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7月31日(水)

先週に受けた健康診断の結果を伺いに、クリニックに行ってきた。

結果は、憂慮すべき点はなく、若干の貧血傾向が見られるに過ぎない、というもので、ひと安心であった。

ただ、医師のお話では、貧血の傾向が鉄分不足によるものかどうかは、この結果からは何とも言えないらしい。

後はかかりつけ医での相談ということになる。

全般に、この検査機関の基準はかなり甘いのではないかと、素人ながら感じた。

身長163.5㎝、体重45.0㎏、BMI値が16.8と表示されていたが、今までの検査だと、低体重として”要注意”のサインが記されるのがツネであった。

今回の検査ではおとがめなしである。

この点については考え方の違いがあるようで、かかりつけ医からも「体重は低いほうがいい」と言われている。

「標準体重より14㎏も少ないから、できるだけたくさん食べて、差を縮めるようにしなさい」などと指導されたことはない。

だから、これでいいのだろうと思う。

血圧についても同じで、今回は「98-58」と出ていたが、世間一般的には上が100を切ると”低血圧”とみなされている。

しかし、かかりつけ医は、にこにこしながら「これが理想的です」とおっしゃるし、今日の医師も、何の言及もされなかった。

夏の初めごろは全身の脱力感があったものの、処方薬を減らしてからはそれもかなり改善された。

今では、血圧が低いことでの不都合は何も感じていない。

強いて言えば、こんな私が高血圧症の治療を受けていることに違和感を覚えることぐらいのもの。

つまり、生活していくにあたっては何の不便もない。

何ごともなかった、と断定して良い健診結果であったと理解している。

なお、医療というのは人々の健康を向上させるという崇高な任務が課せられている。

健康診断を受けただけの人間であっても、医者は検査数値をしっかりと見て、適切なアドバイスをしなければならない。

京都での酸鼻を極めた悪逆な事件の首謀者であっても、多くの医療関係者が懸命の治療にあたっている。

医療に携わる人であれば、患者がどんな人物であろうが、それは度外視して健康回復に向けて最大の努力を傾けなければならない。

おそらくは彼らも内心の疑問を感じつつも、それは押し殺して治療に取り組むのだから、その葛藤のすさまじさというのは名状しがたいものがあるはず。

自分の好き嫌いを優先させていたのでは務まる仕事ではない。


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医師は間違いが許されないので極度の緊張を強いられているようだ
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7月30日(火)

マンション管理組合の理事会が開かれた。

毎年、8月の末に管理組合の総会を開き、9月1日から新年度が始まる形になっている。

その総会に備えた理事会であって、次年度の役員就任予定者が出席したのは、その中から監事を決めるためであった。

本来は午後7時からの理事会開始時間であるが、監事選任のために30分を早めたのだろう。

定刻5分前に理事会の会場に顔を出した。

すると、思いも寄らぬ展開となったのである。

時期の役員予定者で出席していたのは7人中5人。

私以外は、すべて女性であった。

今日決めるのは、監事のみである。

ここで悪い予感がした。

最終的に、私のほうに理事長が回ってくるのではないか、と。

それを事前に防止するために、先制攻撃をかけた。

私が監事に立候補したのである。

そんな私の猿知恵は、しかしながら年齢を重ねた女性にはたちどころに看破された。

三つ隣に座っていた女性が、
「あなたには理事長になってもらいたいです。
男性のかたがいらっしゃって、お任せできると安心していました。」
と大演説をぶつ。

私からすれば、その女性に完全にかき回された形で、私の監事就任の野望は無残にも消滅せざるを得なかった。

そして、理事長候補を誰にするかに話が及び、二つ隣のまだ40代半ばの女性が、
「理事長のことは主人とも相談してもいいですか?」
との発言があって、その相談結果待ちとなった。

もし彼女の配偶者が断われば、私のところに回ってくる可能性は極度に高くなる。

どうか真夏の夜の夢であってほしい。


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イラストのような和気あいあいの会議ではなかった
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7月29日(月)

海外とはほとんど無縁な私にとって、関西空港というのは心理的にも非常に遠いところにある。

その関西空港に、先週の見送りに引き続いて、昨日は出迎えに行ってきた。

出迎えといっても、娘一家がクルマを出してくれるので、あえて言えば私が出かけていく意味はない。

どちらかといえば、私自身の目で二人の無事の帰国を確かめたかったというのが偽らざるところである。

到着予定時刻が日本時間ので「午後7時55分」となっていたので、やや早めに家を出たのだが、空港に7時10分に私が着いたときには、ロビーの表示に、すでに到着した旨が表示されていた。

夏の季節のことゆえ、偏西風もそんなに強くは吹かなかったのだろう。

もっとも、飛行機の「到着時刻」というのは、目的の空港に着陸して、機体が完全に停止した時のことを言うらしい。

だから、到着ロビーに乗客がたどり着くのは、結構な時間がかかる。

早くに家を出ていた娘一家に伝えようとしたのだが、携帯に電話をしても出てこない。

たぶん、どこかで遊んでいて気がつかないようだ。

まずは、帰ってくる妻と孫娘を見つけたい、との思いで、それこそ到着口からあふれ出す人の姿に目を凝らした。

あわせて、娘たちの姿が見えないか、キョロキョロしながら様子を探っていた。

そういった不自然な動きを20分ほどしていると、突然に
「おじいちゃん!」
と声をかけられ、目を見やると孫がにこにこしている姿がそこにあったのだ

自然と顔がほころび、孫の頭をなでていた。

ちゃんと帰ってきてくれて、笑顔を見せてくれる孫の姿に接すると、それだけで感謝の気持ちがわいてくる。

気がつけば、娘一家も着いていた。

旅先での話をとめどなくしていた孫娘が、突然に涙を流したので、何があったのかと思った。

おそらくは、両親と1週間以上も離れていて、アメリカにいる間も心のどこかで寂しさがうごめいていたに違いない。

今日、久しぶりに父や母の顔を見て、安堵の思いと同時に今までこらえていたものがほとばしり出たのだと思う。

なお、飛行機の遅れというアクシデントが続いたが、いずれも直前の空港からの到着が遅れたため、現地の空港からの出発も遅延した、とのこと。

これは、航空会社の関知しないところなので、遅れたことによる乗客の損失についても無関係だという。

ちなみに、ロスでのホテル代は一人で日本円15,000円であったらしい。

つまり、二人で30,000円!

ツーソンでも同じ系列のホテルであったが、それが一部屋で12,000円であったと。

単純計算すると、倍以上の開きがある。

ランクもよく似たようなもので、たいした違いはなかったというのが妻の感想である。

大都市と地方都市の格差は、アメリカにも歴然と存在している。


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家から空港までは急いでも約2時間かかる
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7月28日(日)

今朝は4時に目がさめた。

妻と孫娘が帰ってくる日だというので、気合が入っていたのかもしれない。

しかし、招かれざる客というのは時間を気にしないようだ。

朝5時過ぎに妻からメール。

ロス発の飛行機が、1時間半の遅れで離陸だという。

経過はわからないが、ともかく関西空港着が午後8時頃になるらしい。

国際線飛行機の到着時刻というのは当てにならず、遅れることも早まることもある。

娘にも相談して、娘一家はクルマでもって先に着くようにプランを立てた。

早めに着いて、食事をしながら飛行機の到着を待つらしい。

仮に飛行機が1時間早く着いたとしても、妻も孫娘も心細い思いはしないはず。

夜遅くなると、旅行疲れの孫娘が眠ってしまうかもしれないので、それに備える意味もあり、クルマはあるにこしたことはない。

私の段取りとして、Yahooの路線図から最も効率的な行き方を探ろうとした。

そしたら、「阪急電鉄にて人身事故のため運転休止中」と表示が出ているではないか。

なぜか阪急電車では人身事故が多発する。

もちろん、人身事故といっても、自死を狙っての飛び込みによる事故なので、電鉄側としては防ぎようがないのが現実だ。

自分で自分の命を消してしまうほど苦しんだ当の本人にはお気の毒だが、一般の人には実に多大の迷惑をもたらしているのも事実である。

遺族にしてみれば、家族を失った悲しみとあわせて、莫大な損害賠償義務を負わされるリスクもあり、良いことなんて一つもない。

私にしても、帰国にあたってこれだけのアクシデントが続くと、良からぬ事態が起こりそうな不安が頭をもたげてくるのは避けられない。

電車の事故は、ものの1時間もしないうちに復旧し、一部に遅れは出ながらも運転再開を果たしてくれた。

私が関西空港に向けて出かける頃には、順調に運転していることだろう。

定刻どおりに発着する日本の電車は、外国から見れば驚きの一つらしい。

今までは極めて当たり前のことと思っていたが、電車のダイヤも日本の奇跡なのかもしれない。


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本日は帰宅が遅くなるので予約投稿にした
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7月27日(土)

今日は妻と孫娘がアメリカから帰ってくる日の予定であった。

私も、朝からその心積もりをしていた。

しかし、世の中、必ずしもこちらの段取りどおりに物事が進むわけではない。

今朝、妻から送られてきたメールは、そんな当たり前のことを私に再認識させてくれた。

帰り便は、地元のツーソン空港から一旦はロサンゼルス空港まで出て、そこで乗り継ぐことになっていたのだが、離陸が遅れてしまってロスから日本への便に間に合わなかったというのである。

そこで、現地のロスで一泊して翌日の便で関西空港まで飛ぶことになったらしい。

遅れたいきさつはわからないが、おそらくは航空会社の責任によるものだろう。

こんな場合、日本の航空会社であれば、運送契約にかかわらず、ホテル代を負担してくれるケースが多い。

海外の会社がどういう対応をするのか、その辺の事情は知らないが、妻のメールには何も書いていなかったので、たぶん会社がホテル代を持ってくれるのではないかと勝手に思っている。

私には関係のないことだが、興味があるので、帰国したら確認するつもりだ。

メールが来たのは今朝の9時過ぎだから、現地では午後5時頃。

タイミングが良かったのかどうか、現地は夕方の時間帯だから、子供もホテルでおとなしくしているしかない。

昨日までの遊び疲れを少しでも癒すためには、この一日は絶好のチャンスである。

ロスのホテルでの一日は決して”ロス”ではない、と昭和時代でも通用しないギャグが頭に浮かんできた。


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ツーソン空港にいたときには思いもしていなかったはず
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7月26日(金)

スーパー銭湯に行ってきた。

この店では、入り口で自分の履いてきた靴を脱いで靴箱に入れることになっている。

その際、靴箱を閉めるときに100円玉を入れ、入浴が終わって帰るときに、その100円玉が戻ってくるシステムになっている。

今日は、前に使っていた人が返却された100円玉を持って帰るのを忘れたのか、そのままになっていた。

受付で事情を言って手渡したところ、大変な恐縮ぶりであった。

隣にいたもう一人の受付担当も、こちらを向いて頭を下げているほどで、逆に私のほうが面食らったほどである。

おりしも、3日前、スーパーでジャガイモを買ったときに、レジの人から
「ジャガイモ6個ですね」
と言われてレジに打ったのだが、
「7個のはずですが・・・」
とすぐさま修正した。

私の意識としては「7個」を買った記憶あるが、もしかして実際には6個しか買い物かごに入れていなかったのかもしれないとも思い、自信がなかったからである。

もう一度、レジ担当者が個数を調べると、やはり7個であった。

「失礼しました」と言いながら、レジの修正をしてくれた。

靴箱にしてもジャガイモにしても、知らん顔をしていればそのままでやり過ごせたのだが、法律云々の問題以前に、気持ちが悪いと思う。

たかが、100円、あるいは28円のことで「儲かった」と喜んだところで、ウソをついた後ろめたさがずっと残り、良心の呵責に責めさいなまれるのならば、そのほうがよほど辛いものである。

世間に顔向けができなくなる。

思うが、一般的日本人にはこのような発想をしている人が多いのではないか。

世の中の人々と協調しながら生きていくことに価値観を見出す傾向が、日本人には非常に強いという研究結果を読んだことがある。

自分自身の考えよりも、世間体のほうを優先して考えてしまうところから、日本では独自性や個性が育たないとの声はよく聞くところだ。

しかし、片や、大きな災害が起こったときも、お互いに力を合わせて立ち上がっていこうという姿は、日本でしか見られないものだそうである。

海外の災害ではつきものの暴動や治安の悪化は、日本では寡聞にして知らない。

平時であっても、犯罪件数や凶悪事件が少ない日本の社会は、海外から見れば一種の不思議の国かもしれない。

それも、”世間”の存在があってのことだと思う。

従来は、時代遅れだとして徹底的にさげすまれてきた”世間”なる発想だが、私も年齢が上がってきたせいか、評価すべき側面があると思えてきた。

・・・極めてささやかな出来事をきっかけに、気がつけば日本人論にまで斬り込んでいたのだから、これはひどい暴走だとのそしりは免れない(汗)。


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私は銭湯スタッフの仕事を増やしただけかもしれない
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7月25日(木)

最近、FC2のブログで記事やコメントを書いたとき、”認証用キーワード”を入れる段階でつまずくことが増えてきた。

ひらがなかカタカナで書かれた文字をアラビア数字で打ち込むだけの話だが、この脳内変換がスムーズに行かないのだと思う。

一つは老眼が進んで表示されている文字が見えにくくなってきたことにもよるだろうが、何よりも、日本語で書かれている文字をアラビア数字に置き換える作業に戸惑っているのが主な原因だと、私は考えている。

少なくとも、昨年の今頃はこんなことはなかったはず。

アラビア語の文字などは全くチンプンカンプンなのだが、なぜかアラビア数字となると認識しやすくなるというのが、それが不思議であった。

ただ、Wikipediaによると、アラビア数字はそもそもはインド数字にルーツがあって、それがアラビアを経由してヨーロッパに伝わったところから”アラビア数字”と名付けられたらしい。

インドといえばITのジャンルで著しく秀でたものを持っているが、昔から数字には独自のセンスを備えていたのだろう。

今ではほぼ全世界でアラビア数字が使われているのではないか。

数字と言えば、忘れられない話がある。

社会人になったとき、仕事でお得意先に集金に伺うことがたまにあった。

その際、領収証を切ってお渡しすることになるが、先輩からは改ざんを防ぐために「壱、弐、参、・・・」と漢字で書くように指導された。

文字を間違えてはいけないので、見本を見ながら書こうとしたら、お得意先さんから笑われ、「慣れている書き方でエエで」と言われたのは懐かしい思い出である。

アラビア数字のありがたさを身に染みて感じたものであった。

昨今ではほとんどが振込での支払いになっているようなので、BtoBのビジネスでは手書きで領収証を切る場面も皆無に近いと思う。

ところで、私が文字を正しく認識できていないケースは、ほかにも例があった。

大阪府に四条畷市という自治体がある。

その市名の”畷”の字だが、今までずっと旁の部分はカタカナの”ヌヌヌヌ”だと信じて疑っていなかった。

しかし、同市の市長の話では、これは間違いで、最後はカタカナの”ヌ”ではなくて、漢字の”又”だというのである。

なるほど、”畷”の文字を思い切り拡大してみると、確かに漢字の”又”になっていたので、再び驚いた。

もっとも、これは楷書で書いたときの話であって、手書きではどちらでも正解らしいが。

四条畷市民もこれは知らない人が多いというから、私だけの話ではないことを申し添えておく(汗)。

 
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天神祭りの花火と北朝鮮の飛翔体とは見間違わない
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7月24日(水)

国民健保での健診を受けてきた。

昨年までは、会社を通じての健康保険での健診であって、事情はかなり違っていた。

市の提携している医療機関での受診になるというのが、私には最も大きく異なっている面であったと思う。

検査に特化された専門的施設であったから、規模もビッグであったし、スタッフも検査の手順どおりにシステマティックに作業を進めていたように思う。

その点、開業医であると、治療と並行して健診の業務を進めていかなければならない。

市から送られてきた案内文書には、市が提携しているクリニックの一覧が記載されていて数こそ計算しなかったが、とにかく膨大な数にのぼっていた。

健診を受ける側にとっては、選択の幅がぐんと広がるので、これは楽である。

ちなみに、私は最も家に近いところを選んだ。

予約もなしに、診療時間のいつに行ってもいいとのことで、この点も助かる。

朝の早い時間帯に行ったからか、ほとんど待ち時間もなく、検査が始まった。

毎年、会社関係で受けていた健診では、胃のレントゲンと大腸がん検査もメニューに含まれていたが、今回はオプションということなので、受けないことにした。

バリウム検査は時間がかかるわりには精度が低く、初期発見を見逃す事例も多いと聞いている。

ウソか本当かはわからないが、医師もバリウム検査を受けない人が多いらしい。

私は、3年に一度ぐらいの周期で、胃の内視鏡検査を受けるつもりにしている。

大腸ガン検査も、昨年に内視鏡検査を受けてホワイト認定されたので、あと2年は受ける必要はない。

このように、時間のかかる検査を省くと、かなりスピーディーに進んだ。

なお、メタボ検査では、お腹のまわりをナースさんに測定された。

私のウエストを見るなり、「細いですね!」の言葉を発した。

少しふっくら目の体型の女性で、いかにもスイーツ類には目がなさそうなタイプの人である。

あわせて、食事量や間食の有無、飲酒のことなどを尋ねられたが、これは検査に必要な質問というよりは、自分の関心事項として参考のために知っておきたかったのではないか。

そんな気がする。

おしゃべりが好きそうな彼女のペースに釣られて、正直にありのままを答えたのは言うまでもない。

なお、会話の中で、私のウエストが細いことを「うらやましい」と3回も言ってくれた。

実は、コンプレックスというほどではないが、腰回りのサイズが小さいことには、若干の引け目を感じていたのだが、さすがに3回も言われると、わけもなく自信がわいてきてうれしくなってくる。

醜いアヒルの子が、実は美しい白鳥であったことを知った瞬間のように。(大げさ)

”豚もおだてりゃ木にのぼる”という言葉があるが、私はこれは至言だと思った。

検査を終えて帰宅してから飲んだインスタントコーヒーは、格別に美味であった。


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コーヒーを飲んでも良いと書かれていなかったので我慢した
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7月23日(火)

嫁がUPしてくれている写真のクラウドに、今日は妻と孫娘も登場していた。

遊園地や動物園、プール、公園、ゲームセンターなど、背景はさまざまである。

おそらくは複合型施設なのだと思う。

まだ現地に着いてあまり日も経っていないのに、あちこちに行けるはずがない。

孫娘が時差のズレで昼夜が逆転していないか、あるいは体調をくずしていやしないか、何かと気がかりであったが、写真を見る限りは日本にいるときと変わらない様子に安心した

息子夫婦のほうの孫たちとも仲良く遊んでいるシーンを見ると、自然と笑みが浮かんでくる。

とはいえ、嫁が写真撮影するときは、マイナスイメージの場面ははずすだろうが(汗)。

現地滞在の5日の間、3日間は息子一家が世話をしてくれる予定で、ほかの2日は妻と孫娘だけで遊ぶ段取りだという。

これは妻から言い出したらしいが、なるほど5日間ぶっ続けで面倒を見るとなると、嫁の息が詰まってしまいかねない。

ただ、妻と孫娘だけで遊ぶとなっても、勝手知らない地をうろつくなんてご法度である。

なんでも、以前、嫁がアパートのランドリーのコーナーに洗濯ものを持っていって、部屋に帰ろうとしたら、見知らぬ男に声をかけられたらしい。

見ると、ピストルを持っているのだ。

そして、
「財布は持っているか?」
と尋ねるので、
「No!」
と答えたら、そのままどこかへ行ってしまったらしい。

ホンモノのピストルかどうかはわからないが、それでも全身の血の気が引いた、という。

お世辞にも治安がよろしいとは言えない地なので、ホテルから一歩も出ないのは当然の策だろう。

そんなアクシデントは起こらないであろうが、私には現地の様子がリアルにわからないだけに、「今、何をしているのか」と何回も気になる。

日本との時差は16j時間で、日本の午後4時が現地アリゾナの深夜午前0時である。

私は引き算は苦手なので、「8」を足す計算をしている。

事あるごとに現地の時間を計算しては、あれこれと想像をめぐらしている。

おかげで認知症予防のトレーニングになったような気がする。


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亀は日本の動物園にもいるが・・・・
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7月22日(月)

参議院議員選挙が終わった。

大阪の選挙区では、おおかたの予想どおりの4人が当選を決めた。

最近では事前の投票意向調査の精度が高くなり、大阪の場合も午後8時の開票とほぼ同時に4人の当選確実がアベマTVで伝えられ、いささか拍子抜けしたのは事実である。

うわさの美人弁護士は6位に甘んじる結果になった。

彼女の場合、先月の時点ではかなり有力視されていただけに、本人にとっても予想外の展開であったのではないか。

公示直前にほかの女性候補が突然に名乗りを上げ、それから急に旗色が悪くなったようである。

それでも選挙戦が始まった当初は、”4位の位置を激しく争っている”と、つまり当選の可能性もささやかれていたのである。

しかし、選挙戦が進んでいくにつれて”厳しい戦い”を強いられるようになり、最終、投票箱に蓋をしたときには、次点にも及ばなかったのだから、その落差はあまりに大きい。

もちろん、スキャンダルがあったり失言をしたわけではない。

時の経過が残酷な結果をもたらした、ということである。

敗戦の弁として
「強い組織を持つ人が勝つんじゃないかと思う」
と語っていた。

しかし、そんなことは立候補を決める時点でわかっていたのだから、往生際が悪いとしか見えない。

やはり、このときは
「私の不徳のいたすところです」
と言って頭を下げるのが通例だ。

こういったプライドの高さが人心を遠ざけたのではないか。

彼女が得々と語っている弁護士としての自分の業績の一つに、警察のGPS捜査の法整備を最高裁に認めさせた、というのがある。

しかし、これって、見方を変えれば、窃盗グループの犯罪を助長しているのと同じではないか。

世の中には、犯罪にかかわっているのに、証拠がないのをいいことに何食わぬ顔をしてる連中が少なくない。

そんな社会悪を擁護してどうするつもりだろう。

彼女がとかく距離を感じさせる原因は、その美し過ぎる容姿のせいだけではなく、彼女の感性にもあるような気がする。


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画像は記事に取り上げた人とは無関係である
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7月21日(日)

大相撲も千秋楽を終えた。

今場所は途中で大関陣が誰もいなくなり、相撲観戦の興味は半減どころの騒ぎではなかった。

大阪出身の豪栄道関ややはり関西の出である貴景勝関の姿も見られなくなり、地元の人間としては残念至極である。

そんなフラストレーションがあったからか、今場所は横綱白鵬関のふるまいが特に目についてならなかった。

いや、「張り手」や「かち上げ」「猫だまし」などといった横綱らしからぬ手のことを言っているのではない。

何が何でも相手に勝ちたいとの思いが前面に出れば、禁じ手でない限りは何をしても、少なくともルール上の問題はない。

看過しがたい所作があったのだ。

13日目の妙義龍関との取組で、相手を土俵に倒した後で自分の右手で相手の頭を跳ね上げたのである。

具体的にはこちらの5分10秒ぐらいからの映像である。

「見苦しい」し、それ以上に危険でもある。

相手が倒れているのだから負けはわかっているのに、さらに頭を跳ねるなんて、勝負の上では全く意味のない行動だ。

見ていて冷水を浴びせられる思いがした。

さすがに親方からは辛らつなコメントが寄せられていた。

相撲協会としては、これは問題視しないのが解せない。

彼の機嫌を損ねると、協会として何か困ることでもあるのかと不思議に感じる。

彼もいずれは日本国籍をとり、親方として部屋を任されるのはほぼ既定路線になっている。

ただ、現在の所業そのままで若い力士を指導するのは、どう考えても好ましくないと思う。

軌道修正するのであれば、今しか時期がない。

昔は朝青龍関なる力士がいて、その人との対比によって白鵬関は品格ある力士だと評されていたものだ。

しかし、今となってはすっかり過去の話となっている。

そういったわだかまりを感じつつ観戦したこともあって、結びの一番で鶴竜関が白鵬関を破った場面では心の中で快哉を叫んだ。

負けたことを喜んでいるようで気恥ずかしさは感じるが、これは私の偽らざる思いであった。

相撲は単なる格闘技ではなく、日本の伝統そのものなのだから。


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大相撲はアベマTVで観戦している
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7月20日(土)

妻がアリゾナに住む息子一家のところに行くというので、今日、関西空港から飛び立った。

6歳の孫も連れてのことである。

この1月の家族旅行のときに、妻は「息子がいる間に行っておきたい」と語っていて、そのときは自分一人で行くのか、あるいは、私にも声がかかるのかと半ば期待をしていた。

5月になって、「孫娘が小学校の夏休みになったら行く」と聞いたときは、驚きもしたし少なからず失望もした。

ひそかに当てにしていた部分もあったので・・・。

私が真っ先に気にかけたのは、費用のことである。

夏休み料金だから飛行機代が割高になるのは避けられない。

しかも、二人分である。

小さい子供を連れていけば、向こうにいるやはり小さな子たちのいい遊び相手になるかもしれない可能性はある。

ただ、あと半年もすれば帰ってくるのだから、わざわざ6歳の子を連れていく必然性はないという気がしたのだが。

5月の時点ではすでに決まっていて息子にも伝えてあったし、航空便の予約もとっていたので、妻の翻意はあり得ないことだから何も言わなかった。

しかし、スーパーで野菜を買うのにも特売の日を狙ったり、5%引きのチケットを有難がっている私とは、大きなギャップがある。

ウチの家庭内での経済格差はこのように極端だが、こういったことは社会的な問題にはならず、選挙の争点にもなっていない(汗)。

孫娘にとっては、いつもとは全く違った環境で遊ぶことは、それはそれで貴重な体験だろうし、ずっと記憶に残る思い出になるだろう。

嫁がUPしてくれる写真にも、孫たちが一緒に遊ぶ場面が出てくるのではないかと思って、ささやかな楽しみにしているのは事実だ。

帰国は来週の土曜日の晩である。

関西空港からロサンゼルス空港経由でツーソン空港まで、約15時間の長旅だ。

この1週間が平安であることを切に祈っている。


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土曜日だというのに空港は気が抜けるほど混雑がなかった
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7月19日(金)

『お金で損しないシンプルな真実』を読んだ。

経済評論家の山崎元氏の本で、サブタイトルに
「人生を自由に生きたい人はこれだけ知っていればいい」
と謳っている。

なんとも刺激的で挑戦的ではないか。

それに惹かれたというのではないが、図書館で借りて読むことにした。

この書一冊で人生をおもしろおかしく謳歌できるとはとうてい思えないが、ただ、お金との付き合い方については多くの示唆を与えてくれたと思う。

・お金は人生の自由拡大の手段であって目的ではない
・お金にはきれいも汚いもない
・借金はできるだけしない
などの自明過ぎて素通りしてしまっていた事実を思い返させてくれた功績は大きい。

内容の詳細を書き過ぎると同書を読む意味合いが半減するが、一点だけ私を心から納得させた部分があったので紹介させていただく。

それは
「家を買うことは投資である」
というもの。

家の購入は基本的には不動産投資にほかならない、と筆者は断言している。

投資物件としての値打ちがどれぐらいあるかを見極めた上で、購入することが重要だと力説している。

はからずも、私が今のマンションを買うときには、まさに不動産物件としての価値を評価して、ここに決めたのであった。

私の場合、子供たちはすでに独立していたし、会社勤めもしてないので転勤もないから、生涯を過ごす部屋になる。

だから好きな物件を選べば良かったという点で気楽ではあった。

ただ、私がこの世を去った時点で、不動産としての価値を可能な限り維持している物件であることを望んで、あれこれと物色していたのである。

もちろん、それがいつのことになるのかわからないので正確にはシミュレーションできないが、平均余命の85歳で大雑把に考えて計算してみたのである。

そして、購入金額からしても十分な値打ちがあると判断して、このマンションに決めた。

そういったいきさつがあるだけに、この本には共感を覚える部分が多い。

資産運用法や投資にあたっての注意点なども、超具体的に記されているのですこぶる参考になる。

惜しむらくは、もっと若いときに読んでおくべきであったということ。

まだ自分自身が固まっていない段階から勉強をしていれば、投資に対しても柔軟に考えることができたと思う。

今さら言っても始まらないが。


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「無料相談」というのは実はセールスの場だという
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7月18日(木)

月に一度のお約束であるクリニックでの診察の日であった。

受付には、初めてお見かけする女性がいた。

こちらのクリニックには、看護師、薬剤師、事務を合わせて、10名近いスタッフが仕事に当たっている。

医療機関というのは人の出入りが激しいのが特徴だが、ここは定着率がいいようで、結構なベテランぞろいである。

半年に1回の検診を受けている歯科だと、歯科衛生士は約1年で新しい担当になっている。

私にしてみれば同じ歯科衛生士には2回しか診てもらえないことになる。

しかも、常にマスクを着用しているので顔の全貌がわからず、美人かどうかもわからないまま終わってしまう(汗)。

私の場合は検査だけだから不都合はないが、もし治療を受けているとなると、少ならかぬ不安を覚えるはずだ。

その点、顔を見知ったスタッフが多いと、それはそのまま安心感や信頼感につながる。

スーパーでの買い物にしても、1年も経てば顔を覚えたレジ係の人が増えてきて、そのことだけで親近感もわいてくるのは確かだ。

今のクリニックで診ていただいて、血圧は目に見えて安定してきた。

医師の助言で運動をしたり、減塩の食生活に切り替えたのが直接の理由だと思うが、クリニックの雰囲気によるリラックス効果も大きく寄与しているのではないか。

家で血圧を測定するよりもクリニックでの数値のほうが低いのだから、白衣高血圧とは真逆の現象があらわれるほどである。

ちなみに、今のクリニックに行き始めたのは、40歳になるかならないかのときであった。

会社の健康診断のたびに血圧の高さが指摘され、ようやく重い腰を上げて治療にかかろうと思い、妻に教えられて訪れたのが最初である。

それ以来、26年間にわたってお世話になっているのだから、スタッフも相応に年齢が上がっていくのは当然のこと。

26年前にはタレントかモデルかと見まがうような容姿の人も、今となれば、年齢にふさわしい姿へと変貌を遂げていった。

今日はニューフェイスの登場により、期せずして過去を振り返ることとなった。

あと26年後は私も90歳を超しており、通院どころか、この世に存在しているかどうかもわからないが。


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緊張しているのか笑顔は見られなかった
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7月17日(水)

シリアで人質となっていた安田純平さんだが、このたび外務省がパスポートの再発給を認めなかったことに抗議をしている。

しかし、法的な問題はともかく、当面は外国へ行くのは自重するのが普通ではないか。

かつて、まわりがとめるのも聞かずに、危険な地域に自分の意思で行って、そこで武装勢力にとらえられたのだから、完全に本人の責任である。

しかも、日本政府は否定しているが、多額の身代金をテロリスト集団に渡しているのは、火を見るよりも明らかである。

その身代金の中身は、国民の税金にほかならない。

それ以上に不可解でならないのは、帰国したときの成田空港での記者会見の場に、彼の妻だけが出ていたということ。

最初は体調が良くないからかと思っていたら、そうでもなかったらしい。

なら、なぜ本人が出て、一言だけでも「ご心配をおかけしました」との一言があってしかるべきであったと思う。

その上で、「体調を考えて、中座させていただきます」とやっておけば、一応は絵になったに違いない。

なんだか、自分の妻にすべての責任を負わせたようにしか見えなかった。

しばらく経ってから本人が出席しての会見があったが、一部には、その場での発言のストーリーを考えるために、時間をとったのではないかとの見方もある。

私も、実はそうだと思う。

反政府や反体制を売り物にしてきた人だけに、「日本国政府に感謝します」とは口が裂けても言えないだろう。

それを言ってしまえば、自分の存在そのものを否定してしまうことになる。

だから、記者会見の場では、「皆さんに感謝します」との表現を使っていた。

「皆さん」の中には、政府も大使館も国民も含まれていることになるから、言葉の使い方としては不適切ではない。

どんな言葉を選べばいいか、自分なりにあれこれと考えるための時間が欲しかっただろうことは、容易に想像がつく。

ただ過去のことはともかく、これからは自重すべきである。

どんな大事な用事があるのかは私には知る由もないが、まだほとぼりが冷めていない段階で海外に行くのは控えるのが自然だと思う。

それがけじめではないか。

外務省がパスポートを出さないのは、私は当然だと受け止めている。


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記者の中には言葉遣いの悪い人がいるのでご用心
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7月16日(火)

久しぶりに近所のファミレスに行った。

前回は1月25日であったから、実に半年ぶりのことである。

このファミレスに行く目的は、そもそもはWifiを使うことであった。

去年まで使っていた宅内ルーターがあまりにもパワー不足で、”力仕事”ができなかったので、自宅よりも高速通信でネットができるこの店にやってきたのである。

とりわけ、大きなサイズのファイルをクラウドにupするときには重宝していた。

2月から他社の宅内ルーターに変更してからは、そんな苦労も不要となり、結果的にファミレスからも足が遠のいたというわけである。

もう一点、そのファミレスには捨てがたい魅力がある。

それは、ウイークデーの昼間だと生ビール1杯が200円で飲めるというもの。

これも私をファミレスに惹きつける大きなポイントとなっている。

さて、今日行ったのは、特別な意味合いがあったわけではない。

単に、遠ざかっていた200円ビールを飲みたいと思っただけのことである。

ビールでのどを潤しながらネットを見たいとの思いが、にわかに昂じてきたからにすぎない。

行ってみて当てがあずれたのは、ファミレスがあまりにもエアコンが効き過ぎていたこと。

1時間半ほど滞在したが、最後は寒くなってきたので店を出ることにした。

ビールは冷えているほうがおいしいに決まっているが、限度というものがある。

寒さを我慢しながらビールを飲むのは、行き過ぎである。

昨今は、ビールを入れるグラスやジョッキを冷凍して客に出すお店もある。

さすがにこちらのファミレスは普通のジョッキであったが。

霜のついたグラスやジョッキで飲んでも、冷たさだけが伝わってきて肝心のビールそのものの味がしないこともあり、興ざめな思いをするものだ。

冷やした麦茶を飲むのと変わらないではないかと思うのは、私だけかもしれないが(汗)。

お寿司を食べるとき、土砂降りのようにしょうゆをかける人がいる。

好みの問題ではあろうが、その人はまるでしょうゆを味わっているのではないか。

食べもの本来の味を損なわない食べ方のほうが、私はいいと思うのだが。

 
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平日の午後2時から6時は客が少ない
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7月15日(月)

期日前投票を済ませてきた。

散歩コースの延長上に投票所があり、また雨の恐れもなさそうであったので、朝に出向いた。

こちらの都合で投票ができるというのが期日前投票の大きなメリットである。

公示があった時点で、選挙区も比例区も投じる先を決めてあった。

もし思いもかけない事態が起こったときのことを考えて、1週間前まで待っただけのことである。

大阪の選挙区は4人の定数のところに12人が立候補を届け出た。

12人と言っても、実際には約半分は当初から「きびしい戦い」を予想されているのが現実だ。

定数4人の枠の中で、私が勝手に分析したところ、3人までは、事実上、決まったようなもの。

知名度や組織などから、そう判断するのが自然である。

となると、残った席は1名だけ。

このようなシチュエーションでは、私は自分の票が生きてくることを最優先したいのである。

つまり、すでに当選が確実視されている人に入れても意味がないし、逆に、現実的には当選は無理と見られている人に投じても私の票は死んでしまう。

となると、現実的に当選の可能性を持っている3人に候補を絞ることができる。

そして、その3人の中で、最も国政を担うにふさわしい候補に投票することとなる。

個々人のパーソナリティなどは全く接触がないので、見当もつかない。

だから、公認政党を見て私の票を入れた。

その候補が掲げている政策は必ずしも諸手をあげて共鳴できるものばかりではないが、他の二人よりは評価できるので割り切って決断した。

一種の消去法と言えるかもしれないが、私にとっては最善の選択であったと思っている。

投票を済ませたのは朝の8時35分。

さすがに、会場には投票に来ていた人は私以外は一人だけであった。


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期日前投票の制度は投票をする側には何の
不利益もないので、もっと普及してもいいと思う
20 : 20 : 40 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

7月14日(日)

アマゾンで商品を買ってレビューをすると、時には、それを見た読者の人から質問が上がってくることがある。

それはアマゾンを通じてメールで送られてくるので、お答えをするように心がけている。

今日、受け取った質問は、圧力鍋を買ったときのレビューに対するものだ。

そこには
「説明書をなくした。一から使い方を教えて下さい。」
と書かれてあった。

これが全文で、表現の仕方も文字も原文そのままである。

一瞬、キツネにつままれたような気分になった。

私はメーカーの人間でもないし、質問に回答することで報酬を得ているわけでもない。

ただ、同じユーザーとして、使ってみた実際の情報をお伝えすることで、少しでも検討中の人のお役に立てればと思っているだけである。

私自身も、ネットで初めての商品を買うときは、やはりユーザーレビューは大いに参考にしている。

お互い様といった思いがあるので、できる限り質問には誠実に回答してきたつもりであるが。

そもそも、今回の場合、私が質問者の立場であれば、メーカーに電話して説明書を送っていただくようにお願いする。

幾ばくかの手数料を求められるかもしれないが、それはやむを得ない。

もしくは、ネットで検索すれば、一般のユーザーが立ち上げているサイトで同じ機種の圧力鍋を載せているところも多い。

それを説明書がわりにするほうが、スピーディーではないか。

「一から」教えるとなると、回答欄のスペースが足らなくなるかもしれない。

それ以前に、そこまでの労力をかけなければならない義理はないと思う。

この質問については、黙殺することに決めた。

それにしても、この質問者の人となりがどんなものか、好奇心がわいてきた。

自分を中心に地球が動いていると思っている人なのか、自分で頭を使うことの苦手な人なのか、いろんな人物像が頭に浮かんでくる。

案外、常識円満な人格者であったりしたら、平身低頭、お詫びしなければならない(汗)。


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買って良かったと思ったら必ずレビューをしている
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7月13日(土)

街の中では、飲料用のペットボトルを持った人の姿を頻繁に見かける。

片手に持ったり、ストラップでぶら下げたり、バッグに入れたりして、いつでも飲めるように持ち歩くのは、もはや珍しくもなんともない。

若い層だけでなく、私とさほど変わらない年齢の人でも例外ではない。

今日など、雨の中で傘をさしながら煎茶のペットボトルを口にしている老婦人とすれ違った。

いつの頃から普及しだした光景なのかはわからないが、Wikipediaによると
「2000年代以降」
となっているから、まだ20年ぐらいしか経っていないことになる。

はやりだした当初は、私など頭のかたい人間だから、お行儀の悪さが鼻についてならなかった。

立った状態で食べたり飲んだりすること自体が、親や学校の先生からたしなめられていた時代、歩きながら飲食をするなんて、許しがたき悪弊そのものであった。

もちろん、お祭りの夜店は別であるが。

ただ、20年も経過して、ペットボトルが極めて日常的なものとして定着してしまうと、何の違和感も覚えなくなってしまうから、私も変わり身が早いものだとほとほと感心する。

「人間はどんな環境にも慣れる動物だ」という言葉を聞いたことがあるが、そういった部分では本当だと思う。

とはいえ、私はいまだに街の中ではペットボトルの口飲みはしたことがない。

ほかの人がやっているのを見ても、抵抗を感じないというだけのことである。

ちなみに、ペットボトルを持って歩いている人は少なくないが、歩行をしながら飲んでいるシーンは見たことがない。

赤信号で待っているときとか、少し立ち止まって、そのわずかなタイミングで飲んでいるのが通例だ。

帰宅してから部屋の中で実験してみたところ、物理的には歩きながらでも飲めなくはないが、かなり飲みづらいのは確かである。

顎をあげて飲む形になるので、視線は空を向いてしまうから、歩きにくいのも事実だ。

下手をすると、こぼしたり鼻に飲みものが回ってしまう恐れもある。

トレーニングをすれば、歩きながらでも楽々と飲めるようになるかもしれない。

しかし、そんな特技を身に付けても世の中では何の役にも立たない。

せいぜい飲み会の場を盛り上げるぐらいが関の山だろう。

とにもかくにも、持ち歩きしても落ち着いて飲むのであれば、歩きスマホのように社会問題化する懸念はなさそうだ。


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最近はリサイクルが大きな課題となってきた
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7月12日(金)

いつものスーパーに行ったら、入り口で紅白饅頭を配っていた。

そのスーパーの創業記念日かなと思いつつ、タダでもらえるので喜んで頂戴してきた。

家に帰って熨斗を見たら、
”祝 世界文化遺産登録”
とある。

先日、「百舌鳥・古市古墳群」がユネスコの世界文化遺産に正式登録されたことの記念のようだ。

このスーパーが古墳とどういったかかわりがあるのかは、私の知るところではない。

おめでた気分を盛り上げることで、客の購買意欲を刺激するのは確かだろうから、そのあたりが狙いかもしれない。

文化遺産に登録されれば、地元にしてみれば観光客を呼び寄せる効果もあるし、経済面でのプラスは期待できるから喜ばしいことは当然だ。

「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産になったことでの経済波及効果は、どういう計算をしたのかは全く見当もつかないが、400億円とも1,000億円とも言われている。

ただ、対象が古墳であり、皇室のご先祖の陵墓に当たるものであるから、観光商品ではなく神聖な祭祀の場そのものにほかならない。

まさか、「特別料金を支払えば古墳の中に入って見学できます」なんて企画は立てないだろうが、なんでも空から見物できる遊覧飛行のアイデアがあるとか。

しかし、それは考えものだ。

わが身に置き換え、それが個人の家の墓あっても、見も知らぬ人たちからの好奇の視線にさらされるなんて、普通の日本人なら誰だって嫌がるだろう。

宮内庁が登録決定を受けて出したコメントが、
”「皇室の祖先のお墓として、その『静安と尊厳』が損なわれないことを前提に、今後も保全に向けて必要な協力を行っていく」”
であった。

この姿勢は、日本人全体が肝に銘じておくべきだと思った。

余談ながら、饅頭というのは柔らかい雰囲気を作り出すのに向いている。

丸い形を見ていると、人の心も自然と角が取れてくるのかもしれない。

某会社では、不祥事のお詫びのために相手先に持参する手土産には、饅頭を選ぶのが不文律になっているらしい。

紛糾した事態を丸くおさめたいからだそうである。

人間の感情というのは、ビジネスの論理だけでは割り切れないものだ。


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和菓子の控えめな甘さを満喫させてもらった
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7月11日(木)

以前から、スーパーやコンビニのレジで不思議に思っていたことがあった。

それは、レジが空いているときに私が並ぶと、すぐに後ろに順番待ちの行列が続く、という現象が発生するのである。

行列に並ぶのが苦手な私にとっては、レジの混雑状況というのはすこぶる気になる。

とりわけ、スーパーの場合、特売や割引の日など、正午前や夕食前は異様な混み方をする。

だから、どの時間帯が混みそうかというのはある程度は頭に入っているので、それは避けるようにしている。

空いていそうな時間帯を狙ってスーパーに入り、誰も並んでいないレジに颯爽と買い物かごを置くのは、いわば私の趣味のようなものである。

ところが、一番乗りをしても、精算中に、ほぼ例外なく後ろに他の客が並ぶ。

コンビニでも同じで、テイクアウトコーヒーのカップを買っていると、それまでガラガラであったレジに、たちまち客が商品を持ってやってくる。

最初は薄気味悪かった。

もしかしたら、CIAかKGBが私をマークしていて、私がどんな商品を購入しているのかを把握して、上層部にレポートを送っているのかもしれないとの妄想を抱いたほどだ(うそ)。

今日も、普段はあまり買い物をしない小さな食品スーパーに行ったら、やはり、私がレジに行った直後に、即、人が並んだ。

困ったときのネット頼みではないが、あるいはネットで調べれば何かの手がかりが得られるのではないかと思い、検索をかけてみたら、驚いたことに、世間では普通に起こっていることだそうである。

自分だけではないと知って安心した。

しかも、”導かれし者たち現象”とのネーミングまであるというから、恐れ入った次第だ。

もちろん正式な名称でもなんでもないが、複数のサイトで表現されていたのて、一定の範囲では定着しているのだろう。

この現象が起こるメカニズムには諸説があって、私には”正解”がどれなのかはわからない。

ただ、普遍的に起こる現象だということがわかっただけで、私には大きな収穫であったと思っている。

私は、決してビョーキではなかったのだ。


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学校では”導かれし者たち現象”は習わなかった(汗)
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7月10日(水)

クルマや人の通りが少ない当地であっても、朝ともなれば通勤や通学の人と自転車の数がぐっと増える。

小さな子供を自転車に乗せて、若いお母さんが目的地に向かっている光景は、ほほえましくもある。

ただ、坂道の多いこの地域なので、上りはともかく下りになると自然とスピードが出る。

お母さん一人だけであれば、もしひっくり返ったとしても己を責めるだけのことだが、子供を乗せているときは、見ているほうも、お節介ながら心配になる。

今朝目撃した光景は、一旦停止のラインがあるにもかかわらず、完全に無視して下り道を走り抜けていくというものであった。

せめてスピードを落として左右に人もクルマもないことを確認しながら進むべきだろう。

おそらくは、人もクルマもないだろうとの前提で疾走しているのだと思うが、あまりにリスクが大き過ぎる。

ときおり通る自動車など、交差点では自車に優先権があっても一旦停止し、左右を確かめてから再スタートしている例が多い。

自分に課せられた義務ではなくても、事故を避けるためのリスクマネジメントだと思う。

選挙に出ている候補者で、”子育ての充実”を主張している人は少なくない。

それはもちろん結構なことだが、たとえごく一部の例外とはいえ、子供を命の危険にさらすような無法行為を慎むことが先決だ。

救いは、このお母さんがスマホを見ながら暴走していたのではなかったという点である。

幸いにして、当地では子連れ運転でスマホを見ながらというのには出くわしたことがない。

当たり前といえば当たり前のことだが、そこに一筋の光を見た思いである。


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日本は法治国家であるから法令を守って当然
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7月9日(火)

私が加入している団体の月一度の会議があった。

ほぼ毎回、市のコミュニティセンターで開かれている。

まだ完成して10年も経っていない新しい建造物であり、当然ながら、エレベーターが設置されている。

この団体での会議は二階にある会議室でやるのがツネであるが、見ていて気がついたのは、会議出席者の大半が上りも下りもエレベーターを使っているのである。

おそらく、所要時間を考えると、タイミングにもよるが階段を歩くほうが早いと思うのだが。

出席者は平日の昼間に出てこられるところを見てもわかるように、わりと高齢者が多い。

平均年齢で言うなら、私など若い世代に属するほどだ。

だから、エレベーターを使うのはわからなくもないが、逆に、運動だと解釈すれば、歩くほうが自分の健康にはプラスになる。

あの日野原重明さんが100歳近くまで、階段上りを心がけていたらしい。

ジムに通う必要もなく、歩いているときにエレベーターやエスカレーターを使わないだけでできるから簡単だ。

お金も時間もかからない。

私はマンションに住んでいるので、荷物がない限りはエレベーターを使わない主義にしている。

布団を二階から屋上のある六階まで持って上がるのは決して楽ではないが、自分の体を鍛えているとの実感があるので、積極的にやっている。

最終的には自分のためになると考えてのことだ。

もちろん、身体的なハンディを持っている人や体調を崩している人のためにエレベーターを設けているのだから、その人たちがエレベーターを使うことにはなんら問題がないのは当然だ。

私は自分の健康のために階段を使っているだけで、ほかの人がルールを守ってエレベーターを使っているのであれば、そのことをとやかく言うつもりはない。

だから、問われたら、私が階段を歩いている理由を述べるが、だからといって他人に強要するつもりは毛頭ない。

大阪城のエレベーターに関してもそうであるが、昨今は、言葉尻をとらえて「差別だ」と論じることが目立ってきた。

世の中、多様な考え方があるのが普通だと思うのだが。


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さすがに高層ビルの場合は階段は使わない
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7月8日(月)

偶然というのはあるものだ。

最近、お風呂の温度設定を39度に下げている。

6月の終わりぐらいからのことだと思う。

それまでは41度設定であった。

根っからの熱風呂派の私である。

熱いお風呂でなければ入浴の意味がないとまで、半ば本気で考えているほどだ。

ただ、それが健康リスクになっているかもしれないとの懸念もあった。

現に、浴槽に浸かっていて立ち上がると、ほんの軽いめまいが起こることがときおりある。

血圧の薬を減らしてからはその現象も少なくなったが、それでも出てくることがある。

風呂で倒れた高齢者の事例は枚挙にいとまがない。

同居人が誰もいなければ、もし意識を失ったとしても誰からも救助を受けることができない。

全裸で孤独死なんて、マリリン・モンローなら絵にもなるが、66歳の老人となると醜悪なだけである。

子々孫々にまで笑いものになるのは御免こうむりたいので、お風呂の温度は先日39度に下げた。

あわせて、サウナでのロウリユウも、少なくとも夏の間は見合わせることにした。

アロマの充満したサウナ室で、スタッフたちが大きなウチワで扇いでくれるものだから、汗がとどまることなく流れ出る。

いかにもデトックス効果が得られるようで、実に達成感が大きい。

しかし、これも危険と隣り合わせであり、一種のゲーム感覚に酔わされるものだから、つい無理をしてしまう部分がある。

物事は何によらず、調子に乗ると恐い。

秋口までは我慢しようと思う。

ロウリュウは日曜日だけのアクティビティなので、いつもは日曜日を選んでスーパー銭湯に行っているのだが、あえて今日の月曜日に変更した。

サウナに一人で入るだけなら、自分のペースで行ける。

若干の物足りなさを感じながら、帰宅してからネットで読んだ記事には驚いた。

高齢者入浴中の事故、熱中症8割超』がそれである。

まるで、私に対して警鐘を鳴らしているかのような記事だ。

今日の今日のことだけに、私には説得力を持って迫ってくる。

天から語られた言葉にほかならない。

熱中症は炎天下のもとだけではなく、お風呂の中でも発生するリスクがあるのだから、真摯に受けとめなければならない。


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去年は猛暑の頃はシャワーだけで済ませていた
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7月7日(日)

7月7日は、日本の多くの地で七夕が祝われている。

当地でも新暦で七夕をするので、毎年、梅雨のさなかにあたっており、雨で台無しになってしまうことも少なくない。

今年は珍しく晴天に恵まれたものの、伝統行事をグローバルスタンダードに無理やりに合わせたことの矛盾が出ていると思う。

それはそうとして、先月に起こった警察官が襲撃されて拳銃を奪われた事件の現場となった交番の近くに、笹の葉が用意されていて、短冊が吊るされている。

6月の終わりごろから用意され、あっという間に短冊でいっぱいになり、急きょ、もう一本の笹が追加された。

添えられた案内文には、「負傷した警察官の快復を短冊に書いてくくりつけてください」といった意味のことが書いてある。

私の勝手な憶測であるが、事件後、交番に山のように持ってこられた千羽鶴や寄せ書きの対応に困って、
「お見舞いのお気持ちは七夕の短冊に託してください」
としたのではないか。

報道によると、周辺の小学校や自治会、各種団体などから、多くの千羽鶴が交番に届けられたという。

まさかすべてを交番に飾るのは物理的に無理だし、何より、交番業務に支障が出てしまう。

その対策としての七夕の笹の飾りではないかと思う。

よく、災害の被害を受けた地域に千羽鶴や寄せ書きが送られてきて、逆にその取り扱いに苦慮しているとの被災者の声を聞く。

もちろん、善意から寄せられたものだから、捨ててしまうわけにもいかない。

高校野球の世界においても、一部の県高野連では、負けたチームが千羽鶴を勝利側に渡す行為を禁止することになった。

勝ち抜きだから、頂上を極めたチームが処理に困るのは間違いなく事実だと思う。

また、負けたチームにしたって、内心は悔しくてたまらないのではないか。

小人物の私であれば、もし負けたチームの選手だとしたら、自身のふがいなさと運の悪さを目の当たりに突き付けられ、悲嘆に暮れてしまうところであろう。

とてもではないが、相手チームの栄光を祈る気持ちにはなれない。

それだけに、明確に禁止を打ち出した県高野連の姿勢には、共感するところがある。

世の中、真心だけでは通用しない場面もたくさんある。


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マンションにも七夕飾りが置かれた

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7月6日(土)

マンションの近くに竹林の中を通る細い道があって、散歩のときに使わせてもらっている。

わずかなりとも自然の光景が残るスポットを歩きたい、との気持ちからである。

とはいえ、近道として使う人が多いのだろうか、朝などは少なからぬ人とすれ違うものだ。

今日は、中学生とおぼしき10人ぐらいの自転車集団とすれ違った。

学校から指導されているのか、自転車から降りて手で引きながらである。

部活仲間なのか、親しげに満面の笑顔で会話をしている。

おそらくは、土曜の午後、部活が終わって皆で帰る途中であったのだと思う。

どうやらこれから誰かの家に行って、ゲームをする予定があるらしい。

喜色満面に語っている光景を見ると、ふと、別のコースでの大学生たちの通学での沈んだ表情が頭に浮かんできた。

あまりにもコントラストがくっきりしているのである。

単純化して言えば、今日の中学生たちが明であれば、大学生たちは暗と呼ぶべきだろう。

近所にマンモス大学があり、朝など、電車が到着した直後であれば、キャンパスに向かう学生たちの群れが長く続く。

ごく一部を例外にすれば、大学生たちはほとんど会話もしていないし、顔の表情に笑いなどはない。

ひたすら授業のある教室に向かって黙々と歩いているだけである。

もちろん、条件が全く違っているので、横並びで比較するのは乱暴な話だと思う。

部活仲間とマンモス大学の学生、土曜の午後の解放感に満ちたひとときとこれから授業を受けるという緊張感に満ちた時間帯、まだ子供の感性の残った年代と法律上では大人とみなされる年代・・・・・さまざまな部分で大きく違っているのだから、同じ天秤にかけられないのは当然のことである。

それは頭ではわかっていても、なおかつ、笑顔でいられるのは周りの人にもいい印象を与えることになるという、極めて当たり前の事実を突きつけられたような気がした。

選挙のポスターを見ても、ほぼすべての候補は笑顔の写真を掲げている。

会社の営業職やショップの販売員は、自然と笑顔をあらわせる脳内回路があるらしい。

ことほどさように、ニコニコ顔は大切なものである。

自分を省みれば、おそらくは常に難しい顔をしているに違いないと自分でも思う。

もしかしたら、孫と話しているとき以外は、ずっと苦虫をかみつぶしているのかもしれない。

いっときは鏡を見ながら笑顔を作るという一種の筋トレをやっていたが、いつの間にかサボってしまっていた。

またトライしよう。


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ときおりバイクが通ることもあるので要注意
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7月5日(金)

夕食は、できるだけ量を少なく抑えるように心がけている。

健康を考えての配慮であって、そのためにご飯は一膳だけに留めている。

ときには、海苔と納豆とジャガイモだけがおかずのときもある。

今日もその伝でいく心積もりしていて、買い置きしていた冷凍のサバを焼くべしで解凍にかかっていた。

しかし、世の中というのは私の思っているとおりには動かないものだ。

妻が淡路島の親戚からいただいたイカナゴのくぎ煮を持ってきたことで、私の計画に狂いが生じたのである。

イカナゴとあわせてジャコも一緒についてきた。

賞味期限は、ジャコが今月いっぱいで、イカナゴは8月21日となっている。

実は、二か月前に、やはり淡路島の親戚から頂戴した海苔の3箱が、いまようやく最終の箱の処理の最中である。

もらえるものを拒む理由はないので、ありがたく受け取っているものの、あまりに量が多いと心の片隅では負担感を覚える。

食べなければならないという義務となって、「何日までには消化してしまわないと・・・」などとノルマになってしまったら、食べものを味わう楽しみが半減するではないか。

とはいえ、食べものは鮮度の高い間に口にするにこしたことはない。

計画としては、海苔は従来どおり朝食で使い、期限の近いジャコのほうから片づけていくことにした。

ジャコの場合、一旦封を切って空気に触れると乾燥してしまうのか、しなやかさが失われるような気がするのだ。

イカナゴのくぎ煮は、関西では春の風物誌であって、季節外れの感はぬぐえないが、遅れついでに夏までひっぱろうという思惑もある(汗)。

しかしながら、食べものの量が多いという罰当たりなことで困っている自分の姿に気づき、大いに自責の念に駆られた次第だ。


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100均で買った食器だと見栄えが良くない
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7月4日(木)

参議院選挙が公示された。

これは国政だけでなく、たとえば市議会議員選挙でもそうであるが、私にはどうもなじめない候補者の立候補者の弁というものがある。

えてして、「〇〇の声を国会に届けたい」と語る候補者が少なからずいる。

身体的なハンディを持った人や子育てに困っている人、難病に悩む人等々、枚挙にいとまがない。

今日も、いろんなところでそういったニュースに接した。

しかし、日常生活に近い感覚の地方議会であればともかく、国政を担うべき国会議員が「声を届ける」だけでは、仕事をしているとは言えないと思う。

国会議員であれば、自分の主張を現実のものとするために、立法に向けて取り組むのが使命ではないか。

「現場ではこんなに困っています」と悲惨な事情を説明するのは社会運動家がする仕事である。

これはこれで重要な営みであるのは間違いない。

ただ、議員ともなれば、現状を変革する法律を作るために他の議員を説得したり、コミュニケーションをとったりしながら活動を進めていくのが本来の仕事のはずである。

本来なら、自分が掲げるビジョンを実現するための具体的な道筋を有権者の前に示すことこそ、候補者として行うアクションだと思う。

「声を届ける」だけで議員として果たすべき責任を果たせたと満足されては困る。

もちろん、「声を届ける」が発言のすべてではないので、言葉尻をとらえているかのように見えるかもしれない。

しかし、国会議員として社会を変革していこうとの意欲に燃えた人間であれば、安易に「声を届ける」を口にするのは躊躇するものではないか。

「声を届ける」のフレーズは、単に決まり文句であって、あえてとやかく言うべき筋合いのものではないのかもしれない。

とはいえ、度量の狭い私には、そんな些細なことが気になって仕方ないのである。


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定数4の大阪選挙区に12人が立候補した
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7月3日(水)

毎月、第一週に管理組合からの連絡文が届けられる。

ごみ出しの日やその月のマンションの予定、注意事項などが書かれている。

その中に、来年度の理事候補者として7人がリストアップされ、なんと私も入っていたのである。

部屋番号で書かれているので、最初は気づかなかった。

番号が自分の部屋を示すのものだとわかると、そのインパクトは一層強いものがある。

管理人さんに尋ねてみると、「次は楽ですよ」と事もなげにニコニコしながら言う。

なるほど、大規模修繕工事は終わったし、もともとこのマンションには良識を持った住人が多いと思う。

だから、トラブルさえ起らなければ、心配するほどの負担はないだろう。

ただ、責任を持った立場を命じられることに、戸惑いを感じるのである。

気楽にのんびりと過ごしていきたい、というわがままな私である。

とはいえ、辞退するにも正当な理由はない。

仮病を使ったり、海外赴任の予定などとウソを言ってもすぐにばれる。

管理人さんの話では、輪番制なので断った前例はないらしい。

そんな状態で、私だけが拒否したとあっては、ほかの住人からはどんな目で見られることかわからない。

それ以前に、義務から逃れようとしている自分にに対して良心の痛みを覚える。

お受けする以上は、真摯に職責を果たしていかなければならないのは当然のこと。

今までの狭い経験を振り返っても、不本意ながら役を引き受けざるを得なかったものの、後日、それが何らかの形で自分にプラスになったことは少なくない。

おそらく8月の総会で承認されて、9月からのスタートとなると思う。

少しぐらいは、生きているうちに、世のため人のためになることをしておきたい。


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管理費や積立金が未納という人もいるらしい
20 : 20 : 40 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(14) | page top↑

7月2日(火)

今日は、マンションへの引越し1周年の日に当たる。

私以外の人々にとっては、全く何の意味も持たない記念日である(汗)。

あの日は午前中に引越しを済ませ、一段落ついた午後に、近くのファミレスでひとりで祝杯をあげたことを思い出す。

今日も、実はそうしたかったのだが、晩に会合が予定されているために見合わせた。

越してきたばかりの頃は全く何もわからなかったのだが、さすがに1年も経てば、まわりが見えてくるようになった。

ちょうど、小説を読み始めた最初のうちは、主人公の職業も家族関係も考え方も嗜好も全くわからなかったのに、読み進めていくうちに徐々に全体像をつかめてくるのとよく似ている。

今では、近くのスーパーの野菜が安い日や5%引きの日、散歩に出たときに座れる休憩所のある場所、管理人さんがギター演奏が好きなこと、最寄り駅への最短コースなど、さまざまなジャンルの情報を仕入れることができた。

公民館のこともそうである。

マンションのすぐ近くにあって、実際にそこに行ったのは、大規模修繕工事の説明会のときだけだが、私の生活の中では結構な存在感を持っているのである。

というのは、曜日ごとに同好会やサークルの活動が行われていて、声を発する催しの場合は耳で聞いてそれがわかるからである。

水曜日と土曜日は空手、火曜日はジャズ、木曜日は女性コーラスなどと。

それを聞くたびに、今日が何曜日であるかを思い出させてくれるので、私にとっては貴重なシグナルと言えよう。

生活感を醸し出す上で、公民館は大いに貢献している。

この地に引っ越してから身近な存在になったものの一つに、図書館がある。

図書館で本を借りてくるという変哲もないことではあるが、それが日常の中に溶け込んできたのは、ここに来てからだ。

中学生のときに学校の図書室で借りて読んでいたのだが、それ以来だと思う。

仕事をリタイヤしてからは軽く読める本しか縁がなくなった。

1回読めばそれでお役御免というのが大半であったので、ある程度、まとまった時点で古本ショップに持ち込んで二束三文で処分していた。

いまでは、ネットで本を買うこともほぼなくなったと思う。

本代が浮いてきたことも、私の家計には大きくプラスに働いている。

反面、出版業界にはわずかばかりとはいえ、打撃を与えているのかと思うと、良心がとがめるが。

振り返ってみて、私にとっては、客観的に見れば些細なことばかりかもしれないが、内容の濃い1年であったと思う。


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費用が安くなると言われて月初に引越しをした

20 : 20 : 12 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
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Author:声なき声

昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、北摂のマンションに在住。   

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