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2月29日(土)

今年はうるう年なので、2月は29日まである。

400年の間に97回、うるう年はやってくる。

以前に勤務していた会社のエライさんで大の酒好きがいて、
「うるう年は楽しみだ」
と言うのである。

そのワケを訊ねてみると、
「1日余分にあるから、いつもの年より1日分、余計に酒が飲めるから」
と機嫌よく答えてくれた。

それを聞いて、まさにポジティブ思考そのものだと、心の中で納得したことをいまだに覚えている。

私など、逆にうるう年は損をしている、と思っていた。

というのは、勤務先ではあらかじめ年間休日の日数が決まっていて、それに帳尻を合わせて土曜日の休日やお盆、お正月の休みを決める手順を踏んでいる。

つまり、うるう年だと、1日分は多めに出勤しなければならなくなる。

短絡的に「これは損だ」と思っていたから、そのお酒大好きオジサンとは真逆のネガティブ思考であったことになる。

うるう年は全国民に平等に訪れるが、考え方次第で得と感じるか損だと思うか、大きく分かれてくるから奇妙なものだ。

ところで、このうるう年の計算方法は、日本の法律では”皇紀”に基づくと定められている。

明治時代にできた法令だが、
「皇紀、すなわち神武天皇がご即位になった年を4で割って、それが余りなしで割り切れる年がうるう年である」
となっている。

補足があって、
「皇紀年数から660を引いたときに100で割り切れる年で、同時に100で割ったときの数字が4で割り切れない年は平年とする。」
と続いている。

結局は、西暦での計算方法と同じ結果になるのだが、気骨のあった明治人は、西洋のマネをするのではなく、日本独自の形でやりたいと考えていたのであろう。

見方によってはこじつけともとれるが、欧米に追い付け追い越せのスピリットにあふれていた意気込みが伝わってくるではないか。

そんな明治の人が、トイレペーパーやティッシュをわれ先にと買いに走っている姿を見たら、どう言うだろう?

明治人から寄せられるコメントを聞いてみたいものだ。



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今日で1年の6分の1が終わってしまう
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2月28日(金)

週1回のお楽しみであるスーパー銭湯に行ってきた。

駐車場もロッカーも風呂も、かなり空いていた。

常連と見られる人同士も、
「今日は少ないな」
の会話が飛び交っている。

ということは、単に平日だから空いているというワケではないということだ。

順番を気にせずに好きな浴槽を使えるのはありがたいが、私の気分は晴れないものがある。

客が少ない理由は、言うまでもなく新型コロナウイルスのせいであろう。

サウナなどは”密室”だし、人気メニューだから多くの人が入る。

感染の恐れは否定できない。

世間でも、学校の休校要請が出たことでもって、ますます危機感が高まった。

こんな社会不安が起こると、必ずと言っていいほどデマが流れる。

今回は「お湯」がそうであった。

ちょっと考えれば事実無根だとわかりそうなものだが、ネットを通じて全国津々浦々に広がっていったから呆れる。

また、ある地域など、「トイレットペーパーの在庫がなくなる」とのデマで、実際に店頭から姿を消してしまったらしい。

なんでも、
「マスクとトイレットペーパーは原料が同じなので、マスクの生産強化が始まると、次は紙製品が無くなる」
といったまことしやかな説明まで書かれてあったそうだ。

昭和48年の石油危機でのトイレットペーパー買い占めの騒ぎを見ていた人間からすれば、まさにデジャビュそのものである。

まなじりを決してトイレットペーパーを買いに走っている姿を思い浮かべると、不謹慎ながら、笑いを禁じ得ない。

新型コロナウイルスの正体ははっきりしていないが、不必要に不安を煽ることは避けるべきだ。

同じ感染症でも、マラリアなんて、全世界で何億人かが感染し、毎年、40万人とか50万人とも言われるおびただしい数の人が亡くなっている。

人類全体の観点で考えれば、マラリアへの対処法に知恵を絞るのが筋のはずだが。



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近くの小学校が急きょ終業式となった
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2月27日(木)

いつも行くスーパーで、手を洗った後に乾かそうと思いハンドドライヤーに手をかざしたのに、ウンともスンとも言わない。

見ると貼り紙がしてあって、
「感染症予防のために電源を落としております」
といった意味のことが書かれていた。

私の持っていた常識では、逆にハンドドライヤーのほうが清潔だから、この騒ぎのさなかにあって存在感を発揮しているはず、と感じていたのだが。

ネットで調べてみると、私の先入観を木っ端みじんに打ち消すデータがたっぷりと出てきた。

読んでいて、驚いたと同時にこわくなってきた。

どうやら、ハンドドライヤーは細菌をまき散らす元凶のようだ。

手を洗う前に比べて、余計に菌が増えるらしい。

それなら洗わないほうが、細菌対策としては良かったということになる。

ドライヤーの中の空間が温かいため、細菌が棲みつくのにちょうど適した環境になる、とのこと。

だから、温風が出るノズルの周辺は、細菌がウヨウヨと充満しているという。

そうなると、まるで手に細菌を繁殖させるためにドライヤーで乾かしている結果になる。

おまけに強い風が吹くので、周囲にも細菌をまき散らすというから、これはあまりにタチが悪い。

こういう事実を知ってしまったら、ほかの施設であってもハンドドライヤーを使うことに抵抗を感じてならない。

最も理想的なのは、私のイメージの中ではペーパータオル式のものである。

自分で拭いた後はごみとして捨てるのだから、環境問題の視点から見ると問題はあるだろうが、衛生面では安心できる。

そして、どうしても使いたくないのは、タオルをぶら下げているだけ、というもの。

最近はほとんど見かけなくなったが、誰が拭いたかわからないし、しかも濡れたままのタオルだと、細菌云々よりも生理的に受け付けない。

いずれにせよ、この騒動が一段落するまでは、自分のハンカチで拭くようにするつもりだ。

もちろん、私のハンカチの衛生状態というのはほめられたものではないだろうが、自分のものだと思うとあきらめもつく。

図書館で借りてきた本も実際にはいろんな菌がついていると思うが、そういうことを言い出すとキリがない。(汗)



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温風が出るときの音も結構大きい
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2月26日(水)

新型ウイルスは、まだまだ終息の様子を見せない。

それどころか、毎日、感染者数は増えていくばかりである。

専門家の話によると、「立食パーティーや飲み会にはなるべく行かない」ということだが、もちろんそのとおりだ。

何の反論もできない。

なら、冠婚葬祭の場合はどうなんだろう。

とりわけ、結婚式や披露宴に早くから招待されている人など、今さら出席を見合わせるなんて言い出しにくい。

立場を変えて新郎新婦の側に立ったら、より判断に迷うところだ。

案内状を送っているゲストたちに対しては、事情は承知であっても、礼儀上、個別に説明とお詫びをしなければならない。

さらに、披露宴出席の前提でお祝いまで頂戴していたとしたら、これは複雑な話になる。

まさか披露宴相当分の金額だけを返却するというわけにもいかないし、それ以前に、おめでたい場面で「返す」なんて行為は慎むのが世間では常識だろう。

ある意味、それ以上に恐ろしいのは、式場や会場をキャンセルしたら、少なからぬキャンセル料を負担する必要がある、ということ。

中には、「キャンセル時には全額を支払う」との契約になっている会場もあるらしい。

これなんて、披露宴をやろうがやるまいが同じ費用がかかるのだから、頭が痛いどころの騒ぎではない。

それは特別なケースだとしても、挙式ひと月前のタイミングであればおよそ40~50%が相場のようだ。

延期するにしても、人気の式場であれば予定が詰まっていて、あるいは1年以上も待たされるかもしれない。

仮に延期するにしても料金がかかるから、金銭の負担のことを考えると、長い期間があれば相当の高額になる覚悟が必要だ。

もし私がご招待を受けた側であれば、出席させてもらうつもりだ。

行ってみて、新郎新婦がマスクをして座っていたら、それは普通ではなかなか得難い経験になる。

しかし主催者の立ち場となると、おカネの話を別にしても万が一の事態を考えて躊躇してしまう。

こんな話題を書いたのは、私、実は「3月頃に」と約束していた飲み会を控えているからである。

そろそろ日程の調整をしなければならないのだが、時期が時期だけにずっと様子見を続けている。

昨年に同窓会を企画した実行委員会のメンバー6人が集まる話が、昨年の暮れに出ていた。

特段、何の目的もなく、気の合うもの同士が集まって飲んで食べてしゃべるだけの集まりである。

”不要不急”の集まりそのものだ。

今の騒動も「この1、2週間が瀬戸際」だと聞いているので、せめて1週間はアクションを起こすことなく、待っていようと考えている。

お騒がせなウイルスだ。



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結婚式は皆の祝福を受ける晴れの舞台だ
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2月25日(火)

またまた病気ネタで恐縮である。

右手の親指と人差し指にほんのちょっとの傷ができた。

原因は、直接にはカボチャのから種を取り出そうとして黙々と剥いているうちに、皮膚に切れ目ができたところにある。

もとより、しもやけ状態であったところに、不自然な圧が加わったものだから、皮膚の一部が切れたのだと思う。

極めて些細な傷なのであるが、思いのほか痛いのだ。

何もしないときはどうということはないのだが、モノをつかんだりして力を入れると、うめき声が出そうなほどの痛みが走る。

ボタンを留める、ジッパーをつまむ、ズボンにベルトを通す、カプセル錠を開封する、包丁で野菜を切る、納豆をかきまぜるなど、日常的なことが苦痛なのだ。

パソコンでの文字入力には支障がないので、この点は救われた。

昨晩から簡易絆創膏を貼っているが、これでかなり楽である。

ただし、入浴はもじめ、外出から帰ってきて手を洗ったり、食器の洗いものをするときには絆創膏が邪魔になる。

あちらが立てばこちらが立たずとはよく言ったものだ。

医療機関に行くほどのケガでもなんでもないが、生活の上では不便なことこの上ない。

右利きの人間にとっては、右手の親指を自由に使えなくなるのは活動が大いに制限されることになる。

今日”25日”に親指のことで悩むのだから、もしや、語呂合わせで親不孝をしたバチが今になって当たったもかもしれないと、思ったりもした(汗)。

とはいえ1週間もすれば治るはずだから、深刻な問題にはならないであろう。

カボチャの種は、しばらくは市販のものを買うつもりである。



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白魚のような指なのに目を覆わしむる惨状だ
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2月24日(月)

今日から胃の中のピロリ菌の除菌に取り組む。

といっても、朝食と夕食の後に、所定の抗生物質を飲むだけのことであるが。

これを1週間続ける。

そして、5月以降に除菌できたかどうかの検査を受けることになっている。

かかりつけ医の話だと、
「最近は一次除菌で90%以上の成功率です」
とのこと。

しかし、それを聞いて、なんだか拘束されるような気がして気持ちが萎縮した。

90%といえば、ほぼすべてということになる。

なのに、もし私が除菌に成功しなければ、致命的に自信喪失につながってしまうからだ。

実はピロリ菌除菌を決めたとき、何としても一次で駆除したいと考え、事前のウォーミングアップにも力を入れることにした。

まずは、誰もが思いつく定番的手法だが、ヨーグルトのLG-21を一日2個ずつ摂った。

あわせて、純ココアがいいと聞き、こちらも気が向いたときに飲むことにした。

WEB情報によると、ココアは鉄分が豊富で、しかもピロリ菌駆除にも寄与するとのこと。

私が現在抱える二つの課題の解決のために、同時に働くというのだから、一粒で二度おいしいではないかと、飛びついた。

市販のインスタントココアは砂糖たっぷりということもあり、あえて純ココアにした。

甘いココアを飲みたいときは、ハチミツを入れている。

ヨーグルトとココアという援軍によって、除菌が成功するように願っている。

ちなみに、ピロリ菌が発見されたのは1983年というから、そんな古い話ではない。

昔は、胃潰瘍や胃炎になるのはストレスが原因だとされていた。

「ひとかどの経営者というのは、一度や二度は胃に穴を開けているものだ」などの言葉を、私は聞いたことがある。

しかし、実際にはピロリ菌が胃を荒らしていたのであり、ストレスは直接の犯人ではなかったのだ。

事実を知ることで、起こっている問題に対しても適切に対処が可能になる。

人々を不安に陥れている新型ウイルスにしたって、解明が進んでいけば人心は落ち着きを取り戻すと思う。

当市では、例年、市が主催している小学生野球大会が今年は中止になった。

常軌を逸しているとしか思えない。



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純ココアは嗜好品として除菌後も飲み続けたい
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2月23日(日)

朝から、息子がお世話になっていた少年野球部の総会と卒部式に出ていた。

後に食事会もあったので、ほぼ一日仕事になる。

しかし、中身は濃くて充実していた。

この野球部は、もう20年以上前に息子が所属していた小学生チームである。

チーム結成当初は連戦連敗で、この先どうなることかと思っていたが、秋ごろからは試合に勝つこともあって、それが親も子供も野球に傾倒するきっかけになったと思う。

息子も中学高校と野球を続けるに至ったのは、小学校でのそんな達成感を味わっていたからに違いない。

私も息子が野球部を卒業してからは、審判や抽選会、開会式などのお手伝いに寄せていただいていたが、当然のことながら、年々、声がかかる回数は少なくなる。

いまや、チームのWEBの更新と、この総会の議長をすることぐらいしか、お役に立てる機会がなくなってきた。

私のスタンスとしては、お声さえかかればよほどの予定がない限りはお手伝いをさせてもらおうと考えている。

こちらから積極的にチームの運営や練習方針などに関して口をはさむ意向は全くない。

あくまでも、自分の力でお役に立てる部分だけの応援をさせてもらう考えでいる。

だから、もし必要がないのであれば、いつでもすんなりと身を引くつもりである。

執着心は全くない。

そもそも、こだわったところで何の得にもならない。

極論を言えば、私は現役部員たちのユニフォーム姿を見て、そこに息子の残像を感じ取ることができれば、それで十分に満足できるのである。

「一期一会」は茶道から生まれた言葉だと聞いているが、いつでも去っていける覚悟のある私には、その言葉の持つ意味がわかるような気がする。

もしかして今年で総会議長も最後かもしれない、と思うと、その瞬間瞬間がかけがえのないもののように思えてくるのだ。

いつまでお役に立てるかわからないが、呼ばれる限りは誠意をもって尽くしていきたいと考えている。



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毎年のことであるが、何回見ても感慨深いものがある
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2月22日(土)

朝の9時過ぎ頃から、当地に雨が降り始めた。

昼間の時間帯に雨が降るのは久しぶりのような気がする。

もちろん青い空が広がっているほうがうれしいに決まっているが、雨も適度には降らなくてはいろいろと困ることも起こる。

雨の中で出かけていくときには、傘と、そしてシューズカバーは私には必須のアイテムである。

傘は、折り畳みと普通の長さの柄の2種類を持っていて、一般的な長さの傘については、仕事を辞めてからは100均で買っている。

会社勤めのときは、他社を訪問する際には体面の問題もあって、それなりの傘を用意していた。

しかし、仕事と無関係になると、そういった体裁をつくろう必要がない。

それに、傘というのは消耗品である。

大事に使っていても、骨が折れてしまったら使いものにならない。

私が子供のころは、そんな傘を修繕して使っている人も多かった。

傘の修繕を仕事にして営業活動に回っている場面も見たことがある。

しかし、いまどきそんな話は聞かなくなった。

100均に行けば、ビニール傘が簡単に手に入る。

修理に出すよりも安価でスピーディーに新しい傘が手に入る。

ビニール傘も1年ぐらいならちゃんと使える。

コストだけを考えるならば、100均で買うほうがはるかに得ではないか。

もう一つ、シューズカバーである。

雨ともなれば靴を保護するシューズカバーが出番なのであるが、今日は思いも寄らない誤算があった。

なんと、留め具のボタンが取れてしまっているのだ。

履けないことはない。

歩けることも歩けるのであるが、締まりがないのある。

歩くたびにそこそこの音がするし、まるで靴を引きずっているような感覚があるのだ。

いくらなんでも、これで外を歩くのは気が引ける。

これも傘と同じで、メーカーに問い合わせれば修理をすることは可能だろうが、修理代がどれだけかかるかわからない。

おそらく、新品を買うほうが安価なのではないか。

デフレ社会にどっぷりつかった現代人は、モノを大切にするという考え方にはなじまなくなってきたようだ。

ところで、今日は2月22日で”2”が並んだ。

西暦2020年も合わせると、4つもそろうことになる。

何かいいことがあるかなと期待していたが、見事に肩透かしを食らった(汗)。



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ボタンがとれてしまって使いものにならない
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2月21日(金)

散歩から帰ってきたら、マンションの玄関の前で管理組合の役員をしている女性に会った。

手に持っている手提げ袋からは、サボテンが顔を見せている。

私が怪訝な顔をしたのを見て取ったからか、彼女のほうからサボテンの意味を説明し始めた。

要は、立小便対策である。

マンション前の植え込みのところで、おそらくは向かい側のマンションから出たきたと思われる若い男性3人組の中に、あろうことか立小便をする不届きな者がいたらしい。

彼女は、少なくとも2回は目撃した、という。

最初は部屋の中から見た。

そして、つい先日、たまたま彼女が歩いているときにその現場に出くわしたらしい。

我慢ならず、大きな声で怒鳴ったら、その実行犯は「すみません」と言いながら立ち去っていったが、他の二人は大声で笑ったというから、彼女の怒りは燃え上がった。

放水のターゲットとなっている地点にサボテンを植えることにしたのは、そういった背景があったからだ。

マンション前の植え込みの中に、なぜか何も植えられていないところがあって、そこが目標地点になっている模様。

自分の部屋の真下での事件だけに、彼女にしてみれば憤懣やるかたないのだろう。

怒りの表情をあらわにしながら
「サボテンのトゲが”おチ〇ポ”に刺さったら痛いやろうから、インパクトはあるはず」
と真剣な面持ちで語っていた。

どう相槌を打てばいいのか返す言葉が見つからず、私は戸惑うばかりであった。

戦前生まれの女性は根性が座っていることを、しっかりと確信した。



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軽犯罪とはいえ、立小便はれっきとした法律違反である。
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2月20日(木)

大阪ガスから、ガス警報器の設置のために作業者がやってきた。

先週のガス設備点検のときにすすめられたものである。

この警報器は、ガスだけでなく火災や一酸化炭素も検知するという。

さすがに新型コロナウイルスへの対応はしていない(汗)。

当然だが、ガス漏れや火災予防などをするものではなく、あくまでも微量のガスや一酸化炭素が漏れていた場合に、それを感じ取って音で知らせてくれるという機能を持っている。

大地震や火災などの異変が起こったときに、人間の鼻では感じないレベルのガスや一酸化炭素を検知するところがウリである。

警報音が鳴れば、すぐに私がガス会社なり消防署なりに連絡して対処をお願いする、という手順になる。

もちろん、こういった事態が起こる可能性は、かなり少ないと見ていいだろう。

ただ、もし発生したときにすぐに気がついて対処をすれば、大事に至ることはないのだ。

しかし、外出していたり、音に気がつかなければ意味はないが。

要は、初期の段階で気づけば、被害は最小限で済む。

たとえば、部屋の中で火が出たときに家庭用の消火器ですぐに消せば、その場だけのアクシデントで終わる、というようなものだろう。

だから、高度な機能を期待しているわけではない。

リース料は月400円ということもあって、これなら費用に見合うと判断して設置を決めた、というのも偽らざるところである。

もし月1,000円と言われれば、まず契約していなかった。

月400円だから安心のための保険代として安い金額だと割り切ることもできる。

私と同じような発想でもって契約した家庭は多いのではないか。

この400円という値段設定はすこぶる妥当であったと思う。



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できるだけ役に立たないことを願っている
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2月19日(水)

散歩に出る直前にメールチェックをしたところ、図書館からの着信があった。

予約していた本が貸し出し可能になったことの連絡である。

ちょうど、借りている本が一冊もなくなって手持ちぶさたであっただけに、これは助かった。

読める本がなかったので、広告として郵便受けにポスティングされていた新聞やパンフレットを読んで、なんとか紙に印刷された活字との接触を続けていた昨今である。

活字に飢えていたとまで言っては言い過ぎだが、心にぽっかりと穴があいたような空虚感を味わっていた。

勇んで図書館に向かったのは言うまでもない。

予約棚には、多くの本が並んでいた。

この本の数だけ、まだかまだかとひたすら待ち続けている予約者がいることになる。

また、この棚に並んでいる本にしても、自分を選んでくれた人はどんな人物なのか、好奇心に胸をときめかせているのではないか。

この予約棚はそんな相思相愛のドラマが繰り広げられる華やかな舞台でもあるのだ。

そして、これは私だけの思いなのかもしれないが、引き取り手を待っている本というのは、どことなく私を誘っているかのような妖しい魅力を感じさせる。

隣の芝は青いというが、そんな気持ちなのかもしれない。

だから、いつも予約棚の前では少なからぬ時間を過ごしてしまうのだ。

とりわけ、本のタイトルを眺めていると、私の興味をぐいぐいと惹きつけてやまない。

『喉を鍛えれば健康になる』『投資信託の落とし穴』など、私をそそるに十分である。

書店での立ち読み感覚で中身をちらっと見てみたい衝動に駆られるが、もし借りる予定の人がきたら気まずいので、それは我慢している。

私って、もしかしたら浮気性なのかもしれないとの疑惑が頭をかすめた(汗)。

この手の本のタイトルというのは、出版社が読者の購買意欲を掻き立てるために、あれこれと知恵を絞って編み出すのが通例だと聞いている。

私など、愚かにもその術中にはまっていることとなるが。

ともかく、私にとって図書館は、しばしイマジネーションで遊べる場でもある。



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80日前に予約した柚月裕子さん『あしたの君へ』を借りた
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2月18日(火)

昨晩の7時過ぎのこと、部屋のインターホンが鳴った。

また、どなたかがお福分けの品を持ってきたのかなと思って出てみると、
「〇〇新聞です。
定期購読をお願いできませんでしょうか。」
と、女性が語りかけてきた。

その新聞の勧誘を受けるのはこれで3回目である。

最初は引っ越してきたばかりのタイミングであった。

その際、
「私はニュースはネットで読んでいます。
おカネを払って新聞を読むつもりは全くありません。」
と明確に答えたのだが、その後も懲りることなく続いている。

今回も断ったらすぐに帰ってくれたのだが、そもそも、マンションでの勧誘は禁止のはずであった。

どこかでそんな決めごとがあったはずだ。

しかし「管理規約」にも「細則」にも載っていない。

今朝、マンションの管理人さんに尋ねてみたところ、しばし考えてから、玄関の掲示に書いてあることかと教えてくれた。

いわく、
「みだりに当マンションに立入り、物品販売・勧誘・パンフレットの投函等を行うことは厳禁する。」
と書かれている。

ただ、管理人さんの話では、
「”みだりに”の語句があるから、さりげなく営業活動をするのは構わないこととなる」
というのである。

なるほど、”みだりに”を国語辞書的に解釈すると、「正当な理由なく」となる。

言い換えれば、それなりの理由があればやってもいいことになるのだ。

結局、”みだりに”の一言のせいで、この文章は「勧誘OK」の意味になってしまう。

そういえば法律の条文でも、”みだりに”がいろんな場面で使われている。

いろんな団体や組織でルールを作ったことがあるが、好ましくはないものの、だからといって一律禁止してしまったのでは身動きが取れないというとき、”原則として”の言葉を入れることが多かった。

「原則として、午後7時までに部屋から退出する」などのように。

運用上、遅くなるときは責任者に一言伝えておけば、いつまででも残ることができるようになる。

”みだりに”も”原則として”も、魔法の言葉だ。

ちなみに、当マンションでは、朝刊は契約者の部屋ごとに個別に投函することになっているので、販売店責任者はマンション玄関の鍵を持っている。

だから、夜の時間帯であっても中に入っての勧誘が物理的には可能だ。

これが「正当な理由」とは言いがたいと思うが。



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この看板を掲げていることの意味がよくわからない
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2月17日(月)

月一回のクリニック通いであった。

クリニックに入るなり、待合室の患者の少なさに驚いた。

寒い時期ともなると、感染症の関連もあって待合室は人であふれ返るのが通例だ。

平日の昼間の時間でさえ、どうかすれば座る席がないこともある。

しかし、今日は違う。

5,6人が待っているに過ぎない。

受付で診察券を出したとき、小さな声で、
「今日は少ないようですね」
とスタッフの人に話しかけた。

すると
「最近はずっとこんな感じなんです」
との返事が戻ってきた。

そしてにっこり笑い、
「たぶんあの事が原因だと思うんですけど」
と付け加えた。

彼女の「あの事」が何を指しているのかは、明白である。

私も、たぶんそうだと思う。

いま、外出や集まりに出ることを自粛するムードが出てきた。

天皇陛下お誕生日の一般参賀も見合わせるとか、東京マラソンの一般の部も、どうやらワクをなくしてしまいそうだ。

お気の毒なのは、学生の卒業旅行も続々と中止になっていること。

会社に入ったら海外旅行にも簡単には行けなくなるので、最後の思い出も兼ねて計画していたのに、その夢が潰えてしまうのだから。

このように、不要不急の外出は控えるようにとの注意は、実にさまざまな場面で聞かれる

クリニックに行くのも、”不要不急”の用事なのだろうか?

世間での医療機関を見ていると、どう見ても病人には見えない人の姿もよく見かける。

ほとんどが高齢者だ。

一方的な見方かもしれないが、暇つぶしに来ている人も少なくはないだろう。

医療費が膨大な額にのぼっていることが問題視されて久しい。

しかし、”不要不急”で処方される薬の費用までも、公的に負担しなければならないのか。

とにもかくにも、いろんな問題を投げかけてくるウイルス騒動である。



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武漢発のウイルスは日本経済に大打撃を与えつつある
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2月16日(日)

昨晩、9時過ぎに部屋のインターホンの音がした。

一瞬、条件反射で前理事長かと思ったのだが、さすがにこんな遅い時間に来るはずがない。

おそるおそるドアを開けたら見知らぬ女性の姿があった。

「〇〇〇号室のHです、夜分に申し訳ございません」
と恐縮したような声で語ってくる。

お名前を聞いて思い出したのだが、管理組合の役員の一人で、実は会議にも全く出ず、活動にも参加していない人なのである。

何の用件かなと思っていたら、タッパーを差し出して
「ピールを作りましたのでお持ちしました」
というのだ。

恥ずかしながら”ピール”を知らなかったので、タッパーの中のものをしげしげと見詰めたら、どうやらミカンのたぐいの果物の皮を使った食べものではないかと理解するに至った。

おそらくは、理事会に全然出ていないことへの負い目から発したものだと推測した。

管理組合の役員は1年任期で、順番制になっている。

毎年、全く活動にはノータッチという入居者は、必ずいるらしい。

表立って言ってはいけないが、これは仕方ないことだろう。

本人か配偶者が病気がちだとか、あるいは、会議の場に出るのが苦痛で耐えがたいとか、いろんな事情があるものだから、それはおもんぱかるというのは、おとなの常識だと思う。

ただ、義務とわかっていても何らかの事情で参加できていない人の中には、そのことを過度に気にしていることもあるようだ。

逆に、何とも思わないどころか、理事会活動をバカにしている人もいるが。

だから、陰では、あるいは公然と理事会メンバーの悪口を言いふらしていた例もあったと聞いている。

そんなケースと比較すれば、ピールを持ってきた女性というのは相当に良心的ではないか。

そこで頭を痛めているのが、お返しはどうしたものか、ということ。

まさか、タッパーだけを洗って返しておしまい、というわけには行かない。

かといって、夕張メロンや霜降りの松坂牛を持っていったら、彼女も戸惑うだろう。

バラ売りの饅頭とかお菓子を買って、お礼の品にしようかなと考えている。

誠意には誠意で応えたいと思う。



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ミカンの皮は薬膳の「陳皮」としてよく知られている
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2月15日(土)

学生時代のゼミの同窓会があった。

昨年の11月に、顔ぶれこそ違うが同窓会をやっていて、会場も同じである。

ただ今日の同窓会はもう一つ違った顔を持っていて、同じゼミのメンバーで大学教授をやっていたのが今年度で退官するので、それを記念しての意味合いも持っている点である。

彼は、少なくとも私とは違って学生時代から本気で勉学に取り組んでいたし、勉学のための基礎能力も十分過ぎるほど備えていた。

そんな彼が学問の世界との縁が完全になくなってしまうというのは、言うならば人類全体にとっても大きな損失ではないかと、ひごととながら懸念していた。

その点をストレートに彼に尋ねてみたら
「何年も前からの計画であって、そのための準備を進めてきた。
今は、一冊の本を出版する予定が残っているだけで、それを2年で片づけてから身を引くつもり。」
とのことであった。

そして、笑顔で付け加えたのが、
「趣味が豊富で、やりたいことが一杯あった。
余生はその趣味を大いに充実させていきたい。」
と。

彼らしい発想だと思った。

責任はパーフェクトに遂行した上で、自分の人生を謳歌できるのは、人間としては申し分のない生き方だろう。

そんな道への第一歩を踏み出そうとしている彼を見て、うらやましさと同時にねたましさがわいてきた。

私など、まわりの人間の足手まといにならないように健康寿命を伸ばすことが最大の目標になっている。

趣味を時間の許す限り楽しめるような経済力もないし、社会に貢献できるような営みもできない。

彼とは大違いである。

とはいえ、今の私は時間にはゆとりがあり、贅沢さえしなければ、なんとか食べていけるだけの環境条件はそろっている。

致命的な疾病も、目下のところは指摘されていない。

欲を出せばキリがないのだ。

いま生かされていることに感謝しつつ、自分の身のほどをしっかりとわきまえて、毎日の生活を送っていこいうと、あらためて自分に言い聞かせた。

同窓会は二次会がお開きになった時点で失礼させてもらった。

あの高揚ぶりだと、何次会まで行くことかわからない。

燃焼度の高い集まりであった。



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大学教授の世界には一種独特な空気を感じる私である
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2月14日(金)

散歩に出たついでに、やや小さな食品スーパーに立ち寄った。

バナナを買いたかったからだ。

レジで支払いを済ませたとき、お菓子をを手渡された。

これは何かな、と怪訝な顔をしたら、レジ担当の女性が、
「バレンタインですから」
と、少しだけ笑顔を見せながら口にしたのである。

そう言われて、今日はバレンタインデーであったとハタと気がついた。

店内のポスターを見ると、「先着100名の男性客」限定の形になっている。

このお店は朝の7時から開いており、私が買い物をしたのは8時ごろのことであった。

つまりその1時間をとらえたら、男性客は100人は来なかった計算になる。

駅の目の前にあって、これから通勤する人がコンビニ感覚で、たとえばサンドイッチやおにぎりを買っていきそうな気がしたのだが、そんな客はたくさんはいないようだ。

もらったお菓子は家に持ち帰っておいしくいただいたが、メッセージカードには
「あなたが好きです。
ありがとう。」
と書かれていた。

突っ込むべき性質の話ではないが、相手に対して恋愛感情を表明したときに、
「ありがとう」
とお礼の言葉は言わないと思う。

だから、これはあくまでもお店としての営業トークの一つなのだろう。

もっとも、レジの女性から真剣に愛の告白をされたら、それはそれでややこしいことになる。

年中行事の中でのお遊びだと受け止めるのが無難だ。

もっと斜めに斬り込んでいくなら、お店の営業施策として男性のみにターゲットを絞ってプレゼントキャンペーンをするのは、一種のセクハラになりはしないか。

お店のサービスを受ける権利は、男性だけでなしに女性にも平等に与えられてしかるべきだ・・・・などと言いだすと、ますます殺伐とした空気が立ち込めてくるに違いない。

意識の低い私など、バナナ一房だけしか買わなかった客にも、プレゼントを贈ってくれたというお店には大いに感謝をしている。



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きようの戦利品である
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2月13日(木)

ガス設備調査があり、マンションの部屋に大阪ガスの検査員がやってきた。

かなり以前から告知を受けていたもので、「法令に基づく」と言われると拒否するわけにはいかない。

なんでも、正当な理由なく調査を拒否し続けると、最悪の場合、ガスを止められる恐れがあるとか。

ガスという危険なエネルギーを扱っている以上、定期的に専門家がチェックをするのは、われわれユーザーにとっても安心材料となるのは確かだ。

4年に一度の検査が義務付けられているようだが、そういえば、戸建ての家に住んでいたときも、忘れたころに連絡があって検査を受けたことを思い出す。

一度、ファンヒーターのコードが劣化しているとの指摘を受けたことがあった。

さすがにガス漏れの指摘はなかった。

予告の時刻の10分前に、大阪ガスの検査員が到着。

まだ30代前半と思われる若い男性であった。

個人宅を訪問する担当者らしく、言葉遣いや表情などに好印象が持てる。

ひとり住まいの女性の場合、部屋に入れるのを警戒する人は多いと聞く。

だからこそ、派遣元としても現場に行かせるスタッフの接し方には十分な配慮をしているのだと思う。

私のマンションの部屋に関しては、コンロ、風呂釜、キッチン給湯器の3つが対象となった。

いずれも手際よく見ていって、ものの10分たらずで検査は終了した。

その後、ガス警報器の設置をすすめられ、彼のセールストークとなる。

引っ越してきたとき警報機を注文するのを忘れ、それっきりになっていたので、これは渡りに舟とばかり、お願いをしておいた。

ひと月400円ほどの保険だと思えば安いものだ。

これで、安心してこれからもガスを使うことができる。

もっとも、昨今はガスがもとでの大きな事故というのはほとんど聞かなくなったが。



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「長期不在の場合は元栓を閉めておくほうがいい」とのアドバイスがあった
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2月12日(水)

父親が亡くなったにもかかわらず知らん顔しておいて、こっそり父の年金を受給し続けていた息子が逮捕された、とのニュースがあった。(→ 記事

なんでも、父親が100歳となる日が近づいたので、区役所の職員がお祝いの準備のために家庭を訪問したことから、不正が発覚した、という。

総計1,200万円にも達していたらしいから、相当な金額である。

独自の価値観を持った人間なら、そして、親が家の中で誰にも知られずに亡くなったということであれば、不可能な犯罪ではない。

おそらくはこの息子も、最初のうちは「もしバレたらどうしよう」との警戒心はあったはず。

親戚筋から訊かれたり、あるいは近所の人から父親のことを尋ねられたときの答え方などにも、慎重に慎重を期していたことと思う。

考えられるシチュエーションをできるだけたくさん頭に思い浮かべて、それぞれにシミュレーションをしていったに違いない。

ただ、亡くなってから6年間にもわたって不正受給を繰り返していたのだから、いつしか慣れてしまって、何の不安も疑問も持たなくなったのだろう。

だから、まさか100歳を迎えた高齢者にはお祝いをするという区のイベントがあるなんて、想像もしていなかったことと思う。

いや、うがった考え方をするなら、区役所としては年金受給者の実態調査を兼ねて、「100歳のお祝い」をチェック項目にしているのかもしれない。

この手の犯罪というのは、一見、緻密に仕組まれていたように思えても、年月の経過とともに気の緩みが出てくることが多いものだ。

勤務していた会社の顧問弁護士から聞いた話だが、従業員に会社のおカネを横領されたとの相談があったらしい。

現金出納を担当している社員が、長年にわたり、会社の口座から余分に現金を引き出し、その一部を着服していたとの疑いがあるとのこと。

もちろん、当の本人は「そんなことはない」と全面的に否認している。

そこで弁護士がその社員の個人の預金通帳を調べたところ、なんと、会社口座から引き出した日に自分の口座に多額の振込があるのを発見したのである。

もちろん、当初は自分の口座は使わず、最近になって、会社から引き出した直後に自分の通帳に入れるようになった、という図式だ。

この社員は周到な計画を立てたはずなのに、実につまらないきっかけで犯罪が明るみに出てしまったのである。

年金不正受給にしても、横領にしても、ずっとこの先まで続けてけば、いずれは矛盾が表面化するのは火を見るより明らかだ。

長い目で見れば、犯罪というのは割に合わないものだと知るべきだろう。



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おカネに目がくらんで自ら墓穴を掘った
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2月11日(火)

このところ、私の睡眠のパターンが大きく変わってきた。

大雑把に言えば、未明に目がさめて、再び眠ることができず、そのまま起床してしまうというものである。

その分、夜に早く眠りに就くことができれば帳尻は合うのだが、布団に入ってからも目が冴えてくるような気がして、なかなか眠れないのだ。

極端な例を挙げれば、深夜の1時にトイレで起き、用を済ませて布団に戻っても寝付けず、仕方なしに着替えをしてパソコンに向かう、ってこともあった。

当然、昼間は眠く、テーブルに向かったまま舟をこいでしまうことも少なくない。

しかし、夜の8時半に床に入っても、特に考えごともないのに、頭の中にはいろんな思いがかけめぐるのである。

眠気は完全に吹っ飛んでしまったような感覚にとらわれる。

腹式呼吸を繰り返しても気持ちは落ち着かない。

それどころか、一層、集中力が研ぎ澄まされたような気がしてくる。

1時間ほどそんな状態で悶々としていて、ようやく眠りの世界に入り込んでいけるのだが、またトイレに行きたくなって目がさめると、まだ午後の10時半であった、ということもある。

さすがに、そのときはもう一度眠ることができたのだが。

まさかこれが不眠症というものなのか。

私の年代の男性だと、前立腺肥大のせいてトイレが近くなり、夜中に3回や4回と目がさめるのは珍しくもなんともない。

そんな話は頻繁に耳にする。

だから私だけの特別な症状ではないのだが、昨年の暮れぐらいから、この傾向が顕著になってきた。

今日は、ほんの10分ほどだが、冬の季節には異例の昼寝をしてみた。

これが、私のいびつな睡眠リズムの軌道修正をしてくれればいいのだが。



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20年以上前、入院中に夜と昼が逆転した時期があった。
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2月10日(月)

マンションの部屋から遠くを望むと、空を突き刺すかのような大きなクレーンが3台見える。

私が気づいたのは、昨年の夏ごろのこと。

毎日、自然と目に入るものだから、何を建てるのかにうっすらではあるが興味を持っていた。

今日、散歩ついでにそのクレーンのほうへと歩いていった。

着いたのは、よく行く図書館の方面であった。

マンションを建設していて、令和4年の完成予定だという。

総面積2haで、4つもの棟が建つらしい。

全部で462戸が入るというから、マンションの多い当地にあっても、相当な規模だと思う。

ちなみに、私の住んでいるマンションが切り上げして80戸だから、ざっと6倍のスケールということになる。

一世帯3人家族と考えると、あのマンションには約1,400人の人が居住する計算だ。

ここまでくると、行政上での「町」には達しないものの、巨大なコミュニティーであることは間違いない。

消費力は大きいだろうから、地元のスーパーなどは期待に胸をふくらませているだろう。

また、生徒数が少なくなっている小学校や中学校なども、これで息を吹き返すところがあるのではないか。

2年後には、この地域の様子も大きく変わってしまうはず。

なお、分譲価格は3LDK71平米で3,900万円以上とのこと。

人によっては、新築マンションは宣伝費やモデルルーム建築費などの初期費用がコストに含まれているので、高めの設定になっているからイヤだ、とも言う。

しかし、できたばかりの建築物というのは、理屈抜きに気持ちがいいではないか。

その高級感を得るためのコストだと割り切れば、一概に「高い」とは言えないだろう。

最近は建築中の騒音抑止のためか、建物のまわりはびっしりと覆い隠されていて、外観のイメージをつかむことができない。

もちろん、建築現場に入るのはご法度だから、周囲を一まわりして、新しいマンションの雰囲気をつかもうとするにとどまった。

多くの人が、この新築マンションに夢を託しているのだろう。



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今後も工事の進み具合を見に行くつもり
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2月9日(日)

ほんの少しずつだが、花粉症のきざしがあらわれてきた。

昨晩、会合からの帰り、鼻がムズムズして今にもクシャミが出そうな状態であった。

本格突入にはまだ早いが、花粉症の兆候が出てきたことは確かだと思う。

そこで今日から、外出するときにはマスクをすることにした。

いまやマスクといえば、押しも押されもせぬ貴重品である。

値段が高いどころか、品薄で手に入れるのが困難になっているほどだ。

部屋の中をゴソゴソと探したら、何年か前に100均で買った使い捨てのマスクが4,、5枚、残っていた。

これで、今シーズンを持たせないといけない。

幸いなことに、花粉よけだけが目的だから、さほどの緻密さは要求されない。

また、衛生面への気遣いも必要最小限でいいと思う。

この点が、いまニュースの話題をほぼ独占しているかに見える新コロナウイルスやインフルエンザへの対策とは違っている。

花粉だと粒子が粗いから、マスクの繊維の穴を通りにくい。

実際にマスクをして外に出ると、花粉による症状は目立って控えめになる。

ただ一つ厄介なのは、眼鏡をかけた人間がマスクをすると、そのときの気温次第でレンズが曇ってくるのが避けられない。

この課題についても、すでに対処法は仕入れてある。

ネットで読んだ生活の知恵なのだが、マスクを付けるとき、顔との間にティッシュペーパーを適当な大きさに折って、はさんでおく、というものである。

ティッシュ1枚で眼鏡のレンズが曇るのを防いでくれるのなら、これは有難い話だ。

実際にやってみると、パーフェクトというわけにはいかないが、少なくとも歩行の妨げになるような曇り方はしない。

これはいいことを知った。

今までずっと困ってきた問題を、たちどころに解決してくれて喜ばしい限りである。

眼鏡をかけていれば、同じことで困っている人はさぞ多いことと思う。

この方法を最初に思いついたのは、理系の人なんだろうか。



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物事の解決法というのは実にシンプルなものだ
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2月8日(土)

今晩、ことし最後の新年会に出席する。

”新春懇親会”と銘打って、1時間の国会議員の講演を聴いた後、宴席が始まる。

講演は国際情勢を語るものと題されているが、実のところ、話の内容にはあまり関心はない。

それ以上に、ここだけの話であるが、才色兼備でもって知られた美人議員のリアルな姿を拝見できることに、大きな期待を持っている。

主催者にしても、もしかしたら集客を良くしたいとの思いから、彼女を講師に招いたのではないか、そんな気もする。

これは私の無責任な妄想の話ではあるが、楽しみであることは間違いない。

ところで、今晩の会の参加料は6,000円である。

こういった場合、私は常に、1,000円札を6枚用意しておいて、それを受付で手渡すように心がけている。

というのは、以前に別の団体であるが、3,000円か4,000円の参加料の集まりのとき、受付を命じられたことがあった。

すると、結構、5,000円札や10,000円札を出す人が多くて、お釣りの1,000円札を勘定するのがわずらわしい、という経験をしたことがあった。

これが参加料5,000円というのであれば、1万円札を出されても5,000円札でお釣りを出せば簡単だ。

しかし3,000円となると、私には複雑な計算が必要で手間がかかる。

ストレスもたまってくる。

それがあって以来、この手の会合のときは、お釣りがいらないように、案内状に書かれた参加費どおりの現金を用意するようになった。

だから今日も、1,000円札6枚をそろえたのだが、もしかしたら5,000円札と1,000円札1枚のほうがよかったかな、との迷いもあった。

というのは、6枚もそろうと、受付の人が枚数を確かめるのに、やはり手間がかかるかもしれないし。

ただ、万が一、受付で手持ちの1,000円札の在庫がなくなってしまうほうが、ダメージは大きいだろうから、当初の計画どおり1,000円札6枚で行くことにした。

正解かどうかはわからないが。



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東大卒で外交官出身というから正々堂々のエリートだ
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2月7日(金)

スーパー銭湯に行ってきた。

当地でもこの冬一番の冷え込みと伝えられた今日、温かい風呂は他の季節より増して価値あるものであった。

ただ、気をつけないといけないのはヒートショックである。

毎年、個人の家庭も含めて20,000人近い人が入浴中に突然死しているという。

これは交通事故による死亡者数をはるかに上回っている。

このスーパー銭湯でも、私自身、過去に2回、救急車で運ばれている現場を見かけたことがあるほどだ。

たぶん、最悪の事態には至っていなかったと思うが。

とにもかくにも、冬のお風呂はこわい。

だから私は、冬場は建物の中の風呂で体をしっかりと温めてから露天風呂に入るようにしている。

なお、もし個人宅のお風呂で倒れ、不幸にして亡くなってしまった場合、医師が死亡診断書を出せば、これは事故物件の扱いは受けなくて済むらしい。

これが、死後何日かして発見されて、死亡日時が特定できないという場合は、死体検案書が発行される、とのこと。

この場合は事故物件となるようだ。

スーパー銭湯でもし入湯客が倒れても、まわりには見ている人がたくさんいるのだから、お店のスタッフが救急車を呼びさえすれば、万が一、命を落とすことがあって事故物件になることはない。

確かに、こういう事例までも事故物件などとして処理していけば、お店の営業ができなくなってくるだろう。

法律は実情を尊重しながら適用されるようになっているようだ。

知人の不動産仲介業をやっている人から教えてもらった。

猛暑の熱中症はいろんな場面で注意喚起がなされているが、冬場のヒートショックについては意識があまり高くない。

もちろん銭湯側にしてみれば、必要以上に危険性をアピールしていけば、客足が遠のいていくことになるから、自分で自分の首を絞めるような愚行はしないだろうが。

今日は久しぶりに平日に行ったが、当然ながらかなりすいていた。

また小学生がいないためか、静かであった。

おかげで心ゆくまでリラックスさせてもらった。



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寒いときほどお風呂は要注意だ
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2月6日(木)

私の特技の一つに、忘れものがある。

物を失くすというのも、そのジャンルに含まれる。

ほぼ1年中、何らかの形で探しものをしているのだ。

今朝は、散歩に出て、スマホを家に忘れてきたことに気がついた。

散歩でスマホが必要とされるのは、他の人からの電話やメールを受けるためというよりも、ズバリ、歩数計機能である。

どれだけ歩いたかを明確に数字で刻み込んでおきたいので、スマホの歩数計は出かけるときの必須アイテムだと言ってよかろう。

夜、就寝前に歩数計を見て、15,000歩を超えていることを確認し、満足感を得ながら眠りにつくのが私の大きな楽しみである。

だから、実際に歩いた歩数や距離がどれだけであったかとは別次元で、スマホの歩数計に刻印されている歩数は私には重要な意味を見出しているのだ。

歩数が具体的に表示されているからこそ、それを見て充実感や達成感がわいてくるのである。

その肝心かなめのスマホを忘れてきたとあっては、失望落胆の底深さは言語に絶するものがある・・・・とまで言うと大げさだが、応援しているスポーツチームが負けた以上の絶望感は禁じ得ない。

もちろん、私の発想が本末転倒であり、論理性に欠けていることは百も承知だ。

現実に歩いた歩数が確かであれば、それが記録に残されていなくても何ら問題はない。

しかしこれは頭ではわかっていても、私の感覚の世界では通用しない話なのである。

スマホに表されている歩数こそが、私には大切な情報であるからだ。

”病気”なのだろうか。

別段、スマホの歩数の数字を集計して統計をとっているわけでもない。

気が向いたときに、振り返って何日か前までさかのぼって数字を眺めることがあるぐらいのこと。

なのに、なぜそこまでこだわるのか、自分でもわからない。

いっそスマホをやめて、スマートウォッチにしてもいいかもしれない。

そうすれば、血圧や心拍数なども見ることができる。

ただ、腕時計となると、私の場合はつけるのを忘れてしまう確率がより高くなる(汗)。

結局、スマホで歩数を見るのが確かだ、ということだ。

しかし、私もつまらぬことにこだわるものだ。


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15,000歩には達しなかった


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2月5日(水)

先日受けた内視鏡検査で、組織検査をした部分の結果を聞きにいった。

気になっていた胃の陥没部であるが、良性のもので心配は要らないとのこと。

そして、ピロリ菌感染が確認された。

ピロリ菌についてはかなり以前にも検査をしていて、陽性であることはわかっていたが、今回の検査結果でダメ押しされた。

おそらくは、このピロリ菌が慢性胃炎の直接の原因となっているのだろう。

ただ、慢性胃炎だからといって自覚的な症状は全くない。

いま抱えている鉄分不足の問題と同じで、いわば痛くもかゆくもないのだ。

それだけに、知らない間に状態が取り返しのつかないレベルにまで悪化してしまうのがこわい。

この際、ピロリ菌駆除のための除菌治療に取り組むことに決めた。

治療といっても、1週間、自宅で朝と晩に薬を飲むだけのことだが、飲酒もできるだけ避けたほうがいいらしい。

スケジュールを見てみると、2月23日の会合を最後に、当面は飲酒が考えられる場面は予定に入っていない。

少し先かもしれないが、2月24日から薬の服用を始めることにした。

医師も、「その計画で問題ない」とのことで安心した。

医師の言葉はさらに続いた。

そして1週間にわたって薬を飲み続けた後、除菌に成功したかどうかの判定は、「3か月後に行う」と言われた。

事前にネットで調べた話では、「1か月後」というのが大半であったのだが、これまたエラく長いインタバルをとるものだ。

もちろん、その医師のとっている手法なのだから、異議を申し立てることはできないが。

もし除菌がうまくできていなければ、今度は薬の種類を変えて再び除菌治療をするとのこと。

このときはアルコールは完全にご法度である。

そしてもし2回目の治療でも除菌に失敗したならば、次は3回目となるが、そうなると保険も効かないし、そのときに使う薬の安全性についても完全には証明されていないというから、これは何としても避けたい。

一発合格するためにも、1週間は完全禁酒で臨むつもりだ。

およそ半年をかけてのプロジェクトが始まろうとしている。

もちろん人生トータルの長さから見れば、ほんのひとときのことに過ぎないが。



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除菌薬だけでなしに整腸剤も一緒に出された
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2月4日(火)

所属団体での定例会議があった。

始まる前に所定の部屋に入ったところ、その場に漂っている空気が重たく感じた。

ワケを尋ねると、この団体とも関連の深い人の息子さんが交通事故で亡くなったらしい。

事件の起こったのは、昨日の夕方。

バイクに乗っていて、自動車と衝突したようだ。

問題は、クルマの運転手がバイクに接触してからそのまま走り去り、30分後に現場に戻ってきたところを逮捕された、という点。

”hit and run”(ひき逃げ)の容疑が著しく濃厚なのだ。

乗用車の運転手は、こういったシチュエーションでよく使われるフレーズだが、
「人をはねたとは思わなかった」
と弁明しているらしい。

もし人をはねたことを認識していて、そのまま走行を続けたのであれば、これは弁解の余地なく”hit and run”となり、刑事罰を受けるのは必至だ。

そこで、わかっていたとしても白を切るしかないのだろう。

ナンセンスを承知で仮定の話を述べるなら、もしぶつかった直後に相手の救護をすべく処置をし、警察にも事故報告をちゃんとやっておけば、刑事責任が問われるにしても情状酌量の可能性はあっただろう。

しかし、たとえ30分とはいえ現場を通り過ぎてから戻ってきたとあっては、世間は「逃げた」と受け止めるのが常識だ。

勘ぐれば、バイクにぶつけてしまい、あわてて逃走を図ったものの、通行人もたくさんいたし、防犯カメラも動いていたから逃げおおせないと判断して舞い戻ってきた、とも考えられる。

ご遺族にしてみれば、憤懣やるかたないといったところだろう。

失われた命は元には返らないにしても、クルマの運転手の「30分」は事態をより紛糾させたことは間違いない。

立春の日から、嫌なニュースを耳にしたものだ。


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2月3日(月)

毎年、節分には、ここと決めた神社でお祓いを受けることになっている。

今まで、夜の時間帯に参っていたのだが、今日、WEBを見ていると、朝と昼にも祈祷を行っている時間帯があることを知った。

夜行性でない私なので、今日は午後一番の時間帯を目指して足を運んだ。

さすがに昼間となると参拝者も少ない。

夜であれば、祈祷のときも部屋の中に善男善女が目いっぱいに入れられるのだが、今日祈祷を受けたときなど、10人程度の人しかいなかった。

つまらぬ考えであるが、同じように祈祷料を支払いながら、昼のほうが密度が高くなるので、得したような気がする(汗)。

ちなみに、この神社では祈祷料は5,000円と定められている。

もちろん、日本全国のそれぞれの神社が独自に価格を設定しているのだが、おおよそ5,000円というのが相場ではないか。

中には、3,000円とかあるいは10,000円のプライスをつけているところもある。

つまるところ、宮司さんのさじ加減にかかっているのだろう。

例外的に、下は3.000円から上は50,000円まで幾つかのランク分けがしてあって、参拝者が自分で選ぶシステムのところもあるらしい。

料理のメニューで、”松竹梅”とランクが付けられているものがあるが、これと似ている。

受けられるご利益はどれであっても同じだろうから、ではどんな差別化をしているのか私には想像がつかない。

参拝者同士で、「私は3.000円なのに、あの人は50,000円」などとわかった場合、気まずいはしないだろうか。

もし見知った間柄であれば、その後の人間関係にも微妙な影響を及ぼしかねない。

無用な疑心暗鬼を招かないためにも、祈祷料は一本に決めておくのが無難だ。

私がそんなことを考えても、だからといって事態が変わるわけではないが。

奇妙なぐらいに暖かい今年の節分は、すこぶる心地よかった。



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駐車したコンビニでスイーツを買った
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2月2日(日)

会合があるので、大阪市内まで出かけた。

地下鉄に乗って目的地まで行ったのだが、コロナウイルスの日本人感染者も乗ったという電車である。

穏やかならぬ気持ちで乗り込んだものの、他の乗客の様子を見る限りウイルスを懸念している空気は全く感じられない。

マスクをしている人の比率も、私の居住地の近辺とさほど変わらない。

いつもの日常が地下鉄の中でも展開していたにすぎない。

世の中のものごとというのは、万事、こういったもので、ニュースなどで騒がれているほどには混乱は起こっていないものである。

とはいえ、リスクが潜んでいることは確かだし、油断は禁物だ。

今日は予定が終わればすぐに帰宅するつもりで家を出た。

毎年、この会合では会議が始まる前に集まって、昼食を摂ることとなっている。

あまり知名度の高くないホテルとはいえ、一応はホテルの食堂で提供されている弁当であり、おそらくはそれ相応の値段がするのだろう。

味は決して特上とは言えないが、タダで食べられるご飯だから、私はひたすらうれしかった(汗)。

会議は、この団体が4月に開く総会の資料の承認のためのものであった。

議題とは関係がないのだが、若い参加者から会員拡大の一つの手法として、WEBサイトを開きたいとの要望があり、すでにアウトラインはできている、とのこと。

簡単な紹介のデモを見せてもらったのだが、私はスタートはこれで十分だと思った。

ただ、参加者の総数30名のうち、65歳以上の10人については、たぶん意味がチンプンカンプンであったのだろう。

浮かぬ顔をしている人が多かった。

ちなみに、その10年のうちでは最年少が私であったのだが。

そのWEBサイトを作るには、費用はかからない。

しかも、共同で作成することを前提に作られているので、仮に提案者が多忙になってもバトンタッチは簡単にできる。

少なくとも、正面切って反対する理由は見当たらないと思っていたのだが、なぜか高齢者群からの反応は鈍い。

要はわからないのだろう。

重苦しい沈黙が続くのを避けたいと思って、私からあえて発言をした。

ポイントは、「昨今のトレンドから見ても団体としてのWEBを持つのは常識になっていて、会として負担すべき費用負担もないというのなら、彼に一任しても何の問題もないではないか」といった意味のことを簡潔に言った。

それがあってかどうか、進行役をしていたリーダーから、「承認」の一言があって、この案件も前向きに進めることになったのである。

欲を言えば、事前に提案者からリーダーに趣旨を説明しておけば円滑に進んだのだが。

老害とまでは言わないが、若い人の自由な発想の芽を摘んでいる高齢者は、少なからずいるのではないか。

私も、大いに自戒した次第だ。



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大昔から老人と若者のぶつかり合いはあったらしい
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2月1日(土)

世はコロナウイルスへの恐怖に満ち満ちているかの感がある。

そしてインフルエンザも、米国では現時点で8,000人を超す死者を出すに至るなど、地球のいろんなところで感染症が荒れ狂っていて、まるで世紀末の様相を呈している。

そのレベルから行くとかなり卑小な話であるが、私はそろそろ花粉症が始まるのではないかと、心の中でさざ波が立ってきた。

なんでも専門家の話によると、今年は冬が暖かいために、花粉が飛ぶのも例年より早くなるとの予測のようだ。

そこで、今日から予防に向けての対策に乗り出すことにした。

去年の春は目薬の”パタノール”のおかげで、目のかゆみが出なかっただけでなく、どういうわけか鼻の炎症も起こらなかった。

クシャミも鼻水もないのがこんなに楽なものか、経験した人間でないと理解ができないだろう。

春という季節がこんなに快適なものなのかということを、何十年ぶりかで全身全霊で満喫させてもらったものである。

なお、目のアレルギーを抑えるための”パタノール”が鼻にも効能を発揮するかどうかは、処方元のクリニックでも、親先生と若先生との間でお考えが違っていた。

親先生は「アレルギーを抑えるメカニズムは、目でも鼻でも同じです」であったが、若先生は首を傾げながら「これは目の点眼薬なのですが・・・」と納得の行かない顔をされていた。

どちらであっても、症状に苦しんでいる患者にとっては、楽にさえなればいいのである。

あまり」気にしないことにしている。

さて、目薬はあとひとつ、すでに以前から白内障治療薬をさしている。

いずれも、一日4回の点眼という指示である。

しかも、両者を同時に差してはいけない。

少なくとも5分は間隔を開けなければならない。

これはこれで、結構、厄介な作業なのである。

しかし自分の健康のためだから、避けて通るわけにはいかない。

花粉症で命を落とすことはないものの、快適な日々を過ごすためには自らが環境を整えるしかないのだ。



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40年ほど前は”花粉病”と呼ばれていた
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声なき声

Author:声なき声

昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、北摂のマンションに在住。   

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