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3月31日(火)

今日、マンションのブロック塀の工事が始まった。

昨年の大規模修繕工事で済ませるはずであったが、ある事情で残されていた分である。

工事の最中にお隣の家の奥様から苦情申し立てがあって、その隣接部分の塀だけが着手できないままでいたのである。

愚にもつかない理由でもって、工事をすることはまかりならんと言われ、問題の部分の工事を先送りする、といういきさつがあった。

しかし、工事そのものはシンプルな内容で、古い塀を撤去して、新しいフェンスタイプのものに変えるだけに過ぎない。

法律的にはどうなのかはわからないが、近隣住民の反対を押し切って工事を進めることには抵抗があると判断して、昨年は中途半端な形にならざるを得なかった。

今回はその隣家の人からも了承を得ていたので、問題なく円滑に、2週間後には完工するはずであった。

ところが、工事初日に、またまたそのお隣さんが難癖をつけてきたのである。

要は、仕様変更をしてほしいというものであった。

工事はすでに始まっているのに、今さらそんなことを言われても困る。

ただ、そういった常識というか論理の通用しない人なんだというのが、もっぱらの評価である。

たぶん、あえて工事が始まってから難癖をつけてきたのだろう。

マンション側の関係者が集まって対応を話しあったところ、
「申し入れを拒否したら、態度をより硬化させて工事を妨害される」
との予測は共通しており、やむを得ず言いなりになることにした。

ただ、その変更が物理的に可能なものかという問題がある。

現場監督の話によると、
「できるかどうかは、工事をやってみないとわからない」
とのこと。

もしできないのであれば、その部分だけを一からやり直すことになるので、別途に費用が発生する。

この件が無難に行っても、またほかのことで異議申し立てをしてくるかもしれないが、当面は目の前のハードルを乗り越えていくしかない。

前途多難である。



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外見はごく普通の女性なのだが
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3月30日(月)

散歩に行くコースは、大まかではあるが道順まで決めている。

ただ、少しでも変化を持たせるために、たとえ路地一つであっても、毎回、道を変えるように努めている。

そうすることで、わずかではあっても刺激を感じ、マンネリ化を防ぎたいと思っているからである。

と言いながらも、今日の午後は、やむを得ず全く同じ道をそのまま帰らざるを得なかった。

行った道をそのまま辿って帰るのは変わり映えのしない行動だと思いつつも、やむを得ずそのまま戻ったのである。

すると、実際に目に飛び込んでくる光景は当然ながら真逆になる。

頭ではわかっていても、その事実に新鮮な驚きがあった。

同じものを見ていても、角度や方向が変われば初めて見るもののように思えてくるから不思議だ。

未視感とでもいうのか。

最後のほうは、道を間違えたのではないかと錯覚するほどであった。

道幅があまりにも広過ぎるし、両側に立ち並ぶ家も見も知らぬ建築物であるかのごとく思えたのである。

おそるおそる振り返ると、間違いなく、往路で通った道に相違ない。

ちょっとした興奮を味わえたと思う。

今後も、「行きの道を忠実になぞって帰宅する」という形の散歩をやってみるつもりだ。

一見、芸がないように見えるかもしれないが、もしかしたら、この方法が認知障害の進行のストッパーになるかもしれない。

というのも、今朝ほど大失敗をしでかした。

ご飯を炊くとき、圧力鍋のフタがきっちり閉まっていない状態で調理をしたものだから、鍋の底を焦がしてしまったのである。

底部のご飯は焦げてしまったのは言うまでもない。

幸いにして、底部以外のご飯は水分が足らないものの、食べることはできる。

いつもはやっているちょっとしたチェックが抜けていたのは、痛恨の極みだ。

こんな失態を少なくするためにも、今後も自分の脳に刺激を与えていきたい。



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キツネ色程度の焦げの部分はなかなか美味であった。
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3月29日(日)

以前に使っていた血圧計が正常に動作しなくなったので、新しいのを買った。

今朝は、言うならばこけら落としとして初めての測定である。

結果は121-81であった。

近年は、上が120、下が80未満の範囲に収まるのが標準の値とみなされるらしい。

治療中の身としては、ほぼ合格圏内と言っていいのではないか。

かかりつけ医からは、起床後と就寝前の2回、測定して記録するように指示されている。

朝はモーニングサージで数値が高くなるのだから、この数字なら医師も笑顔でご覧になると思う。

冬になってからというもの、朝の測定数値でこんなきれいな結果が出たのは珍しい。

おそらくは、今朝の当地は室内温度が17度と、わりと温暖であったからだろう。

日本は広い国のようで、今日も関東の一部は寒波に見舞われ、雪まで積もったという。

本当に、地球温暖化をあざ笑うかのような気まぐれな気象だ。

そんな気温であれば、せっかくの新品の血圧計も初舞台を飾ることができなかっただろう。

高血圧の原因としては、よく言われるのが塩分過剰、運動不足、ストレスの蓄積、気温の低下などであるが、私の場合、気温の影響を最もストレートに受けるように思える。

だから、夏ともなれば、時には上が100を切ることすらある。

それが冬になると寒さで血管が収縮して血圧が上がり、治療にかかる前には上が200近くまで上昇することもあった。

もしかしたら、食事での塩分摂取を抑える努力をするよりも、寒さ対策を入念にするほうが、私には効果的な血圧対策になるかもしれない。

実は、最近は味噌汁や魚の切り身など、塩分が多いと言われる食材も、避けることなく口にしている。

いずれも滋養分に富んでいるのは言うまでもないが、塩分がたくさん含まれていることで、従来は敬遠していた。

しかし、日本の食事では、おいしさを味わうためには塩味は欠くことができないのではないか。

存分に味わえないことでのフラストレーションが溜まると、それが余計に血圧を上げることにつながっていたのかもしれない。

毎日きちんと計って記録をとっておけば、自分自身でも異常な変化があれば察知できる。

当面は、この形で自主的に経過観察をするつもりだ。

もちろん好ましくない方向に行っているのであれば、気がついたときに、すぐに軌道修正する。

なんだか、私の人生が変わっていくような予感がしてならない。



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3回測って一番低いものを記録するのがマイルール
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3月28日(土)

久しぶりにウイスキーを飲んだ。

家で飲むお酒はウイスキーだけだし、外での飲食を伴う会合は、3月に入ってからすべてお流れになったので、お酒そのものと接していなかったことになる。

調べてみると、先月の23日以来、ずっとご縁がなかったので、ひと月以上の空白期間ができた形になる。

思えば、ピロリ菌退治のために抗生物質を飲んでいた一週間があったのが、きっかけになったのかもしれない。

しかし、一か月間以上もアルコールと縁がなかったなんて、おそらく社会人になってからというもの、空前にして絶後の出来事ではなかったろうか。

不思議なもので、この間に、飲みたくて我慢しきれないということは全くなかった。

また、とりたてて欲しいとも思わなかった。

中国の詩人、陶淵明の詩に
「酒は忘憂の物」
とある。

お酒を飲むと心配事や悩み、不安などを忘れることができると讃えたものだ。

おそらく仕事をやっていた時期というのは、ストレスやフラストレーションが溜まり、悩みも多かったのだろうと思う。

それを忘れるために、アルコールに頼ったという一面は確かにあった。

会社を去ってからも、長年の習慣がそのまま残っていて、一種の惰性で飲んでいたのではないか。

そういった意味で、根っからの酒好きではないと自分自身を見ている。

もし、医師から禁酒をすすめられたら、ためらわずに縁を切ることができる。

今なら日常生活で、かつてのようなストレスは感じていない。

また、酒によって羽化登仙の思いに浸る以外にも、楽しみのタネはたくさんある。

健康を犠牲にしてまで飲みたいとは思わない。

そんな私が、なぜ再びウイスキーを飲んだのかと言えば、途中までしか飲んでいないビンがあって、これが目ざわりであったからにほかならない。

一旦、蓋を開けてしまったら、中身の劣化は避けられない。

だから、これを飲み切って空っぽにしてしまう心づもりである。

実は、予備用に新しいビンを1本、備蓄している。

開封さえしなければ、しばらくは風味は変わらないはずなので、これは年末か年明けまで持っておくつもりだ。

次に飲むのは、2週間後かひと月後か。



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残りを9回に分けて飲めば、正月に新しいものを開けることができる。
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3月27日(金)

スーパー銭湯で、岩盤浴を行った。

これでたぶん5回目である。

一般入浴とは別のメニューになっていて、料金も別個に支払わなければならない。

実は、特定の日に回数券を買ったときに、岩盤浴券が3枚付いてくるシステムになっていた。

無料で岩盤浴が味わえるというので、これはお得感があった、

しかし、これが先月末で中止になったのである。

自分の財布から岩盤浴の料金を出せばいいのだが、これがお安くない。

一般の入浴とさほど変わらない価格なのである。

自分のおカネを出してまではやりたくない。

ちなみに、岩盤浴だけの利用はできず、必ず入浴もあわせてしなければならない。

だとすると、スーパ銭湯に1回行くだけで、かなりの費用がかかってしまう。

入浴だけでも今の私にはちょっと贅沢かなと思っているのに、それに岩盤浴も一緒にとなると、まさに身分不相応のふるまいになってしまう。

だから、無料のサービスでしかやったことがない。

手元には、その無料券もなくなってしまった。

今日が最後の岩盤浴になったと思う。

今日はしみじみとそのムードに浸るように努めた、

おしゃべり禁止なので、室内は静かである。

横になっていると自然と眠くなってきて、いつの間にか夢の中に連れていかれた。

終了を告げる室内アナウンスで目がさめ、たっぷりと汗をかいているのに気づいた。

こんなによく寝て汗をかいたのは初めてだ。

よくわからないが、遠赤外線とマイナスイオンのもたらす効果だという。

そのように言われると、いかにも健康に良さそうな気がしてきたから不思議だ。

さすがに平日の昼間で、しかも雨が降っており、さらに自粛が叫ばれている昨今、岩盤浴をしている客は私以外は一人だけ。

なぜか、これが最後という感傷めいた思いは全くなかった。



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乾燥している岩の上なので、雑菌の心配はたぶん無用だと思う。
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3月26日(木)

気分転換を兼ねて、いつもとは違ったコースでの散歩に行ってきた。

行き先は、近くの大学キャンパスである。

そこはソメイヨシノの名所でもあり、毎年4月の第一週ともなると一斉に満開になり、訪れる人の目を楽しませてくれる。

今日はまだ早いとは思ったが、開花の様子を確かめてみたいとの目論見もあってのことである。

自粛ムードに包まれた世の中、若干のうしろめたさがあったのは否定しない。

しかし、自粛が過度に求められるとすっかり萎縮してしまい、息苦しさを感じるまでになる。

たまには日常とは違ったことをするのは許されるだろうと考えた。

もちろん、「密室、密集、密接」の3つのタブーは犯してない。

キャンパスだから頭の上には空が広がっている、休みだから学生もいないし職員もわずか、ひとりで歩くので隣に誰もいない・・・と、ウイルスから身を守る条件は満たしている。

そもそも、普段の散歩だとスーパーマーケットに立ち寄っているが、短時間とはいえ、混んでいるときなどは「密室、密集、密接」の環境を余儀なくされる。

大学のキャンパスのほうが、毎日のお決まりのコースよりも安全性が高いとも言える。

しかし、閑散としたキャンパスは、私の心を少しばかりどんよりさせてしまう。

普段は若い学生の笑い声が飛び交っているであろう空間が、大げさに言えばゴーストタウンの様相を呈しているのだから。

ときたま若い人がキャッチボールや大縄跳びに興じている姿が目に入ると、救われたような気持ちになるほど。

学内の食堂や喫茶店はすべて閉まっているので、腰かけてお茶を飲むこともできない。

掲示によると、この大学では4月19日まで休校だという。

なお、お目当てのソメイヨシノは、一部を除いてはせいぜい三分咲きぐらいでしかなかった。

これは予期していたとおりなので、そんなにがっかりすることがないとはいえ、それでも心のどこかでは美しい姿を期待している部分があったのは確かだ。

満開の季節までに菜種梅雨でもって花びらが流されることなく、また、ウイルスに感染して枯れてしまわず、美しく咲き誇る準備をしておいてほしいものだ。



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満開になったタイミングでまた見に行く
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3月25日(水)

朝からちょっとしたハプニングに見舞われた。

マンションの送水管が結構大きな音を立てながら、大量の水を噴き出していたのである。

ある住民がその音に気がついて、誰に言えばいいのかわからず、前理事長の部屋に駆け込んだらしい。

前理事長が現場の様子を見て肝を冷やし、なぜか私の部屋のインターフォンを鳴らした。

朝の8時ごろのことだった。

「緊急事態です!」と連呼しながら、とにかく「管理人室にすぐ来てください」と言っている。

管理人室の鍵を持っているのは現理事長と私だけで、現理事長は会社に出てしまっているから、私に声をかけたのだろう。

とにかく平常心を完全に失ってしまっているようであった。

目は釣り上がり、声は上ずっていた。

手当たり次第に指示を出していて、彼女自身、誰に何を言ったのかワケがわからなくなったのだと思う。

そうこうしているうちに警備会社の人が来たので様子を見てもらったら、どうやら屋上の高架水槽から漏れているのだとわかった。

また、水道設備の会社と連絡がついて、取り急ぎ電話で警備会社の人と話をして、水を止める作業をやってもらった。

まずは水が止まったことで、人心地つくことができたのは幸いである。

10時になって水道の専門家がやってきて調べてもらったところ、30分もしないうちに問題を解決してくれたので、何事もなく日常生活を続けられるようになった。

要は高架水槽の中のセンサーが汚れていたのが直接の原因で、正常に動作をしなかっただけである。

物事なんでもそうだが、終わってみると大したことはない。

実のところ、前理事長があそこまで気が動転している場面など私は初めて見た。

「緊急事態」の言葉を聞いた瞬間、私が頭に浮かんだのは火事ではないか、ということ。

実際は、火ではなくて水であった。

おそらく、送水管の音量と床に広がる水が、彼女の恐怖を掻き立てたのだと思う。

ひとごとのように語る私は冷たい人間かもしれないが、あそこまで取り乱してしまってはリーダーとしての責任は果たせない。

教訓として、今日のことは私の心に刻んでおくつもりだ。



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幸いにして入居者から断水の苦情はなかった
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3月24日(火)

昨年にマンションの大規模修繕工事を行ったが、そのときに隣の家からの異議申し立てによって、中断していた部分があった。

それについては隣家との調整がついてから再開することが建設業者との間で合意できており、管理組合の総会でも承認されていた。

お隣さんとの協議はスムーズに進んで、8月の末には了承をいただいており、めでたしめでたしと言うべきところだが、そうは問屋がおろさなかったのである。

いざ着工の段になって建設業者に依頼をかけたのだが、なかなか腰を上げてくれなかったのだ。

当初は、「11月にはかかれると思います」との業者側担当者の話であったのに、ずっと音沙汰なし。

マンション側からは、やいのやいのと連絡をしていたにもかかわらず、全く返事がなかった。

ようやく今年の2月になって、「具体的な打ち合わせをしませんか」との申し入れがあったのである。

その会議の場で、工事業者の現場担当者が口にしたのは、昨年の工事で中断を迫られたことへの不満であった。

隣の家との思わぬトラブルがもとで工事が止まり、結局は延期の扱いとなったことが、業者にしてみれば相当な損害であったと明確に語っていた。

しかも契約金額は当初の見積額、つまり全体を対象にした計算の数字をそのまま今回も使うことになっているので、ほとんど利益は出ない。

彼の気持ちがわからぬでもない。

自分の側の責任でもないのに工事ができなくなり、あげくはj順延となったのだから、感情的にも面白くないはず。

そこの部分の経費は完全にムダになってしまったのだし、今回の工事でそれを取り戻せる当てもない。

そんな事情があって、その会社としても工事を請けるのを嫌がっていたのではなかったか、と私は勝手に憶測している。

だから先方からは全く連絡をせず、ほかの業者に当たってくれとの意思表示をしていたのだと思う。

さもなければ、半年以上も電話一本もしないという事態は考えられない。

おそらく、そうだろう。

私としては、大きくモチベーションが下がったことは言うまでもない。

本来なら、業者にしてみれば仕事が欲しい一心で猛烈に営業的なアタックをしてくるものだが、そのかけらもなかったのだから、よほど気が乗らなかったのだろう。

私個人が発注したわけでもなんでもないが、責任の一端を担う立場として気持ちが晴れない。

今朝、正式の発注書を工事業者に送付した。

もう引き返すことはできない。

来週の火曜日から工事が始まる。

どうか何事もなく終わってほしいと念じるだけだ。



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順調に行けば2週間で終わる予定
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3月23日(月)

眼科に行って、白内障の薬をいただいてきた。

毎月1回通院して、簡単な検査を受けて目薬をもらっている。

毎回、「異常なし」の診断結果であり、私にしてみれば目薬だけを受け取ることができれば、それで問題はない。

症状がひと月で進行して取り返しのつかない事態になるとは、実際には考えられない。

ただ、現在は医師法のしばりがあるので、診察を受けなければ薬の処方はできないことになっている。

だから、半ばムダを承知で薬をもらうために、毎月、通院しているのである。

これは、高血圧を診ていただいているクリニックでも同じこと。

いずれも、3か月に一度でも診察を受ければ、気がつかない間に病状が進んでしまっても、十分に回復は可能ではないか、という気がする。

私にとっては、法律の存在が障害となっていたのであるが、今回の問題がきっかけとなって制限が臨時的に緩和されたらしい。(→記事

患者が医療機関に電話して処方を頼めば、FAXが本人か薬局に送られてくるので、それをもとに薬局で処方薬を受け取ることができるようになる、とのこと。

これは助かる。

今のところは、血圧のクリニックは空いているので問題はないが、例年冬場になると、待合室が昼間でも患者であふれることがある。

一度だけであるが、2時間近くも待ったことがあり、まるで総合病院並みの混雑であった。

どんなに混んでいても、受付で「いつもの薬でお願いします」とのお願いはできなかったのである。

ひたすら待たなければならなかったのだから、時間のロスは計り知れない。

それが、当面は、電話だけで処方箋をもらえるようになるのだから、実にありがたい。

臨時的な措置ということであるが、実施されてからの様子を観察しておいて、大きな混乱がなければ恒久化してもらいたいものだと思う。

私ひとりが望んでいるだけではなく、おそらくは、これが実施されることで大きなメリットを感じる人は多いのではないか。

ただ、医療機関側に立てば、困った問題になることは確かだ。

引用した記事にも書かれているが、患者の通院回数が減ることになり、確実に収入が下がってしまうからである。

これは経営上、死活問題だ。

ハードルは高いかもしれないが、この機会に医師法が改正されることを願ってやまない。



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私が通っている眼科も内科も院内処方だから薬局で薬を受け取ることはない
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3月22日(日)

大相撲は千秋楽であった。

今場所は結びの一番が優勝決定戦であり、しかも横綱同士の対決という、願ってもない好取り組み合いとなった。

外出自粛の折りから、家で目を皿のようにして観戦していた人は多かったのではないか。

おそらく相当な視聴率があったことと思う。

結果は、白鵬関が勝って44回目の優勝を決めた。

かねてより、白鵬関の相撲のとり方に対しては手厳しい批判が寄せられてはいるものの、勝ち星を多く上げたということは強かったことの証こほかならない。

これはこれで評価すべき事実である。

ところで、今場所は無観客という異例のスタイルで行われ、そこが物足りなかった人は多かったようだ。

しかし、観客が誰一人いなくとも、土俵の熱気は十分に感じられたのではなかったか。

醍醐味のある取り組みを見せてくれれば、そういった不満も十分に解消してくれる・・・と負け惜しみ半分ではあるが、思いたい。

ただ、どうしても無観客であることの欠陥を見たのは、簡略化された表彰式が終わった後の「出世力士手打式」のこと。

新弟子検査に合格して稽古を重ね、次の場所からは序の口として相撲をとっていく力士を紹介する儀式であるが、いつもなら、観客から「がんばれよ!」の声が必ずかかってくる。

相撲の世界に入って間もない若者たちへの声援と拍手は、見ていても胸が熱くなる場面だが、今場所はそれがなかった。

大相撲のいい場面の一つが見られず、寂しい思いは禁じ得ない。

次の五月場所での楽しみにしておくく。




平成30年1月場所の出世手打式と神送りの儀
 
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3月21日(土)

久しぶりに妻からメールが来た。

コロナの騒ぎが大きくなってから音なしの構えであったが、今日、送られてきた。

まさか、メールを介してウイルスが感染するのを恐れていたわけではあるまいが。

内容は事務的な連絡ばかりで、私も、受け取った旨を返事するだけで終わった。

とにもかくにも、妻は無事であったのは確かだ。

さて、娘一家のほうとも、全く会っていない。

そもそもが平素から行き来がないので、孫の運動会やバレー発表会、食事会など特別なとき以外は、顔を見ることもないのである。

息子一家とも、リアルでは2年以上も会っていない。

ただ、嫁がせっせと写真をUPしてくれているので、みんな元気で過ごしている様子は知ることができる。

私の子や孫との交流の実態とは、こんなものだ。

しかし、これは日本の高齢者家庭では全く珍しくもなんともない現象ではないか。

核家族が当たり前になった昨今、老夫婦だけ、あるいは高齢者の独居が極めて一般的になっている。

考えようによっては、家族関係が薄れてきたことのあらわれと言えるかもしれないが、皮肉なことに、今回の武漢ウイルス騒動では、日本の高齢者は救われた形になっている。

イタリアでの死亡者は4,000人を超えてしまったが、これは日本とは真逆の家族関係が原因しているとのこと。

事情通の話によると、イタリアでは若い人も実の両親や祖父母と同居する形が標準となっているらしい。

だから、子供や若い人が感染すると、たちまち同居している高齢者にそれがうつってしまうのは極めて自然である。

家庭が感染の温床になっているのだから、爆発的に死亡者数が増えていくのは避けられない。

その点、日本では期せずして老人の隔離施策ができ上がっていて、結果的に感染拡大防止に貢献したのだから、何が吉と出るかはわからないものだ。

なお、私は一人暮らしが性に合っている。

誰にも気を遣わずに、自分の好きなタイミングで好きなことができるのだから、三日やったらやめられない。

天から身に余る恩恵を賜ったことを、心より感謝している。



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自分が幸せだと思えば本当に幸せになる
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3月20日(金)

春分の日であった。

同時にお彼岸の中日に当たり、お墓参りに行く人も多いことは言うまでもない。

神道の信仰を持った家で育った私は、お彼岸だからというので、家ではとりたてて特別な事は何もしなかった。

だから、なぜお彼岸になるとお墓参りをするのか、その趣旨すらもわかっていなかったのである。

調べてみると、彼岸の中日に、昼と夜の長さがおおよそ一緒になることに出発点があるらしい。

この日を迎えると、それ以降は太陽が出ている時間が長くなっていくところから、極楽浄土と現世とが最接近する日だと考えられてきたところに由来している、と。

だから、お彼岸にお墓参りをしてご先祖供養をするとの慣習が根付いてきた、という。

仏教国と言われている国では、日本以外にはお彼岸という考えはないそうだ。

なんでも、仏教が日本に伝わってくる以前から行われていた日本独自の慣習であったとは、恥ずかしながら全く知らなかった。

先祖を崇拝する強い思いが形となったものの一つがお彼岸であり、仏教とは必ずしも結びつかないようである。

そんなわけで、今日は、私もお彼岸に際してのご先祖供養をさせてもらった。

といっても、スーパーでぼたもちを買ってきて、亡き両親を偲びながら心を込めて口にするというだけであったが。

父と母に見たてて、餡とキナコの2つ入りを選んだ。

ぼたもちの甘さをかみしめていると、幼かかったころに見上げていた両親の笑顔が頭をよぎったのは、単なる錯覚であったのだろうか。


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春は「ぼたもち」で、秋は「おはぎ」というのが定説らしいが・・・。
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3月19日(木)

世の中の騒がしさに取りまぎれていたわけではないが、最近は本を読んでいないことに気がついた。

たぶん、先週の金曜日が最後で、それ以降は1行も本を読んでいないような気がする。

ほぼ同時に頭に浮かんだのが、そういえば、最近は図書館からの「貸出可能」のメールが全然届いていない、ということ。

図書館そのものは休館中でも、予約していた本を借りたり返却したりはできる。

これは、図書館が果たしている機能としては、最後の砦に当たるものかもしれない。

ネットを調べてみたら、「3/11」に申し込んだ本が、「確保待ち1位」との表示が出ているものの、いまだに「貸し出しますよ」のメールが送られてこないのである。

あまりに遅い。

たしか、私が予約をした時点で「貸出中」の表示があったものの、自分が次の順番につけていたはず。

だから、そろそろ順番が回ってきてもよさそうな頃合いであったのだが。

もしやと思って、いま借りている本の返却日を確認してみたら、本来ならば借り出してから2週間後の日なのに、ひと月以上も先の日付になっているではないか。

きっと休館中のための特別な処置なのだろう。

当然、ほかの人もそのルールが適用されているのは言うまでもない。

だから、本を返すのが先延ばしになってしまっているのは極めて自然な流れなのだろう。

しかし、図書館は休みであっても、閲覧ができないぐらいのもので、借りたり返したりは今までどおり可能である。

ならば、あえて返却期限を延長する必要はないと思うのだが。

何か不都合なことでもあるのだろうか。

その意図がわからない。



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今日は読み終わった本を返してきた
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3月18日(水)

今日は市内の小学校の卒業式が行われた。

具体的なプログラムや進行などは、それぞれの学校に任せているようだ。

あるところは、卒業生総代の一人だけが出席して、校長先生から卒業証書を受け取るだけという「簡素」な式次第らしい。

ほかの子供には、先生が後で戸別に配付するとのこと。

子供にとっても親にとっても、そっけない式典であったことは想像に難くない。

かと思えば、保護者も出席しての従来どおりの式を執り行う小学校もあるようだ。

親も出席するところでは、受付でマスクやハンカチまで手渡す学校もあって、念が入っていることを感じさせる。

内容も省けるものは省いて、時間は短縮して行ったに違いない、

たまたま、私の散歩中に、卒業式が終わって家に帰る親子連れを何組か見かけた。

例年と違っているのは、父親も一緒に出ている家族が目立ったこと。

おそらくは、多くの会社で有給休暇の取得をすすめているので、これ幸いとばかり、子供の卒業式に合わせて休みを取ったのではないか。

親子で卒業式の場を共有できたことは、いついつまでも思い出の中に残ることと思う。

そういった意味では不幸中の幸いと言えるかもしれない。

ところで、今の小学生の男の子は私服で式に臨んでいるようだ。

私の頃は、進学する中学校の制服で出席するのが通例であった。

半世紀以上も前の話なんて、今に通用するはずもないが(笑)。



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この小学校ではどんな卒業式をやったのだろうか
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3月17日(火)

かかりつけのクリニックに行ってきた。

駐車場にクルマを止めようと思ったが、今までであればそのクリニックの名を書いた表示板があったのに、今日はそれがないのである。

時節柄、出かける人が少ないせいか、クルマはほとんど止まっていない。

まさか、外出自粛で患者の来院が減ったので、コストダウンのために駐車場契約をやめたわけでもあるまい。

事情はわからないが、勝手ながら、表示が全く上がっていないスペースに止めさせてもらった。

それでよかったのか、クリニックの受付で尋ねてみようと思っていたのだが、入るなり、待っている人が二人しかいないことにまず驚いた。

先月も少なかったが、それでも5人か6人は待合室にいた。

次に目をみはったのは、スタッフの全員がマスクをしていること。

従来は、こちらのクリニックでは、医師も看護師もマスクをしている人は一人もいなかった。

やはりあれだけの騒ぎになっていることもあって、万が一、スタッフが感染していて患者にうつしたとあっては、尋常ならざる事態を迎えることになるのだろう。

そんな懸念もあって、おそらくは一種のポーズもあり、全スタッフがマスク着用と相成ったに違いない。

こちらの医師がマスクをしている場面は初めてであるが、声がこもってしまうことが時おりあって、集中して耳を傾けて聞き漏らしをしないように努めた。

だから、少しばかり気持ちが疲れた。

私からすれば医師のマスクはマイナスに働いたが、私の都合だけで物事が進まないのは当然である。

ちなみに、血圧測定の結果は良好で、医師も心なしかご機嫌が良さそうに思えた。

ピロリ菌の除菌治療を終えて、5月に、除菌が成功したかどうかの検査を受けることも伝えた。

なお、医師からは「来月に血液検査をして鉄分の数値を見てみたい」とのお話があり、それで今日の診察は完了である。

クルマを止めてから処方薬を受け取るまでの時間は30分かからなかったから、こんな早く終わったのは初めてである。

気分上々で駐車場までやってきて、表示が上がっていないことを確かめるのを忘れたことに気がついた。

私はどこか抜けている(汗)。



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最近は特に忘れものが多くなった
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3月16日(月)

障碍者施設での大量殺傷事件の実行犯に、死刑判決が下された。

本人みずからが「自分には責任能力がある」と認めていて、自分を擁護する弁護士の主張をも否定しているのだから、死刑は極めて妥当な判決であったと思う。

死刑反対論の根拠の一つに「もし冤罪であったとしたら取り返しのつかないことになる」というのがあるが、この被告人の場合はそれもあり得ない。

19人もの人間を殺したのだから、「永山基準」も完全に満たしている。

だから、おそらくは本人にも納得の行く結末であったとも言える。

障碍者を介護する仕事というのは想像を超えた苛烈さがあることは、私にも推測がつく。

事実、同じ仕事に携わっている人のネットでの投稿を読んだことがあるが、時には、理由もなく暴言を吐かれたり暴力を振るわれたりすることも覚悟しなければならない、という。

そんな環境のもとで、いつしか障碍者への攻撃心を募らせていったという経緯もあったかもしれない。

とはいえ、そのことが被告人の鬼畜にもとる行為を正当化することにつながらないのは、当然のことだ。

そういった意味でも、死刑という形で社会から抹殺することでもって、少なくともこの被告人による同種の犯罪が起こる可能性はゼロになる。

それはそれで一つの安心材料になると私は考えているのだが、どうなんだろうか。

私が腑に落ちないのは、障害を持った人たちへの差別心をあからさまにしながらも、謝罪の言葉を口にしている点である。

明らかに矛盾しているではないか。

極刑を免れるためのリップサービスとしての謝罪でもないと思う。

何かしら理由があるはずだ。

しかし、被害者の家族には、「反省や謝罪の姿勢は一度も見えなかった」という。

やはり口先だけの「おわび」であったのか。

不敵に笑っている顔写真を見たことがあるが、今日の判決をどんな思いで受け止めたのだろうか。

 
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3月15日(日)

ちょっと離れたところにある小さな食品スーパーは、朝は7時から開店している。

昼間に用事があるときなど、このお店は重宝する。

朝早くに買い物を済ませておけるので、後の段取りが楽になるからだ。

今日、所用があって、朝の7時半に店に入った。

7時オープンとはいえ、実際には品出しはほとんど終わっていない。

まさに、商品棚に野菜や果物などを並べる作業に、てんてこ舞いの様子であった。

通路も、倉庫から出してきた台車が何台も並び、その間をすり抜けて歩かなければならない。

おまけに、お目当ての品が出ていないことも多い。

毎食後にバナナを食べているので、わりと短いサイクルでバナナが切れてしまう。

家の在庫がなくなったので、バナナをメインに買いにきたのであるが、商品棚が空っぽであった。

正規の値段のバナナはちゃんと並んでいるのだが、一房98円のところが全くのゼロである。

私など、ブランドのバナナの味はわからないので、常に98円のほうをこぞって買っている。

それがないとなると、極端な言い方をすると、わざわざこのお店まで足を伸ばしてやってきた意味すらない。

そこで、ちょっと手すきそうな店員さんに尋ねてみたら、
「すみません、すぐに出します」
と言って、駆け出していった。

そして段ボールの箱を持ってきて、蓋を開けながら、中身のバナナを選ぶように促してきた。

以前に、同じ店で納豆のお気に入り銘柄が出ていなかったので、やはり同じように訊いてみたところ、決してイヤな顔はしていなかったのだが、無言のままで箱の中からその納豆を出してきた、ということがあった。

その店員さんにしてみれば、自分の仕事は品出しであって接客ではない、との言い分かもしれない。

しかし、客として受けるイメージが良くないのは当たり前のこと。

その点、今日の人はちゃんと購入客相手の対応をしてくれたので、気持ちが良かった。

おかしなもので、今朝の一件でこのお店に対する好感度が急上昇した。

品出し担当も、まごうかたなく営業そのものである。



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7時開店なら一番早い人は何時に出社するのだろう?
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3月14日(土)

全国の学校が休みになって、2週間になる。

当然ながら、学校行事もすべて中止になった。

小学生の野球部の活動も、基本的には学校関連の行事とみなされ、本来は休まなけれならない。

ただ、実際には、「自主練習」の形で、休日に集まって練習をしている。

ユニフォームは着ないで、運動のできる私服ですることになっているから念入りだ。

学校のグラウンドは使えないので、不十分ながらも近くの空き地での練習となるのはやむを得ない。

キャッチボールと素振りだけでも、やらないよりははるかにマシである。

第一、子供たちにとっては、平日は家の中にいなければならないし、友達とも会えず、思うがままに体を動かすこともできないところから、かなりフラストレーションがたまっているらしい。

これは、今朝、野球チームの監督から聞いた話だ。

今日の当地は雨のため、自主練習中止の連絡メールを受けたとき、そこにそういった文面が添えられていた。

せっかくの土曜日、せめてキャッチボールをするのを楽しみにしていた子供も多かっただろう。

そんな日に雨に降られたのでは、踏んだり蹴ったりだ。

もちろん、もっと苦しい思いを強いられてる人が多いのは確かだし、野球ぐらいは我慢しろ、という忠告は理解できる。

しかし、本当なら元気が満ちあふれている小学生が自宅で悶々としている様子を聞かされると、私もいたたまれなくなってくる。

天気予報では明日は晴天のようだ。

いつも練習に使っているあの空き地には、子供たちの笑顔がはじけることだろう。

そのことが私には大きな救いである。

何かと議論はあるものの、武漢ウイルスの感染者の推移を見ると、諸外国よりは日本国内のほうは拡大に歯止めがかかっているのは間違いない、

学校休校も、感染症の封じ込めのためには一定の成果があったと考えられる。

このことは、小学生には理解するのがむずかしいかもしれないが。



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普通のグラウンドの内野ぐらいの広さはある空き地だ
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3月13日(金)

季節の変わり目は、服装に困ることがある。

とりわけ、散歩に出かけるとき、朝の気温に合わせると途中で暑くなってきて、汗をかくことすらある。

かといって、軽装で出かけると寒さに震えあがってしまい、散歩どころではなくなるかもしれない。

そこで、寒いであろうとの前提で出かけるのであるが、いざ外に出てみると日光が燦々と降り注ぎ、体を動かしているところから、想像を超えて体が熱を帯びてくることがある。

気がつけば、汗をかいてしまって、次にその汗が冷えて寒さを感じるようになるのだ。

そもそも、風邪を引いたのは、水曜日の午後の散歩で大汗をかいたのがきっかけであった。

それから寒気に襲われ、始終、鼻水が出るようになって、ようやく今朝になって止まったのである。

そこまでして散歩にこだわるのは、10年以上も前のこと、かかりつけ医から散歩をすすめられ、
「これが一番負担のない健康法です」
と言われたことからである。

その当時は会社勤めをしていたこともあり、休日だけではあるが、家の近所を歩くようになった。

仕事からリタイヤしてからというもの、よほどの悪天候でない限りは、ほぼ毎日、たとえ短時間でも歩くように心がけている。

私だけの勝手な想像かもしれないが、外を歩いているとき、やはり歩行中の人を見かけると、散歩なの普通の用事で歩いているのか、わかるようになってきた。

間違っているかもしれないが、散歩をしている人にはどことなく漂うものがある。

それが何か、と問われると言葉で説明することはできないが、なんとなく独特の空気が漂っているのである。

そんな気づきがあるのも散歩の楽しみの一つであり、汗をかくからというぐらいのことで文句を言ってはバチが当たる。

今日も、病み上がりながらおそるおそる散歩に出かけた。

散歩は”スポーツ”なのか”趣味”なのか、そんなことを考えているうちになぜか速足になってしまって、帰宅するとうっすら汗をかいていた。

汗をかくぐらいなのだから、散歩はまぎれもなく”スポーツ”だと、自分を納得させた(汗)。



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歩くと気分転換になるのは間違いない
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3月12日(木)

どうやら風邪のようである。

今の時期にこの話題を出すと、反射的に武漢ウイルスが懸念されるが、おそらくそこまでには至っていないと考えている。

熱はないし、体の倦怠感もない。

ただ、鼻水が止まらないのである。

典型的な鼻風邪だ。

当初は花粉症の再発かなと思ったほどで、昨日の午後からずっと続いている。

この状態が変わらなければ、家にあるティッシュペーパーの在庫が底をつくのではないかと、冗談半分に心配している。

現在のトレンドを考えると、減ってきたからといってボックスティッシュを買いに行くのは、いかにもデマに踊らされている軽率な人間のように思われるのがイヤだ。

なんとか明日には引いてもらいたいと願っている。

しかし、風邪を引くのは2年ぶりのことだ。

おおよそ、2年に一度の周期で風邪引きに見舞われてる。

冬場は朝に必ず葛根湯を飲んでいるのだが、そのマジックも2年に一度は効かなくなるようだ。

そもそも、風邪引きの薬というものはない、と聞く。

昔は西洋医学に基づく医薬品で風邪薬を飲んでいたが、いずれも睡眠導入剤のようなもので、要するに睡眠をちゃんととって安静にするしか、治癒の方法はないのだと思う。

私の妄想にすぎないが、もし葛根湯が武漢ウイルスの活動を抑え込むのに有用だということになれば、人類の窮地を救った画期的な大発見になること必至である。

武漢肺炎も広い意味では風邪引きなのだから、確率はともかくとして葛根湯が効果を発揮する可能性があるかもしれない。

夢物語ではあるがそれが現実となれば、間違いなく明るいニュースである。



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「肩こり」のために処方されたが今では「風邪」対策で飲んでいる
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3月11日(水)

コロナショックがもたらしている影響の一つに、せっかくの行事を中止にせざるを得ない、というのがある。

時期的に、いろんな学校での卒業式も中止を発表しているニュースが増えてきた。

さらに、4月の入学式もできるものかどうか、危ぶまれているところである。

今朝受け取ったSMSは、母校のOB会の会長からのもので、4月5日に予定していた総会を予定どおりに開くかどうかは目下検討中、といった内容のものであった。

ひと月前になっても案内がなかったので、内心、たぶんそういうことだろうとは想像がついていた。

ただ、このような形で途中経過を教えていただけるというのは、その配慮がうれしい。

もう一つ、私が役を受けているOB会の集まりが3月28日に予定されていたのを思い出し、WEBを調べてみたら「中止」と出ていた。

2日前には、「詳細は郵送にてご連絡いたします」となっていたのだが、この何日かの動きを見ていて、とても無理だと判断したのだろう。

その団体は全国組織なので、会合をするとなると500人近い人数が集まる。

しかも、閉鎖的な会議室の中に全員が入り、その後はビュッフェ形式でのパーティーとなるので、まるで危険信号のサンプルそのものだ。

中止は当然の判断と言えるかもしれない。

規約の上では、予定されていた会議でもって会員の承認を得る手続きが必要なのだが、そこんところは何とでも代わりの方法があると思う。

500人もの人間が集まれば、万一の事態が起こるリスクがあるのだから、いっそ中止にするのが賢明である。

学校単位のOB会であれば判断も簡単だが、これがオリンピックともなると事情が違う。

日本国内だけなら、私の勝手な希望的観測でいけば、4月のGW前にはひとまずは小康状態になるのだが、外国からも多くの選手や観客がやってくる。

だから、日本の一存では決められない。

当初はアジアだけの疾病であった新型コロナも、いまやヨーロッパで本格化してきてきた。

いっときは「東京が無理ならロンドンで」という案もあったようだが、それも選択肢からははずれてしまった。

無観客か、あるいは延期という案も浮上してきている。

関係者にとっては、一瞬たりとも気の休まらない毎日だろう。

なお、センバツ高校野球も中止が正式に決まった。

昨日の「イベント自粛を10日間ほど延長」との要請に呼応したのかもしれない。

楽しみが一つ減ったことで落胆した思いと同時に、ここが踏ん張りどきだとあらためて自分を鼓舞し直した。

9年前の今日3月11日に起こった大災害からも、東北は着実に立ち直りつつある。



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ある高校野球の監督は「夏に出ます」と力強く語っていた.
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3月10日(火)

トイレットペーパーはじめ身のまわりの品の買いだめは、たぶん一段落がついたように思う。

私が買い物をする3軒のスーパーを定期的に観察していると、瞬間的には商品棚がからっぽになっているときもあるが、翌日には所狭しとトイレットペーパーがひしめき合っているのが常態になってきた。

日本だけでなく海外でも起こっていた現象だというから、もしかしたら人間の心理に共通している何かがあるのかもしれない。

中には、6か月分もまとめ買いをした人がいたというが、何人かが一緒に住んでいるとすれば膨大なボリュームだろうから、これは実に壮観だとしか言いようがない。

必要でもないのに先に買ってしまうのだし、いずれはその分の消費が減るのは目に見えている。

だから、メーカーも設備投資をしてまで増産する意思がないのは極めて自然な流れだ。

結局、誰も喜ばない結末となるのは必至。

そういえば、赤ちゃん用の紙おむつもいっときは店頭では見られなくなったが、いつの間にか何事もなかったような顔をして戻ってきている。

買いだめはほかの商品にも及び、米とかカップ麺、冷凍食品、缶詰、ミネラルウォーターなども店頭から姿を消しかけたことがあったらしい。

変わったところでは、納豆も品薄傾向だとか。

感染症に効果が期待できるからというのがその理由だという。

私も納豆は嗜好品しても大好きだが、いくらなんでも、食べてすぐに霊験あらたかということはなかろう。

ヨーグルトもよく売れているそうだが、根拠は同じだと思う。

また、甘口カレールーやスナック菓子も少なくなってきていると。

休校になったので、家にいる子供に食べさせる、というのがその動機だと聞いて、そのほほ笑ましさに口元がゆるんだ。

ちなみに、上に挙げた中に、私がコロナに関連して先買いに奔走したものは一つもない。

おそらくは、大半の人がそうではなかったか。

不安に駆られたごく一部の人が動いたことが大げさに取り上げられ、それを、あたかも世の中の人間がすべて買いだめに走っているかのように言われているだけのことだと思う。

一般の日本人なら”After you.”(お先にぞどうぞ)の思いを共有しているはず。

だから、目の色を変えて買いあさっていたのは、一部の例外に過ぎなかったと思う。

どんな社会現象でもそうだが、終わってみると「あれは何であったのか」ということになるものだ。



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マスクの手作りも盛んになってきた
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3月9日(月)

外気温16度といえば、この時期にすれば春も同然の暖かさだ。

しかも天気晴朗とあって、今日は、上はセーターだけの服装で散歩に出た。

降りそそぐ日光に全身を包まれると、いつもとは違った高揚感に包まれる。

しかも、5日ほど前から花粉症もかなり収まっていて、体調も快適だ。

これは大いに助かる。

そういえば、昨年も3月の初旬から急に花粉症が軽くなったことを思い出す。

40年以上も苦しんできた症状がにわかに楽になるのだから、何かがあったのだとは思うが、そのからくりはわからない。

かかりつけ医から言われたのは、「加齢による免疫力の低下かもしれない」ということ。

免疫力が下がるのだから、たとえばガンや感染症にかかりやすいリスクが生じてくるので、手放しで喜べるものではない。

しかしながら、辛い症状が軽くなるという部分は喜ばしいことだ。

ともすれば、老化といえばマイナスの側面が目立つが、こういった利点も出てくるのである。

ほかにも老化のメリットはある。

短気であった人が老人になってからは気が長くなって、まわりの人から慕われるようになったという話があるが、それも老化のあらわれではなかろうかと私は思っている。

これは、「人間が丸くなった」という言葉で語られることが多いが。

若い頃は意欲に富んで気持ちが充実していても、トシをとると体力や気力がなくなって、上向きのマインドがしぼんでしまうので、それが「丸くなる」と周囲には映るのではないかと憶測している。

しかし、結果が良ければそれはそれでいいと思う。

そう考えると、必ずしも老いることを嫌がることはないような気がする。

もっとも、最近はすぐにキレる暴走老人が何かと問題になっているが。



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散歩で行った服部緑地公園
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3月8日(日)

大相撲大阪場所が始まった。

無観客という制約があったものの、見ている段には実のところ、大きな違和感はなかった。

なるほど、序の口クラスの取り組みでもぽつんと観客はいるのに、幕内上位であっても観客が全くいないとなると、なんだかゴーストタウンの空気を感じてしまう。

しかし、私はamebatvで見たのだが、幕内の取り組みからは、アナウンサーと解説者がついて実況してくれる。

そのことだけでも、熱気を帯びてくるから不思議なものだ。

これは、野球のオープン戦を見ていても同じことを感じた。

演出効果の大きさには、無視できないものがある。

ただ、相撲中継で解説者が語っていたが、「観客がいないと話しにくい」と。

そういうものかもしれない。

上がるべきところで歓声が上がらないと、リズム感をとりにくいのだろう。

また、力士にしても、客が一人もいないことで逆に緊張する人もいるらしい。

いつもと様子が違う環境に、違和感を覚えるのかもしれない。

いつもなら土俵に上がるなりヤンヤの大喝采を浴びている力士など、反応が何もなければ勝手が違うのは当然だ。

中には、所作を間違えた力士もいた、という。

デビューしたばかりの漫才師も、観客ゼロの状態で芸を披露するのはやりにくいと、口をそろえて言っている。

幸いなことに番狂わせは起こらず、ほぼ順当な取り組み結果で終わった。

とにかく、異例づくめの大阪場所初日であった。

ウイルスなんて目には見えないほど小さなものなのに、平均身長180㎝超、平均体重160㎏超の力士たちが翻弄されるなんて、なんとも皮肉な話である。



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消毒スプレーを300本も用意したらしい
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3月7日(土)

古いカバンを捨てようと思って中を見たところ、手提げ袋が出てきた。

いま住んでいるマンションへの引越しのときに、ガラクタを放り込んでおいて、そのうち整理しようと思っていたのだ。

しかし、そのことをすっかり忘れてしまっていたのだから、歳はとりたくない(汗)。

めぼしいものとしては、外付けのハードディスクとICレコーダーが二大巨頭である。

ハードディスクはともかくICレコーダーのほうは、いっときはどこに行ったのかと血眼になって探していたものだ。

失せものが出てくるときというのは、このようにひょんなことから所在がわかってしまう。

これは義父からもらったものであり、当然、生前のことだから10年は少なくとも前の製品だ。

今なら、もっと高機能のICレコーダーが世にあるが、当時としてはデジタルデータでの録音ができるという意味で、私の中では最先端のツールであったと思う。

会社での会議で議事録作成のための記録装置として、主に使った。

それ以外でも、トラブルになりそうな相手との商談の際に、こっそりとポケットに忍ばせておいて録音したこともあった。

一度だけであるが、当方の正当性を証明するにあたって、このICレコーダーが貢献してくれたこともある。

頻度こそ少なかったが、結構、私の会社生活の中ではいい仕事をやってくれたツールであったと感謝している。

だから、行方不明になっていたときは、何とも寂しい思いをしたことであった。

早速、充電して試してみたら、ちゃんと録音をするではないか。

胸の高鳴りを覚えた。

まだまだ健在であったのだ。

しかしながら、今の私はこのICレコーダーを何に使えばいいのか、役立て方がわからない。

マンション管理組合の理事会では、管理会社の担当が議事録を作ることになっているから、記録の必要はない。

だとしたら、ほかに活用方法が思い浮かばないのである。

思い出の品が見つかった、というだけのことで、結局は、私には宝の持ちぐされだ。



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会社生活最後の会議の音声が残っていた!
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3月6日(金)

図書館から、予約していた本が貸出可能になったとのメールが来たので、受け取りに行った。

すると、玄関のところに職員さんが立っていて、
「今日から臨時休館になりました」
と言うではないか。

ドア部分を見ると、
「感染症拡大防止のため、3月6日より市内すべての図書館で休館になります」
と書かれたステッカーが貼られてあり、やや小さめの字で
「予約済の資料の貸出は可能です」
と付されていた。

おかげで中に入ってお目当ての本を手にすることはできた。

おそらく、図書館にやってくる人はほとんどが事情を知らないだろうから、こういう形で、逐一、案内をしているのだろう。

もちろん、
「いつまでですか?」
なんて愚問は発しなかった。

一職員にわかるはずはないだろうから。

館長にも市長にも、神ならぬ身には、その答なんてわからないはず。

以前から、各地の図書館が閉館になりつつあるというニュースは耳にしていた。

だから、今日、「休館」だと聞いてもさほど意外の感はない。

それにしても、学校はじめ市民が利用できる公的施設が次々と休みになっていく。

公民館の講座や講演会も軒並み中止である。

ますます事態が悪化しつつあるのを感じると、ともすれば気分は沈みがちになる。

しかし、そんな一時的な感情に流されていてはいけない。

最初に発症した中国も、今ではかなり沈静化してきている。

必ず解決することを信じて、良心的に毎日を生きていくだけのことだ。



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日付を見ると、昨日の夕方に決定した措置のようである
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3月5日(木)

以前に記事にしたが、同窓会をしたときの幹事メンバーが3月に集まる、という予定になっていた。

ただ、世の中の動きを見ていると、とてもではないがそんなムードではない。

相談の結果、「3月は中止、できれば4月に行う」こととし、今日、全メンバーに連絡した。

単なる飲み会なんだし、何らかの結論を出す必要もないのだから、先延ばしにしても全く問題がない。

しかし、そんな呑気な話が通じるイベントばかりではない。

センバツ高校野球は、どうやら無観客での開催になりそうな気配だ。

関係者が様子見をして、11日に、どうするかの最終決定をするという。

よほどのことがない限り、中止にはしないだろう。

となると、無観客で開催する公算が高い。

開会式もやらない方向らしい。

あの甲子園に観客がいないとなると、いろんな面での影響が出るのは必至だ。

まず、私のように観戦を楽しみにしている人間からすると、大観衆の歓声や応援団の演技がないのは、物足りなさを感じるのは避けられないと思う。

音響効果というのは想像以上に大きい効果がある。

実況中継のアナウンサーと解説者の語りだけだと、いい場面での高揚感に欠ける。

プレーしている選手にすれば、変な緊張感なしにリラックスできるというのと、片や、気合いが十分に入らないというのに分かれてしまうだろう。

さらに、ビジネスチャンスがなくなって困る、との立場の人も少なくない。

遠方の応援団ならバスをチャーターするのが通例であるが、その需要もなくなる。

何より、球場近くのホテルや旅館など、大会期間中の宿泊客を当てにしていたのに、それが全部消えてしまうのだから、この損失はあまりに痛い。

ほかにも、球場への入場料収入がなくなるのだから、日本高野連には大きな誤算となる。

もっとも、この組織のふところ事情は十分な余裕があるようなので、3億円ぐらいと言われる金額が入ってこなくても、痛くもかゆくもないそうだが。

ところで、観衆が甲子園センバツで使う心づもりにしていたお金は、どうするのだろう?

そのままポケットに入れてしまったのでは、日本経済はますます冷え込んでいくことになる。

甲子園で使ったものだと思って、そのお金をつぎ込んでほしい。



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球児にとってはまぎれもない聖地である
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3月4日(水)

行きつけのスーパーで買い物をしていると、店内放送で、
 「ただいま、マスクの販売をしております。
  1F薬局のレジにて、お一人様一つでお願いします。」
と半ば棒読みのアナウンスがあった。

そのとき、私は食料品売り場にいたのだが、何人かの買い物客が足早に立ち去っていくのが視界に入った。

おそらくは、われ先にと、薬局目指して向かったのだろう。

私の買い物を終えて、たぶん5分ぐらいが経っていただろうか、薬局の前を通りかかった。

すると、男性店員さん3人ほどが行列の最後尾に立って、在庫がなくなったことを他の客に知らせていた。

もう売り切れだ。

まるで瞬間芸ではないか。

なるほど、マスクが品薄になったのは、これは避けられなかったと思う。

何しろ8割以上が中国からの輸入に頼っていたところ、その中国で突然に大量の需要が発生したのだから、日本で絶対数が足らなくなるのは当たり前のこと。

どうしてもマスクが欲しい人は、行列を作るか、ネットで高額のものを買うしか手立てはない。

しかし、トイレットペーパーやティッシュペーパーなどは事情が違う。

国内生産なのだし、しかもメーカーが「在庫はちゃんとあります」と説明しているのだから、あえて余分に買っておいて備蓄に努めなくても済むのに。

使用量もほぼ一定だろうから、メーカーとしても生産計画を立てて、そのとおりに作り、供給していくはず。

マスクのように、お店から姿を消してしまうなんて、通常は起こり得ない。

しかし、先週の末には、このお店でもトイレットペーパーやボックスティッシュ、おむつが店頭からなくなってしまった。

昭和48年のカラ騒ぎと全く同じことをしている。

買いだめした人の大半は、ネットでのデマはウソだと理解しつつも、周囲の人が買い込んでいる光景を見て不安が掻き立てられ、やむにやまれぬ思いから出た行動なのだと、私は信じたい。

私など、自分一人で住んでいるのだから家族のことへの心配はしなくてもいいが、とりわけ小さな子供を持った家庭など、万が一の事態が頭に浮かんでくるのだろう。

SNSで書かれている情報を鵜呑みにしてしまっての軽挙妄動であってほしくはない・・・・・。



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スーパーの開店前の行列で感染する恐れがある
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3月3日(火)

所属団体の定例会議があった。

指定の会議室に行ったら、いつもとは違って広い部屋が用意されていたので、間違えたのかなと思った。

なんでも、隣の人と1.5mのスペースを保つようにしなければならないらしい。

そこで、やけに広い会議室が用意された次第だ。

出席者はスタッフを入れても10人ほど。

意見を交わすとき、あまりに広い部屋だと話がしにくいという感覚を持つのは私だけではあるまい。

コミュニケーションをとりやすくするには、狭い部屋のほうがはるかに向いている。

とはいうものの、密室に多くの人が集まることでの感染リスクは、繰り返し指摘されている。

「1.5mルール」が実際に適用された会議は、私は今日が初めてであったが、これはやむを得ない。

また、マスクの着用も義務付けられた。

持っていない人には、主催者側が用意していたマスクが手渡されたほどである。

学校が休みになり、行政が行っている各種行事が軒並み中止になって、なにやら厳戒態勢を思わせる雰囲気だ。

ただ、これも長くはないという気がする。

実態が解明されていけば対処法も見えてくるし、有効な治療薬が出てくる可能性がある。

いま、中国での様子を見ていると、かなり落ち着いてきていることがわかる。

南京など、2月19日からは新規感染者は一人も出ていない。→ 「新規感染者ゼロの街」

そのかわり、徹底した監視体制を敷いていて、至るところで体温検査をし、市民が少しでも動けば行き先を記録される。

一般市民のプライバシーは全くない。

ファストフードの店でホットドッグを買うのも、店員さんと接触することなく購入するシステムが出来上がっている。

捨てられるものはすべてあきらめて、とにかく新型ウイルスの封じ込めに躍起になっているようだ。

それが功を奏したおかげで、新規の感染者は一人も出ない結果となったと思う。

日本も、まさか南京の真似はできないが、封じ込めに成功すれば、この騒動を克服できるはず。

今は非常事態なのだから、ある程度の自由が制限されるのは我慢すべきだと思うが。

うまく行けば3月中には峠を越えて、GW前に終息宣言ができる、というのが私の描いている最も理想的な青写真である。

早く、悪夢から目をさましたい。



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イヤな夢を見た後は気持ちは良くない
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3月2日(月)

イタリアンのレストランでお昼を食べた。

別に深い考えがあったのではない。

見るもの聞くものに何かと閉塞感を感じていて、少しは気晴らしをしたいためという単純な動機からである。

自粛を迫られるようなムードが漂っていて、その重苦しさから逃げ出したかった。

それに、ピロリ菌駆除の薬も飲み終わって一区切りついた、というのもあって、ぶらっと寄ってみた。

散歩コースの途中にある商業ビルの中に入っているお店である。

ビルの3階というハンディがあり、なおかつ、他のテナントは郵便局、保険代理店、薬局、スポーツジムなど、およそグルメとは異質なお店である。

そういった点での興味もあった。

11時半に店に入ったら、私以外は2組しか来ていなかった。

30近くのテーブルがあるので、空席が目立つのはやむを得ない。

パスタがメインで、あとビュッフェ形式で、サラダ、フォッカチャ、ドリンクを飲めるようになっている。

とりわけ秀逸であったのはフォッカチャであって、小さく切られていることもあり、何回もおかわりをさせてもらった。

パスタはお決まりのカルボナーラを頼んだ。

正午が近づいてくると、来店客も徐々に増えてくる。

中には、私と似た年齢層の男性一人という例があったが、ほとんどはシルバー層の夫婦である。

ひと組だけ、孫とおぼしき小学生二人を連れていた老夫婦がいた。

学校が休みになったのをいいことに、祖父母が連れ出したのではないかと思う。

正午を回ると、女性同士とか若い営業員とか、年代層が一転して若くなった。

テーブル3つ隣の高齢男性が、パスタをズルズルとすすりながら食べていたのが不快であったが、ほかはすべて合格圏内の店である。

あと2回来て問題がなければ、この店のリピーターになる。



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”炒飯”(チャーハン)を「イタメシ」と読んだ女子高生がいた
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声なき声

Author:声なき声

昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、北摂のマンションに在住。   

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