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10月31日(木)

珍しいことがあった。

散歩に出たとき、信号機のない横断歩道を渡ろうとして、クルマが通り過ぎていくのを待っていたら、一台のクルマが止まって手で「どうぞ」と合図を送っているのである。

私も手を挙げて、ほんの気持ちだけ小走りで渡って、クルマのほうに向かって軽く頭を下げてお礼の気持ちをあらわした。

今年の最初ぐらいにも、たしか同じ経験をしたことを思い出した。

この横断歩道でクルマが止まってくれたのは、私が経験したのはこれで2回目である。

JAFが8月に調査した横断歩道での停止率は、17.1%だという。(→こちら

私の経験値から行くと、かなり高い数字であると言わざるを得ない。

一けた台で、しかもかなり低いほうではないか、というのが私の感触なのだが。

もっとも、一時停止をしないドライバーの言い分にもわかる部分はある。

「後続車があるので、自分のクルマが止まったら追突されるおそれがある」
というのは、それなりの説得力を持っているのではないか。

事故にまで至らずとも、クルマの円滑な流れを邪魔するのは確かだ。

私が頻繁にクルマの運転をしていたころも、子供が横断歩道で手を挙げていたら、躊躇なく停止していたものの、しかし単に歩行者が立っているだけのときには、知らぬ顔をして走り抜けていたものである(すみません)。

実は、もう10年近く前に、勤務先で安全運転講習会を開くこととなり、講師として警察署のご担当のかたに来ていただくことになった。

お迎えに行ったとき、クルマのなかで、そのことをこっそりと相談してみた。

すると、その担当者は顔色ひとつ変えず、
「ああ、それで結構ですよ。」
とおっしゃったので私が面食らった。

クルマの中の密室の会話だと思っていたのだが、なんと、講習のお話の中で、その事例を出して、
「クルマの円滑な流れを阻害するような行為は、安全運転の大きな妨げです。」
との論調で熱弁を振るわれたので、あらためて驚いた。

ただ、わからないでもない。

道路交通法で定められた条文を守ってさえいれば、事故が防げるのであれば、”死守”させるのが公務員の使命であるが、実際には法令はあくまでも法令である。

安全を保障するものではない。

交通量が過剰に膨れ上がった昨今、横断歩道で頻繁に一時停止すると、無理な追い抜きやあおり行為を招くリスクもある。

総合的に考えて、最も安全な対応するのが賢いドライバーだということなのだと思う。

講師を務められた警察官のことは、今に至るも強烈に印象に残っている。


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その警察官はすでに定年退職されている
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10月30日(水)

いつぞやも書いたが、カボチャの種を健康増進のために定期的に食べている。

食後に5粒ずつ摂っているが、私の場合は一日二食なので、種は一日に10粒だけしか摂らない。

いろんなサイトを見ていると、食べ過ぎは良くないと書かれており、おおよそが
「一日10粒程度」
となっている。

もちろん過剰に摂ったからといって、大きな健康被害をもたらすことはなかろうが、カロリーが多いこともあって、その面での配慮が必要だということだと思う。

ところで、カボチャの種を食べられるように整える手法は人それぞれだ。

私の場合は、カボチャを切ったときの種を軽く水洗いして、皿の上に並べておき、できるだけ日干しを二日間は行っている。

そうすると水分がなくなるので、殻をむきやすくなる。

その中から5粒を取ってきて、一つずつ歯で隅っこのほうに割れ目を入れ、そこから爪で殻をとっていっている。

このブログを通じても、ありがたいことに多くの人から方法についての情報を寄せていただいた。

そして試行錯誤した結果、この手法が私にはベストと判断した。

電子レンジやフライパンでも何回か試してみたが、残念ながら思っていたようには上がらなかったのである。

歯で噛むのは、自分一人だけの部屋なのだし、自分が食べるのだから気にせずにできる。

私は不器用な人間なので、ハサミを使うと余計に時間がかかってしまうのだ。

一個剥くごとに中身を取り出して、それを食べている。

一日10粒だから、四分の一のカボチャであれば、ほぼ1週間ほどもつ。

ただ気をつけなければならないのは、干す時間が二日分必要だということだ。

つまり、私のやり方だと、カボチャを買ってきたからといって、すぐに種が食べられるわけではないことになる。

食べるまでに3日間は必要となる。

結構な手間がかかる。

実は、今日の昼食後になって、あと7粒しか干した種がないことに気がついた。

今からカボチャを買ってきても、すぐに種を食べられるわけではない。

そこで窮余の一策で、市販の”カボチャの種”をスーパーに買いに走った。

これだと殻を剥く手間が省けるので、即、食べられる。

次のが仕上がるまでは、市販品でつないでいくつもりだ。

33ℊで148円というから、何粒あるかはわかないが単価は決して高くはないと感じる。

もちろん、カボチャを切ったときに出てきた種を捨てるのはもったいないので、そちらを優先するのは言うまでもない。


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”おつまみ”のコーナーに置かれていた
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10月29日(火)

アマゾンで注文したスチームアイロンが届いたので、早速ためしてみた。

箱を開けて取り扱い説明書を読み始め、すぐに気がついた。

中国製だと。

WEBには、メーカー名が表示されていなかったし、何よりも値段が安かった。

まさか国内の著名メーカーの製品ではないと思ってはいたのだが。

中国製となると、製品品質としては過去の一時期のような劣悪さはないものの、やはり長く使おうと思ったら不安になる部分ではある。

取扱説明書に書かれた日本語が著しく不自然である。

それが、たとえば”正常げんしょうであるり”とあれば、これは
「正常現象であり」
の間違いだとすぐに気づくから大きな問題はない。

また、”爆発”という文言が何か所もあって最初は戸惑ったが、文脈からして
「スチーム」
のことだと判断できるから良しとできる。

苦労したのは、”電源を切り、電源プラグを抜いてください”の解釈である。

普通の日本語だと、電源ボタンをオフにして、それから電源プラグを抜く、との理解になるが、そもそもこの機械には”電源ボタン”がないのである。

説明書の部品の解説にも乗っていないし、現物を見てもそれらしきものはついていない。

問い合わせ先はメールアドレスが書かれているのみで、おそらくは本名の氏名をピンインであらわしたと思われるアルファベットが並んでいる。

しかもhotmail.comだから、たぶん個人のアドレスなのだと思う。

文字を見てアドレスを打ち込むのも手間だし、間違う可能性もある。

それ以上に、本当に対応してくれるのかどうかが疑問だ。

メールはあきらめた。

”電源を切り、電源プラグを抜いてください”の意味は、私の中では、
「電源ケーブルをコンセントから抜いてください」
と解釈することにした。

テニヲハの問題も含めて言い出せば、それこそ枚挙にいとまがない。

エイヤで使ってみた。

ズボンの折り目などはそこそこきれいにつくし、皺も少しはとれる。

私のウデが下手だからかもしれないので、エラそうには言えない。

私の普段使いとしてはこのレベルで十分なので、一応は満足している。


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向かって左側部分にスチームアイロンを当てたが仕上がりは微妙だ
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10月28日(月)

同窓会の打ち合わせで、会場のある大学キャンパスまで行ってきた。

おそらく、これが最終になるだろうと思う。

今日はまれなほどの好天に恵まれた。

抜けるような青い空を見ていると、気持ちも晴れやかになってくる。

この心地よい空が、一つの川柳を思い出せてくれた。

「円城寺 あれがボールか 秋の空」

円城寺(えんじょうじ)とはプロ野球の審判員で、私が小学校から中学時代に活躍していたので、その名は珍しさもあってはっきりと記憶している。

彼が日本シリーズで、巨人対南海の試合の球審を務め、そのときに下した南海ホークスのスタンカ投手の球を”ボール”と判定したことで大紛糾した事件があった。

往年の名投手で20勝を超えた年もある。

彼へのヤジは”すかたん”(関西弁で”見当はずれ”)であった。

スタンカにしてみれば、低めギリギリにストライクを決めたと思いこんでいたのだが、判定は「ボール」であり、南海側が猛抗議したものである。

事件が起こったのが昭和36年10月29日だというから、58年前の明日のことだ。

そもそも、低めの投球というのは判定が難しいものである。

プロでも審判員個人によってゾーンに誤差があることは、ときおり指摘されている。

ベテラン選手ともなると、審判員のクセを熟知しているところから、打つか見送るかの判断も有利になると聞いた。

それほどファジーなものなのだから、今のプロ野球で採用しているビデオ判定でも、ボールかストライクかについては対象となっていないのだと思う。

結局、もめた後に試合が再開され、その直後にサヨナラヒットを打たれて南海ホークスは負けた。

最終的に日本シリーズもジャイアンツが優勝したのだから、考えようによってはその微妙な判定がホークスには災いしたとも言える。

ホークスにとっては割り切れない判定だが、約60年後の年に巨人軍がソフトバンクホークスに4連敗を喫したのは、スタンカの呪いかもしれない(うそ)。


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こんな透き通った青空なんて久しく見たことがない
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10月27日(日)

近くの公民館で文化祭をやっているので、立ち寄ってきた。

といっても、展示や発表に興味があったわけではない。

昨日、たまたま廊下で会った理事会メンバーの人から
「公民館はもう行きはりましたか?」
と聞かれ、
「いえ、まだです」
と答えたものの、その後で少し気になっていたからである。

マンションの管理組合では、この公民館の大会議室を使って、毎年、総会や大がかりなイベントをやっている。

それだけに、普段からの付き合いには相応のケアをしているのだ。

とはいうものの、せいぜいこの文化祭を行うときに、お祝い金を持っていく程度のことだが。

ただ、何らかの形で私も協力している姿勢を、理事会メンバーには見せておく必要はある。

一種のアリバイ闘争である。

後日、理事会メンバーが雑談を交わしている中で文化祭に話が及んだとき、私が全く何もアクションを起こしていなかったとわかると、印象が悪くなるのは必至。

そこで、ポーズで足を運んでおいたのだ。

訪問したのが午後の部の始まる前であったせいか、いろんなサークルが最後の仕上げに精を出していた。

子供たちの空手も演舞を披露するのか、指導者が何かと注意を与えていた。

フラダンスは、年代層が打って変わって高齢化しているようだ。

どちらかというと、健康のために参加している人もいるのではないか。

ほかに、絵画や被服、手作り雑貨などの展示があった。

ひととおり見学して、コーヒーを飲みながら休憩をとった。

以前に小耳にはさんだ話だが、刺繍か彫刻かなんだかのサークルに入っている人が、公民館の文化祭を大きな負担に感じているというのである。

その作品作りそのものは楽しくてワクワクする体験なのだが、文化祭ともなると展示のための準備をしなければならないし、見た目がきれいに見える作品作りを求められるのが、うっとうしいらしい。

もちろん、中には文化祭での発表を作品作りの目標にしている人がいるのも事実だ。

知人の男性は、全くの未経験で4,5年前に日本画を始め、講師の指導を受けながらやってきたのだが、文化祭で自分の絵が多くの人の目に触れることが強い動機付けになっている、と語っている。

サークルのリーダーというか指導者の持っていき方は千差万別だろうが、いずれにしてもささやかな楽しみの範囲のことなのだから、参加者が重圧に感じるようなことは強いるべきではなかろう。

今の季節、各種団体で文化祭をやっている。

その文化祭に取り組んでいる人の心の内は、実にさまざまである。


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入り口前の模擬店の焼きそばには人だかりができていた


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10月26日(土)

散歩中にスマホが鳴ったので出てみると、マンション管理組合の理事長からであった。

マンション前に設けられた駐車場の契約をめぐっての相談であった。

転居する人がいて、その人の分の駐車スペースが空くので、11月1日からは順番待ちで次の人のクルマが入ることになっている。

実は、その人には事情があって、いま借りている駐車場の月極料金を、すでに2か月分支払っているらしい。

そこで、マンションの駐車場の契約を2か月間待ってほしい、と要請してきたのである。

つまり、二重払いになるのを避けたい、というところだろう。

最近のマンションは、建築時点で部屋の数に合わせて駐車スペースを用意しているのが通例だが、このマンションなど46年前に出来たものだから、”マイカー”という発想がなかった。

マンションの前のスペースに10台ほどの駐車場所を設けているだけである。

もちろん常に満杯で、出ていく人があれば次の順番の人に替わるという流れである。

だから、順番待ちしていても、自分の順番が回ってくるのがいつなるやら見当もつかない。

私が昨年に物件を探しているときも、駐車場のことが気になるので仲介業者に問い合わせたら、言下に、「無理です」と言われた。

入居してから半年ほど経った時点で、このマンションノ管理人さんに訊いたときも、「10年では空かないでしょう」とのこと。

管理人さんの話によると、現在クルマをとめている人の顔ぶれから言っても、当分は転居する可能性はないようだ。

だから、競争率ははなはだ高い。

順番が次の人も、すでに支払っている2か月分の駐車料金はもったいないだろうが、それは潔くあきらめて、マンション規約にのっとって、次の月から契約をするのが筋である。

理事長には
「管理組合としては管理規約どおりに11月1日からの契約にする、との返事しかできないと思います」
と回答しておいた。

それを聞いて、電話ごしではあるが、理事長のほっとした思いが感じ取れた。

彼も規約を盾にとれば済む話だが、一応は他の役員の考えも聞いておこうというところであったのだと思う・。

電話では言わなかったが、そもそもこういった無理難題は口にすべきではないはず。

公式に質問されれば、投げかられたほうは誠意を持って答えなければならないが、さりとて、「管理規約どおりです」とだけ回答するのも冷淡過ぎるような気がする。

無用に神経を使うし、時間もとってしまう。

あえて血も涙もない言い方をすれば、この問題は順番待ちの人の個人的事情であって、管理組合は関係がない事柄だ。

権利が過度に尊重される時代になると、こういった話が増えてくるのかもしれない。


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玄関のすぐ前にあって料金も安いので誰もが契約を望んでいる
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10月25日(金)

ネットを見ていて、思いがけず面白い記事を見つけた。

『米軍、核ミサイル運用でのフロッピーディスク使用をようやく停止との報道』というものである。(この記事

核ミサイルを発射する装置の一部に、もはや遺物というべきフロッピーディスクが使われていたのだから、驚き以外の何ものでもない。

しかも、8インチフロッピーときたので、まさにキツネにつままれたようなものだ。

いまどき、フロッピーといっても、「ファイル保存」を意味するアイコンでしか目にすることができない。

もしかしたら、そのアイコンがフロッピーディスクのことであることを知らない世代も多いのではないか。

昭和58年頃であったと記憶しているが、会社にオフィスコンピューターが導入された当時は、データのバックアップは8インチフロッピーで行っていた。

おそらく、1枚で1MBぐらいの容量しかなかったはずだから、現代では使いものにならない。

当時のこととて値段も高く、メーカー純正品だと1枚5,000円もしたと思う。

10枚が1ケースに入っていたので、1ケースが50,000円にもなった。

その後、5インチから3.5インチとサイズを小さくし、値段も劇的に下がっていった。

いまや”オフィスコンピューター”も姿を消し、各個人が事実上、自分の専用マシンとして使えるデスクトップやノートパソコンが一般化して、データバックアップの方法もすっかり変わってしまった。

フロッピーはどこかに行ってしまい、SDやUSBメモリー、あるいはクラウドへのバックアップが普及しているのではないか。

時代が流れたことで、消え去るものがでてくるのは避けられない。

なお、記事によると、8インチフロッピーがつい最近まで使われていたのはセキュリティ管理のためらしい。

なるほど、ハッキングもされないであろうから、安全は安全と言えるだろう。

物事には、何でもそれなりの理由があるのだと納得した。

もちろん、核ミサイルは、あくまでも戦争抑止力としてのみ力を発揮する存在であってほしいと望んでいるのは、言うまでもない。


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昔のマシンはフロッピーのためのドライブを標準で装備していた
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10月24日(木)

無職の年金生活者とくると、ヒマを持て余しているというのが世間の常識である。

そんな私も、時間を無為に過ごしているとは思わないが、”忙しい”という感覚とは縁遠い生活をエンジョイさせてもらっている。

ただ、今日は例外だ。

昨晩、血圧の薬が残り少ないことに気づき、急きょ、クリニックに行く予定にした。

また、夕方からは同窓会の打ち合わせが入っている。

そのときに配る資料を昨日に印刷していたら、途中で用紙が足らなくなった。

おそらくは、管理組合の仕事関連でプリントアウトが増えたため、知らないうちにたくさんの用紙を使っていたのだろう。

それも買いに行かなければならない。

わずかの時間とはいえ、義務感が伴なっていると、結構な重圧になってくるものだ。

同窓会の打ち合わせなど、実際には半分は飲み会であり”お楽しみ”の要素満載なのだが、それでも予定に組み込まれていると、「行かなければならない」の気持ちがこみ上げてくる。

朝から計画を立てて、スケジュールの調整をした。

散歩も1時間早めた。

しかし、クリニックでの待ち時間は予想がつかない。

夏の間は患者も少なくて、待合室もすいている光景が見られたが、感染症の季節になると座る席もなくなるほどの混雑である。

もちろん、先着順での診察だから、自分の順番が回ってくるのを待たなければならない。

ひと昔前なら、「薬だけお願いします」と受付で声をかければ、例月どおりの処方薬をいただけた。

最近は医師法が厳格に守られていて、どこの医療機関でも、診察を受けての処方が徹底されているようである。

結果的に、今日は1時間15分待ちであったから、この季節としては標準ではないか。

ちなみに、その場で測った血圧は116-74と、正常範囲に収まっていた。

日本シリーズでのG軍4連敗ショックは影響しなかったようで、何よりである。

クリニック帰りに100均ショップで買いものも済ませ、事なきを得た。

これで満を持して、同窓会の準備委員会に臨める。


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患者が多いというのは医師の腕がイイということなのだろう
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10月23日(水)

夕食は鮭の切り身を焼いた。

本当なら、昨日はサンマの安売りの日なので、冷凍ものであってもサンマを買うつもりであったが、「今日は入荷していません」とのこと。

サンマ不漁はここまできたのかと、あらためて失意落胆したものだ。

この秋は、冷凍ものでも入手しにくいようで、まして、生サンマともなると、これは希少品に相当するかもしれない。

そこで、サンマがなければ、ということで、鮭を買ってきたのである。

なお、焼いた鮭につけるタルタルソースを買い忘れたので、今日、買いに走った。

今晩はマンションの理事会が予定されていることもあって、夕食は早めに済ませた。

魚を焼いても、塩も醤油も何もつけない私にとって、タルタルソースは恰好の調味料である。

ちなみに、タルタルソース大さじ一杯に含まれている塩分は0.3ℊと少なく、また、タンパク質が0.3ℊあって鉄分の吸収を助けてくれるので、今の私の健康状態には合致している。

来週も、サンマが店に出ているかどうかはともかく、鮭は買っておこうと思う。

ところで、この”鮭”は、「サケ」と「シャケ」の二通りの読み方がある。

大阪生まれで大阪育ちの私は、幼いころから「シャケ」と呼びならわしてきた。

他方、「サケ」という人も少なくない。

いろんな説があるようだが、魚として泳いでいる状態の鮭を「サケ」と呼び、切り身になったり調理された鮭が「シャケ」になる、との説を耳にしたことがある。

私はこの説に最も傾いているが、事実がどうであるかはわからない。

いずれにせよ、サンマがなくても鮭で秋を満喫できると思った。


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フライパンから移すときにしくじって型くずれとなった(涙)
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10月22日(火)

サムハラ神社の秋の大祭に参列すべく、意気揚々と家を出た。

毎年、同神社では、4月と10月のそれぞれ22日と23日が大祭と定められている。

これは曜日や気象状態にかかわらず、決まっているものだ。

今日は、祭日であり、しかも今上陛下がご即位になるという特別な日に当たり、その奉祝もあってかなりの参拝者であふれるだろうと予測していた。

実際に神社に近づくと、歩道の上に長蛇の列が出来上がっているではないか。

一瞬、新型iPhoneの発売が始まったのかと思ったほどだ。

参拝を終えた人が出てくるたびに、ガードマンの人が歩道の順番待ちの人を4人ずつ、鳥居のところまで誘導している。

尋ねてみたところ、「皆さん、一般参拝です」と言う。

宮司さんから特別な祈祷を受けるわけでもなく、一般的な二礼二拍手一礼の参拝をするだけで、これだけ待たなければならない。

1時間やそこらでは参拝は叶わないだろう。

少し考えて、あきらめることにした。

近くのコンビニのイートインでコーヒーを飲みながら、つらつら考えた。

そもそも神社に参拝に行くことの意味は何なのだろうか、と。

「神様に自分の希望を聞いてもらって、それが実現するように拝む」ことなのか。

むろん私にも、ああなってほしいとか、こうあってほしいという希望は大小とり交ぜてたくさんある。

今日だけのことを言えば
「日本シリーズで巨人が勝ってほしい」
明日まで含めれば、
「明日のマンションの理事会には前理事長は来ないでほしい」
来月まで範囲を広げると
「同窓会が成功しますように」
など、俗っぽいものばかりで恥ずかしい限りだが。

神様にしたって、こんなにも多くの参拝者のお願いをすべて受け入れることはできないはず。

しかも、たとえば野球の試合の結果なんて、全く正反対のお願いをしてくる人もいるだろうから、矛盾が生じる。

詰まるところ、神聖な地にみずからが足を運んで、自分の中に詰まっている汚れた思いを洗い流し、清新な気持ちに一新させるのが神社参りだと私は考えている。

たとえ手を合わせることができなくても、神社の鳥居の前まで足を運んだだけで、私に清浄な魂が蘇ったような気がする。

”気がする”だけのことかもしれないが(汗)。


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この神社の集客力にはあらためて目をみはった
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10月21日(月)

白内障の健診のため、眼科クリニックに行ってきた。

このクリニックは朝の8時半から診察を受けられる。

結構、早くから診ていただけるし、しかも患者の数も少ないので、順番待ちもあまりない。

だから、終わった後の時間を有効に使えるのがありがたい。

昨年まで住んでいた家の近所にあるクリニックで、あたり一帯に各種のクリニックが集合している医療センターの一メンバーである。

もっとも、看板は残っているものの、大半のクリニックは撤退し、この眼科以外は内科と神経科だけが診察を続けている様子だ。

医療センターとしてオープンした当初は、地域の住民の数も多く、またほかに医療施設が少なかったところから、大いににぎわったに違いない。

しかし、それから何十年かが経って、住民の数も減り、駅前に雨後のタケノコのごとくクリニックが作られ、この医療センターがさびれていったのは避けられなかったのだろう。

今、いっときの精彩は失ったものの、細々とではあっても診察を続けているクリニックは、おそらくは自宅兼診療所の形になっているのだと想像している。

場所や建物を借りてというのでは、コストを考えると採算が合わないと思う。

時代が変われば、過去のスタイルは通用しないのは当たり前。

そういえば、この医療センターのすぐ近くにお風呂屋さんがあった。

私が結婚して住み始めた頃には、まだ営業をしていた。

しかし、ほどなく店じまいし、建物も解体してしまった。

一度も行くことがなかったが、その当時、すでに”内風呂”という言葉が死語になってしまっていたはずだから、公衆浴場の需要がなくなるのは当然のこと。

スーパー銭湯のように、プラスアルファのサービスを提供しないことには生き残っていくことはできない。


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1日4回の点眼のおかげで白内障の進行は止まっている
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10月20日(日)

ご飯を炊くときは、圧力鍋で4合を1回の単位にしている。

とりわけ根拠などはなくて、宮沢賢治の『雨にも負けず』の一節に一致しているのは単なる偶然にすぎない。

 
「一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ・・・」


私の場合、4合を炊くとほぼ10日分は確保できる。

朝昼兼用の食事のときしか白米は食べないので、それで十分だ。

その前提で宮沢賢治の詩を読むと、感覚が違うことに気づく。

『雨にも負けず』は、質素な生活の心構えとして「1日玄米4合」と歌ったはず。

私だと、玄米と白米の違いはともかく、野菜や肉、魚などのおかずもたくさん食べている。

しかも、1日2食をいいことに満腹になるまで食べるのだが、仮に白米4合を毎日摂るとなると、相当に気合いを入れて食べなければならない。

かなり大量摂取する計算になる。

まるで、今の相撲取りに匹敵するかもしれない。

もっとも相撲取りの場合は、コメだけでなくてチャンコも食べるのだから横並びで比べることはできないが。

複数のサイトを調べてみると、経済的要因もあって、玄米食がメインになるのは当時の東北の農村では常識であったようだ。

何しろ、おかずが「味噌と少しの野菜」しかない時代なのだから、滋養分豊富な玄米を主として食べることで栄養バランスをとらざるを得ないという側面もあったのだろう。

しかも、その頃の農作業は手作業が普通であったので、膨大な運動量を補うためには、本当は1日6合ぐらいは必要になるらしい。

そういえば、江戸時代の武士の給料はコメで支給されていたが、そのときの計算根拠として、ひとり1日当たりの米5合と計算していたとも言う。

これらを考えると、「1日4合」は少ない量だということになる。

つまりは、食生活での贅沢は眼中になかったのだ。

飽食が当たり前になった今の時代、グルメを謳歌していていいのか、考えさせてくれた『雨にも負けず』であった。

タッパーに入れて冷凍したコメをレンジで解凍したら味が落ちる、などと不満を感じている私など、罰当たりもいいところだと反省している(汗)。



玄米食は栄養があって健康にプラスになると聞く
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10月19日(土)

マンション管理組合の臨時理事会が開かれた。

議案は、とかく不具合を起こしている玄関ドアの制御盤をどうするか、という1点のみ。

「午前10時から30分だけ」ということで招集がかかったのだが、おそらく、前理事長が段取りをとったのだと思う。

定例の日以外に別に理事会をするのが彼女のよくやったパターンだと聞いている。

それはともかく、5分前に行ってみると、もう彼女が書類片手に何人に弁舌を振るっていた。

前回議事録の問題点を指摘しているようで、現理事長にそれとなく書き直すように求めている。

それも細かい点を取り上げ、その事案にまつわる過去の出来事も引っ張り出して、まさに独壇場であった。

余談ながら、”独壇場”は正確に言えば”独擅場”(どくせんじょう)と書かなければならないが、一般社会で”独壇場”(どくだんじょう)で定着しているので、あえてこの言葉を私は使った。

話を元に戻す。

彼女の勢いはとどまるところを知らず、開会の10時を10分回ってもまだしゃべり続けている。

途中、何回か現理事長が「そろそろ本題に・・・」と切り出すのだが、一向に話をやめる気配はない。

さすがに30分が過ぎた時点で、私から「理事会を始めませんか?」と投げかけた。

それに呼応して、現理事長も本来の議案の説明をしたので、さすがに彼女の口も一旦は閉じた。

しかし、それも束の間、次はみずからが発言を始め、この問題が起こったそもそもの経緯について、古い時代にさかのぼって説明が始まったのである。

そして、多くの関係者と交渉してきたこと、今回のことも、あえて制御盤の交換の必要がないことを熱っぽく力説した。

その結論は、私も、そして多くの出席者も同意するものだが、そんなにまで気合いを入れて長広舌をふるうこともないと思うが。

おそらくは、誰しもが「しばらく様子見をする」の結論になるはず。

いわば、形の上で理事会の承認をとるために開いたものだから、本当なら10分もあれば十分に終わる。

なお、私がひっかかったのは、理事会の場なのだから、すでに退任している前理事は出席資格はないのである。

昨年の大規模改修のときの理事長だというのが、彼女の論理なのだろう。

それなら、オブザーバーの位置づけで臨むべきであるが、そういった断りも全くなかった。

この調子で行けば、定例の理事会にも、「大規模修繕がらみで・・・」との口実で顔出しするかもしれない。

とはいえ、彼女にストップをかけられる人はいないだろう。

とにかく、マンションにすべてを捧げてきた人なのだから。

来年の8月までは、私も辛抱である。


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同じ話のリフレインも相当にある
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10月18日(金)

昨日はプロ野球のドラフト会議が開かれた。

会議と言っても集まって議論をするわけではなく、いわば球団が欲しい選手との交渉権をかけてくじ引きをするのである。

巨人軍のくじ引きの弱さには定評がある。

よく、「巨人はシーズン中の順位が上につくケースが多いので、くじ引きの順番が終わりのほうになるから、不利になる」といった話を聞くことがあるが、これは確率計算からすると間違っているのは明らか。

順番がどうであれ、本命を引き当てる確率は同じだ。

すると、監督の持っている運にかかっていたのか。

なんでも、巨人軍の原監督は、ドラフト当日の朝に水風呂に入って身を清めたとかどうとか、そんな話もある。

しかし、おまじないは通用しないと思う。

私自身、何らかの願掛けのときには神社に詣でたり、朝日に向かって手を合わせたりすることはあるが、それは自分自身を奮い立たせるためである。

そのことで結果が約束されるものではないことは、百も承知だ。

原監督にしたって、十分、わかっているはず。

思うに、運良くドラフトで獲得した選手が、チームの勝利に貢献してくれるかどうかは未知数である。

鳴り物入りで入団した選手が、鳴かず飛ばずで終わってしまった例も少なくない。

それよりも、実績を残している選手をトレードしてくるほうが、戦力としての期待はできる。

そう考えると、プロ志望の新人選手にとっては人生を決める意味合いを持っているドラフト会議も、球団側からすれば単なる選手獲得手段の一つにすぎないのかもしれない。

もしかしたら、巨人の原監督はそれを見越した上で、わざとハズレにしているのではないか(うそ)。

ちなみに、私もくじ運は良くない。

だから宝くじは買わないしギャンブルもしない。

10年近く前に、クレジット会社が勝手にやった抽選で3万円が当たったことがあるが、それが私の唯一の金字塔である。

そのときに、くじ運は使い切ってしまったのだろうか。


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ネットで結果を見ていても会場の緊張感は伝わってくる
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10月17日(木)

貧血対策のために、鉄分摂取を意欲的に進めている。

先日、カボチャの種を食べているとの記事を書いた。

今日、再度のチャレンジで、カボチャの種を食べるべく、その皮を剥いてみたのである。

以前は3日間だけ干した種をフライパンで乾燥させようとしたのだが、加減がわからず焦がしてしまった。

これを教訓に、今回は6日間にわたって乾燥させ、それを割ってみたのである。

最初はいろんなところで紹介されている流儀にのっとって、ハサミで殻を切っていこうとしたのだが、対象物が小さいだけに困難を極めた。

手先の不器用な私には無理だと判断し、shah-sanさんに教えてもらった「歯で割る」方法を試してみた。

やってみると、めざましいばかりに歯で割るほうが早い。

もしギンナンを炒ったものを歯で割るとなると相当な力がいるだろうが、カボチャの種だと軽く噛むだけでひびが入る。

そこから殻を剥いていけば、お目当ての種を手に入れることができるのだ。

歯で割るのはお行儀は良くないかもしれないが、一人暮らしのおかげでたしなめる人もいないから、遠慮はいらない。

一日10粒の割合で食べていこうと思っている。

ちなみに、鉄分吸収を妨げるものなので、コーヒーは1日1杯に制限している。

朝の目覚めのコーヒーは、長い間の習慣で欠かすことはできない。

こればっかりは許してほしい。

ほかに、落花生はナッツ類のセットに入って販売されており、とりわけウイスキーを舐めるときには必須のものであったが、思い切って大胆に量を減らしている。

やり方としては、食べる分だけを小皿にとって、それ以外は袋からは出さないことにした。

全くゼロにすることはできないし、医師から禁止命令を受けたわけでもないから自主規制である。

逆に、納豆は以前からであるが、木綿豆腐も毎日食べるのをマイルールにした。

食生活や嗜好品というのは毎日のことだから、あまりがんじがらめに締め付けるとフラストレーションが溜まってしまう。

11月の末に血液検査を受けて、鉄分量がどれだけの変化を見せているか、エキサイティングな実験は着々と進行中である。


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ネットでも販売されているが手作りだとタダだ
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10月16日(水)

昼食後、おなかの具合がよろしくなかった。

一過性のものだと思って散歩に出かけたが、歩いている間に徐々に腹痛と下痢のきざしが出てきた。

駅前の商業ビルで休憩できるところがあり、もちろんトイレもあるのでそちらで用を足した。

それが引き金になったのか、痛みはつのり、何度もトイレに駆け込まざるを得なくなった。

防犯カメラで見られたら、”怪しいヤツ”認定されるのは必至。

家に帰って横になろうと思ったのだが、痛みと便意と脱力感で動き出そうという意欲がわいてこないのである。

椅子席ですわり、不快感に耐えながら時間の経つのを待っていた。

何回かトイレに行って、少しは気持ちが楽になったので、タクシーでマンションまで帰ることにしたのである。

うまいぐあいにそのビルの入り口前にはタクシー乗り場があり、たまたま1台のタクシーがとまっていた。

若い運転手さんで、私の様子を見て”異変”に気づいたようだ。

こちらから
「体調が悪くなって家に帰ることにした。近くで申し訳ないが〇〇マンションまでお願いしたい。」
というと、事情が呑み込めたのか、納得したような顔をした。

その間、不要な語りかけは一切せず、文言は忘れたが私の体を気遣う言葉をかけてくれた。

若いとはいえ、ちゃんとわきまえた人物だと思った。

日本の未来には希望が持てる。

部屋に入るや、すぐにパジャマに着替え、布団を敷いた。

身のまわりの品は、ブルゾンや財布、買い物袋、タクシーのおつりなど、何も考えずにテーブルの上に置いた。

とても、整理整頓をする気力なんてなかったのである。

だから、布団の中に入っただけで、蘇生したかのような気分に浸った。

生死の間をさまよった後の解放感かもしれない。

下痢は相変わらずだが、痛みは急速に引いていったのがありがたい。

おおよそ4時間ほど横になっていて、時々、眠りにも入った。

睡眠をとったのがよかったのか、痛みも脱力感もすっかり消えてしまい、下痢の回数も極度に減った。

さすがに食欲は全くないが、それでもお腹がすいたので、いいのか悪いのかわからないが、バナナ1本だけを夕食にしたのである。

おそらく、明日には完全復調しているはずだ。

この大惨事の原因は、昼に食べた鶏レバーのような気がする。

昨日の昼に炒めたものだが、いつもは細かくレバーをちぎるところを、今回はあまり細分化しなかったのである。

そこで、中のほうまで火が通っていなかったものがあって、たまたまそれを口にしたのではないか、と思っている。

しばらくは、レバーは”出入り禁止”にする。

いずれにしても、こんな体験は二度としたくない。

 
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ワンメーターで済んだのが不幸中の幸いだ
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10月15日(火)

コミュニケーションのズレによる誤解というのは、日常生活でもよく経験するものである。

先日、マンションの玄関ドアが動作異常を起こすので、専門業者に点検をしてもらった。(こちら

そのとき、点検の依頼をかけた管理人さんからは「無料の範囲で調べてもらうように頼んだ」との話を聞いていた。

ところが、今日、その業者から見積書が送られてきたのである。

金額は決して高額ではなかったものの、私にしてみれば「タダだと聞いていたのに心外だ」との思いがあって、担当の人に電話を入れてみた。

結構、長い時間をかけてのやりとりがあり、担当者から事実時経過を聴き取った。

その話を受けて、次は管理人さんに真相を確かめたのである。

そして判明したのは、次のような会話が交わされたのがきっかけであった、ということ。

管理人:「ドアの調子が悪いので、費用が発生しない範囲で調べてほしい。」
担当者:「私は営業員だから何とも言えない。技術者を連れて点検に行く。」

この会話で、管理人さんにしてみれば
「アフターサービスの一環で、無料で業者が点検してくれる。」
と理解したのだが、片や担当者は
「技術者が行くと言ったので、適正な派遣料はいただける。」
と認識したものと推測される。

管理人さんは「無料」ということを私に伝えたものだから、私はそれを真正面から受け止めて頭に入れていた。

極めて常識的に考えて、専門技術者が時間をかけて出張訪問するのだから、人件費が発生するのは当然のこと。

ましてや、今回は、「制御盤の経年劣化による動作不安定が不具合の原因」との結論まで得られたので、これはわれわれには大きな収穫である。

なまじっか、「無料」の言葉を聞いていなければ、この見積書を見ても、違和感は覚えなかったことだろう。

むしろ、「安い」と思ったかもしれない。

点検という作業の性質上、結果はやってみないとわからない。

事前におよその金額を提示することも、実際には無理だと思う。

おそらく、このドア会社では、点検の場合は一律この料金を見積金額としてあげているのではないか、という気がした。

世の中、「1+1=2」ばかりの世界ではない。


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ドア業者にしてみれば「安い」レベルの見積もりであったはず
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10月14日(月)

孫娘の幼稚園の運動会があった。

最初の予定は12日の土曜日であったが、台風接近の予報が出ていて、早くから14日に順延するとのアナウンスが出ていた。

これで、少なくとも3年連続の当初予定順延である。

祟りでもあるのかもしれない。

ただ、カトリック系の幼稚園なので、神主さんに”お祓い”をお願いするわけにもいかない。

天候には天候の都合があって、人知では計り知ることができないものだから、従容と受け入れるしかなかろう。

とはいえ、園の先生がたや関係者はそれこそ胃の痛む思いをされたに違いない。

ご心労のほどお察し申し上げる。

運動会が始まってからも、ときおり細かい雨がぱらつくこともあったが、無事に終えることができた。

ことし、変わったというのが、園児の直接の両親以外の入場チェックが甘くなった、ということ。

セキュリティーのために、昨年までは、両親のいずれかが認めないことには、祖父母は入ることができなかった。

今日は、門のところで園児のクラス名さえ言えば、即座に入ることができる。

幼稚園のクラスの名前なんて、おおよそ”さくら組””ひまわり組”などが一般的で、まさか”山口組”とか”田岡組”なんて存在しないと思う。

だから、適当に言えば当たるだろうし、直前の人が言ったクラスの名前をそのまま言えば、入ることができる。

事実上のノーチェックになった。

考えるまでもなく、保護者の親だからというので刃傷沙汰に及ばない、という保証はない。

一応のポーズとして、「チェックをしています」との姿勢を見せているのだろう。

それはともかく、下の孫娘の出たパラバルーンの演技は実に完成度の高い仕上がりであった。

もちろん、動画にとってある。

去年は下の娘は初の運動会ということもあってか緊張していて、見ていて気の毒なぐらいにビクビクしていた。

今年など、楽しんでやっていることがよく伝わってくる。

1年間の成長には確かなものがあったと実感した。

なお、この幼稚園では卒園生の参加競技もプログラムとして用意されている。

上の孫娘が卒園生であり、小学校1年生の部として出場し、4人で走って1位という栄誉に輝いた。

運動会が終わってからの食事会では、孫の二人とも話題の中心になっていたのは言うまでもない。


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去年も全く同じ店で焼き肉を食べた

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10月13日(日)

所属団体の総会があった。

どちらかというと形式的なもので、言うならば、出席するだけで任務は果たせるというお気楽な集まりだ。

多くの団体と同じで、総会と特別講演会、懇親会の3本立てになっている。

今回の講演会の講師は、その団体の会長が勤めた。

おそらくは、謝礼が安くて済むからではないかと、そんなゲスの勘繰りをしてみた(汗)。

その会長は76歳で、現役の社長である。

金属処理が会社の業務内容だが、航空機、自動車、医療機器などのジャンルに使われているとのこと。

パワーポイントを使って、1時間弱の講演なのだが、実のところ私には退屈であった。

その会長は、平素は軽妙な語り口が売りであって、味もそっけもない話題であっても、持ち前の話術でもって聞き手を魅了するのがお得意なのだが。

理由は、講演慣れしていないせいか、マイクを口から離れた状態で話していて聞こえにくいとか、専門用語がやたらと出てきて、聴衆としては意味がわからず、話の全体像をつかむことができなかった、という点にある。

もともと技術者出身であり、専門分野での博士号も取得しているのだから、知識レベルとしては申し分のない高さである。

ただし、専門家の間では通じる言葉であっても、基礎知識のない一般人相手となると、わかってもらえるとは限らない。

「不活性ガスで金属表面を噴射し、金属粉末を・・・・」なんて解説されても、チンプンカンプンである。

私は会場の中央ぐらいの席に座っていたが、メモを取りながら聞いている人はひとりもいなかった。

ノートパソコンを持ち込んでいる人がいたものの、入力している気配は全く見られない。

聴衆の大半は、あまり乗り気でないというのが偽らざるところだろう。

かといって、眠っている人もいなかったが。

しかし、多くの人が身を乗り出した部分もある。

ご自身の幼少期から学校時代までを、当時の写真を見せながら説明されたときは、笑い声も出るなど皆の関心を引いていたのは間違いない。

総括するならば、講演に魅力が欠けた理由は二つ。

まずは、マイクの使い方が適切でなかったこと。

これは慣れればすぐに修正可能だ。

もう一点は、テーマ設定が誤っていたこと。

具体的には、会長の会社そのものの紹介をしながら、業務内容として金属処理を手がけており、たとえば科学衛星はやぶさの部品にも使われいてること、などをプラスアルファしながら話していくほうが、聴衆にとっても興味を持って聞けたと思う。

私にとっては、その教訓を得たのが今日の講演での一番の収穫であった。


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懇親会ではまずはお寿司をキープするようにしている
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10月12日(土)

未明の3時半、強い雨の音で目がさめた。

台風19号がいよいよ近づいてきた。

当地は直撃は免れているものの、雨と風の強さは尋常なものではない。

念のために、バルコニーの箒とちりとりは仕舞っておいた。

台風への備えといったら、こちらではそれぐらいのことしかない。

予想針路の中に入っている関東では、そんなのんきなものではないようだ。

とりわけ、前回の15号の傷跡がいまだに残っている地域など、戦々恐々の思いにとらわれるのは、致し方ないことである。

警戒と対策を呼び掛けるのは当然のことだが、一部には過剰な声も聞かれる。

なんでも”地球史上最大級”とか現時点での最大クラスを超える”カテゴリー6”とか、ほぼデマに近い内容のものもある。

19号の予想最大瞬間風速が60m/sと見られているが、60年前の伊勢湾台風は75m/s(米軍観測で90m/s)だというから、この時点で”史上最大”は事実ではない。

あわて者が誤解して間違った情報を拡散したのか、あるいは意図して誤った情報を流布したのかは不明である。

ただ、毎回のこととはいえ、いたずらに不安を煽る言動には不快感を覆えてならない。

悪質なものではなくても、「躊躇なく避難」や「備蓄品の用意して」などの注意喚起を耳にすると、「ちょっと待てよ」と言いたくなる。

所定の避難場所に退避する途中でケガをした事例も多いし、また、水や食料品を買いだめしたことで、お店の在庫がからっぽになったとの話もよく聞く。

蚊帳の外の人間だから言えるのかもしれないが、マンションの場合だとよほどの事態でもない限りは室内にいるほうが安全である。

また食料にしても、停電になれば冷蔵庫も使えず、長期間にわたって保存がきくものではない。

何より、本当に必要としている人が欲しくても手に入らない恐れが出てくる。

不測の事態に備えて、物心両面での準備は大切であることは当然だが、それも過剰になると弊害も出てくる。


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外出せず、部屋の中で終日過ごした。
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10月11日(金)

10月2日に、マンション玄関ドアの不具合を点検してもらったときに、制御盤の見積もりをあわせてお願いしておいた。

現行のものがかなり劣化しているようなので、価格が安ければすぐにでも交換しておくほうが安全である。

あれから約10日が経つのだがいまだに送られてこないので、しびれを切らして、こちらから督促の電話を入れた。

担当者は「すみません、まだ送ることができていません」と言う。

日本語の意味がすぐにはわからなかったが、おそらくは、忘れていたのだろう。

あからさまに言えないので、「送ることができていません」という不自然な言葉遣いになったのだと思う。

たぶん、こういった機械だからオーダーメイドではなく、標準品として規格の決まったものがあるはず。

だから、見積書を作るのにさほど時間がかかるはずがない。

担当者のウッカリさんであったことはほぼ確かだ。

しかし、そんなことはおくびにも出さず、「急いでいる」旨を伝えると、休み明けの火曜日には到着するようにメールで送ってもらうこととなった。

こういった場合、
「見積書が遅くなっている本当の理由は何か?」
などと問い詰めても、こちらの得になることはない。

不毛なやり取りの応酬に終始するのが関の山だ。

その上、お互いに悪感情を持つこととなる。

平然とした顔で、用件をちゃんと片づけていくことこそ、大人の態度だと思う。

話は飛躍するが、関電の役員が地方都市の元助役から多額の金品を受け取っていたことが大問題になっている。

メディアは真相解明を訴えているようだが、この一件も、くだんの元助役の”事情”を知ると、むやみに事を荒立てないのが賢明ではないかという気が、私はする。

関電の役員は公務員ではないし、送った側はすでに故人になっている。

何もなかったことにするのが無難である。

ちなみに、点検をしてもらった後の玄関ドアは機嫌よく開閉を繰り返している。

管理人さんの話を聞いても、点検後は不具合は一度も出ていないらしい。

だから、よほどの安い価格でない限りは、交換するべき必然性はない。

とはいえ、大まかな金額だけでも頭に入れておきたいのは事実である。

台風による停電でもあれば、いつなんどき寿命を終えるかもしれないし。


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不具合が何回かでも出ていれば話は進めやすいのだが
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10月10日(木)

一日二食の試みは、私の生活の中にすっかり根をおろしたと思う。

最初は、朝の7時ごろから9時前までの時間帯が辛かった。

空腹によるひもじさが、苦痛であったのである。

それこそ慣れの問題で、いまなどはお腹が鳴ってくるのを楽しめるほどまでに余裕が出てきた。

もっとも、労働も家事もしないからやっていけるのであって、仮に相撲の稽古をするとなると、朝食抜きでは私には我慢ができない。

そろそろ軌道に乗ってきたので、生活のリズムを少しばかり変えてみようかと思った。

より自分に合うサイクルを見つけだしたいからである。

といっても難しい話ではなく、いつも決まりきった行動パターンを見直して、少し変化をさせたいだけのことである。

昨日までだと、散歩に出る時刻はほぼ毎日決まっていた。

それを意識して変えてみたのである。

いつもより1時間遅らせた。

実を言うと、私の心の中ではもう一つの思いがあって、前理事長が私の部屋に訪ねてくることを回避したいとの姑息な作戦も兼ねているのである。

いつも同じ時間帯に在宅していると、彼女にしてみれば簡単に訪問ができるが、私がいないときもあるとわかれば、少しはハードルが高くなるのではないか、と考えたからだ。

調理中に突然来られて30分も話し込まれたのでは、こちらの予定が大きく狂う。

昨日など、以前の大規模修繕工事の話から始まって、建物点検で排水管が詰まっていたことに触れ、そのときの請負業者に対処を依頼して・・・・・等々と、延々5分ぐらい話が続き、最後に
「現場監督のMさんに、あなたが今期の管理組合副理事長になったことを言いました」
と語って、一応は息継ぎの時間をとった。

その瞬間を見逃さず、
「わかりました。監督から連絡があったら、ちゃんと対応します。すみません、いまお湯を沸かしていますので。」
とこちらからピリオドを打った。

さすがに、それで彼女も話を切り上げ、帰っていった。

その後ろ姿に、私は深々を頭を下げたものである。

事情通の人から聞いた話だと、彼女は自分がこうしたいと思い立ったら、セーブが効かなくなるところがあるらしい。

誰かに伝言を伝えたいと思ったら、すぐにその人のところに行って、顔を見ながら話をするというのは、彼女にとってはごく普通の行動なのだろう。

相手の都合は二の次三の次だという。

だから、こちらから切らなければ、2時間でも3時間でも平気で話を続けるそうだ。

去年の理事会が3時間も4時間もかかったのは、やむを得ないことなのだろう。

70歳を超えた人に、今さら「世間のスタンダードはこうですよ」ということを説明しても、通用しないと思う。

時間帯をずらせるとの試みは、私にとっての自衛策の一つである。


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遊んでばかりなので時間が足りない(汗)
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10月9日(水)

同窓会準備で、母校に行ってきた。

といっても、さしたる用件はない。

その気になれば電話で済むことであり、急いで行かなければならない性質のものではなかった。

どちらかというと、私の中でテンションが高まってきて、それで足が母校に向かったのだと思う。

主たる用件は、会場となるパーティールームの部屋のことである。

隣接する二つの部屋を仮予約していたのだが、たぶん1つで行けるとの幹事会での見込みで、一つだけにすることにした。

その際の入り口や受付の場所、テーブルなどの細かい部分での打ち合わせを行うためであった。

ところが、会場に入る直前に携帯に電話が入り、「出席の返事がまとまって送られてきた」というのである。

彼の口調からは並々ならぬ興奮が伝わってきた。

「まとまって」というから10人分ぐらいの返信があったのかと思っていると、「3人」であった。

とはいえ、この3人分が加算されれば、おそらく一つの部屋では窮屈過ぎる。

彼と話した結果、二つの部屋をぶち抜きで使わせてもらうことに決めた。

もちろん、それでレストランにも正式に申し込んだのは言うまでもない。

それにしても、まるで監視カメラで私を見ていたかのような絶好のタイミングの電話であった。

会場担当者の話では、パーティールームの予約は他の団体からは全く入っていなかったようだ。

だから、あわてる必要は全くなかったのだが、後になって訂正を申し入れるほうがカッコ悪い話だ。

ツイているなと思った。

そもそも、企画段階では20人が来てくれたら大成功だ、と言っていたところに、今で27人の参加申し込みがあるというのもでき過ぎだ。

さらに不思議なのは、当初は連絡先不明であった人の8人が、ひょんなことから現住所が判明し、急きょ、案内状を送ったところ、なんとそのうちの7人から出席の返事が来た、というものである。

単純計算すると、その出席率たるや88%という異様な高さだ。

これって、何か因果関係があるのだろうか。

そんな取るに足らない疑問を感じつつ、秋のキャンパスを歩いた。

私の現役時代とは大きく様変わりして、女性の比率が圧倒的に増えてきたのは、学生の姿を見ていてもすぐにわかる。

もし私の学生時代にもこれだけの女子学生がいれば、私の人生は変わっていたかもしれない・・・・などとは、妻の前では口が裂けても言えない(汗)。


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ATMやコーヒーチェーン店などは現役時代にはなかった
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10月8日(火)

よく行くスーパーに、サンマの冷凍でないものが並んでいた。

私が見たのはこれが初めてである。

この秋、初の生サンマを食べられるとあって、内心小躍りした。

しかし、値札を見て、はしゃぐ気持ちに揺らぎが生じた。

なんと、1匹158円となっている。

冷凍ものだと、78円か88円で売られていたのに。

倍近い価格差ではないか。

ことしのサンマは不漁だと言われていたが、聞きしにまさるものがある。

とはいえ、運命的に出会った初ものをあきらめるのは、あまりにもったいない。

2匹だけ、買うことにした。

ひと昔前は、サンマといえば大衆魚そのもので、安い魚の代名詞であった。

江戸落語の『目黒のさんま』が生まれたのは、そんな背景があったからだろう。

いや、つい最近まで、決して高級魚ではなかった。

家計を切り詰めるために、あえてサンマをおかずにした家も多かったのではないか。

しかし、今年は事情が違う。

ときには、金額を度外視しても入手できないとの話もある。

そう考えると、158円で食べられるのだから満足すべきだ、と自分自身を納得させることにした。

なのに、夕方、散歩で通りかかった某スーパーに立ち寄ると、
「生サンマ 128円」
との表示が出ていたので、私の確信が音を立てて崩れていった。

しかも、そのお店はBGMにシャンソンを流すこともある”高級スーパーマーケット”のランクにある。

たった30円だけの差かもしれないが、なんだかひどく損したような気がしてならない。

ちなみに、日本人一人が食べるサンマの年間の数量は、平均すると3.23匹だそうである。(出典

仮に4匹だとしても、全国平均すれば、年間で120円だけの話にすぎない。

しかし、私は週に3匹は食べているので、話のレベルが違う・・・・・などと不平を言っていると、せっかくの秋の味覚が台無しになってしまう。

ありがたく、そして、おいしくいただいた。


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今日はフライパンで焼いてみた
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10月7日(月)

テレビも映画も見ない人間であるが、ネットでニュースサイトやブログなどを見ていると、旬の話題は何かぐらいはわかる。

たとえば、映画の『記憶にございません』が上映中であることは、知識としては持っている。

ごく大まかな粗筋や中井貴一さんが主演であることも承知だ。

このタイトルの『記憶にございません』は、今はなき小佐野賢治氏が証人喚問で答弁したとされている言葉から来ているものだと思う。

私よりも上の世代の人であれば、まずどなたもご存じだろうと思う。

国会に小佐野さんがロッキード疑惑の証人として呼ばれたときに、追及を交わすために「覚えていません」との意味で繰り返し使ったフレーズだ。

昭和51年2月当時、私は卒業前で一応は単位もとれていて、運転免許の取得が最大の関心事の時期であった。

教習所の休憩室にあるテレビでそのニュースを見ていたことを覚えている。

その頃のテレビ番組は、ほとんどが証人喚問の様子を取り上げていた。

視聴者の関心も高く、これなら視聴率がとれるとのテレビ局の読みがあったのだろう。

『記憶にございません』の語句はテレビからいやというほど聞かされたものである。

その頃の流行語となったばかりか、今でも都合の悪い質問から逃げる場面ではよく使われているほどだから、すっかり定着していると思う。

ただ、重箱の隅をつつくような話だが、実は、小佐野さんは「記憶にございません」とは一言も発していないのである。

その証人喚問の際の議事録を見ると、どこにもその発言はない。

出てくるのは、
「記憶ございません」と「記憶ございません」
がそれぞれ3回ずつである。

助詞が一文字違うだけの話ではあるが、厳密な意味では間違いだということになる。

かく申す私も、小佐野さんは
「記憶にございません」
と語ったものだと、長い間、爪の先ほども信じて疑っていなかった。

昭和51年当時、報道に携わっていた人や視聴者が、皆が皆、聞き間違えていたというのだろうか。

自分自身も当事者でありながら、それが不思議でならない。

ちなみに、今に至るも絶大な人気を集めている長嶋名誉監督が現役引退のセレモニーで
「巨人軍は永久に不滅です」
と語った部分を
「永遠に・・・」
と、誤って理解している人も少なくない。

人間の記憶というのは、とかく不安定なものである。



「永遠に」の言葉のほうが私には美しく響く

 
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10月6日(日)

貧血対策の一つで、”カボチャの種”には鉄分が多く含まれているとのこと。

かかりつけ医からいただいた冊子にもしれは書かれていた。

まさか、医師がハロウィンを意識したわけではなかろう。

ネット検索したところ、結構、情報がたっぷりと出てくる。

鉄分を補うだけでなく、アンチエイジングや血行促進、前立腺肥大の抑制、美肌などの効果が期待できるらしい。

また、薬膳的にも、”南瓜仁(ナンカンニン)”と言われ、体の中の寄生虫を追い出したり、排尿障害の改善などがうたわれている。

これは見逃せないと飛びついた。

一昨日に温野菜を作ったので、そのときにカボチャの種を捨てないでとっておいていた。

標準的な作り方を読むと、「3日間の日干し」となっている。

一昨日はほぼ終日日光を浴びるところに出しておいたのだが、時折、小さな鳥や虫がやってきては、興味ぶかげに干していりる種に視線を投げかけている。

これは危ないと思って家の中に入れ、東向きの窓側にテーブルを置いて、そこで乾燥させることにした。

乾燥をしっかりさせておかないと、殻を剥きにくいそうである。

殻ごと食べることもできなくはないが、噛むと硬く感じるので取ったほうがいいらしい。

2日半経過して、確実に乾かすためにフライパンで少々炒めた。

うっすらと焦げ目がついていたので、これでいけると思い、ハサミで切り込みを入れていった。

しかし、きれいに殻をとることができず、本命の種の部分が半分に割れてしまい、殻もついたままになったのである。

炒る時間が足らないからかと思って、今度は念入りに炒ったところ、一部は黒焦げになった。

さすがに火を止めて、そしてハサミを入れたのだが、やはり状態は同じ。

しばし考えて、いっそ殻ごと食べることにした。

ジャイアントコーンでも平気で食べられる強靭な歯に恵まれているので、殻の硬さはさほど気にならない。

ただ、肝心の滋養分が飛んでしまっていやしないか、それが気がかりだ。

私が求めているのは”味”ではなく”鉄分増加”という結果である。

ちなみに、十分に炒った種はポリポリ感が楽しめる。

それだけでも満足だ。

なお、ネット通販でも”カボチャの種”は販売されている。

私が手作りするよりは、ネットで買うほうはコスパははるかに良い。

それはともかく、再度、自力で”カボチャの種”を作る試みにチャレンジする。


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ご飯のおかずとしては難しいが酒のつまみにはなる
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10月5日(土)

マンションの建物設備点検が行われた。

私のマンションでは、一級建築士が入居者に説明をすることとなっている。

昨年にも開かれていたのだが、入居して1年目ということもあり、全く関心はなかったし、実のところ必要性も感じなかった。

だからサボった。

今年は、役を受けたということもあるが、自分の住んでいるマンションのことを少しでも知りたいとの思いがあって、管理会社からの案内を見たと同時に、参加を決めていた。

どこに何があるのかわからないのであれば、万が一火事でも起こった場合、何をすればいいのか右往左往するしかない。

最低限の備えをしておくためにも、知識を持っておきたいと考えて参加した。

集合時刻の午後3時に所定もの場所に行くと、今年の役員が3人、そして、去年の理事長と一昨年の理事長まで来ていた。

どうやら、毎回、その年度の役員だけが参加しているらしい。

去年の理事長が来ることは、察しの悪い私でも予測していた。

「来るな」と言われても参加するはず。

一昨年の理事長は、おそらく前理事長に声をかけられてやってきたのだと思う。

不審に思ったのは、このイベントの招集をかけた管理会社の担当者の姿が見えなかったこと。

「遅れますので先に始めておいてください」とのメッセージがあったらしい。

なんでも、午後3時集合を決めたのは彼だという。

先日の理事会や決裁書類捺印の際にも遅刻して、そのほとぼりが冷めない間に、また遅刻したのだから姿勢を疑われてならない。

結局、20分遅れでようやく到着した。

屋上から一階までを隈なく一級建築士が点検して、不明点があればわれわれが質問するという形で、約1時間半で終了した。

大規模修繕の直後だけに、建物や設備そのものの問題点はほとんど皆無で、たとえば共用廊下に自転車が放置されたままとか、やはり共用部に雑草が伸び放題になっている点を指摘されたぐらいである。

優秀な成績で合格した、というところだろう。

最後に参加者一同で記念撮影をして、お開きとなった。

何も知らない私にはいい勉強になったことは言うまでもない。

それにしても、管理会社の担当が再々遅刻するのには言葉がない。

他の理事会メンバーは「いつものことですから」と寛容な姿勢を見せているが、その甘さが彼の緊張感を弛めているのだとしたら、われわれの側にも責任があることになる。


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ドレインの穴がふさがっているからか、水たまりができている
20 : 20 : 02 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

10月4日(金)

昼からスーパー銭湯に行った。

週に一度を原則としているが、先週は行かなかったので2週間ぶりということになる。

おもしろいもので、毎週行っていたのに1回抜けただけで、長くごぶさたしていたような錯覚に陥る。

どことなく新鮮味が漂っている印象があったのが不思議であった。

そのせいか、いつもは考えもしなかったような愚問が頭に浮かんでくる。

それは
「なぜ私はスーパー銭湯に行くのか?」
ということ。

わざわざお金を払って、またクルマに乗ってまでして通っている理由はどこにあるのか、私自身が考えてみたのである。

一言で答えるなら「リラクゼーションを得るため」とでもなるだろうか。

会社を辞めて仕事とは無縁になったとはいえ、何かと面白くないことや負担に感じることは出てくる。

これは当然である。

わずかばかりのものかもしれないが、それらが蓄積してくると、やはりストレスになる。

よく、長生きの仕方や健康の秘訣として、「ストレスをためないようにしましょう」というのがある。

しかし、「ストレスをためるな」と言われても、自然と蓄積してくるものは仕方ないと思うが。

ストレスをためたいとの意識を持っている人なんて皆無だろう。

それでも、人間の意思とは無関係に蓄積してくるのがストレスである。

ならば、ほかに楽しみを見出して、それをすることでリラックスするしか対抗策はないのではないか。

広い湯舟で思いっきり手足を伸ばす、たっぷりと汗をかく、露天風呂から青い空を見上げる、睡魔に襲われながらもお湯の中で体を横たえる・・・・・こういった営みをしている間は、理屈抜きに気持ちが落ち着く。

スーパー銭湯はそういったリラックス感を提供してくれるから、私にとっては価値のある場所だと思っている。

まさか、若い女性との出会いのチャンスを求めているわけではない。

クルマで来ているので、風呂上りの一杯を楽しむのが目的でもない。

週に一度のリラクゼーションの場として、私にはスーパー銭湯は欠くことのできないスポットである。


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夏でもサウナには必ず入る
20 : 20 : 44 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(10) | page top↑

10月3日(木)

マンションの玄関扉の動作が不具合を起こしているので、専門業者の人に見に来ていただいた。

当マンションでは、完全自動までには至っていないが、所定の場所のスイッチボタンを押すことで扉が開くようになっている。

外部から入るときは、専用のキーで操作盤から指示しなければならないが。

大規模修繕をする前は、マンションの中から外に出るときも、鍵を穴に差し込んで開錠するというアナログ的なシステムであった。

修繕以降は、ボタンを押すだけでドアが自動的に開くので、住民からは便利になったと喜ばれている。

ところが、最近、突発的に起こる現象なのだが、オープンのボタンを押しているのに、一向にドアが開かないことがある。

無理矢理、力を入れてドアを開けざるを得ない事態が、ひと月ほど前から何回か発生した。

一昨日は、その現象が顕著であった。

昨日は機嫌よく動作してくれるなど、お天気屋なのかして、日によって調子の善し悪しがはなはだしい。

そこで、不調の原因を探るために業者の人に調査をお願いした次第である。

小一時間ほどの作業の結果、あくまでもその人の推測での話であるが、玄関ドアに信号を送っている制御盤が古いことで、動作不良を起こしているのではないか、ということ。

彼の見立てでは、その制御盤は少なくとも20年から25年は経っているようだ。

いみじくも「死ぬほど古いですワ」と漏らしたが、それは偽らざる思いなのだろう。

そろそろ耐用年数ギリギリというニュアンスであった。

家電製品と同じで、長く使っていると自然と老朽化し、正常な動作をしなくなるものらしい。

その話を聞きながら、私はパソコンのことをイメージしていた。

パソコンにしたって、早ければ5年ぐらいで不可解な挙動をすることがあった。

横並びで比べることはできないが、その制御盤は20年以上というから長持ちしているではないか。

ただ、彼が言うには、「明日に使えなくなってもおかしくない」とのこと。

結論として、マンション住民としてはあえて何もする必要はないと判明した。

正確に言うなら、「何もできない」ということだ。

ひたすら制御盤が機嫌よく作動するのを、天に祈るしかできないのだ。

さりとて、一応は、万が一のときを想定して、制御盤の見積もりをお願いしておいた。

考えようによっては、人間にしても一定の年齢になれば、いつなんどき、どんな事態に直面することかわからない。

何しろ、私なんて、今にもひびが入りそうな薄い氷の上をビクビクしながら歩いているのだから、機械類と変わるところはない。


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「オートロックだから安全」とは必ずしも言えない
20 : 20 : 22 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

10月2日(水)

ムダな時間の過ごし方の最たるものが、待ち時間だと思う。

管理組合の理事会メンバーと管理会社担当者が、今朝の8時半に会うことになっていた。

用件は、単に振込のために理事長の決済印を捺すのに立ち会うだけで、あっという間に終わるはずの事務作業にすぎなかったのである。

ただ、早朝に管理会社担当者から理事長に電話が入って、「8時半には行けなくなったので、9時半に遅らせてほしい」とのこと。

私にも理事長からその旨の電話があったが、それは仕方ないとそのときは思った。

私の予定などは、極端に言えばどうにでもなる。

しかし、約束した9時半になってもまだ来ない。

10時まで所定の場所で待っていたのだが、これは非生産的だと思って、自分の部屋で待つことにした。

そのとき、他のメンバーに声をかけなかったのが悪かったのか、私の知らないうちに事は終わっていたようで、10時半に約束の場所に戻ったら、すっかりもぬけの殻であった。

管理人さんの話では、「もう終わって、みな出ていきましたよ」とのこと。

確かに、私がここでやるべき仕事は、理事長が判を捺すのを確認するだけだから、ほかの人でも十分に代行できるし、どうしても代わる人がいなければ、やらなくても何の問題もない。

管理組合の内部ルールで「複数の理事が立ち会って確認すること」となっているから、それに従っているだけのことである。

とはいえ、私にしてみれば、せっかく時間を空けて待っていたのに、電話の1本ぐらい入れてくれも良かったのではいか、と自分の手抜きを棚上げにして心の中でこっそりとつぶやいた。

自分の部屋の中でブログやネットニュースを見ながら、ひたすらお呼びがかかるのを待っていたが、とんだ待ちぼうけを食った格好となった。

管理会社の担当者はとにかく忙しい人であって、時間の約束というのはほぼ当てにならないらしい。

事情通の人からすれば、彼とのアポでは、何時何分というぐあいに、時刻をきっちりと決めるのは初めから間違いだ、という。

なるほど、第一回の理事会も20分は遅れてきていたが、全く悪びれた様子はなかった。

担当者のそういった空気感が理事会のメンバーにも蔓延してしまったら困る。

時間とお金にルーズな人間とは付き合いにくいというのは、私の偏見なのだろうか。


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いつ来るかわからない相手を待つのは苦痛である
20 : 20 : 24 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(14) | page top↑
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Author:声なき声

昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、北摂のマンションに在住。   

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