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12月30日(月)

いよいよ押し詰まり、令和元年も今日と明日の2日間を残すだけとなった。

もう2日しかないと考えるか、あるいは、まだ2日もあると見るかは、それぞれの人の感性によって異なるだろう。

それはともかく、このブログはこの記事を持って年内は終わりとさせていただく。

最近のトレンドとしては、ツイッターやインスタグラムのほうがもてはやされているが、私はそれらとは縁がなく、アカウントも持っていない。

ブログで書いていくしか能がないのである。

カッコいい言い方をさせてもらうならば、ブログでの自己表現にエネルギーを投入しているとでもなるのか(汗)。

ただ、私自身はブログを媒体にして、実に多面的な勉強ができたと思っている。

大人になり切れていない私なので、取るに足らない迷い事もたくさん抱えている。

お読みいただいたかたから適切なアドバイスを賜り、どれほど助けられたことかわからない。

実務的なジャンルでも、圧力鍋の便利さや、魚はフライパンにクッキングシートで焼くということも、家庭で料理をしたことのある人には常識なのかもしれないが、無知な私には目からうろこの斬新な情報であった。

これも毎日の生活の中で大いに役立っている。

ひとり暮らしを始めて1年半、もし拙ブログを介してのコミュニケーションがなかったとしたら、私がどんな生活をしていたことか、想像するだに恐怖心に包まれてしまう。

ブログを通じて何かとご指導を頂戴した人たちには、心からの感謝を申し上げる。

なお、大晦日は昼間は最後の掃除と買い物、夕方から一人忘年会の予定だ。

元日は、標準的日本国民らしく、家族で神社に詣でて帰宅後におせちを祝う。

二日は新年の挨拶に出かける。

そして、年明けの1月3日から、再度、記事を書いていく予定にしている。

「もう書かなくていい」とのコメントはご容赦願いたい(涙)。

それでは、皆様がたがご多幸なる新年をお迎えになられますように、祈念申し上げます。



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コタツにミカンはお正月の定番の光景だ
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12月29日(日)

年末年始をホテルで過ごす予定について、嫁の急病という事態を受け、どうするかを検討していたことは記事にもした。

その最終結論が出た。

ホテルで過ごす計画は、結局、すべてキャンセルすることにしたのである。

コメントを寄せていただいたかたからのご助言どおり、私から妻に、「娘一家だけに行ってもらったら?」と持ちかけたのだが、娘一家も行かないこととなった。

家族で新年を迎えるというのが趣旨であったのに、娘のところだけ行くというのはいびつなものだ。

娘も納得しているし、お泊りを楽しみにしていた孫娘たちも、親の言うことには素直に従ってくれたようだ。

元旦は戸建ての家で娘一家とともに、おせちを祝う予定である。

急におせちの手配をしなければならなくなった妻は大変だ。

まさか年末ぎりぎりまで押し詰まったタイミングで、今さら注文はできない。

バラの食材をスーパーで買い集めて、おせちの形をとるようだ。

身内だけのことだから、体裁は二の次の問題である。

おかげで、妻と私だけの殺風景な新年を過ごさなくてもよくなった。

なお、家族忘年会も中止になったが、そのかわりに新年会をする心積もりをしている。

神奈川に行ってしまった息子一家の参加ができないのは残念だが。

考えようによっては、これは最も望ましい形に収まったのではないかと思う。

やはり、自分の考えていることを言ってみるものだ。

ここまでは、めでたしめでたしの話なのだが、ちょっとばかり引っかかることもある。

嫁が神経過敏になっていて、妻から何回もメールを入れていることに不快感を持っているらしいという話が伝わってきたのである。

嫁がインフルの症状に苦しんでいる状態で、妻からのメールが頻繁に送られてきて、そのことが神経を逆なでされるように感じたのかもしれない。

もちろん一過性のものだとは思うが、これが元で嫁姑の葛藤の問題に発展していきやしないか、それが気がかりだ。

私の心配性は年末でも健在である(汗)。



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”ひとりおせち”を買っておいたが表舞台には出てこないようだ
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12月28日(土)

朝、マンションの管理組合の理事長と簡単な打ち合わせをした。

管理会社が作成した12月理事会の議事録原稿について、その内容確認を二人で行うためである。

多くのマンションでこの手順をとっているようだ。

正確でポイントを押さえた議事録を作ってくれれば、完全にお任せができるのだが、そうは問屋がおろさない。

数字の間違いや、重要項目が抜けていたり、適切でない表現があったりする。

それを二人で見ていって、より完成度の高いものにしていこうという趣旨で行っている。

先々月からこのやり方を取り入れたが、慣れてきたのか、今日などは10分で終わって、あとはしばし雑談を交わしたほどだ。

打ち合わせが終わって、別れ際に年末の挨拶をしたのだが、そのとき、ほんの少し悪い予感がした。

というのは、現在は28日で、新年までまだ4日間が残されている。

「どうぞよいお年を」と言っておきながら、また顔を合わせることになると、バツの悪いものだ。

同じマンションに住んでいるのだから、どこでばったり会っても一向に不思議でない。

もちろん取るに足らないことだから、意に介さないようにすればいいだけの話である。

しかし、私にはそれが気になるのだ(汗)。

そして、まさかというドラマが始まった。

打ち合わせが終わって部屋に戻り、すぐに図書館に向かった。

予約していた本が借り出し可能になったとのメールが来たので、取りに行ったのである。

すると、驚き桃の木サンショの木、図書館の入り口前で理事長が娘さんと一緒にいる場面に出くわした。

「先ほどはどうも・・・」と笑いながら話して、お目当ての本を手にした。

図書館を出てから近くのスーパーに行き、買い物を済ませてマンションに帰った。

やれやれと思いつつ部屋を目指して歩いていると、インド人もびっくり、また理事長に出会ったのである。

「今日はよく会いますね」と笑顔で言われたが、2回も偶然が重なる確率は極めて低いのではないか。

”二度あることは三度ある”という。

マーフィの法則にも似たようなものがあったと思う。

また年内に、彼とばったり顔を合わせることがあるかもしれない。

そのときにはどんな言葉を発すればいいのだろうか、考え込んでしまう。


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年内はずっと引きこもっていれば会うこともないが・・・
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12月27日(金)

妻からの話で、嫁のインフルエンザがまだ熱が下がっていないらしい。

昨晩の時点で、「フラフラの状態」とのこと。

メールへの返信も打てないほどの衰弱ぶりというから、これは根が深い。

感染症だけに本人の症状が収まったにしても、他の人にうつすリスクがある。

慎重の上にも慎重な対応をする必要がある。

さしあたって、家族の年末イベントをどうしようか、との話になった。

日曜日に予定していた家族忘年会は中止、そして、年末年始を神戸のホテルで過ごす計画も、娘一家だけが行くこととなった。

私も楽しみにしていただけに、残念至極であるのは言うまでもない。

妻の考えでは、家族全員が集まるという前提で発想したイベントなので、息子一家だけが欠席するというわけにはいかない、と主張している。

私とはその辺が違っているが。

ただ、神戸のホテル行きは娘一家の孫娘たちが部屋での宿泊に胸をときめかせているだけに、特別に実行することになった。

ここまでは決まったのだが、では私たち夫婦はどうするかで、目下、考え中である。

妻の案としては、
「元日に娘一家が遊びに出たときにランチで合流し、そこでおせちをする」
というもの。

ただ、せっかくの家族水いらずの場なのに、娘婿が気を遣うのではないかと懸念している。

私は、これはまだ言っていないのだが、
「正月三が日は何もしないで、開けてから娘一家と食事会をする」
とのアイデアを持っている。

とってつけたような感はあるが。

夫婦二人きりのお正月というのは、にぎやかさには欠けるだろうが、そういった静かなひとときを持てるのは貴重な体験ではないか。

ともかくも1週間前には想像もしていなかった事態に直面し、禍福はあざなえる縄のごとしの心境である。



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病人からすれば、正月の過ごし方どころの問題ではない。
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12月26日(木)

週刊新潮が、5年ほど前に”スタップ細胞”で一世を風靡した美貌の女性研究者の今を伝えていた。

なんでも、男性と一緒に住み、ケーキ屋さんでアルバイトをしているらしい。

ときどきマージャンを打つこともあるとか。

往時、押しも押されもせぬリケジョとして彼女の名前は知らぬ人がないほど、まぎれもない時の人であった。

ただ発表論文のコピペ問題から、急転直下、疑惑の人となってしまったことでも強烈に印象に残っている。

ノーベル賞候補の話まで出ていた人が、最後には記者会見で厳しい追及を受ける事態にまで追い込まれてしまったのだから、その落差はあまりにも大きい。

みすからの体験をもとに本を出したり、あるいは芸能界デビューもささやかれたことがあったが、いつの間にか世間から忘れられていった。

今回、週刊誌で報道されたことで、再び人々の記憶によみがえったのである。

ただ、あえて暴露する必要があったのかどうか、はなはだ疑問でならない。

当時の不正論文のことは責められても、現在、同棲していたりケーキ屋さんで働いていることなどは何ら問題はないこと。

麻雀にしても賭博にからんでなければ、正当な趣味として認められているもの。

公人でもないのに、こっそりと撮影した写真を雑誌に載せる意味なんてないと思う。

そもそもニュースバリューがない。

一市民として平穏に暮らしている人に、こういった仕打ちはなかろう。

この報道ぶりを見ていて考えたのだが、こんな理不尽な叩かれ方をするのは、彼女が美人であることと関連があるのか、ということ。

もし彼女がブスとまでは行かなくても、平凡な容姿の女性であったとしたら、ここまでバッシングを受けただろうか、そんな疑問がわいてきたのだ。

美形だからこそ世間の注目を集めるというので、その話題性に目をつけた出版社が追いかけたのかもしれない。

あるいは、逆に、美人だから記事内容にも手心を加えた、という側面があるかもしれない。

どちらが事実かは私にはわからない。

誰かの言葉に
「美人はとかく人騒がせ」
というのがあった。

その言葉の重みがわかるような気がする。



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かつては彼女の割烹着姿がよく取り上げられていた
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12月25日(水)

私の某所属団体から新年会の案内が届いた。

総会に名を借りた新年会をやるのが年始の恒例となっているが、毎回、気になる点がある。

文章の書きだしが、
「謹啓 歳末の候、貴兄には益々ご清栄の段お慶び申し上げます。」
となっている。

おそらく案内状はテンプレートをコピーして日時だけを変えて使っているのだろう、”貴兄”も以前から全く変わっていない。

私の感性では、”貴兄”はかなり親しい間柄であることが前提で使っている言葉だと受けとめていた。

つまり、遠慮の必要な先輩に対しては使わないほうが安全だと、心の中で考えていた。

この団体は、言うならば地域での懇親が趣旨であり、社交サロンにもたとえらえることがある集まりである。

仲間同士で和気あいあいと飲んで語るのが活動の内容なのだから、そういった意味では親しい人の間での呼称として使うのは間違いではなかろう。

ただ、同期会のように、上下関係がなくて横一列になっているのであれば、”貴兄”を使うのはOKだろうが、この団体はそこが事情が違っている。

年齢的にも上は80歳をはるかに超えたかたもいらっしゃるし、社会的なポジションとしても自治体の首長をされている人もおいでになる。

そういったバランスから言うと、「親しい」という表現はそぐわない感が濃厚だ。

今回、その団体の会長が大きく若返ることとなって、私よりも若い人が就任した。

で、その人の名前で送られてきた案内状に、”貴兄”とあると抵抗を感じる人も少なくはないはず。

たぶん事務局のほうで案内状を出しているので、新しい会長にしてみれば「オレは知らん」ということになるかもしれないが。

私の思いをこっそりと新会長に伝えたほうがいいのか、そんな細かいことはあえて言わないほうがいいのか、迷っているところである。

ちなみに、”貴兄”にかわる言い方としては、”貴台”あるいは”皆様がた”が適切ではないかという気がする。

二人称の使い方というのは簡単ではない。

とるに足らない話かもしれないが、案外、こんなささやかなことでトラブルが起こるものだ。

 

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迷ったときは丁寧な言葉を選んだほうが無難である
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12月24日(火)

思いもかけないプレゼントをもらえるというのは、言い表しようのないほどうれしいものである。

今日、孫娘二人が作ってくれたケーキを受け取った。

手のひらに余裕で乗るような小さなものではあるが、あの二人による手作りの作品だと思うと、かけがえのない貴重なプレゼントに見えてくる。

つい今朝ほどまで予想だにしていなかったことだけに、まさに望外の喜びそのものである。

もちろん、私一人だけのために作ったのではなく、両親や祖父母を頭に入れてのクリスマスプレゼントであることは言うまでもない。

そのことは重々わかっているものの、それでもあたかも自分だけのために用意されたかのような特別感があるのだ。

食べてしまうのがもったいないような気がしたが、さりとて後生大事に持っておくわけにもいかない。

心行くまでしみじみと味わいながら食べた。

一人だけの夕食ではあったが、華やかな空気を満喫させてもらった。

ところで、アメリカに渡っていた息子一家であるが、今も東京のホテルにて雑務を処理しており、27日に大阪に戻ってくる予定である。

リアルな対面がかなうのは楽しみでならないが、あろうことか嫁がインフルエンザB型に感染し、他の3人もインフルではないよだが、熱を出している。

不幸中の幸いで、今年は”年末の大掃除”の必要がないのが救いだ。

切迫した用事がないだけに、治療に専念できる。

荷物は大阪で預かっていて年明けに神奈川県の新居に発送する手はずになっているが、それまでにはインフルは全快しているはずだし。

嫁はクリスマスどころではないが、来年の4月には休職していた会社への復帰もしなければならない。

頭の中は、子育てと仕事のことでパンク寸前になっていることだろう。

早く症状が過ぎ去って元気を取り戻してほしいと、心から念じている。

 
 
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上の孫娘はハート型が好きである
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12月23日(月)

白内障の検査のために、月1回、眼科クリニックで診ていただいている。

ちょうど目薬がなくなるタイミングでもあり、サイクルとしてもピッタリだ。

今日も、検査の結果は「進行なし」であった。

もちろんこれはこれで喜ばしいのだが、近眼と老眼と乱視の上に飛蚊症にやられているので、目が見えくいことこの上ない。

夜のクルマの運転や、本を読んだり、パソコンのモニターを見るのは大いに疲れる。

加齢に伴う症状だからと言われたら我慢するしかないが、フラストレーションがたまってしかたない。

命にかかわる症状ではないものの、快適な生活をする上では大きな障害になっている。

いっそ白内障の手術を受けたら、そんな不快感がかなり解消するのではないかと思っていたが、世の中、甘くはないようだ。

人によっては、術後に目がよく見えるようになって、余計に飛蚊症が派手に感じられるようになったケースもあるとか。

何をやっていることかわからない。

こう考えると、手術は受けなくて済めばそれに越したことはないとの判断になる。

いまもらっている点眼薬は、治療の効果はなく、あくまでも進行を止める役割しかないという。

根本的な治療にはならなくても、今よりも悪くならないようにするために、指示通り、1日4回の目薬は欠かしていない。

ところで、今朝、年末年始に旅行をするが、やはり4回の点眼が必須なのかをお尋ねしたら、
「3回か4回でお願いします」
との医師のお返事であった。

極めてファジーである。

2年前から診ていただいているが、そのときから医師に指示され、「1日4回」は絶対のものと思い込んでいた。

今朝の医師の話によると、そうでもなさそうだとわかった。

診察が終わって帰るとき、受付でいただいた目薬の容器に、
「1日3~4回点眼」
と手書きされてあったのを見て、思わず苦笑した。

私が完璧を求め過ぎているのだろうか?


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旅行中も4回の点眼を心がけていくつもりだ
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12月22日(日)

今日は冬至で、太陽の照っている時間が1年で最も短いと言われている日であった。

言い方を変えると、明日からは昼間の時間帯がだんだんと長くなる、ということである。

こんなところから、これから運が良くなることを暗示しているとして、世界の多くの地で大切な一日とされているようだ。

日本では、冬至の日にカボチャを食べる慣習がある。

なんでも、カボチャは”ナンキン”とも言い、”ン”が二つ付くので”運”を連想させ、縁起がいい食べ物と受け止められている。

”レンコン”や”ニンジン”もそういう意味ではラッキーアイテムになるらしい。

この伝で言えば、レンジで温めて食べるものも”レンチン”というから、運気向上に役に立つことになるのだろうか。

しかし、たとえばコンビニで買ってきた弁当をレンジで温めて食べただけで、それでもって幸運に恵まれるとはちょっと考えにくい。

おそらくは、カボチャの持っている滋養分に着目されたことで、「冬至はカボチャを食べる」との風習が定着したのではないかと思っている。

カボチャはビタミンAやカロチンが潤沢に含まれているので、風邪や血管の症状の予防効果が期待されている。

昔の人は経験的にそういったことを知っていて、冬の季節にカボチャを食べることを推奨したのではないか。

もっとも旬が終わった野菜を保存しておくのは、現代のように容易にできるものではない。

また、冬でも南半球の国から輸入できるわけでもなかったから、その時代は冬のカボチャは貴重品に位置づけられていたと想像している。

昨今は、スーパーで簡単に買えるのだから便利になった。

私は日常的にカボチャを食べているので、冬至ならではの食べものとの印象はない。

しかしながら、身近な野菜であるカボチャの名前を頻繁に見聞きする今日という日は、私にとっては特別な一日だと感じる。

私の世界では、今日はカボチャ記念日である。



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実だけでなしに種も栄養豊富だ
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12月21日(土)

スーパー銭湯に行って体重を量った。

家には体重計がないので、いつもこの場を利用させてもらっている。

今日は47.5㎏であった。

この夏が45.0㎏で、これは1年を通じて最も軽いタイミングだと思う。

言うまでもなく猛暑により食欲が低下していたことによる体重減である。

その後、秋口になっておおよそ46.5㎏をマークするようになった。

それが続いていたのだが、なのに今日はいきなり47.5kgとなっている。

何があったのだろうか。

ひとつ考えられるのは、鉄分不足を解消したいがために必要以上の食べものを口にしたのではないか、ということ。

鉄分を摂ることができると聞くと、どんな食材であってもまずは口することにした。

それぞれ一品ずつは微々たる量であっても、全部をトータルすると、少なからぬ量になるものだ。

個別の品目を見ても、お餅や麺類、芋類、砂糖入りのココアなど、いわばダイエットの敵とみなされている食材をよく食べている。

この影響は無視できないと思う。

そして、もう一つ。

10月から一日二食に踏み切っている。

今までは3食であったものが2食になるので、必然的に1食あたりの量は増やさざるを得ない。

増えた分がそのまま体重増になったような気がするのが、この点はどうなのだろうか?

相撲取りが一日二食であり、強靭な体を作るために、あえて空腹状態にしておいてから大量に食べる流れにしていることを思い出した。

やはり一日二食は体重増加につながるのかもしれない。

そして、これは人によって違っているだろうが、私はストレスが溜まってくると食べものを口にすることによって、不快な感情を忘れようとする傾向がある。

だから、会社を退職してから食欲も下がり、体重も減ってきたのである。

最近は、自分でも気づかないうちにストレスにさらされていて、つい食べることで心の鬱屈を晴らしたい衝動に駆られ、結果として大食いになり体重が増えた、ということではないか。

しかしながら、そのストレスの正体というものがわからない。

会社勤めの時代に比べれば、昨今はストレスなどはほとんど感じていないはずなのだが。

いずれにせよ、”食欲の秋”ならいざ知らず、”食欲の冬”なんて情緒は全くない・・・。



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無心に食べていると快感を味わえる
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12月20日(金)

最近はあまり口にしなくなった言葉だが、今日12月20日は”果ての二十日” (はてのはつか)である。

1年の最後の月の20日ということで、この日は身を慎んで外出を控えるのが好ましいとされている。

もちろん、会社勤めの人はそんなわけにはいかないだろうが、今日がこういう日だと言われると、どことなく気になるものである。

私も、たまたま思い出したものだから、幾分かは気になった。

とはいえ、散歩や最低限の買い物のためには外に出なければならない。

快適な生活を送るために必要な用事だけは、たとえ外に出ることであっても避けて通れない。

交通事故やひったくりなどの災難には十分に注意を払いながら、天下の公道をおずおずと歩いた。

逆に、これはチャンスだと、先延ばしにしていた年賀状の準備を片づけることにした。

これなら、家の中でできる。

元旦に配達されるためには、25日までに投函するのが望ましいと聞いている。

実は、ほとんどは印刷は完了していて、あとは親しい相手に出す賀状に添え書きをちょこっと付け加えるだけ。

印刷できていないのは、苗字に”つちよし”の「吉」の字が含まれている人の分が2枚である。

常用漢字では「吉」であるが、「土」と「口」の組み合わせにした文字を苗字に使っている人がいて、ご本人もそれが正式の漢字だと信じている。

”つちよし”は環境依存文字なので、WEBでは表現することができないが、年賀状に印刷するのは何の問題はない。

牛丼の”吉野家”さんも、正式にはロゴマークの書き方のように”つちよし”であるが、ネットでは”吉”であらわさざるを得ない。

そこで、私も外字登録することによって”つちよし”を作りだし、それを年賀状にプリントアウトすることにした。

昨今のハガキソフトは機能が充実し、拍子抜けするほど簡単に外字を登録することができる。

その点は助かったが、それより先に、”つちよし”を人名漢字として認めてくれれば、もっと円滑に事は進むのだが。

何か都合の悪いことでもあるのだろうか。

”果ての二十日”はほとんど家の中にいたのだが、少しばかり波乱含みであった(汗)。



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去年までは無頓着に”吉”で年賀状を出していた
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12月19日(木)

貧血の検査の結果を聞きにクリニックに行った。

一昨日に血液の検査をして鉄分の値を調べてもらったのだが、一か月間、鉄剤を飲んでいたにもかかわらず、あまり数値が上がっていなかった。

先月が53であったところ、今月は64までしか上がっていない。

3年前に検査したときは92もあったので、確実に減少していることは確かだ。

医師としても思惑と違っていたというのか、直前にガン検査を受けた時期について問われた。

大腸は受けたものの、胃については今年は受けていないことを言うと、
「できるだけ早いタイミングで胃の内視鏡検査を受けてください」
との指示である。

その言葉のすぐあとで、
「おそらく加齢性による貧血ではないかと思われますが・・・」
と続いた。

あまり脅かして私の血圧が高くなってはまずい、と思われたのだろうか。

今後の処置としては、鉄剤をもう1錠増やすこととなった。

それだけで済んでよかったと、私は胸をなでおろした。

今晩は、同窓会の幹事をした仲間との忘年会であり、”アルコール禁止”とでも言われたら、意気消沈してしまうところであった。

おりしも、息子一家が無事に帰国した日でもある。

その祝杯を上げるとの意味合いもあって、気の置けない友人たちと杯を交わすことを楽しみにしていただけに、もしそれがご法度となれば”残念”だけでは済まないものがある。

油断してはいけないが、たぶん年齢が上がってきたことでの貧血症状ではないだろうかと、私の心の中でひそかに結論を出した。

モノの考え方ひとつで、人間はどこまでも幸せになれる。

ちょっと前からの疑惑に区切りがついたので、これで心安らかに新しい年を迎えることができるだろう。


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明日からは鉄剤が2錠に増える
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12月18日(水)

昨日、東京オリンピックの聖火リレーのルートとランナーが発表された。

家の近所のコースとしては万博記念公園が比較的近い。

とはいえ、あえて見に行くほどの関心は私は持ち合わせていない。

大阪だけのことであるが、ランナーの顔ぶれを見ていても、なぜ選ばれたのか、その根拠がよくわからない人もいる。

芸能人というか著名人も多く、結局はお祭りの雰囲気づくりなのかとも思ったりする。

総花的にいろんな立場や階層の人を選んだようだが、まるで『24時間テレビ』の企画を連想してならない。

たとえば、アスリートに焦点を絞った人選をしておけば、より強くアピールできたはずである。

それにしても、99歳の高齢のかたなど、体力的に大丈夫なのかとの懸念を拭えない。

高齢社会の代表選手として選抜されたわけではないだろうが。

毎回、オリンピックのたびに疑問に感じているのだが、そもそも聖火リレーはナチスのヒトラーによって導入された経緯を持っており、それを現代も引き継ぐべき必要があるのか、ということ。

ナチスとしては、いうまでもなく国威高揚を画策し、同時に、敵情視察のための情報収集の意味合いを持っていたことは想像に難くない。

北京オリンピックのときは聖火リレーに際して、チベットなどの被抑圧国からは猛烈な抗議があったのも、聖火リレーのルーツを考えるとわからなくもない。

それ以来、開催国以外での聖火リレーは禁止になったが、いっそ、聖火リレーそのものをやめてしまえばよかったと思う。

聖火はオリンピックのシンボルの一つかもしれないが、過去のネガティブな印象が色濃く残っているだけに、その空気を一掃するのも現代の人間の責任ではないか。

オリンピックはあくまでもスポーツ技術を競う大会であるのだから、政治とはかかわるべきではない。

オリンピック開催まであと219日。

選手にしてみれば、もう目の前に迫っているというのが偽らざる感覚だと思う。



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大阪でのランナー最年少は小学校6年生である
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12月17日(火)

散歩コースの一つに、駅の近くの交差点を通るものがある。

その交差点は改札口が目と鼻の先にあり、信号待ちをしていると、電車が出ていったり到着したりの動きもくっきりと見える。

だからか、特に朝など、改札口めがけて走っている人の姿を見かけることも多い。

自分が乗りたい電車がホームに入ってくるのが視界に入るのだから、体が自然と動くのも理解できるところだ。

時には、交差点の信号を待ちきれずに改札に向かう光景も見られる。

それが青信号になるちょっと前にフライイングするとか、あるいは逆に、黄色から赤になろうとしているのに強行突破をする程度であれば、仕方ない側面もあるかもしれない。

クルマの側はストップしている状態だから、アクシデントにつながる危険性は低いと思う。

しかし、今朝は明確な信号無視を見た。

歩行者側が赤のとき、女子高生と見られる人が走って渡っていたのである。

電車が入ってきているので、おそらくはそれに乗るつもりなのだろう。

何も知らずに走行していたクルマがクラクションを鳴らしたものの、彼女はチラッと顔を向けただけで、何ごともなかったように、そのまま走り抜けた。

クルマのドライバーは、思いも寄らない事態に、一瞬は驚いたに違いない。

ただ、はねてしまうほどの距離でもなかったので、血圧が上がったぐらいで済んだのだろう。

むしろ、見ていた私のほうが肝を冷やしたぐらいだ。

彼女は、クルマの恐さを知らないのだろうと思う。

「クルマのほうが歩行者をよけてくれるはず」とでも考えているのではないか。

ドライバーに対しては、飲酒運転やあおり行為の禁止などが厳しく求められているが、歩行者にも交通ルールの遵守の指導が必要だろう。

もっとも、高校生に向かって「信号は守りましょう」「飛び出しはやめましょう」などと教えるのも、いささか恥ずかしい気もする。

ちなみに、道路交通法では、歩行者の信号無視は
「2万円以下の罰金又は科料」
の罰則となっている。

実際に適用された例があるかどうかはわからないが。



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諸外国に比べて日本人は信号をしっかり守っているらしい
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12月16日(月)

今のマンションに引越してきて、約1年と半年が経った。

周辺の徒歩圏内の地理については、ほぼ頭に入ったと思い込んでいたが、実はそうでもなかった。

わが家の最寄りの電鉄は”阪急電車”だが、並行する形で”北大阪急行”も走っている。

ほんのときどき、北大阪急行を利用することもあるのだが、距離が離れているのが難点だ。

正規のルートだと、バスを使わないことにはたどり着けないのだが、迂回したり待ち時間があったりして、使い勝手が良くない。

そこで、約30分をかけて歩いていたのである。

今朝、ふと思い立って、NAVITIMEで行きやすいルートがないかを検索してみた。

すると、マンションのすぐ近くの道を通れば、20分弱で到着するという。

これを見逃す手はないと思い、早速、実際に歩いてみた。

その近くまでは頻繁に行くものの、その先に何があるかまでは考えたことがない。

まさか、こんなところに、抜け道があるとは思ってもいなかった。

急な下り坂であり、時には階段になっているところもあったほどだ。

なるほど、そこを通れば、目指している駅まで20分足らずで行くことができた。

これは儲けものだ。

自分の経験だけで判断していたのでは、見落としてしまうものである。

次からは、このルートを使うことにするのは言うまでもない。

ただ、夜の遅い時間帯にはちょっと怖い気もする。

オヤジ狩りに遇ったら大変だ(汗)。

身に沁みて思ったことが、自分の想像で判断するのではなく、地図ソフトを使えば正確な情報がキャッチできる、ということ。

地図に限らず、あらゆる物事に通じると思う。

それにしても、こんな抜け道を知っている人は地元でも少ないのではないか。



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どちらに行けばいいか迷うこともあった
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12月15日(日)

お歳暮にお餅をいただいた。

お正月の雑煮を意識したもので、紅白丸餅や角餅などが入っている。

東西のバランスをとったようなフシもあるが。

私ひとりでも食べられるボリュームではあるが、それではもったいないし、味気ない。

やや小ぶりなサイズなので、これなら小さい子供でも食べられると思い、お福分けとして孫娘のところに持っていった。

事前にメールしてあったからか、玄関のインターホンを押すと、小学校1年生の孫娘がドアを開けてくれた。

無邪気な笑顔で迎えてくれたのが、何よりもうれしい。

幼稚園年中の孫は、誕生日に買ってもらった化粧箱セットで遊ぶのに余念がない。

明日から3日間行けば、幼稚園は休みになるという。

母にとっては、この冬休みは長過ぎるかもしれない。

孫娘たちには紅白のお餅というのが珍しいのか、特に上の子は早く食べたがっていた。

昨今は町の中でお餅つきをやっている光景を見かけることが激減した、と思いつつ駐車場まで帰ってきたら、すぐ横の小学校で餅つきをやっていた。

杵の音が聞こえてくるので、すぐにわかる。

昨今のことだから、小学校の中にふらっと入っていくことができない。

しかし、遠目に見ていても、臼のまわりに多くの子供たちが興味深げに餅つきに見入っているのがよくわかる。

まごうことなき年末の風物詩の一つだ。

昨今は機械で餅を製造するようになり、特別な日だけに食べるものではなくなって、中には毎日の食事で主食にしている人もいるようだ。

わかる人に言わせると、杵でついた餅と機械でついた餅とでは違っているらしい。

私などは、お餅の伸びが違うことぐらいしかわからないが、詳しい人だと食感が全く別ものだという。

もちろん、杵でついた餅こそ正統なものだが、このままで推移すると、いずれは「お餅はスーパーで買うもの」というのが常識になる時代になるかもしれない。

そう考えると、学校の中で餅をつくというのは、日本の伝統を子供たちに語り継ぐことにほかならないのだから、すこぶる価値ある営みだと思う。



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「餅は餅屋」という言葉があるが、それほどに奥深い食べ物だ。
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12月14日(土)

大阪の北の玄関口と呼ばれる梅田に足を運んだ。

先日、記事にしたが、学校時代のOB会の事務局長を受けるにあたっての引継ぎのためである。

昼を食べながら、ということで、グランフロント大阪の中の魚料理の店に連れていっていただいた。

このグランフロントは5年ほど前にできた大型の商業施設で、レストランやショップ、ホテルなどが入っている。

押しも押されもせぬ一等地で、ほうっておいても大勢の人が集まるのは言うまでもない。

しかも、土曜日の正午前後とあって、予想はしていたものの、ほとんどの店の前には順番待ちの行列ができていた。

運良く、その魚のお店はたまたま空席があったので、中に入ることができたのである。

魚の料理は、若い人にはもう一つ人気がないのだろうか。

なんでも、そのお店では朝に獲れた魚を料理して出している、という。

スーパーで、98円のサバの切り身を買い求めている私からすれば、至上の贅沢というしかない。

ちなみに、2,480円の定食をご馳走になった。

2,480円のランチなんて、私の日常からすれば異変そのものだ。

刺身のツマはもちろん魚の皮まで、余すところなく完食した。

だからどうか、先輩は早くに食べ終わり、やや手持ちぶさたぎみに世間話に話題を移された。

私は食事のスピードが遅すぎるのだろう。

そして相手を待たせるという無礼を演じてしまう。

「よく噛んで」ということを意識すると、どうしても時間が長引くのは仕方ないと思う。

しかし、自分一人のときならともかく、相手がいるときは配慮に欠けるふるまいだ。

ひとり暮らしになってからは、余計に食事の時間が長くなってしまったようだ。

学ばなければならないことは、私にはたくさんあり過ぎる(汗)。


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魚の名前が何であるかがわからなかった
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12月13日(金)

メガネフレームの点検を受けてきた。

毎年、誕生月になると、メガネを買ったお店から無料点検の案内が送られてくる。

私は11月生まれなので、先月にハガキはもらっていたのだが、行きそびれていて年末になってしまった。

お店に入ると、背の高いスリムな女性が迎えてくれた。

彼女が調整をしてくれる人のようだ。

ひと目見て気がついたが、なかなかの容姿端麗である。

楊貴妃や小野小町とまでは言いがたいが、それでも乾いた日常生活を一瞬にして潤してくれるような美しさをまとっている。

歳の頃、30代後半か40代の入り口ぐらい。

彼女目当ての客も少なくないことだろう。

ただ、なぜか彼女はメガネをかけていない。

メガネ販売をしているお店のスタッフなのだから、自分に似合ったメガネをかけることで、とりわけ女性客の心をつかむというのは販売促進のセオリーではないか。

もったいない話だ。

稲田朋美さんのように、伊達メガネでもいいから店の業績向上のために演出をするのは大事だと思う。

高齢者の肉食をめぐっては賛否両論があるが、少なくともステーキハウスでは
「お年寄りはタンパク質を摂るのを積極的に!
それにはステーキがベストです。」
などとのステッカーが貼られていることがある。

医学的にどうであるかはともかく、ステーキ店としては、より多くの客を集めるためには肉食を賞賛するしかない。

メガネ店も同じである。

イメージがよくなるようなメガネをかけるのは、従業員としての基本的な心構えだと思う。

以前、浅茅陽子さんが”焼き肉のたれ”のテレビCMに出ていたものの、ある対談番組で自分がベジタリアンであることを口にしてしまって、たちまちCM中止の騒動になった事件があった。

これはスポンサー側としては当然の対応だ。

違法薬物を所持していた女優が逮捕され、彼女の出演しているドラマがお蔵入りしたのとは、レベルの違う話である。

自分の好き嫌いをどこでも主張していい、というものではない。

メガネの点検を受けている10分ほどの待ち時間にそんなことを考えていた私って、やっぱりヒマなのだろうか?




口は災いの元とはよく言ったものだ

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12月12日(木)

年金生活者になってからというもの、頼まれごとの中味が今までと違ってきた。

何らかの役を受けてほしい、というのが大部分を占めている。

職場で現役でいたころは、カネを貸してくれ、モノを買ってくれ、契約してくれ、縁談を紹介してくれ等々が、跡形もなく姿を消した。

いまや、何とか協会に入ってくれ、まとめ役になってくれ、役員になってくれなどに様変わりしたのである。

共通しているのは、「名前を借りるだけ」「月に1回1時間だけでいい」との修飾語がついていること。

さすがにこの年齢になると、それは単なる外交辞令に過ぎないとわかっているが。

保護司や民生委員は私にはあまりに荷が重いので、丁重に固辞した。

そのかわり、何とか団体のOB会のような団体の役は、幾つも割り振られた。

あけすけに言えば、昔の仲間が集まって飲んだり食べたりが目的の団体である。

社会的責任もなければ、会員の人生を左右することもない。

お気楽でノンキな集まりだから、私が役員に名を連ねていても心理的な負担は感じない。

ただ、できるだけ上の役職には就かないように留意はしているが。

そんな団体の一つで、会員数が1,000人近い規模のものがある。

学校の同窓会の学年を超えた集合体で、今年の2月に、その団体の次期事務局長をやれと、トップから仰せつかった。

その際の会長は私の一つ上の学年のかたで、比較的懇意にさせてもらっている間柄のかたである。

その先輩からも声をかけられたこともあって内諾をした、というのが実際の経緯だ。

しかし、敬愛する先輩が、会社の業績がにわかに悪化したとの理由で、次の会長職を辞退したいと申し出てきたらしい。

聞いたのは、今日の今朝が初めてである。

本人からは直接には伺っていないというものの、仕事が理由であれば、私が翻意を迫るようなマネはできないし、する気もない。

私にしてみれば寝耳に水のことであり、実のところ、私の心の内もかなりの動揺をしている。

お楽しみ会がメインの団体であるとはいえ、私よりも年齢も学年も上のかたがたくさんいらしゃるのだから、自分が役職についているとかなりの気遣いは避けられない。

そのニュースを耳にしてからは、不安に包まれている。

まさか、「私も辞退します」なんて余計に混乱を広げるだけだから、その選択肢はあり得ない。

極楽トンボの毎日を謳歌していた私には、ちょっとした逆風である。

今年の漢字は”令”に決まった。

令和2年はどんな年になることやら。



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豚もびっくりするような情報であった
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12月11日(水)

夕食は麻婆豆腐にした。

もちろん、スーパーで買ってきた”麻婆豆腐の素”から作ったものである。

寒さをしのぐには、あの辛さが最も手っ取り早い。

塩分含有量が1人前で2.6gとなっているので、最初は躊躇していた。

一回に作る単位が3人前なので、合計すると約8gになる。

努力目標の6gははるかに超えてしまう。

しかし、麻婆豆腐の魅力には逆らえない。

それに、頻繁に食べるものでもないので、お目こぼしいただけるものと勝手に考えている(汗)。

で、期待に胸をふくらませて完成品を食べてみたのだが、肝心の辛さが足らなかった。

麻婆豆腐の持ち味は舌をヒリヒリさせる辛みにあるのだが、それが不足していたのである。

舌がしびれ、骨の髄から熱さがこみ上げてきたとき、初めて麻婆豆腐を食べた実感がわいてくるものなのに。

実は、強-中-弱の辛さ度合いの商品の中から、買ってきたのは”中”であった。

この見たてが間違っていたのかもしれない。

”強”を選ぶべきであった。

なんでも、ネットで調べてみたら、麻婆豆腐の辛さは”花椒”という香辛料のなせるわざらしい。

”ホアジャオ”と読むようで、日本での”山椒”の仲間だという。

中華料理では極めて一般的に使われている香辛料で、日本のスーパーでも売られているらしい。

なら、”花椒”を買ってきて、それを振りかければ辛さが出てくることになるのか。

実験してみる値打ちがあると思う。

これはこれで好奇心を掻き立てられるものだ。



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ニラを少し入れてみたら、それらしくなった。
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12月10日(火)

日本にやってきた留学生の「日本語発表交流会」に行ってきた。

米国のさまざまな大学から日本の某大学に留学している学生たちが、自分なりのテーマで発表をするというものである。

趣旨としては、日本語の勉強の成果を発揮したいということと、日本人とのコミュニケーションをとることである。

8人の留学生がやってきて、聴衆の数は30人弱。

8つのパネルを用意して、関心のあるテーマのところで学生の発表を聞き、ディスカッションするというプログラムであった。

私が最初に訪れたのは”日韓関係について”のパネルであった。

政治学が専攻で、「大日本帝国」にターゲットを絞って研究をしている女性がスピーカーである。

彼女の留学先の学生40人にアンケートをとって、その結果をもとに発表をしたのだが、結果的には現在の韓国政府の主張を代弁しているものとなっていた。

質疑応答では、私のほうから事実関係を挙げていく形で、彼女の”誤解”を解いていったつもりだが、理解してもらえたかどうかは今一つ自信がない。

時間も限られているし、そもそも議論をする場ではないので、事実の指摘だけにとどめておいた。

おそらくは指導している教官の方向性に影響されている部分があるのではないかと感じた。

同席していた人が、彼女に
「日韓関係の修復のためには、どうすればいいと思いますか?」
と質問したところ、
「わかりません」
とすぐに答えが返ってきた。

当然だろうと思うし、これが自然なリアクションだろう。

ほかにも、幾つかのパネルを訪れた。

「ソーラーパネル」の説明をしていた学生は、日本語を勉強し始めて1年が経っていないのだが、そのわりには日本語会話能力には優れていた。

なんでも、大学の正規の課題以外に日本語の勉強を1日に3時間していたとのこと。

そういえば、驚くほど流暢な日本語を語る女性がいて、椅子に腰かけるとき、
「ヨイショ」
と言っていたのを思いだす。

これって、オジサンではないか(笑)。

また、「関西弁」をテーマを掲げていた学生もいて、米国に帰ってからは「関西人会」との交流を深めて、さらに関西弁の研究を進めていくつもりだとか。

ちなみに、彼の好きな関西弁は、標準語の「違う」を”ちゃう”と呼ぶところらしい。

興味や関心の対象は、人それぞれだと思った。

限られた時間ではあったが、異質な世界に触れることができたのが最大の収穫である。

今月いっぱいで、彼らは帰国するらしい。

日本で学んだことを、今後の人生に存分に活かしてほしいと心から念じている。



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貴重な経験をさせてもらったと感謝している
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12月9日(月)

近所で大がかりな建設工事をやっている。

それを見に行ってきた人の話によると、公団マンションが建てられているらしい。

たまたま散歩の帰りに玄関先でその人と出くわし、しばらくお話を伺っていた。

スペースにかなりゆとりがあって自由に部屋を使えるとか、収納もゆったりしているなど、おそらくは案内パンフレットに書かれている言葉のままを私に語っていた。

そのかたは女性で、もう後期高齢者だという。

余生の過ごし方として、今のマンションを出て新築のマンションに引っ越すのかと思い、尋ねてみたが、単に冷やかしで見に行っただけらしい。

なんでも、かなり以前にご主人を亡くされたとき、子供たちに
「自分一人だけで住んでいてももったいないから、賃貸のマンションに引っ越そうか」
と相談したところ、猛反対を食らったとのこと。

「賃貸だと毎月家賃を払わなければならないし、そもそも、あと何年生きられると思っているの?」
と露骨に言われたそうだから、遠慮のない親子関係だと思った。

マンションを選ぶにあたって、自己所有か賃貸かは古くからの議論のテーマである。

いっときの費用はマンションのほうがはるかに高いものの、毎月のコストを考えると、賃貸となれば家賃は必ず発生する費用だ。

とはいえ、マンションにしても、管理費や修繕積立金などは毎月かかるし、年に一度の固定資産税も無視できない。

そうなると、コストの面では自己所有も破格に安いとは言えない。

それよりも、自己所有マンションだと資産価値が得られる部分が大きなメリットになるのではないか。

逆に、大手企業や国家公務員のように、いつなんどき転勤があってもすぐに引越しができるのは、賃貸ならではのメリットだろう。

また、家は年月が経てばいろんなところが傷んでくるのは避けられない。

そんな場合でも、賃貸であれば大家さんが対処してくれるから、自分の腹が痛む心配は無用である。

このように、果てしなく論争は続いていくだろうが、私が短絡的に思ったことは、
「賃貸だと管理組合がないので、理事会云々という煩わしさがない」
ということ。

新しいマンション建築現場を見に行った彼女も理事会メンバーであるが、内心は私と同じことを考えているのではないか。



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高齢になって家賃を払い続けるのは厳しいと思う
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12月8日(日)

今に始まったことではないが、物忘れがはなはだしい。

今日は二つの物忘れ事件があった。

まずは、用事を済ませて帰宅したとき、乗っていったクルマの施錠をちゃんとしたかどうか、全く覚えていないのである。

かけたかもしれないし、かけてないかもしれない、「どっちやねん!」と自分に問いかけたくなるほど、印象に残っていないのである。

クルマの鍵をかけなくても、車内に貴重品は置いていないので車上荒らしで持っていかれるものはない。

ただ、火をつけられたり、汚されたりするのがイヤなのだ。

その駐車場では防犯カメラの設備はしていない。

セキュリティの面では貧弱なので、不安がますます昂じてくる。

念のためにというので、その駐車場まで確かめに行ったところ、鍵はかかっていた。

その瞬間は安心したものの、自分の記憶力の減退には少なからぬ衝撃を受けた。

そして、いま一つは、牛乳の買い忘れがあったこと。

たいがいの場合、前日の晩に買う商品をリストアップしておく。

書き忘れていた品を思い出したら、そのつど、リストに追加するようにしている。

今日の買い物の予定は、「バナナ」と「ソバ」だけであったので、あえてリストも作らなかった。

明後日は10%割引デーだから、必要最小限の品しか買わないつもりであった。

「2つだけなら私でも覚えられる」との自信があったので、頭にインプットしておいた。

今朝、パックの牛乳を飲んだら空っぽになったので、本当ならばリストに追加するはずなのだが、横着して、このことも記憶しておくことにしたのである。

ところが、いざスーパーに行ったらすっかり牛乳のことは忘れてしまっていた。

これも家に帰ってから気がついた。

迷ったものの、結局、牛乳だけを買いに出ることにした。

私にも奇妙なプライドがあって、最初に行った店とは違うスーパーへと向かった。

それにしても、1日で忘れものを連発するとは、私の症状もかなり深刻化しているようだ。

ちなみに、脳科学の専門家に言わせると、物忘れをした事実を人に語ったり、日記に書いたりすると、一層、忘れやすい環境が自分の中に作られるという。

私のやっていることは、自分で自分の首を絞めている愚かな行為にすぎない(汗)。

今後は、買い物は少しであってもメモ書きしていこう。


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物忘れは必ずしも認知症とは限らないらしい
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12月7日(土)

いつも使っているマウスの調子が良くない。

私が意図している方向には行かないことも多々あり、エラー音が頻繁に出て、こちらもフラストレーションがたまってくる。

マウスは消耗品だし、もうかなり長きにわたって使っているので、そろそろ寿命かもしれない。

新しいのを買おうかと思ったが、ずっと昔に使っていた無線マウスがどこかにあるはずだ、と思い出した。

それを引っ張り出してきて、早速、パソコンにセットした。

やってみると、ぎこちなさがあるとはいえ、ちゃんと動作するではないか。

喜ばしいことだが、はてさて、この無線マウスはいつ頃使っていたのか、そして、なぜ使わなくなったのか、そんな疑問が浮かんできた。

たしか、私が会社でこのマウスを使い始めた頃は、まだ無線マウスというのが少数派の時代であったと記憶している。

職場の人たちも物珍しそうな目つきで見ていた場面を思い出す。

そんな中で、ある朝、経理課の女性社員が来て、やはり無線マウスを見て驚いたような表情を見せた。

彼女はジョークが通用する人なので、私が無線マウスを手に持って
「おはようございマウス」
とやったら、予想外に笑いをとれたものであった。

平成の時代であったからだろうとは思うが。

そういったエピソードがあったのは、たぶん15年ぐらい前のことだと思う。

そして、なぜ使わなくなったのかというと、実際に試していて、上下のスクロールが円滑には行かないからだと気がついた。

これは操作性の点で大きなハンディとなる。

使いにくいということで、有線のマウスに変えたのだろう。

マウス一つとっても何かとドラマが秘められていることに、新鮮な驚きを感じた。

これも何かの縁だから、しばらくはこの無線マウスを使うことにしよう。



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ケーブルがないのでスペースを有効に使えるのがメリットだ
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12月6日(金)

加齢現象なのだろうか、年々、冬の寒さが身に沁みるようになった。

寒さ対策には、なけなしの知恵を絞っていろんな方法をめぐらせている。

その一環で、今日、タッチパネル対応の手袋を買った。

今年も指の先がしもやけに見舞われた。

せっかく天から与えられた小枝のような美しい指に、拭いがたい汚点を残している(汗)。

何としてもガードしたいと考え、室内でも手袋の着用をしょうと思った。

今日買ったグッズは、手袋をしていてもスマホが使えるという謳い文句であるが、そのこと以上に狙いがあった。

この商品に私が惹かれたのは、生地が薄いからパソコンでのキー入力にも便利だろうというところに着目したからである。

実は、何日か前から、朝と晩にパソコンを使うときは、外出用の革製の手袋を両手にはめていた。

これだと分厚い生地なので、クリックするだけであれば問題はないが、文字の入力となると私には無理である。

そこで、スマホ対応の手袋を試してみたのだ。

期待にたがわぬ使用感であった。

ただ一つの難点がある。

商品本来の目的であるスマホで使うとき、指紋認証をすることでメニューに入っていく手順になっているのだが、この手袋をしていると指紋の読み取りができない、ということ。

冬の間に限っては暗証番号を指で打っていくしかないようだ。

大がかりな手間ではないが、指紋認証で慣れていただけに面倒に感じる。



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100均ショップには役立つ商品がそろっている
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12月5日(木)

喪中につき・・・という年賀欠礼はがきを受け取った。

今年は昨日までは1枚しか送られてこなかったので、これで2枚になった。

おそらく、時期的に考えてもこれが最後の年賀欠礼はがきだろうと思う。

例年に比べれば異様に少ないように感じる。

もちろん、このほうが望ましいのであるが。

さて、前にも記事にしたかもしれないが、そもそも喪中の考え方が現代にはなじまないのではないかと思えてならない。

ご不幸のあった家では新春を迎えてもお祝いをしてはならないなんて、何にも合理的な根拠はない。

松飾りや年賀状、年始参りもしないということとと、喪に服することとは関係がないのではないか。

昔はご不幸があったら、家族は1年間の服喪期間があって、その間は結婚式が決まっていても先に延ばし、外出すら控えていた人もいたらしい。

しかし、多忙な現代では通用しないしきたりである。

今は、たとえば喪中であっても勤務先の関係者には年始の挨拶もし、新年行事にも参加している人が増えてきたという。

いわば、親族の不孝は「私」の領域のことであり、職場は「公」のものだからというので区別しているのだろう。

私がそれが自然なありようだ。

さらに言えば、四十九日が明ければ服喪期間は終わったと判断していいと思う。

来年の正月まで束縛するのは意味のないことだ。

あくまでも妄想の世界での話であるが、故人にしても子孫を拘束するようなふるまいは望んでいないはず。

とはいえ、いまだに社会的な常識としてはお正月もつつましくすることが求められているから、露骨にそれに逆行する言動はできない。

無意味な慣習が徐々に消えていくことを心の奥底で願うだけが、無力な私にできる最大のレジスタンスである。


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返礼としての寒中見舞いは書いたことがない
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12月4日(水)

散歩ついでに郵便局に行ったら、いつになく窓口が混んでいた。

大量の切手を買う人と、そのすぐ後に高齢のご婦人が立っていて、それぞれに郵便局員がついている。

その老婦人は耳が遠いようで、女性局員が執務室から出てきてすぐそばで対応している。

聞くともなしに耳を傾けていたが、どうやら、デザイン面に”謹賀新年”とだけ書かれた年賀はがきを求めているようだ。

しかし、郵便局に見本が置いてあるのは何らかの図柄が入ったものばかりである。

その女性スタッフは根っからの親切な人なのかして、繰り返し「それは無いんです」と笑顔で語っている。

ただ、老婦人は理解できないのか、「謹賀新年の文字だけのが欲しい」のフレーズを繰り返している。

拝見したところ、80歳は超えているご年齢ではないか。

失礼ながら明日は我が身と感じ、待たされていることの不快感もどこへやら、その女性をお気の毒に受け止めていた。

そんな矢先、私の耳に飛び込んできた言葉が、
「私らしさを出したいから・・・」
というもの。

まさに冷水を浴びせられた思いである。

独自性を発揮した年賀状を作るのであれば、無地の年賀はがきを買って思うがままに自由に作ればいい、というのが真正面からの反論だが、私が拘泥しているのはそんなところではない。

”私らしさ”などという青臭い言葉をためらいもなく使っていることに、場違いなものを感じたのだ。

テレビやラジオで交わされている会話を聴いているうちに、自然と「私らしさ」という言い回しが頭に焼き付いたのかもしれない。

それで、口をついて出てしまったのだろう。

いっとき、”自分さがし”という言葉が何かにつけて使われた。

若い人ならともかく、相応の年齢の人が口にするのはイメージにそぐわない。

テレビやネットは波及力を持っているので、ちょっと珍しい言い回しが思わぬ規模にまで広がってしまうのが最近の傾向だ。

今年の新語・流行語大賞は
「ONE TEAM」
であった。

この言葉は、今年の会社の忘年会では頻繁に使われるに違いない。

もっとも、来年の新年会ともなれば、多くの人は忘れてしまっているだろうが(汗)。



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郵便局にはいろんな立場の人が訪れる
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12月3日(火)

私が会員になっている団体の会議があった。

終わったとき、そのメンバーの一人から、彼の会社のカレンダーをいただいたのである。

参加者の全員に配っていたので、私だけが断わると角が立つということもあって、お礼の言葉と共に受け取った。

彼は旅行会社に勤めており、そのカレンダーには各地の海外の美しい観光地の写真が各月ごとに掲載されている。

販売促進の意味合いも含めて作られたのだろう、社名もしっかりと印字されている。

私とはおよそ縁がない美麗な光景であり、おそらくその現地に私が足を踏み入れることはないだろう。

せっかくの彼の好意ではあるが、このカレンダーが活かされることはないと思う。

少なくとも、私の部屋の壁に貼られることはない。

毎年、年末を迎えると、某社から小型のカレンダーが贈呈されるので、それを使うのが習慣になっている。

あえて大きなサイズのカレンダーを掲示する必要もないし、それ以前にスペースがないのだ。

もったいないが、資源ごみで出さざるを得ない。

会社勤めをしていたときであれば、会社に持っていけば誰かが持って帰ってくれていたが、いまはそんな当てもない。

だから、捨てざるを得ないのである。

高度経済成長の時代は、年末にはカレンダーをたくさんもらったものだ。

当時は、銀行も保険代理店もやたらにカレンダーを作っていて、同じものを、一人に対して2つとか3つとか配るのが珍しくなかった。

今の感覚では考えられないが、あの時代はとかく派手であったと思う。

それだけに無駄になったカレンダーも多かったのではないか。

”カレンダーロス”というフレーズが生まれなかったのだから、その時代は大量消費大量廃棄が当たり前の発想であったのだろう。

日本人にとって良かったのか悪かったのか、それはわからないが。



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カレンダーに予定を書き込んでいる人は少なくない
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12月2日(月)

一昨日から、パソコンから突然に音楽が流れだしてくるという現象に見舞われた。

SF映画で使われていそうなイメージの音楽だ。

ちょうど、購入したばかりのプリンターのセットアップをやっているときに音楽が流れてきたのが、最初であった。

その瞬間は、時間がかかる作業だからというので、退屈しのぎのためのBGMかなとのんきに思っていたのである。

ところが、作業が終わってもずっと鳴りやまず、いつまでも機嫌よく音を出している。

あまりに執拗であり、次第に不快感になってきたので、音量をゼロにした。

それから何時間かして元の音量に戻したら、まだ鳴っているではないか。

やむを得ず、再び音量をゼロにして放置しておいた。

さすがに夜には終息していたが。

そして、次の日は、パソコンを立ち上げると同時にその音楽が鳴りだしたのである。

まさかウイルスにやられたのではないかと思って、念のためにスキャンをしてみたが、何ともなかった。

システムの復元をするのも有望な対策だろうが、せっかくインストールしたプリンタのソフトを、またやり直さなければならない。

タスクマネージャーを見ても、恥ずかしながら、どれが怪しいのかも私にはわからない。

ネットを調べてみても解決につながりそうな対処法を見つけることができず、グリコの人形のようにお手上げであった。

このままだと、YouTubeもアマゾンプライムもアベマTVも見られない。

毎朝の日課のラジオ体操も、音声なしだとやりにくくて仕方ないのだ。

どうしたものかと思っていたが、3日目となった今日は、その音楽はどこかへ消えていったのか、静かなものである。

「仏の顔も三度」ではないだろうが、二日間だけの災難で済んだ。

そのようにプログラミングされていた何物かが、こっそりと私のパソコンに侵入していたのだろうか。

ちなみに、11月15日にWindows10のアップデートをしてから、イレギュラーな現象が起こっている。

一旦立ち上がっても、再起動をかけないことにはネット接続ができないこともあった。

また、起動画面が従来とは違ったものになったし、今回の音楽の一件ももしかしたらその一環かもしれない。

今晩の忘年会にはパソコンやネットに著しく習熟した人が参加する予定なので、雑談の中でこの話を出してみようと思っている。

世の中、わからないことばかりだが、一つでもそれが解明されるのはうれしいものだ。


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パソコンは認知症対策の一助になっているような気がする
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12月1日(日)

さすがに12月に入ると、いくら鈍感な私でも世間が年末を迎えていることを体で感じる。

普段、手の届いていないところを掃除したり、不要なものを捨てたりして、気持ち良く新年を迎えるように段取りを組むというのは、日本では慣習的に行われてきた。

去年は引越した直後であったので、そんなに汚れていないことを口実に、掃除は見事にサボった。

それに、一家そろってホテルで新春を迎えることになっていたので、是が非でも大掃除をしなければならない必然性もなかった。

この年末も、去年同様に新春は家にはいないので、昨年にならえば大掃除は無用ということになる。

とはいえ、やはり1年も経てば、自然と汚れが付いたり傷みが出てくる部位も見られる。

気になるところだけでも、年内には整えておきたい。

まずは、部屋に入ってすぐのところにカーテンを入れたいと、以前から感じていた。

いまだと、ドアを開けたらキッチンやリビング丸見えである。

せめて全貌を見られるのは避けたいと思っていた。

そこで、いつもお世話になっている100均でカーテンと留め具を買ってきた。

カーテンの長さが90cmと短いが、外の人の視界には部屋の中の仔細は見えない。

これで十分だ。

しかも、支払った金額は440円で収まった。

100均ショップは値打ちがあると痛感させられた。

次に、バルコニーの掃除である。

大規模修繕工事が終わってからは、一度も掃除をやっていなかった。

砂埃がたまるとそれが排水口に詰まり、雨漏りを引き起こす原因になりかねない。

箒と塵取りを持って、掃いていった。

実際には、ほとんど砂も土もたまっていなかったが、一応は掃除をしたということで、気分は良くなった。

そして、ガスレンジ台である。

メラミンスポンジでゴシゴシと汚れを取り去っていく。

これも、作業が終わって光沢を放っている様子を見ると、心からの達成感を覚える。

掃除の意義というのは、衛生の問題よりも、むしろ美しくすることができたという達成感を味わえるところにあるのではないか。

そんな気がした。

さほど今日の作業には時間はかかっていない。

せいぜい、3時間ぐらいであったと思う。

まだ年末までは日があるので、少しずつ片づけていこうと考えている。

これに関しては、妻ど私とは考え方が正反対だ。

日を決めて、その日一日ですべての大掃除を済ませてしまおうとするのが妻のやり方である。

いや掃除だけに限らず、用事にしても何にしても、一度で終わらせるのがベストと考えているようだ。

もちろん、どちらが正しいとか間違っているとかいう問題ではない。

その人間のパーソナリティーが掃除の仕方にもあらわれていると気づいて、興味を持っただけのことである。


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このカーテンのおかげで安心感が出てきた
20 : 20 : 17 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
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Author:声なき声

昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、北摂のマンションに在住。   

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