ込んでいった。

時間こそかからなかったが、思いのほか肩に感じる重みは大きかったと思う。

4つとも作業を終えて見てみると、以前の段ボールの残像があるだけにすこぶる爽快な雰囲気である。

100円の投資で、あっと言う間にできたのだから、負担はほとんどない。

これなら、もっと早くから入れ替えておくべきであった。

「大事の前の小事」という言葉があるが、些細なことを先送りしたがるのが私の悪いクセだ(汗)。



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ツートンカラーが気に入ったので選んだ
 
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5月13日(水)

私の住んでいる市でも、図書館の利用が一部だけではあるが、できるようになった。

予約していた本を借りるのを認めましょう、というものである。

おそらくは日本各地の自治体で美術館やら図書館の開放が再開したことを受けてのものではないかと思う。

再開の趣旨というのは、WEBによると
「・・・外出を自粛して安全に家庭で過ごしていただくため・・・」
ということらしい。

私は、感染症以前から変わらずに散歩に出かけているし、家にいるときも本を読まなくてもビデオを見ている。

決して「小人閑居して不善をなす」ことはないと自覚しているが、せっかく図書館運営者がそこまで言ってくれるのだからというので、ホイホイと借りに行ってきた。

予想はしていたが、いざ行ってみると、国際的なサミットを思わせるほどのものものしい防御ぶりであった。

隣接する小学校の通用門から入って、入り口でアルコール消毒をし、注意事項を書いた紙を渡され、廊下を伝ってようやく見慣れた図書館に到着した。

受け取りのコーナーが用意され、カードを手渡すと予約済で借出し可能な本を係の人から受け取るというアナログ的なシステムになっている。

何人ものスタッフの人が立っていて、マスクで顔の表情は見えないものの、ただならぬ緊張感を醸し出していた。

とてもではないが、「楽しく読書」という雰囲気ではない。

しかし、手続きを終えて本を片手に外に出ると、一転、気分は晴れやかになった。

振り返れば、きのう、WEBで図書館再開のことを知ったときから、胸のはずむ思いを感じていたのである。

単に本を読めるという喜びにとどまらず、息の詰まるような鬱屈した日々の中、一条の光明を見出したからにほかならない。

大阪の吉村府知事は記者会見で
「できるだけ早い時期に抗体検査を実施したい」
と言っていた。

吉村知事のことだからリップサービスだけに終わらず、ちゃんと検査も行い、その結果も公表すると思う。

14日に”大阪モデル”の結果が発表されるが、後日、それに抗体保有率の数値が加味されて、大阪府での緊急事態措置が大きく緩和されるとの大きな期待を持っている。



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5月12日(火)

先週ぐらいから気になっていたのだが、スーパーの店頭からバナナの数が少なくなりつつあるようだ。

それはストレートに価格にも反映されてくる。

4本一房で98円という値段線が私が買っているラインであったのだが、最近は128円が通り相場になっている。

ときには、398円ぐらいのものしか並んでいないこともあるほど。

どうやら、武漢ウイルスの関係でフィリピンからの輸入が止まっているらしい。

これがバナナの品薄の原因だというが。

あれはもう10年ほど前になるだろうか、”朝バナナダイエット”がはやった時期があった。

あのときも、スーパーではバナナを見かけなくなったことを思い出す。

気がついたころにはそのブームも過ぎ去って、何事もなかったようにバナナが戻ってきて安心したものだ。

今日、たまたま三番手のスーパーで、一房98円のを見かけて、何のためらいもなく買い物かごに入れた。

買いだめをしてバナナを腐らせてはもったいないので、一房だけにとどめておいた。

フィリピンでの感染症が早く沈静化することを切に望んでやまない。

私は、一日二食のどちらでもバナナをデザートとして食べているし、なくては困るアイテムの一つである。

”バナナ依存症”と笑われるかもしれないが、好きなものは好きなのだから仕方ない。

ある管理栄養士は、「バナナを1日2本以上食べると過食になる」と言っていたそうだが、それなら私などブラックリストに載るではないか。

しかし、心配になってネットに公開されている複数のサイトを見ると
「1日2本までなら問題ない」
という考えが一般的であった。

バナナは食物繊維やビタミン、ミネラル、カリウムなどの栄養分がバランスよく含まれ、絵に描いたように理想的な健康食だという。

安心した。

特定のものだけに偏って摂り過ぎるのが良くないのであって、限度さえわきまえていれば不具合をもたらすことはなかろう。

バナナは私にとっての幸せの泉だ。



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少し青みが残っているので熟成させてから食べる
 
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5月11日(月)

クルマの任意保険の更新手続きを行った。

7月の半ばの更新だから、まだ2か月以上もあるのだが、早めに手続きをすれば割引があるというので、今日、済ませたのである。

保険会社にしてみれば、ほかのところに切り替えられるリスクを恐れているのであろう。

昨年と全く同じ条件のタイプを選んだ。

それ以上に迷ったのは、契約をしてもいいのかどうか、ということ。

今の私の生活スタイルから考えれば、クルマがなくても十分にやっていける。

不便を感じることはあっても、だからといって、いろんな費用をかけて自分でクルマを持っておくべき必然性はない。

クルマを保有するコストの中で、私の場合、最も高額なのは駐車場代である。

毎月、税込みで11,000円であり、これは地域の相場を考えると非常に安い料金である。

しかし、年間の駐車料金だけで132,000円もかかってくるとあっては、かなり家計を圧迫しているのは事実だ。

クルマの使用頻度を考えると、コスパが全く合わないのは明らか。

医療機関へ通うときには役に立つものの、ひと月に5回も行くことはない。

強いて言えば、スーパー銭湯通いのときはクルマは必須である。

とりわけ、夏や冬など、せっかくお湯でぬくもっても、外気に触れると台無しになってしまうから。

これも、もし利用をやめてしまえばクルマの必要性は大きく下がる。

どうしてもクルマが要るのであれば、タクシーを使えばいい。

あるいは、まだ試したことはないのだがカーシェアリングという選択肢もある。

いずれ近いうちには、日本にも完全自動運転のクルマが標準になって、5Gのスマホ化何らかのツールでそれを呼びだせば、すぐに目の前にやってくるという時代が来るに違いない。

それが10年後か15年後かはわからないが、少なくとも、人間がみずからハンドルを握って車の運転をすることはなくなると思う。

そんな時代には、マイカーという発想そのものがなくなっていると思う。

もし、既得権益を守りたいという各種業界の圧力に屈して、完全自動運転が実用化しなくても、AI搭載によって安全性を極限にまで高めたクルマが提供されることは確かだと見ている。

そんなこんなで迷いはしたが、すぐには結論を出せないとも考え、しばらくは乗り続けることにした。

7月の12か月点検のときが、最初の判断のタイミングだと思っている。

ただし、いま乗っているクルマを下取りに出すとしても、査定額には厳しいものがあるだろう。

最初の登録から13年目に入ったロートルだし、ボディの各所が傷んでいる。

二束三文の評価額になることは覚悟している。



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年数の割には走行距離が少ないのが救いである
 
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5月10日(日)

5月の第二日曜日は、「母の日」である。

そのようになってはいるが、親不孝を体現した私なんて、今まで、母が喜ぶような何かをしたことは一度もない。

小学生のとき、「母の日」の前日には、学校の担任の先生から児童一人ずつに、一輪のカーネーションが手渡された。

それを、「母の日」に、お礼を言いながらプレゼントしなさい、との趣旨からである。

今も行われているかどうかはわからないが、当時はそれが慣例であった。

自慢ではないが、私が「母の日」にプレゼントなり、感謝の言葉を口にしたのは、その場面だけである。

9年前に母を喪ってからは、今さら声のかけようもない。

勝手なもので、カーネーションの花を見るたびに、無念の思いにとらわれる。

このカーネーション(carnation)の語源には諸説あるが、最も有力なものは、”冠”つまり「corona」から来ているというものである。

花の咲き方が、太陽の周囲を縁どる冠に似ているところに語源がある、との説が結構説得力があるらしい。

だとしたら、武漢ウイルスを「新型コロナウイルス」と称するのと同じ流れではないか。

清純な花と人間を蝕むウイルスが同一視されたようで、すこぶる愉快ではない。

気分直しに、亡き母が好きであった掃除をすることにした。

もしかしたら、部屋をきれいにすれば、せめてもの罪ほろぼしになるかもしれないと思ってのことだ。

大それたことではなく、単にフローリングの床を雑巾で拭いていっただけであるが。

今までは掃除機をかけていたのだが、こうやって雑巾で拭きとるとこびりついていた汚れも消えてしまうから気持ちいい。

いっそ、掃除機でなしにフロアワイパーを買ってきてゴシゴシやるほうが、簡単にきれいになると確信した。

またこれで、家事に目ざめることとなった。

きっと亡母のお導きに違いない(笑)。



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慣れないことをすると疲れるものだ
 
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5月9日(土)

ライフスタイルが、昔と今とでは大きく変わりつつある。

人生最期の儀式である葬儀の形にしてもその例外ではない。

昨今は、家族葬や親族葬など、身内だけで故人を送る事例が目立って増えてきた。

ひと頃のように、あたかも参列人数の多さが故人の供養につながるかのような盛大な葬儀はむしろまれである。

私が友人の母親の葬儀に参列したのが昨年の4月のことであったから、もう1年以上も葬儀の場に臨んでいない。

今日、受け取った1枚の葉書は、私が学校を出て最初に勤めた会社の上司のご遺族からのものであった。

その元上司のご葬儀を終えたことの挨拶であった。

6,7年ほど前にその会社のOB会でお目にかかったとき、体調が十分ではないことをおっしゃっていた。

その後、人づてに聞いた話では人工透析を受けるようになった、とのこと。

一度もお見舞いに伺うこともなかったし、あえて言えば、10年にも満たない上司部下の関係ということもあって、その後は次第に疎遠になっていったのは自然な流れかもしれない。

ただ、年賀状のやりとりだけは、40年間にわたって途切れることなく続いていた。

たしか、昨年から年賀状が来なくなった。

おそらく、その時点では重篤な状態になられていたのだろう。

いま、あらためて元上司のありし日の姿を思い出すと、実に多種のことを教わったものである。

仕事の実務はもちろん、職場での人間関係のあり方やお酒の飲み方などに至るまで、知らない間にかなりの影響を受けたことは間違いなかろう。

今にして思えば、人間関係の上で敵を作らない人であったと思う。

悪く言えば八方美人、良く言えばコミュニケーションに長けていると言えるのではないか。

上司と部下の関係にあるときは気がついてはいなかったが、相談に乗れば親身になって応じてくださる度量もお持ちであったと思う。

私がその気になってさえいれば、もっともっと多くを学ぶことができ、自分自身の血肉とするこことができたはず。

宝物に気づかなった己の不明が悔やまれてならない。

ところで、唐突もない話だが、もし私が人生を終えたとき、訃報を耳にした人というのは、どんな印象でもって私のことを思い出すのか、そんなことが頭にひらめいた。

現在の私は、それを知りたいという好奇心と、聞くのは恐いとの思いが、微妙に交錯している。



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コーヒーがお好きな人であった
 
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5月8日(金)

スーパーに行ったら、店内放送を流して販売促進したり、来店客へのお願い事をあれこれとやっている。

これは、おそらく、全国どこでも共通しているだろう。

今日、少なからぬ違和感にとりつかれた放送があった。

感染症対策にからんだもので、政府や自治体が要請している項目をそのお店に合わせて伝えているのであるが、その中に
「・・・・不要不急のお買い物は自粛願います。」
というくだりがあった。

そこに引っかかったのである。

まずは、”不要不急のお買い物”というが、スーパーでの買い物で不要不急なものがあるのか、ということ。

ごく一時的にトイレットペーパーを買いあさる傾向があったが、それは流言飛語に乗ってしまった一時的な動きであって、例外に過ぎない。

日常的な買い物は、とりわけ食品の場合は、必要なときに必要な分量だけを買うのが標準ではないか。

もっとも、特売のときに日持ちするものをまとめて買っておく、というのは多くの人がやっているが、それも近々に必要になるから先買いしておこうというもので、”不要不急”には当たらない。

なお、”不要不急”の言葉の意味を、「必要でもないし、急ぎもしない」と解釈するのであれば、最初から要らないのだ。

そんな買い物をする人なんて、よほど変わった人だろう。

国語辞書的に正しいかどうかは別として、世間一般的には
「さほど重要ではなく、また緊急性もない」
との意味で”不要不急”の言葉が使われていると思う。

だから、コメがなくてもパンを食べれば生きていけるし、牛肉を食べなくても健康に生活している人はたくさんいる。

つまり、スーパーで売られている商品の大半が、”不要不急”と解釈されるのである。

この店内放送の言葉を額面どおりに受け取るならば、極端に言えば、
「ウチのお店では買い物をしないようにしましょう」
と理解してしまう客がいても不思議ではない。

行政が”不要不急”のフレーズを使うのは個別の事例を挙げていくとキリがないので、やむを得ないのかもしれないが、利益追求をしているスーパーが口にするワードではなかろう。

次の”自粛”も全く同じ趣旨で、小売店が使うのは適切ではない。

もし「・・・・不要不急のお買い物は自粛願います。」を言い換えるとすれば、
「・・・できるだけ少人数で短時間にお買い物をしていただくようにお願いします」
がベストだと思う。

実は、つい何日か前まで、このお店ではこのフレーズが放送で使われていたのだ(汗)。



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些細なことにこだわり過ぎるから私は大成しないのだ(汗)
 
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5月7日(木)

散歩に出ると、ジョギングをしている人の姿をよく見かける。

大型連休が終わった今日も、走っている人の数は少なくなってはいない。

いかに休んでいる会社や店舗が多いかが、その光景からも見て取れる。

さすがに、グループになって談笑しながらジョギングしている例は全く見かけなかった。

ただ、気になったのは、マスクをしている人がほとんどいなかった、ということ。

見た印象だけのあいまいな数字であるが、95%のランナーはマスクをしていなかった。

もちろん、マスクをして走ると息苦しくなるのは想像がつく。

歩いているだけでも、マスクのせいで口のまわりが暑苦しくなってくるから、最近のように気温が上がってくると、余計に不快感は増してくる。

だから、ノーマスクで走りたいとの思いは、理解のできるところだ。

ただ、素人の考えではあるが、もしランナーが感染している場合、周囲へ飛沫を飛ばしているとしたら、これは無視しておくわけにはいかない。

まして、スピードを出して移動しているのだから、飛散の量も多くなるのではないか。

リスクは一層高くなる。

なお、海外の研究者の間には、感染予防のためには「横に1.5m以上離れる」のが有効との説を出している人もいるらしい。

というのは、後ろだと、呼気飛沫が10mほど後方に流れるからだ、という。

もしこの説が正しいとすると、私が歩いているところをジョギングの人に追い抜かれた場合、そのランナーがマスクをしていないとなると、はなはだ不安になってくる。

また、場面は変わるが、たとえばスーパーのレジなど、後方に1mか1.5mほどのスペースを空けて待つ、というスタイルが今では常識化しているが、それは間違った対応ということになるのだろうか。

しかし、レジで待つとき、前の客の横に並ぶというのは物理的にむずかしい。

新し病気が世に出ると、虚実取り混ぜてさまざまな説が飛び出してくるから、混乱もより大きくなる。



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昨今は「ネックゲイター」が推奨されているようだ
 
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5月6日(水)

タオルを買った。

普段づかいのもので、シャレた言い方をすると「フェイスタオル」と称されているものである。

店に行って、自分でおカネを出してタオルを買うというのは、私の人生を振り返って実に初めての経験であった。

今までは、会社や店舗が宣伝のために提供している粗品としてのタオルを使っていた。

あるいは、近所に引っ越してきた人からの挨拶の品として、タオルをいただいたこともあった。

だから、タオルというのは無料で頂戴するものとの意識が、私の中には出来上がっていたと思う。

しかし、最近は長引く不景気のせいか、あるいは、形骸化を廃止する動きが盛んになってきたせいか、企業が粗品を顧客に贈る行為そのものが格段に少なくなってきた。

銀行など、その顕著な例である。

学校を出て会社に入った時代、つまり40年ほど前であれば、年末ともなれば、会社の取引銀行から窓口担当者が挨拶にやってきて、タオルやカレンダー、貯金箱、メモ用紙、時には屠蘇などと、実に広範囲にわたってのグッズを持ってきてくれたものである。

それが複数の銀行からやってくるのだから、職場だけでは消化しきれず、従業員の間で山分けすることになるのだが、持っていても邪魔になることのないタオルは一番人気であったと思う。

かつては、個人が定期預金をすると、宝くじやホテルの食事券を持ってくることもあったらしいが、さすがに年末の挨拶の品としては不似合いなのかして、私は恩恵に浴したことがない。

だから、従業員がおこぼれにあずかるのはタオルが多かったのだと思う。

ただ、時が流れるにつれて、豪華絢爛を絵に描いたような光景は姿を消していった。

そんな銀行と歩調を合わせたかのように、保険会社や自動車ディーラーはじめ、他の取引先からの粗品も、まるで波が引いたかのようになくなっていった。

タオルを無料でもらえるのは、私の場合、スーパー銭湯と新聞販売店だけになってしまった。

そのときにもらったノベルティのタオルが傷んできたから、新しいものにかえようとすると買うしか手立てはない。

考えようによっては、私が新聞を購読していた時代から使っていたのだから、タオルの耐久性は悪くはないようだ。

ノベルティグッズとして、タオルは実用的でもあり、一般消費者の満足度は高いと思う。

しかし、今の時代の感性にマッチしているかどうかには、私は自信がない。



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4枚セットで400円であった
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5月5日(火)

『こどもの日』ということもあって、柏餅を買ってきた。

平穏な年であれば、街の至るところで子供向けのイベントが行われ、大人も童心に返る楽しみを味わえていたものだ。

今年はそんな空気は全くないが、せめて小道具だけでも『こどもの日』らしく飾りたいと考えたからである。

私の子供の時代から、柏餅は端午の節句には欠くことのできない必須アイテムであった。

わが家では鯉のぼりや五月人形にはついぞ縁がなかったが、柏餅が姿を見せない年なんて考えられなかったのである。

何日も前から、スーパーには柏餅とちまき(粽)が売り場の一角に並んでいた。

どちらかというと、例年、柏餅のシェアのほうが圧倒的にちまきを上回っている。

なぜ、世間では柏餅だけでなく、ちまきも共存しているのだろうかとの疑問がわいてきて、調べてみた。

意外なことが書かれていた。

本来は、ちまきこそ5月5日のメインのお菓子であった、という。

ずっと昔、中国から日本に伝わってきて定着していたが、江戸時代に柏餅が作られ、それが参勤交代によって日本各地に伝わっていったらしい。

驚いたことがある。

幾つかのサイトでは、「東日本は柏餅がメインで、西日本はちまきが一般的」と解説しているところがあったのである。

思わず、もう一度、読み直したほどであった。

大阪生まれで大阪育ちの私には、端午の節句といえば柏餅が真っ先に浮かんでくるほど、柏餅こそ標準だと思い込んでいた。

ちまきという和菓子があることは小さいときから聞いていたが、実際に食べたのはかなり後年になってからのことだ。

ス-パーでも、柏餅の横の余ったスペースを間借りするかのように遠慮がちに、ちまきが並んでいるではないか。。

なんでも、関西以西では柏の木が少なかったので、柏の葉を使うことができなかったから、柏餅が浸透するまで時間がかかったと伝えられている。

しかし、その後、柏以外の葉で代用したり、現代では外国から柏の葉だけを輸入するようになったので、柏餅の材料には事欠かなくなった。

結果的に、今は、少なくとも大阪では柏餅がスタンダードになっていると、私は信じて疑いもしなかった。

大きなカルチャーショックである。

この年齢になるまで考えたこともなかったが、『こどもの日』の柏餅のことだけに限っても、私はあまりに無知過ぎたと反省している。

 
 
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粒あんのほうを選んで買った
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5月4日(月)

このところ、アマゾンプライムビデオに凝っている。

図書館が休んでいるので本も読めないし、外を出歩くのも気を遣わなければならない。

そこで、せっかく会員になっているということもあって、集中的に見始めたのである。

このアマゾンプライムは見放題というのは有難いのだが、言うほど持ち合わせている動画のバラエティは多くはない。

見たいと思っていた小説や過去の映画などは、検索しても出てこないケースが頻繁だ。

あくまでも私の感じ方の問題だが。

当然ながら人気の作品となると、プライムビデオの中に収録するには権利料のようなものが高くつくのだろうからやむを得ないが。

私の好きな作家の一人であるMさんの小説も例外ではなく、本を読んで心を打たれた作品はプライムビデオには入っていなかった。

そこで、Mさんの小説の中で、知らなかったタイトルの作品のビデオを選んで見てみたのである。

ただ、文字で書かれた文章を読むのと、俳優が演じる映画を見るのとでは、そこから受けるイメージは全く違う。

また、その小説の内容というのが、あまりにシリアスであった。

仲良く暮らしていた若夫婦であったが、あるとき、何の前ぶれもなく旦那がみずから命を絶ってしまった。

残された妻は、なぜ夫が自死の道を選んだのか、ずっと問い続ける。

その後、まわりのひとのすすめで再婚した。

理解力のある夫であり、妻も安住の地を見出したはずなのだが、それでも前夫の死の理由を考えることをやめない。

妻の心の揺れ動く様子がビビッドに描かれている。

これを映画で見るのは、今の私には重過ぎた。

本で読んだにしても、読後の殺伐とした思いは同じであっただろう。

世間では息苦しい空気が漂っているだけに、ビデオの選択を間違えたと反省した。

そんな挫折の後、『相棒』シリーズを見ると救いを感じる。

すべての難事件を解決するハッピーエンドだし、主役刑事の鋭い着眼点や鮮やかな捜査手法には胸のすく思いがして、すっかり魅了される。

架空の物語であることは十分に承知しているが、知らないうちに物語の中に引き込まれていってしまうから不思議だ。

会社を退職してヒマを持て余している人の最良のパートナーが、まさに『相棒』だと聞いたこともある。

いつか自分もそんな世界の住人になっていたのは皮肉でしかない(汗)。



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軽い気持ちで見られるのがいい
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5月3日(日)

今朝、散歩に出るときは体感的に肌寒さを感じたので、ブルゾンを着て出かけた。

近辺は坂道が多いこともあって、歩いているうちにまるで初夏を思わせる暑さを帯びてきた。

そこで、行儀は悪いがブルゾンの前のボタンをはずして、少しでも熱を逃すようにしたのである。

そしてスーパーに入って買い物をした。

買った品は3点だけだが、やはり混んでいるので、レジの前で整然と並んで待たなければならない。

すると、そのうちにエアコンが効いてきたのか、今度は一転して寒けを感じ始めてきた。

気になったのが、耳に飛び込んできたスーパーの店内放送である。

要約すると、
「感染症対策としての来店客へのお願いで、レジの前では間隔を空けて並ぶ、できるだけ一家族一人で来る、換気のために玄関ドアを開けっぱなしにする、などの措置を講じています」
といった意味のことを伝えている。

しかし、それなら、エアコンでもってウイルスの好きな低温状態を作り出すのは良くない、ということになる。

もちろん、スーパーだから生鮮食品も多く並んでいるので、腐らせてはいけないから、エアコンを走らせて店内気温を下げているのだろうが、ウイルス対策としては逆行しているではないか。

5月も終わり頃となれば、気温ももっと上がり、湿度も高くなることが予想される。

放っておけば、それだけでウイルスが元気を失っていくのに、エアコンでわざわざ生き返らせるのは、考えようによっては敵に塩を送っていることになる。

食品売り場はエアコンが必要だとしても、他の衣料品や生活雑貨などは腐ることがないので、蒸し暑いのは我慢すれば、ウイルス退治には大いに寄与できることとなる。

しかし、本格的な夏場ともなれば、今度は熱中症の問題が浮上してくる。

もしそのときにも現在のウイルス騒動が続いていると仮定した場合、店にエアコンを入れないでいれば、次は、熱中症発生のトラブルが発生してくる。

天秤にかければ、少なくとも日本では致死率の極めて低い武漢肺炎よりも、夏季だけであっても死亡者が例年千人近い熱中症への対策のほうが優先されるのは、これは自然なな流れだと思う。

私の見る目が楽観的過ぎるのかもしれないが、ほぼ4月末で武漢肺炎については最悪の状態は脱したと思う。

もちろん油断して気を緩めてはいけないが、いつまでもウイルスにこだわっていて本来やるべきことが止まったままでは、未来の姿を描くことができない。



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夏はすぐ近くまでやってきている
20 : 20 : 00 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

5月2日(土)

常備灯ライトを買ってきた。

機嫌よく睡眠している最中に地震が起こって、しかも停電してしまったとしたら、まわりが何も見えなくなってしまう。

すぐさま行動しなければならない状態で、まわりが真っ暗の闇の中だと、不安のあまり狼狽するものだ。

そこで、枕元にライトを置いておき、にわかの事態に備えようというもの。

目新しい手法でもなんでもなく、災害対策の一つとして以前から常識的に行われてきたものだ。

私にしたって、かの阪神淡路大震災の後は、毎晩、枕元にライトと非常食の入ったリュックを置いていた。

気がつけば、いつしかリュックがなくなり、ライトも置かないようになっていたのである。

あの悪夢が平成7年であったが、それ以降は大きな地震も起こらず、一昨年の大阪府北部地震は地震の名前も付けられることのないレベルで済んだほどで、地震の生々しい記憶は徐々に遠のいていった。

弁解じみているが、災害から日時が経つと緊張感が薄らいでいくのは、私だけではあるまい。

ところが、今、武漢肺炎が蔓延している渦中にあって、突然に危機意識が頭をもたげてきたのである。

あくまでも仮定の話であるが、もしコロナ禍が猛威を振るっている状態で南海トラフ地震が発生したとき、私がどう行動するか、あらかじめ考えておくのはムダにはならないと思う。

二つの災害が同時に進行している状況で、さてどのように動くべきかをシミュレーションする必要がある、と思い立ったのだ。

すぐに答えを出せるものでもないし、模範解答なんてそもそもあり得ない。

ただ、答えを考えるプロセスが大事だと考えている。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」では、リスクマネジメントがお粗末すぎる。

その手始めがライトである、というのはあまりに幼稚であったか(汗)。



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このライトが役に立つことのないように願っている
 
20 : 22 : 44 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(14) | page top↑
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Author:声なき声

昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、北摂のマンションに在住。   

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