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1月31日(金)

昨晩の新年会のとき、隣に座った人が話していたが、チューハイを飲んで倒れ、救急車で病院に担ぎ込まれたことがある、と。

上司から飲みに誘われてビールを飲んでいたという。

もとよりあまりアルコールには強くなく、また好きでもなかったものの、金曜日の晩という解放感も手伝ってか、いつもより早いピッチで飲んでいた。

あるタイミングで、上司がすすめるままにチューハイを口にして、ビールを飲むのと同じ調子で飲んだらしい。

そしてトイレに行きたくなって、ドアを開けたところ、そのまま倒れてしまったのである。

彼がなかなか戻ってこないのを不審に思って、上司がトイレをのぞき、倒れている彼の姿を見てあわてて救急車を呼んだ、といういきさつである。

チューハイを飲んだ量はわずかで、おそらく一缶の半分もなかったとの感触だが、思いのほか効いたのだ。

無事に回復したから良かったようなものの、家族の人にしてみれば、さぞ驚いたに違いない。

そこで思い出したのだが、昨今、ストロング系チューハイが何かと話題になっている。

アルコール分”9%”を誇らしげに謳ったチューハイまで出ている。

税法のからみで、10%未満に抑えることで税負担が少なくするためのメーカー側の作戦なのだろう。

それはそれとして、単純に計算して350mgのチューハイ缶であれば、なんと31.5gのアルコールを体内に入れていることになる。

ちなみに、厚労省が示しているガイドラインでは、1日20gというのが節度ある適度な飲酒となっている。

9%のチューハイ一缶なら、はるかに基準を超えているではないか。

もちろん、これはお役所の出した基準値なので、かなり安全サイドを見ての低い数字であることは想像に難くない。

だから、20gの1.5倍だからといって並外れて多いアルコール分だというわけにはいかない。

ただ、チューハイは飲みやすいので、一缶を開けるとすぐに二缶目に移ることが多いものだ。

そうすると、たちまちアルコール分が63gとなり、これはビール中ビン3本分に相当する。

ここまで来ると、毎日、9%チューハイを飲み続けた場合は健康被害が懸念されるレベルではないか。

物はためしと、今日、9%チューハイを買ってきて飲んでみた。

口あたりの良さは、さすがにチューハイである。

その点がこわいと思った。

ジュース感覚で飲み過ぎてしまうと、気がつけばかなりのアルコール分を摂ってしまうことになる。

若い人には積極的には飲ませたくない、というのが偽らざる感想である。



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チューハイで”9%”は行き過ぎだというのが私の結論である
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1月30日(木)

今晩、某団体の新年会が開かれる。

私も出席することになっている。

最近は暖かいとはいえ、宴が果てて帰宅するまでの道をひとりトボトボ歩いていると、寒さが骨の髄までこたえてくる。

寒さは例年のこととしても、今年は新型コロナウイルスが荒れ狂っているという特殊事情があって、必ずしも喜び勇んで出ていくというわけではない。

医療関連の仕事に携わっている人からの情報では、最も有効性が期待される対策は、
「外に出ないこと」
の一言に尽きるようだ。

完全に外の世界と遮断されたら、感染のリスクはゼロに限りなく近づくという。

もちろん、役所や会社に勤めていたり、何らかの職に就いている人であればそんなわけには行かない。

私のような無職の人間でも、散歩はともかく食材の買いものをしなければならないから、完全な引きこもりなんておそらく1週間もできないだろう。

そうなると、次なる手としては、人が集まるところには顔出ししない、というのが鉄則になってくるらしい。

プライベートな宴会やカラオケ、麻雀などは、本当はキャンセルするのが望ましい、という。

ただ、感染症のリスクがあるからとの理由でもってこれらを中止するほどの切迫感もないのが難しいところだ。

仮に、私のほうから今晩の新年会の主催者に、感染症のリスクを理由に欠席するとの電話をすれば、おそらくは「変な人」とのレッテルを貼られるだけのような気がする。

私が悲観的に感じ過ぎているのだろうか。

私個人の感じ方はともかくとしても、昨日、中国の武漢市から邦人200人が帰国を果たして、そのうちの二人が記者会見に応じていた。

お二人はマスクをしただけの恰好であったが、もし潜伏期間であったとしたら、この記者会見の場が感染を拡大させるきっかけになる懸念もるのだ。

政府にしてもメディアにしてもあまりにノンキだと感じたのだが、逆に、私の基準が度を越えて厳しいということなのだろうか。

まさか自分にはそんな災難は襲ってこない、という”正常性バイアス”に、社会全体が陥っているような気がしてならない。



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まさか日本国内ではここまでの装備は不要だろうが
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1月29日(水)

昨晩の新年会の帰り、手袋を片方だけ失くしてしまった。

落とした場所は、おおよそ想像がつく。

駅の改札口の前で、ICカードを財布から出そうとして手袋をはずしたときに、うっかりしたのだろう。

たまたま、こんなときに限って電車がホームに入ってくる気配がしたので、あきらめることにした。

100均で買ったものだし、それにとりたてて愛着を感じているわけでもない。

今朝、早速、かわりのものを買ってきたので困ることもない。

さて、いま手元に残っている余った手袋をどうするか、しばし考えてみた。

二つがセットになって役に立つものだから、片一方だけがあっても意味をなさない。

片方だけでの用途があるとしたら、どんなものが考えられるのか、想像をめぐらしてみた。

料理のときに、熱くなった鍋のふたを持つときに使うのであれば、ミトンがすでにある。

雑巾として使うのは、過去に軍手で経験しているが、1回使えば終わりである。

ごみ袋にするには小さ過ぎるし、野球のグローブとしては生地があまりに薄い。

茶漉しがわりに使うのは、衛生的な問題があって抵抗を感じる。

私の貧困な発想力では、このレベルの展開しかできない。

結局、捨てるしかない。

靴下でも、片方だけに穴が開いてしまうことは、ときおり起こる。

そのときも、躊躇なく残りのまともなほうも捨ててきた。

結局、手袋も同じ運命をたどらざるを得ないだろう。

もし物を大事にする思いを優先するというのであれば、失くしたと思われる駅まで行って、駅員さんに尋ねてみるのも有効だと思う。

駅では、一般利用者から落とし物が届けられることは少なくないから。

私の住んでいるマンションでも、管理人室のところには落とし物の連絡がよくあるらしい。

ほとんどがハンカチや何かの鍵のようだが、一度、靴の片方だけというのを見たことがある。

天下の公道であればいざ知らず、マンションの建物の中で、どうやって靴の片側だけを落としたのか、なぜ気がつかなかったのか、不思議でならないが。

だから探せば出てくる可能性はあるものの、そこまでして確認する手間をかけるのであれば、100均に足を運ぶほうがはるかに効率的だ。

ささいなことで悩んでいると、顔のシワが増えるだけである。

手袋をしてるおかげで、外出のときは言うに及ばず、部屋の中にいても冷たさを感じずに済む。

これにて一件落着と相成った。



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生地が薄いのでパソコンのキー操作はやりやすい
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1月28日(火)

昨日の記事で、ノートパソコンのバッテリー不調のことを書いたら、イクジーさんから
「バッテリーを外して電源アダプター接続をしたらどうか」
とのご提案をいただいた。

試してみたら、それですんなりと立ち上がり、以前と同じように何の不自由なく使えるようになった。

ノートパソコンがデスクトップタイプになっただけのことだ。

さすがに達人のアドバイスは的確で、おかげで悩んでいた問題はたちどころにすべて解決したのである。

イクジーさんには感謝申し上げると同時に、私もちょっとはパソコンのことを勉強しなければならないなと、自分を振り返って反省した次第だ。

ところで、今晩、所属団体での新年会が開かれる。

あまり気を使わなくて済む集まりなので、リラックスして臨めるのがありがたい。

料理は焼肉である。

わが家の新年会も牛肉であったし、最近は鉄分とタンパク質の摂取のため、食事に積極的に牛肉を取り入れている。

なんとも牛肉との縁が深い今日この頃だ。

関西では肉といえば牛肉というのが通例である。

そのへん、関東が豚肉をメインにしているのとは事情がまるっきり違う。

若い頃から牛肉を食べているので、いまだに豚肉よりも牛肉のほうになじんでいる。

ひところは価格の兼ね合いでもって豚肉をメインにしていたが、舌が慣れた味のほうに惹かれるのと、そして、豚肉だと焼いたときに硬くなるのが苦手で、自然と牛肉に回帰してきた。

また、滋養分の点でも牛肉の側にメリットがありそうだ。

さらに、ある格闘競技の選手が言っていたが、「パワーをつけるためには、豚肉ではなくて牛肉でないとダメだ」と。

そんなところから、最近はずっと牛肉にシフトしている。

今日の新年会は、私の問題解決の祝賀会という意味合いもひそかに持っている。

豪快にジョッキを傾け、肉を満喫したいと思っている。



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バッテリーを抜いたあとの穴埋めをどうするか目下検討中
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1月27日(月)

ノートパソコンのバッテリーの調子が良くない。

最近、フルに充電していても”もち”が良くないなと思っていたところ、今朝、充電中に突然画面が真っ黒になり、電源が落ちてしまった。

再起動をかければちゃんと動いたのだが、その後、極度に重くなってきた。

使いづらいというレベルではなく、フリーズ寸前を思わせるほどであった。

これでは役に立たない。

バッテリーの寿命はまさに風前の灯火というところだろう。

まだ買って3年に満たない状態なので、マシンごと買い換えるというのはあまりにもったいない。

そもそもDELL社のノートパソコンのバッテリーをどうやって買えばいいのかがわからない。

値段も知らないし、WEBから注文するのかどうかもわかっていないのだ。

それに、1億分の1の可能性として、バッテリーが奇跡的な回復をするかもしれない(まさか)。

念のために、しばらくは猶予期間を置こうと思う。

そのつなぎは、Chromebookで代用するつもりだ。

社用の出張では結構な働きをしてくれたが、職場を去ってからはほとんど使っていない。

ピンチに登場した救世主とまで言うと大げさであるが、今の私には頼りがいのある存在である。

Chromebookでの文章入力が久しぶりで、キーボードの感覚がつかみにくく、少々手こずっているというのが偽りのないところだ。

当面は私の相棒になるのだから、丁寧に鍛えていきたいと思っている。

どうしてもChromebookでは作業ができない箇所については、ノートパソコンをおそるおそる立ち上げて使ってみるつもりだ。

あるいは、使い勝手はよくないが、スマホで処理するという選択肢もある。

毎日、何らかの形で思わぬ事件が起こるが、これも何かの縁があってのことなのだろう。



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設計上のキャパに比べて実際の充電可能容量は極めて少なかった
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1月26日(日)

今日に始まったことではないが、よく知っているはずの名前が思い出せなくて、ちょっとしたフラストレーションに見舞われた。

いっとき、家族で頻繁に行っていた回転寿司店の名前である。

ネタの新鮮さがウリで、一皿100円から上は500円までの寿司が提供されている。

オール100円という値段設定の店もあるが、やはりそれでは無理が出てくるのではないか。

このお店がネタによって値段を区別しているのは、ごく自然だと思う。

さて、そのお店の名前がどうしても出てこず、出先であったが気になってしかたないので、スマホで検索してみた。

正しい名前がわかったときは、胸のつかえがとれたような気がした。

それにしても私には”ど忘れ”が多い。

加齢によるものかというと、必ずしもそうとは言えない。

若い時代にも、自宅の固定電話の番号が出てこなかったり、毎日顔を合わせている職場の人の名前が浮かばないことがあって、困惑したものだ。

おそらく、生まれついての傾向なのだろう。

なお、この”ど忘れ”という言葉だが、調べてみると意外な背景が浮かび上がってきたのである。

私は、”ど真ん中”や”どアホ”などのように、強調する言葉として”ど”がつけられいるとばかり思っていた。

しかし、”ど忘れ”は中国の古典『韓非子』に由来するものらしい。

昔、ある男が靴を買おうと思って自分の靴のサイズを測ってメモし、市場へ出かけたのだが、そのメモを持ってくるのを忘れた。

あわてて家までメモを取りに帰って、また市場に戻ってきたのだが、そのときはすでに店はしまっていたとのこと。

そこで彼ははたと気がついたのだ。

メモがなくても自分の足を出せばサイズがわかるではないか、ということに。

間の抜けた話だ。

なんでも、サイズや寸法のことを、”度”と表すところから”ど忘れ”の言葉が生まれた、と伝えられている。

そういった意味では、”度忘れ”と書くほうが適切だろう。

まるで私のような人間が、昔の中国にもいたと知って、くすぐったいような親近感を覚えてならない。

言葉というのは、意外な歴史を抱えているものだ。



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40歳を超すと80%以上もの人が日常的にど忘れをしているらしい
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1月25日(土)

たまたまタイミングが悪かったために、思うように物事が進まなかったということがたまにある。

靴下に穴があくなんてそんなに頻繁におこるものではないのだが、スーツに身を包んでの食事会のときに、ふと足の裏の感覚に違和感があると思ったら、直径5mmぐらいの穴がぽっかりとあいていた、ということが昔あった。

あるいは、小学生の野球の試合の応援に行ったとき、ノーアウト満塁でスクイズを試みたところ、バッターは器用な子であったにもかかわらず、打球はピッチャーへの小フライとなって、三塁と一塁のランナーがそれぞれアウト、たちまち3アウト無得点という悲劇もあった。

それは過去の出来事として、今では単なる笑い種の一つになっている。

しかし、今日はタイミングの悪いことが連続した。

まずは、マンションの郵便受けでのこと。

ちょうど散歩から帰ってきたら、ポスティングに来た人が自分の仕事を始めるところであった。

私は玄関から入って、自分への郵便物がないかボックスの中を確認しようとしたら、まさにポスティングのチラシが入ってくるところである。

すぐにそれをとったのでは、作業をしている人にわかってしまうので、少し恥ずかしい気がする。

そこで少し待っていたのだが、投入するチラシの枚数が多いようで、次から次へと私の郵便受けにチラシが入ってくる。

しかし、息をこらしながらずっと待っていた。

次の段階として、私が、不要のチラシを所定の廃棄場所に捨てることになっているのだが、ポスティングの人にそれを悟られるのは避けたい。

本来は「チラシ配布禁止」を掲示しているのだから、お構いなしに入ってくる都度、ごみ箱に入れていけばいい話だろう。

しかし、彼も仕事でやっているのだから、目の前で自分の入れたチラシが廃棄されるというのは心地よくないはず。

相手の神経を逆なでするようなマネはしたくない。

そこで、じっと我慢を続けたのである。

ようやく彼の作業が終わって出ていく気配を感じたので、それからチラシを取り出し、廃棄場所へと移した。

時間はたいしたものではなかっただろうが、こちらの気持ちは大いに乱された。

なんとも間が悪い話だ。

タイミングが悪いと感じたことは、そればかりではなかった。

夕方、近くのスーパーに食料品の買い物に行った。

ついでに、何気なく衣料品売り場に行ったら、”半額セール”と大書されたステッカーが目に飛び込んできたのである。

なんと、水曜日に買った冬物シャツも、その対象になっているではないか。

たった3日間で半分にまで下がるなんて、一言、事前に私に教えてくれていたら、今日まで買うのを我慢したのに・・・。

買うべきタイミングを間違えた。

世の中というのはこういうものだと教えられた一日であった。



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縄跳びに入るタイミングは私には難しかった
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1月24日(金)

近くのクリニックで、胃の内視鏡検査を受けた。

私が今のマンションに引っ越してきて、次の年の開業の医院である。

医師もお若くて、WEBでの経歴書での学校卒業年次から計算しても、まだ40歳を少し過ぎたばかりである。

患者によっては、ベテランの医師でないと不安に感じる人もいるようだが、私はその点はさほど気にしていない。

経験が少ないとはいえ、必要とされる技量は持っているはずだし、新しい知識や情報を習得しようという向上心は、むしろ若い医師のほうが多く持ち合わせているのではないか。

そんなわけで、ためらいなくこのクリニックを選んだ。

予約時間どおりに受付に行くと、「同意書」を読んでサインするように言われた。

検査で、「同意書」まで求められたのは初めてである。

WEBでも同じ内容の注意書きが見られたが、「一万人に一人は死亡に至る事例もあります」とまで書かれていたのには目をみはった。

起こり得る最大のリスクを書いたのだろう。

検査前に血圧の測定が行われ、そして名前を呼ばれて診察室に入って、諸注意事項を告げられた。

極めて常識的な事柄ばかりであり、終わると検査室に行くようにとの指示があった。

検査室では看護師さんが待機していて、やはりそこでも血圧測定と採血を受ける。

なんでも、感染症の有無をチェックしなければならないとか。

次に、私は鎮静剤の使用を望んだので、いよいよ鎮静剤を注入することとなった。

眠りに落ちる瞬間がどんなものか確かめたいと思っていたのだが、観察の間もなく眠り込んでいて、気がついたら、別室のリクライニングシートで寝ていたのである。

目がさめてしばらくすると看護師さんがやってきて、
「もう起きられますか?」
と問われたので、当然ながら
「はい」
と答えて起き上がった。

看護師さんに尋ねてみると、私は検査終了後、ちゃんと靴を自分で履いて、歩いてリクライニングのある部屋まで来て、再び眠った、という。

そのあたりの記憶は全く頭に残っていない(汗)。

目ざめがすこぶる快適であったことは確かだが。

ほどなくして、医師の所見が伝えられた。

A4の報告書を手渡されたが、そこにはいろんな病状が書かれてある。

逆流性食道炎、萎縮性胃炎、十二指腸の嚢胞と、そして胃に赤みがかった陥没があって、それの正体を突き止めるために、組織検査に出すことになった、と。

従来は、同種の検査を受けても慢性胃炎としか診断されていなかったが、緻密に検査していけば何かと見つかるものだ。

なお、鉄分が不足しているとの問題は、胃や十二指腸とは関連がないとのこと。

不明な点を一つでもつぶすことができたのは成果だと思う。

あとは、胃の陥没部の原因が何か、という点が問題だ。

2月の最初にその結果が判明する。

良性の腫瘍にすぎないだろうの希望的観測を持っている私だ。


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バリウム検査ではここまでの精密な結果は得られないと思う
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1月23日(木)

マンションの管理会社の営業担当から、いいサイトがあると教わった。

「お知らせネット」と言われているもので、自分の支払っている管理費や管理組合の収支計算書、貸借対照表などの情報をネットで簡単に知ることができるとの触れ込みである。

これを参照することで格段に便利になるわけではないし、なくてもプリントアウトされた資料があるで、何ら困ることはない。

とはいえ、管理会社がコストをかけて用意してくれているサイトなので、使ってみようと思った。

サイトから、マンションの管理会社の営業担当から、いいサイトがあると教わった。

「お知らせネット」と言われているもので、自分の支払っている管理費や管理組合の収支計算書、貸借対照表などの情報を知ることができるなどの機能を持っている。

これを参照することで格段に便利になるわけではないし、なくてもプリントアウトされた資料があるで、何ら困ることはない。

しかし、管理会社がコストをかけて用意してくれているサイトなので、使ってみようと思った。

サイトから所定のユーザーIDと自分の氏名とメールアドレスを入力して、送信すれば申し込みは完了する。

楽勝のはずであったが、送信をしてもエラーが出て「送信できませんでした」のメッセージが表示されるだけ。

何回繰り返しても同じ結果である。

ユーザーIDはあらかじめ管理会社から与えられたもので、手で入力したとはいえ、何回も見直して間違いのなことを確認している。

まさか自分の氏名は間違わないし、メールアドレスは念のためにコピぺした。

これで、どこがまずいというのか。

業を煮やして、サポートに電話してみたが「問題ないと思います」とのこと。

仕方なく、管理会社の事務局で申し込みを受け付けた形にして、パスワードを郵送してもらうことになった。

これでひとまずは問題解決したものの、私の気持ちの上でどうも落ち着かない。

おそらく、私がどこかで不適切な入力をしているのだろう。

どこに原因があるのか知りたいとの思いを抑えがたい。

ちょうど、ミステリー小説の結末が不自然で合点が行かないときのような心理である。

郵便が送られてくるのが楽しみだ。



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キツネにつままれたような気がする
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1月22日(水)

お年玉つき年賀はがきの抽せんの結果を調べてみた。

受け取ったのは75枚で、そのうち、3等の切手シートに3枚が当たっていた。

1等や2等は最初から対象に入れていないので、チェックもしていない。

3等なら、下二けたの番号が一致していれば当たり、というのが3本用意されているので、計算の上では当せん確率3%となる。

そう考えると、私の場合は確率が若干高いと言えよう。

過去の実績を振り返っても、およそ理論値の3%を少し上回るレベルで当せんしている。

一度だけ、1枚も当たらない年があった。

その年の春先、あるクレジットカードの抽選で、なんと現金3万円が当たったのだが、もしかしたらその幸運のために、年賀はがきのお年玉はお預けにされた、と自分なりに理解したものだが。

ちなみに、当たりの年賀ハガキを送ってくれた差出人というのは、さほど親密にコミュニケーションをとっている人ではない。

この点も、例年、起こっている”不思議”である。

もしこのことに教訓を読み取るとするなら、
「自分とのかかわり度合いの少ない人でも、何らかの恩恵をもたらしてくれているので、感謝の念を忘れてはならない」
とでもなるのかもしれない(汗)。

ナンセンスな仮定の話だが、もし1等賞30万円が当たっていたとしたら、差出人にお礼の言葉を述べるのが礼儀にかなっているのだろうか。
 
万が一、その差出人が番号を控えてから年賀状の発送をしているのだとすれば、お礼の言葉を言っておかないことには今後の人間関係に暗い影を落とすのは必至だ。

その差出人と親しい間柄であれば、
「ハガキを買って送ったのは俺なんだから、賞金の半分は俺のものだ」
とでも言われかねない、私の場合は・・・・。

こんな修羅場を迎えてはいけないので、私は、当せん番号のチェックをしていないのである。

30万円の賞金は、人間の心をもてあそんでしまう。

なんでも法律で特例として認められているので、景品法には触れないという。

しかし、63円のハガキが30万円に化けてしまう可能性があるのだから、厳密にはギャンブルと言っても差し支えない。

とはいえ、賞金目当てに年賀はがきを大量に買いあさった人がいるとの話は、寡聞にして知らない。



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当たっているハガキは7月20日(月)までに郵便局の窓口に持参
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1月21日(火)

確定申告の手続きを、ぼちぼちと始めている。

最終的には、ネットの確定申告書作成コーナーで書類を作るつもりであるが、一つ、困った問題が出てきた。

去年、端数株を売却したのだが、その分の申告をしようと思ったら、資料が全く残っていない。

要は、売った株を買い入れたときの値段がわからないのである。

元はと言えば、義父か義母からの相続によって私の名義になったもので、それを10年ほど前に売ったものの、端数株だけは処理が煩雑だというので、そのまま放置していたのだ。

だから、当然、私の手元には全く当時の資料なんて残っていない。

私が手にしているのは、端数株を売ったときの代行会社からの「計算書」だけである。

手がかりとなるものはその「計算書」には書かれていない。

困り果てて、その証券代行会社に相談してみた。

すると、「異動証明書であれば、買ったときの株価はわからないものの取得日がわかるので、その日付の時価でもって購入価格とすることが可能」とのこと。

地獄で仏とはこのことだと喜んだのも束の間、作成して送付するには一か月ほどかかるらしい。

確定申告の締切には間に合うが、書類が着くのをずっと待っていなければならないというのが辛い。
 
しかし、到着を待つより仕方ない。

ちなみに、最も望ましいのは、取得した日の株価が最高値であって、その後、徐々に下がってきた、との図式である。

だとすれば、利益が出ていないので申告の義務すらないことになる。

こんな自分勝手なことを夢想しているが、世間というのはそんなに単純には動かないものだ。



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私は株取引よりもスーパーの目玉商品探しのほうが性に合っている
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1月20日(月)

昨晩、寝る直前に、ある受信メールに気がついた。

あの前理事長からのものである。

用件は、「明日の朝、隣の民家との境界標を確認するので同行願いたい」というものである。

要は、お隣さんが塀の工事をした後、境界標が埋ってしまっていたら困るので、それがちゃんと外から見られる状態なのかどうかを現場確認する、という趣旨である。

もちろん、お隣さんが工事に着手される前に、その点は前理事長からも申し入れている。

実際にそのとおりに行われているかどうかを、この目で確かめておきたいとの思いから、今朝の確認を行ったものである。

ただ、お隣さんの工事はずっと以前に終わっているのだし、もっと早くに確認しておけば、前日になってあわてることもない。

一応、念のために私のスマホで写真を撮っておくように言われた。

そして、その写真を前理事長にメールした後、彼女から返信メールがあった。

おそらく単なるお礼のメールだろうと思って中を読んでみたら、
「今日の報告のために、今晩の理事会にオブザーバー出席します。」
と書かれていたので、思わず二度読みしてしまった。

実際に複数の人間が現場に行って確認すること自体は、私は無意味だとは思わない。

しかし、だからといってあえて理事会に本人が出席してまで報告するべき性質ものではなかろう。

私も理事会メンバーなのだから、私に報告を頼んでおけば済む話だ。

おそらく、自分自身が会議に出たいとの思いから発したものなんだろう。

彼女がしゃべりだしたら20分や30分はすぐに過ぎてしまう。

ほかにもあらかじめ用意された議案がある。

今晩も理事会が遅くなることは覚悟しておかなければならない。

それにしても面白い人だ。


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以前に境界のことでトラブルがあったらしい
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1月19日(日)

仕事でも家庭生活でも、順風満帆で毎日が進んでいるというのはむしろ少ないだろう。

大小はともかくとして、何らかのアクシデントに襲われるのは避けられない。

私は、毎日、朝と晩に血圧を測定することにしている。

朝はモーニングサージの現象が出るので、測定数値が高めに出るのが一般的であり、医師もその点は含んだうえでご覧になっている。

夜は、気分がリラックスしていることもあって安定した数値が出るので、バランス感覚の上からも朝の数値を注視されているようだ。

つまり、私にとって血圧測定は非常に重要な位置にある営みだということになる。

だから、おろそかにしていると、治療への意思があるのかどうか疑われかねない。

そんな事情を抱えた私がアクシデントに直面した。

昨日の朝にいつもどおりに測定しようとしたら、なんと電池が完全に切れていて、血圧計が立ち上がらない。

実は、5日ほど前に一旦電池切れのサインが出たものの、電池を本体からはずしてしばらく置いておくことで、リカバリーを図ってきていたのである。

それで、なんとかだましだまし使っていたのだが、いよいよ残っていたエネルギーもすべて枯渇してしまったようだ。

ウンともスンとも言わなくなった。

予備の電池を探したのだが、見つからない。

災害の直後は意識して予備の品を備蓄していたものの、喉元過ぎれば熱さを忘れるもので、すっかり意識に残っていなかった。

要は、最後の電池が切れてしまったのである。

コンビニに走れば済む話だが、朝早くの寒い時間帯に外に出るのは億劫だ。

白旗を上げて降参し、暖かい時間帯になってから買いに行こうと誓った。

・・・・しかし、それっきり忘れてしまって、次に気がついたのが夜の血圧測定のときであった。

夜も同様、やはり外は寒いし、風呂上がりだから湯冷めでもしたら風邪を引いてしまう。

そんな言い訳でもって、あきらめてしまった。

結局、買ったのは今日の午後になってからのことであった。

必要なものはメモ書きをしておく、という教訓が、私の中で活かされていなかったのは恥ずかしい限りである。

自責の念に駆られつつ、夕食の準備にかかったら、調理用タイマーのボタン電池が切れているのに気がついた。

取るに足らない些細なアクシデントではあるが、これも続くと自信喪失につながるものだ。



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10年の保存が可能だというから災害対策にも役立つ
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1月18日(土)

医療保険の代理店から封書が送られてきた。

先進医療特約の申し込みをしていたのだが、その手続きのための書類であった。

ネットから申し込んだのは昨年の暮れのことであったが、手続きが始まったのはこの時期だから、巨大な組織がやることというのは時間がかかるものだ。

私が先進医療特約に関心を持ったのは、ずばり、「多焦点眼内レンズを用いた水晶体再建術」があるからである。

社会保険では適用外となっているので、本来は費用は自分で持たなければならない。

だから特約の形をとって対応している医療保険が出ている。

要は、白内障の手術を受けるとき、水晶体をごっそりと入れ替えることになるのだが、その際、特殊なレンズを使えば、近くでも遠くでも焦点を合わせることができる、という先進的技術なのだ。

つまり、遠近両用眼鏡をつけているのと同じ形になる。

ただ、眼鏡の場合は、私が経験しているのだが、遠くと近くといずれも焦点を合わせるとなると無理が出てくる。

近くを合わせた場合、眼鏡をかけて歩くと足元が危うく感じられるのだ。

その点、目そのものを入れ替えれば、自然と遠方も近くも見ることができる、という。

これは便利だと直感的に思った。

とにかく、今は老眼のほうが辛くて、パソコンモニターや本の文字が見えづらいのだ。

近視だけであれば、眼鏡で矯正をかければ、さほど不便ではない。

そんなわけで申し込んだのだが、今日受け取った注意書きを読むと、保険開始の時期は5年後となっている。

つまり、白内障の手術は5年以上経ってから受けないことには、先進医療特約は使えないのだ。

一瞬は迷ったものの、これで進めようと決めた。

私の年齢での平均余命は18年と言われている。

すると、5年が経ったときでも、まだ13年の人生を残しているのである。

QOLの高い生活を楽しむためにも、そのときのために万全の健康コンディションを整えておくつもりだ。

そうした目標があるからこそ、やりがいも持てると思う。

ただし、その5年の間にルールが変わって「多焦点眼内レンズ」が先進医療からはずれてしまったら、あるいは、医師が使用を認めないようであれば、私の壮大な夢は水の泡となってしまうが(汗)。



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保険料の追加はひと月99円である
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1月17日(金)

血液検査の結果をうかがいに、クリニックに行ってきた。

総合的に見て、貧血の指標となっている数値はすべて改善している。

5,6年前の健康そのものであったときの数値にはまだ足りないものの、最悪の状態と比べれば著しい進歩だ。

処方の鉄剤を増やしたのがよかったのか。

医師からは、鉄分を示すFeが86μℊと出ていて、これは合格ラインに入っているものの、男性であれば100は欲しいと言われた。

やはり、日常生活での鉄分摂取が少ないのが原因らしい。

ただ、自分の意識としては、鉄分が豊富に含まれているとされている食材は、積極的に摂っているはず。

おそらく、食べたもののデータをとっていくなら、過去の人生ではなかったほどの鉄分摂取を試みていたのは一目瞭然だ。

だから私の心の中では釈然としない。

ひと月前から、鉄剤を2錠に増やしたのが今回の好成績の結果だとしたら、薬からは鉄分摂取ができたものの、食べものからはできなかった、との結論に至る。

ということは、一生、鉄剤を飲み続けなければならないことになってしまう。

私の体のどこかに何らかの問題があって、それが食べものから鉄分をとれない仕組みを作りだしているのか?

その疑問を解決するための第一歩として、来週に胃内視鏡検査を受けることとなっている。

一つずつつぶしていくしかない。

なお、今日は検査結果を聞くだけであったので、かかった費用は0円であった。

もし血圧の測定でもしていれば、それは「診察」になるだろうが。

考え方としては、血液検査をしたときにすでに結果説明にかかる費用も含んで支払っている、ということなのかもしれない。

とにもかくにも、今日は無料で受けられて飛び跳ねたいほど喜んでいる私は、やはり小人物なのだ(汗)。



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鉄分を摂りたい一心で小松菜もたくさん食べたのだが
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1月16日(木)

”木で鼻をくくる”という言い回しがある。

無愛想で冷たい態度をとることを、そんなフレーズで表現している。

気になって由来を調べてみたら、そもそもは
”木で鼻をこくる”
と言っていたのだが、いつの間にか”こくる”が”くくる”に化けてしまったらしい。

”こくる”というのは昔の言葉で、今で言う「こする」の意味を持っていたそうだ。

その語源が興味深い。

なんでも、モノがなかった時代は、鼻水を拭くときも木の枝をこすりつけていたらしい。

ティッシュなどはあろうはずがなかった。

想像するだけで痛々しく感じるものだが、まさしく木で鼻をこすったときの顔の無表情ぶりから
”木で鼻をこくる”
が生まれた、との説を目にした。

言われてみれば、なるほどという気がして妙に納得できる。

同時に、言葉というのは古くからの歴史を抱えていることに、感慨めいた思いを禁じ得ない。

以前に勤めていた会社に、文字どおり”木で鼻をくくった”話し方をする男性がいた。

もちろん、社外の人とはそれなりの話し方をしていたのだが、同じ会社の人間が相手だと実にそっけない物言いなのだ。

私より一つか二つ若いだけだから、ほぼ同年齢と言っていい。

彼が恋愛をしたときや子供が生まれたときは、どうであったのだろうか気になる。

なかなか頭のいい人間であったし、仕事ぶりは真面目そのものであったが、社内ではほとんど仏頂面をしていたことを思い出す。

もし彼と再び会ったら、やはり同じ話し方をするなのだろうか。



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今なら彼とは以前とは違った接し方ができると思う
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1月15日(水)

今日は管理組合の仕事が二つ重なった。

午前には、エレベーターの法定点検、夕方はマンション前の駐車場がらみで対象のかたの部屋にお願いに上がることであった。

エレベーターのほうは、要は形だけの立ち会いであって、最初の挨拶と最後の点検のサインだけで済む問題である。

これは何の負担もない。

問題は、後者である。

毎年、庭の樹木の剪定を行っていて、その際に剪定業者さんの作業の便宜上、マンションの前に置いているクルマを正規の位置より2mほど前に出してとめなければならないことになっている。

それはそれぞれのクルマの契約者に徹底するよう、お願いをするのである。

もちろん、事前に掲示板で案内もしているし、対象となるクルマの所有者には個別に郵便受けに依頼文を投函してある。

しかし、それでも実際にはやっていないケースが少なくない。

剪定作業は明日なので、今日の夕方までに前のほうに出して止めておくように要請していたが、やはりできていないクルマもあった。

相撲観戦を中断して、移動がなされていないクルマの所有者のお部屋にそれぞれ訪問して、お願いをしたが、不在のかたが4人。

再度、標準的には食事が終わっているであろうと思われる時間帯に、また廊下をピョンピョンと跳ねてお願いに上がった。

どうしても連絡がつかない人には、親しい人を通じて伝達してもらうことにしたのである。

ひとまずは、それで対象者全員に用件を伝える形ができた。

これにて任務完了。

取るに足らない些末な仕事ではあったが、無事に責任を果たすことができて安堵している。

ここまでしなければならないのかとの素朴な疑問もあったが(汗)、やらないことには業者の作業に支障が出る。

たまには自分がそういう立場を演じることで、人々のありがたさを感じられるものである。



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お食事中に他の部屋を訪問するのは憚られる
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1月14日(火)

歯科の6か月定期健診を受けた。

年に2回、1月と7月にしている。

6か月ごとに1回であれば受ける側としてもそんなに負担にはならない。

これが3か月に一度となると手間に感じるし、年に一度だと、その間に歯に良くない症状が出てくる恐れがある。

だから、年に2回という回数は私にはぴったりであった。

しかし、今日、歯科衛生士から「3か月後にまた来てください」との宣告を受けたのである。

いつものように歯のクリーニングをしていただいたのだが、なんでも「歯の着色がはなはだしい」らしい。

要は、歯に汚れがたくさんついていて、虫歯や歯周病のリスクを高める危険がある。

これは日常の歯の手入れの問題ではなく、可能性としては歯の表面にざらつきが出てきているのかもしれない、とのこと。

そこで、3か月後に様子を見て、やはり着色がひどければ歯のコーティングを検討する段取りになっている。

血液の中の鉄分不足の問題と同じで、突然に予想もしていなかった現象に見舞われてしまった。

やはり老化が進んでいるのだろうか。

認めたくはないが、年齢を重ねていくというのは避けて通ることができない。

老化といえば、最近、ときおり眠くてどうにもたまらなくなることが間々ある。

部屋の中でも、机に向かって座っているときにウトウトして舟をこぎだし、手に持っていた本を落として初めて気づいた、ってことが珍しくない。

今日も、30分近くにわたっての歯のクリーニングの間、ほんのわずかの間ではあったが、眠りに落ちていた瞬間があった。

診察台が水平になるので、その点で気持ちがリラックスしたからだろうか。

しかし、寝てしまったことが衛生士に悟られでもしたら、それこそバカにされる。

懸命に目をさまそうと自分自身を叱咤するのだが、こんなときに限って、すぐに眠気がやってくるものだ。

短いインターバルでの眠りであったが、何回か繰り返されたおかげで、診察台から立ち上がったときは爽快な気分であった。

睡眠障害の症状が出てきたら、歯科クリニックで歯のクリーニングをしてもらえばいい、などと不謹慎な思いが頭をかすめた(汗)。



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夜よりも昼のほうが気持ちの良い睡眠がとれるような気がする
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1月13日(月)

スーパーマーケットの食料品売り場というのは、少し見てみるだけで、お店が何を売りたいと考えているのかがすぐにわかる。

今は節分関連に力を入れている。

節分と言っても、豆などは単価が安いからさほど本気にはなっていない。

何と言っても、恵方巻の販売に血眼になっているのだ。

まだ来月のことだから、さすがに店頭に現物は並んでいない。

目下、予約をとるのに懸命なのだ。

「今なら2割引き」とか、この段階で値引きをしているのには苦笑を禁じ得ない。

なんでも大阪に昔あった風習だとか、恵方を向かって丸かぶりすれば幸運になれるとか、その根拠は不明である。

某コンビニが恵方巻とのネーミングでもって商品化したのが、そもそものルーツであった。

言うならば、某電鉄会社が乗客ほしさに初詣を企画し、菓子メーカーが日本版バレンタインデーを編みだしたのと同じ構図である。

いずれも、今では日本でのイベントとして完全に市民権を得ている。

私も、初詣は喪中のときとき以外は毎年行っているが、電車には乗っていないので、立案者の意向には添えていないが(汗)。

だから、恵方巻についても、節分に食べればラッキーがやってくると信じている人にとっては、それは十分に意味があるのかもしれない。

私はその気になれないので、恵方巻を買おうとは思わないのはもちろん、関心すらもない。

スーパーでの注目点は、私の場合、野菜と魚がいかに安く提供されているかにかかっていいると言っても過言ではない。

そんな目で、幾つかのスーパーを比較してみるのも、楽しい営みである。

それぞれの店で、牛肉が強い、魚が安い、なぜかカボチャだけが安いなど、商品によって得手不得手があることに、最近になってようやく気づいた。

もう一点発見したこと。

それは、多くの店でそうなのかもしれないが、野菜の目玉商品としては、ホウレンソウか小松菜を98円で出している点。

ときには、同じ商品が倍近い値段で並んでるだけに、インパクトは大きいと思う。

この時代、消費者にモノを売るには一筋縄ではいかない。



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小松菜は鉄分を摂る上での必須アイテムだ
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1月12日(日)

大相撲初場所が始まった。

昨年ごろから、だんだんと大相撲観戦に興味がわいてきた。

一つは、土俵の上では喜怒哀楽を表情にあらわさない力士の姿に、どことなく美学を感じるところがあるからである。

世に行われているスポーツを見ていると、プロのみならずアマチュアでも、最近は自分が勝てば、あるいは好プレーを見せれば全身で喜びを表現するのが通例になっている。

相手選手がいる眼前でもそれをするのだから、突き詰めて言えばスポーツマンシップに反することになる。

その点、相撲では格上の力士に勝ったとしても、何事もなかったように平然とした顔をしているのが対照的だ。

凛とした態度には胸を打たれる。

相撲の魅力の最たるものだと思う。

もう一点、私の部屋からテレビを撤去してしまったので、ネットでしかスポーツの中継を見ることができない。

プロ野球は、放映権の関係もあってか、ネットで中継される機会はあまり多くない。

その点、大相撲や高校野球などはネットで見ることができる。

自然とプロ野球からは距離を置くようになり、関心の対象としても薄れてくるようになった。

ペナントレースでは、次の日に、ネットで試合結果と順位を確認して一喜一憂するのが昨年からの流儀になってしまった。

そんな環境変化のこともあって、ますます大相撲への傾斜が強まっていったのである。

今日の取り組みは、横綱の鶴竜関に土がついたものの、大きな波乱はなく平穏に幕を閉じた。

充足感を覚えながら、画面を変えてメールチェックをしたところ、マンション管理組合の理事長からメールが来ていた。

読んでみたら、「幾つかの懸案事項を審議するために臨時の理事会を行う」というもの。

ちょうど1週間後にあらかじめ予定されていた理事会が開かれるので、それまで待てないのか、とも思ったが、明日に理事会を開催することについてはすでに決まっているようで、いまさら抵抗はできない。

緊急性のある「懸案事項」と言われると、昨年の大規模修繕工事の積み残しの件ではないかという気がする。

前理事長が張り切っている事案であり、もし彼女が会議に出てきて説明するとなると、かなりの長時間に及ぶことが避けられない。

大相撲の観戦をして気持ちが上向いていたのに、にわかに暗雲が垂れ込めてきた。

とはいえ命にかかわるような事態ではない。

冷静に対処していくつもりだ。



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相撲は人気の衰えない国民的スポーツだ
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1月11日(土)

今晩は、娘一家との新年会である。

もっとも、言葉の厳密な意味合いでは、元日におせちを囲んでいるので、すでに新年のお祝いは済んでいることになるが、それは身内のことゆえ大目に見ていただければ幸いだ。

息子一家は関東での生活が始まっているので、合流はできない。

嫁のインフルは完治しているだろうが、その顛末は妻も聞いていないという。

写真や動画のUPも、帰国してからは1回あったのみである。

もちろん、5歳の子を幼稚園か保育園かへ通わせる手続きもしなければならないし、自身が仕事に復帰する準備もしておく必要がある。

急ぎでない用件には構っていられない、というのが本心だろう。

枝葉末節のことは私も気にならないのだが、どうも嫁が義両親、つまり私と妻に対して、何やら含むところがあるのではないかというのが気がかりだ。

嫁がインフルで熱を出したとき、妻が心配のあまり何度もメールをしたことで、関係がギクシャクしたことがあった。

まさかそのときのしこりが残っているとは思えないが、とにかく、それ以降は全く音沙汰がない。

ほんの些細な事柄がきっかけで、人間関係にもつれが出てくるというのは、いろんな場面で経験してきた。

かといって、ちょっと話をしたいからと顔を合わすことも簡単にはできない。

もうしばらくは間を置くことにしようと思っている。

ところで、いろんな会の新年会が1月と2月に予定されている。

歓談しながらの飲食はそれはそれで楽しいひとときjなのだが、お開きとなった後で、寒風吹きすさぶ中を帰宅するのは辛いものがある。

朝型人間であるだけに、夜はテンションが下がってしまう。

とはいうものの、まさか朝から「新年会」と銘打って宴席を持つことはできない。

私も、そろそろ大人にならなければ・・・。



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今日は令和初の新年会である
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1月10日(金)

松の内は、関東では1月7日までだが、関西では15日までと一応はされている。

だから、近所の家の玄関を見ていても、いまだに注連縄が飾られている。

とはいうものの、気持ちの上では関西でもすでに正月は明けたとの感覚を持っているのではないか。

実は、こんなタイミングで年賀状をひょっこり受け取ったものだから、私は戸惑っている。

学生時代の友人からのもので、文面を見ると、昨年の同窓会のお礼が印字されていた。

あの同窓会で約40年ぶりに再会したのだが、今まで年賀状のやりとりは一度もしたことがない。

そんな彼から送られてきたのだから、その点も意外である。

同窓会の出席者のうち、住所のわかる人間に送ったのだろう。

となると、少なからぬ数の人が、私と同じことで困惑していることとなる。

そもそも論を言えば、年賀状は新しい年の訪れを祝い、相手の幸福を祈るものであるはず。

同窓会の礼をするのであれば、本来の年賀状の端に手書きで書き添えるのがスマートではないか。

どうも彼の感性には首を傾げざるを得ない。

とはいうものの、文面を何回か読むと、単に儀礼的に送ったのではなく、彼の感謝の念があふれ出ていることに気づいた。

時期はともかく、誠意を持っての年賀状なのだから、無碍にはできない。

返信をしなければならないが、年賀状の体裁で「明けましておめでとうございます」を使ってもいいか、それとも「寒中見舞い」の形にするべきか、しばし考えた。

結論としては、年賀状で返信をすることにした。

調べてみたら、今日が年賀状販売の最終日らしい。

これも何かの縁だと思って、急きょ、新しい年賀状を買いに走った。

それを印刷して下手な字で添え書きをしてから、近くのポストに行って投函した。

この時期に年賀状を送ったのは、人生でも初めての経験である。

実にドラマチックであった(笑)。



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販売終了日は1月の第2金曜日と決められている
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1月9日(木)

昨年の秋ごろから指摘されていた鉄分不足について、原因が特定できないもどかしさがずっとあった。

貧血の症状を自覚していないだけに、逆に気持ちが落ち着かない。

疑わしい点を一つずつつぶしていくために、胃の内視鏡検査を受けることにした。

先日、某検査クリニックに申し込みをしていたのだが、今朝、こちらの希望日時でOKとの電話がかかってきた。

その電話で心地よく感じたのは、クリニックのスタッフの言葉づかいである。

昨今、携帯にかかってきた電話では、開口一番
「〇〇様の携帯でよろしかったでしょうか?」
と問われるケースが圧倒的に多い。

しかし、彼女は正しく
「よろしいでしょうか?」
と言うのである。

当たり前と言えば当たり前なのだろうが、ちゃんとした話し方をする点で好感を持った次第だ。

ファミレス用語が世に出てきてから相当な年月が経ったので、今さらこんな不平を言っても通用するものではないとわかっているが、この「よろしかった」は私には耳障りでならない。

「1,000円からお預かりします」のほうは、現在では慣れてしまって何とも感じないのに。

私は「よろしかった」は間違った使い方だと私は考えているが、正しいと見ている人もいるようで、感性というのは人それぞれだと思う。

なんでも、相手に対する敬意が込められた言い回しだと言うのである。

つまり、「私は○○さんの携帯だと思ってお電話をしましたが、私の判断は間違っていないでしょうか?」とのニュアンスが「よろしかった」には含まれているとの解釈だそうである。

ストレートに相手に「正しいか間違っているか?」を問うのではなく、あくまでも自分の行動が適切であったかどうかを尋ねるものだから、「よろしかった」はむしろ丁寧な表現だ、との主張なのだ。

どうも私には屁理屈のように思えて仕方ないが、そういった発想をしている人もいるのだ。

ただ、それでも私は「よろしかった」には共感できないし、たぶん世間の人にアンケートをとれば、半数以上は不快だと答えるのではないか。

私の心配をよそに、ファミレス用語は着実に定着しつつある。

あと20年もすれば、格式高い老舗料理店でも「よろしかった」が使われているかもしれない(汗)。



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新たな日本語を生み出したのは大きな”功績”だ
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1月8日(水)

マンションのエレベーターの点検が行われた。

その立ち会いをやってくれないかということを、管理人さんに頼まれていた。

今日は、管理人さんがお正月休みの出勤の振替休日に当たっていたので、その代わりである。

点検は1時間半ほどで問題なく済んだ。

終わってから管理人室の前を通ったとき、何気なしに机の上を窓越しに覗き見たら、5センチ四方の小さなメモがそっと貼られているのに気づいた。

そこには
「明るく 楽しく 下支え!!」
と書かれていたのである。

彼の仕事ぶりそのものが凝縮された言葉だと思った。

何の気負いも飾りも全くないシンプルな表現だ。

彼は、常に笑顔で人に接していて、下働きの仕事も手抜きしないで取り組んでいる。

現役時代は某大手のメーカーで営業をやっていて、定年退職後、幾つかの会社を経て現在の職に就いている。

私より2歳か3歳上だから、もう70歳ぐらい。

経済面でも不足はないようだし、あえてマンション管理人の仕事をしなければならない理由はないだろう。

なんでも人から頼まれてこの職を引き受けたという。

しかし、管理の仕事をいかにも自分の趣味のごとく楽しそうにこなし、また、接する人には分け隔てなく親切にしている。

彼が仕事をするベースには、「明るく 楽しく 下支え!!」が流れているのだろうと想像した。

世にあふれているスローガンやモットーというのは、その人や組織の実態を必ずしもありのままに反映しているとは言えない。

しかし、このフレーズは彼の仕事ぶりそのものを的確に語っている。

いい言葉を学べたと感謝している。



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2階に住んでいるのでエレベータを使うことはない
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1月7日(火)

元日に娘一家とおせちを囲んだとき、新年会で焼き肉を食べに行こう、と話がまとまった。

昨年の暮れに予定していた忘年会がアクシデントで中止になったので、そのかわりという意味合いもあってのことだ。

早速、その日の晩にネットの予約サイトから申し込みを済ませた。

そのサイトはあくまでも間に入っているだけなので、正式に予約が受け付けられたら、お店のほうから返事が来ることになっていた。

しかし3日待っても返事がない。

もし漏れていたとしたら困るので、再びそのサイトに返事を求めるメッセージを入れておいた。

なのに、約1週間経った今日になっても何の音沙汰もない。

やむを得ず、お店に直接電話をして確かめてみることにした。

午後2時のことである。

電話に出てきたのは、失礼ながら、いかにも偏差値の低そうな口調で話す男性であった。

サイトから申し込んだのに返事が来ていないことを伝えると、
「いえ、そういった予約は頂戴しておりません」
と答えたので、驚いたのは当然だ。

1月1日に某サイトから予約を申し込んだことを伝えたら、
彼は
「あいにくその日は当店は休みでして・・・・」
などとピントはずれのことを言う。

結局、あらためて新規の予約の手続きをした次第である。

そのお店は結構な人気店で、土曜日の晩ともなれば客が殺到するのは火を見るより明らか。

この時点で確認の電話を入れて助かった。

思うに、そのお店では、年明けからメールチェックをしていなかったのだろう。

しかし、ネットを通してそのお店に予約をしてくる客は多いはずだし、これは単なる不手際では済まされない。

直接電話をして予約をとるのであれば、ネットを使う意味はないのだし。

お店にしても、その予約サイトには幾ばくかの料金を支払っているだろうが、それが無駄になっている。

待っていても客のほうからやってくる人気店にありがちな”勘違い”なのだろうか。

ともあれ、私の中ではそのお店のイメージが大きくダウンしたのは間違いない。



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一家団欒にはぴったりの雰囲気のお店なのだが
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1月6日(月)

元日に家族が集まっておせちを祝ったとき、妻が、残ったものをタッパーに入れて私に持たせてくれた。

毎年、おせちの残りは私が処分することとなっている。

ウイスキーのあてにはちょうどいい食材ばかりだし、私は気に入っている。

それ以上に、残ったものをハイエナのごとくきれいに食べ尽くすことに、大きな充実感を覚える。

それも捨てがたい喜びだ。

空っぽになったおりを見ると、言葉にはあらわせない達成感を味わえる。

ところで、今日は、食べ終わって空になったタッパーを妻に返しに行った。

すると、孫娘二人が遊びに来ていた。

小学1年生と幼稚園年中である。

小学生ともなると自我が芽生えてくるのか、最近は自分のやりたいことが最優先になってきて、私との間にちょっと距離が出てきたように思う。

反面、幼稚園のほうは、いまだに「おじいちゃん大好きオーラ」を発散してくれるので、可愛くてしかたない。

ただ、食べものの好みが子供らしくなく、ずっと幼いころから納豆や梅干しが大好きであった。

今日も、梅干しのおかわりをねだっていた。

妻は、「梅干しの種は食べないように」との注意を与えながら、さらにもう一個、追加していた。

「毒があるから」らしい。

家に帰ってから調べてみたら、「アミグダリン」 とやらが含まれていて、これが胃腸などで分解されると青酸になる、という。

恐ろしやと思っていたが、これは実が未熟なときだけのことで、熟していれば、ほぼ有害になることはないとのこと。

それどころか、菅原道真が好んだところから「神様が住んでいる」と言われ、天神様が梅干しの種の中にいらっしゃる、との伝承もある。

だから、粗末には扱えないというので、太宰府天満宮には種を納める場所が設けられているらしい。

私はカボチャの種を鉄分摂取のために再利用しているが、さすがに神様がいらっしゃるとは信じていない(汗)。

梅干しの種には意外な真実が隠されていたのだ。

孫娘のおかげで、いい勉強をさせてもらった。



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塩分制限があるので私は食べられない・・・
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1月5日(日)

新年を迎えて5日目ともなるとお屠蘇気分も抜けてきて、そろそろ本格稼働の時期となってくる。

もっとも、今年は5日が日曜日と重なってしまったために、民間会社であれば明日の6日から仕事始めのところが多いのではないか。

地域の図書館は今日から再開となり、従来どおり利用することができるようになった。

通常は月に一度の休館日があるだけで、ほかはずっとオープンしている。

だから休みの期間を短くするのはもちろん可能だろうが、職員さんにしても正月はのんびりしたいものだ。

いまどき、最低限の配慮だろう。

入院患者を抱えている病院ですら、”一時退院”や”一時帰宅”の形で患者を家に帰らせ、スタッフのケアのための負担を少なくしておいて、休暇をとるようにしているほどである。

図書館の場合、休んだところで利用者の健康や生命にかかわる問題は起こらない。

だから、当然のこととして全館で休んでいる。

ただし、たまたま私のように、借りていた本を読み終わってしまい、手元に未読の本がなくなったという場合、少しばかり困ってしまう。

しかも、ネットで予約していた本が借り出し可能となっていたら、より葛藤の度合いは深いものがある。

言うならば、ウナギの蒲焼の匂いだけをかがされて、食べるのはお預けの状態にさらされているのと同じだ。

食欲が高まるレベルだけであればいいのだが、過ぎるとフラストレーションが溜まってくる。

普段は図書館の存在をさほど意識することがなかったのだが、たまたまこういった極限状況に立たされると、自分にとって大切な位置にあったのだと痛感する。

予約の本を手にしたときには、今までには味わったことのない感慨めいたものがあった。

今日は、私の”図書館記念日”だ。



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”サラダ記念日”は七月六日である
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1月4日(土)

お正月の必須アイテムの一つに、お餅がある。

食べる食べないは別にして、いかにもお正月であるとの光景を演出するためには、安定の四番バッターだ。

そんな私だから、年末に、スーパーで”杵つき製法”と銘打たれたお餅を買って、年越しに備えていたのは言うまでもない。

工場で生産されたとはいえ、杵を使っているのだから人間がグループでもって行う餅つきに近いように思えたからである。

さて、お正月に家族が顔をそろえたとき、婿の実家からいただいたお餅をお雑煮で食べた。

つまんだときの伸びがあって、これが市販の餅とは全く違う。

私が関心を示したのに気づいた家人が、私にも何個か分け与えてくれた。

今日は、同時にその両者を食べてみて、比較検証試験をしてみたのである。

おそらく、手に散るようにはっきりとその差が見えてくるだろうと思って。

外観は工場で作られたほうが整っているのは当然だ。

そして、焼いたときの膨れ方も、工場製造品のほうが派手に大きくなる。

漫画のお餅に描かれるほどではないにしても、かなり膨れることでますますお餅らしさを感じる。

ただ、指でつまんで伸ばしたときは、なぜかすぐにちぎれてしまう。

杵を手に持ってついたほうは、その伸びのいいところが私のお気に入りである。

いよいよ、実際に口にいれてパクパク食べてみると・・・・・なんと、味や食感は全く違わないことに気づいた。

念のために、それぞれのお餅を交代交代に一口ずつ食べてみたのに、それでもわからない。

このあたり、グルメレポーターならうまく言葉を引っ張り出してきて、手でついたお餅のほうをほめそやすに違いない。

しかし、私はどう味わってもその差がわからないのである。

この味比べをした結果、手作り餅のほうが美味となれば、ブログの記事としてはちゃんとまとまるのだが(汗)。

実は、
「見た目はもう一つだが、味となれば、手でついた餅のほうが格段においしい」
との一文で、この記事を締めたかったのである。

新年早々、大きな誤算であった。



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向かって左が工場生産のお餅
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1月3日(金)

寒さはこれからが本番だが、そろそろ私は冬眠を終えることにした。

三が日が事実上終わり、世間もこれからは通常モードになるタイミングで、ブログへの記事書きを再開する。

皆様のお目を汚すのは心苦しい思いもあるが、ご容赦のほどをお願いしたい。

大晦日から三が日の間は、とにかく非日常の世界を満喫させてもらった。

家族と共にテーブルを囲んで、談笑しながら珍味佳肴を飽食した場面ばかりが記憶に焼き付いている。

ただ、正月につきもののお酒はさほど量は行かなかった。

妻も娘もたしなむ程度で、娘婿は全くアルコールは口にしない。

だから私も自然と酒量を控える形になる。

物足らない思いがないとはいえないが、飲みすぎを避けることができたのは幸いであった。

孫たちと他愛のないおしゃべりを楽しみ、普段は縁のないご馳走に舌鼓を打ったお正月はまさに極楽にほかならない。

頭を使ったのは、妻宛ての年賀状に差出人不明のものがあって、それが誰からのものなのかを推理したぐらいのこと。

私に問われてもわかるはずがないが(汗)、懸命に考えるフリをした。

すべて手書きの年賀状で、住所も氏名も全く書かれていないから、受け取った側は戸惑ってしまう。

プリンターで印刷した賀状であれば、過去に、差出人が印字されていないものをもらったことがある。

たぶん、印刷の設定を忘れてしまったのだろう。

だとすれば、差出人不明の年賀状を受け取った人の数は少なくないことになる。

皆さん、困ったことと思う。

ただし、正月早々、たくさんの善男善女が頭の体操に取り組めたのだから、これは喜ぶべきかもしれない。

それに、家族間の会話のネタもできたことだし。

最近は虚礼のシンボルのごとく言われる年賀状ではあるが、このケースであれば、貢献度はそれなりに高いのではなないか。

ともかくも、令和2年のお正月はにぎやかしく明けた。



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明けましておめでとうございます。
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声なき声

Author:声なき声

昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、北摂のマンションに在住。   

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