FC2ブログ

5月31日(金)

夕方の4時過ぎに、図書館から「予約していた本の貸し出しが可能になった」とのメールが届いた。

実は、ちょうど一週間前に予約を入れておいたもので、その時点でネットでは「貸出可」のメッセージが出ていたのである。

ならば、すぐにでも手にして読むことができるはずなのだが、それから一週間が経ってからのメールである。

よく似たことは、この3月にもあった。

そのときは、”4日前”の時点で「貸出可」であったのだから、今回はより日にちがかかったことになる。

しばらく待たされるからといって不利益をこうむることはないものの、せっかくその気になっている状態なのに、それをはぐらかされるような気がして、あまり心地よいものではない。

かと思えば、「貸出可」と表示されている本の予約を入れて、すぐ次の日に受け取りが可能とのメールがやってくることもあった。

もしかしたら、単に図書館スタッフの仕事が忙しいか余裕があるかによって、メール送信のタイミングが違ってくるだけのか。

とはいえ、無料で本が読めるのだから、ありがたいことではないか。

すぐに読みたい本ならば、自分で買えばいいことなのだから。

ちなみに、1月の終わりに予約をした内館牧子さんの『すぐ死ぬんだから』は、今日の時点で135番目と出ている。

「所蔵数 : 16」とあるから、私の生きている間には読むことができると思っているが(汗)。

 
20 : 20 : 05 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

5月30日(木)

マンションの修繕工事は着々と進み、私の棟は廊下部分の塗装が残っているぐらいという段階にまできた。

とはいえ、屋上の物干し場はもう少しかかりそうな気配だし、ほかの棟はまだ外壁の足場が残っているところもあるので、以前どおりの生活環境に戻るのは来月に入ってからであろう。

以前のように大きな音で集中力が途切れることはないものの、塗装工事の作業中の会話が部屋の中まで筒抜けである。

意外に思ったのだが、昨今の建築現場では作業者同士の会話は丁寧な口調で、職人的な荒っぽさはほとんどない。

上下関係が言葉遣いにもあらわれていて、先輩か上司から言われたことには、「です」や「ます」の丁寧な言葉で答えている。

これは、工事が始まったときから、すべての人ではないにしても、おおむね、作業をやっている人に共通している。

日本の建築業界全般がそうなっているのかどうかは、わからない。

私の好みで言えば、これはいい傾向だと思う。

一般社会で堂々と通じる言葉遣いをしているほうが、好感が持てる。

顧客の要望に合った修繕を達成するためには、指揮命令が正確に末端まで伝わる組織でなければならない。

社内の言葉遣いが整っているのは、そのような一貫した流れのシンボルにほかならない。

建築に限らず、今までさまざまな職場を見てきたが、たとえばデザイン事務所や設計事務所などのように、創造力がモノを言う職場なら、規律や言葉遣いにはあまり重きを置かれていないのが通例だ。

しかし、具体的な形での結果を出す会社となると、組織のまとまりが重要になってきて、指揮命令系統がはっきりしていることが求められる、と私は思っている。

このように考えてくると、このマンションの工事を請けている会社は協力業者選定に成功したのだろう。

そういえば、ほぼ例外なしに、作業者の人はすれ違うときに挨拶をしてくれる。

これは、社内でちゃんと訓練を受けていることの証である。

なお、今日耳にしたユニークな会話は、先輩と後輩のものであった。

「この機材を上に上げてもいいですかぁ?」と尋ねる若い人に対して、年長者は
「いいとも!」
と返していた。

何年も前に終わってるはずの番組なのに、いまだにこの言葉が使われているのは少なからぬ驚きである。

彼らの属している会社は物持ちがいいのだろう、後生大事にしているようだ。

業績もいいに違いない。

こういったわずかばかりのやり取りの中からも、社風がうかがえる。

 
20 : 20 : 48 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

5月29日(水)

所属団体の研修会で、滋賀県守山市にある佐川美術館に行ってきた。

研修会と言えばアカデミックな匂いがするが、ありていに言えば、会員にとってのお楽しみ会の位置づけにあるイベントである。

私は初めての参加であったが、事前に、訪問先が佐川美術館と聞いて心の中では失望を感じていたのが実際だ。

アートへの感性はまるっきりないので、絵画や彫刻などはその良さがわからない。

今回はハードルの高い研修会だから単なる訪問先の一つでしかないと、割り切っていた。

実際に行ってみて驚いたのだが、まずは建物の美しさには息を呑んでしまう。

現地で受け取ったリーフレットには
「水庭にたたずむ美空間」
のフレーズがあったが、決して誇張ではないと思う。

琵琶湖をイメージしたのか、広い水庭があって日の光を受けながらさざ波をたたえている光景は、それ自身が一つの芸術作品である。

著名な日本画家、彫刻家、陶芸家三氏の作品が収められている。

とりわけ、陶芸作品の展示は照明を絞った中で、展示物にのみスポットが当てられる形でディスプレーがなされていたからか、私にはすさまじいばかりのインパクトをもたらした。

まわりが暗い中にあって小さな作品が燦然と光を放っているかのようで、存在感を持ちながら私に迫ってきたのである。

私にとってはありきたりな皿や杯であるが、そういった構造の中で見ると不思議な力で魅了してくるのだ。

これは美術品の鑑賞の仕方としては正しくないものかもしれないし、あるいは作者に失礼に当たる態度かもしれない。

しかし、私の胸を打ってやまなかったのは事実である。

ただ、この話は拙ブログの中だけに留めておくつもりだ。

現実の人間に語っても、一笑に付されるだけだろうから。


20190529.jpg
館内で写真撮影がご法度なのはもちろん

 
20 : 20 : 03 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

5月28日(火)

毎週火曜日は、行きつけのスーパーで野菜特売をやっている。

ソフトボールほどの大きさの新タマネギが38円、ジャガイモが28円など、破格の安さで山積みされている。

さすがに火曜日の朝の野菜売り場は、多くの客でにぎやかだ。

野菜ばかりでなく、フライやパンもやや小ぶりのものが安い値段で出ている。

48円のフライを2個と、98円のサンドイッチを買うのが、私の週に一度の楽しみだ。

フライなど、値段が値段ということもあって、品質についての心配がないわけではない。

しかし、週に一度のチートミールだとして、知らんふりをしてパクパクと食べている。

あまりにいろんなものを制限し過ぎると、息が詰まるかもしれないからだ。

こういった自分への甘さが私が伸びない最大の理由なのだと思う(汗)。

今朝も、何種類かの野菜を買い物かごに入れ、フライもチョイスした後、サンドイッチのところまで来たのだが、まだパン売り場は品出し中であった。

若い男性社員がスピード感たっぷりにパンを並べている。

目にも止まらぬ速さとまで言えば大げさだが、今まで見たことのない速度であった。

手の動き一つを見ても、相当に焦っている雰囲気が伝わってくる。

その人にサンドイッチのことを訊こうかなとも思ったのだが、あまりにも一心不乱に作業に没頭している姿勢に恐れをなして、一段落つくまでその場で待っていた。

私は、言っては何だが忙しくはない人間だ。

買い物かごの中のタマネギの重さが気になるぐらいのもので、時間にはシビアにならなくていい。

30秒ほどした頃、その男性が突然に手を止めて、
「何かお探しでしょうか?」
と私に尋ねてきた。

98円のサンドイッチのことを告げると、商品を積み込んである移動式のワゴンに手を伸ばして、お目当ての商品を差し出してくれた。

彼にしてみれば一秒一刻を惜しんでいたはずなのに気の毒なことをしたなと思いつつ、丁重にお礼を言いながら受け取った。

レジで並んでいるときに、なぜ彼はあんなにまで急いでいたのだろうかと考えた。

このお店は朝の9時の開店だが、鮮魚や肉類などは品出しの作業中ということがあっても、パンに関しては開店した時点では、きれいに商品が並んでいるのがツネであった。

彼自身が遅刻したのか、納入業者が遅れたのか、あるいは単純な勘違いであったのか。

彼は血眼になっていたが、結果的には誰も困らなかったと思う。


20190528.jpg
サンドイッチの写真を撮り忘れたのでフライの写真を載せる
20 : 20 : 21 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

5月27日(月)

直射日光を浴びる季節、日傘を差して歩いている女性の姿が目立ってきた。

ともすれば、顔が傘で隠れて見えにくいときがある。

全体的なプロポーションや服装などから、若い女性だと判断したら、どんな顔をした人なのかが気になってくるものだ。

今日も、白ベースのファッションに身を固めた女性が、日傘片手に颯爽と正面から歩いてきた。

ほんのわずかの間に、どんな美人なのかを頭の中で想像してみる。

モデルかタレントか、あるいは女子アナか俳優か、いろんなジャンルが私の妄想の中をかけめぐる。

そしてすれ違いざま、そっと傘の中に目をやると、私の脳内イメージとは似ても似つかない顔面がそこにあった・・。

いや、今日に限ったことではない。

実際には、後ろ姿に魅入られて妄想をたくましくしたものの、何かの拍子に事実としての顔を見たときというのは、ほぼ例外なくがっかりしてしまうのだ。

最近は死語となったのかもしれないが、まぎれもない”バックシャン”である。

もちろん、その女性たちには何の責任もない。

一方的に美形を想像して期待に胸を膨らませていた私にすべての非があるのだが、なぜか私の心の中では「損した」という思いが残ってしまう。

私は勝手な人間だ。

ただ、古くから私のような人間はたくさんいたのだと思う。

少なくとも40年前であるが、ある雑誌で読んだ川柳は、今に至るもくっきりと記憶に焼き付いている。

  「振り向くな まっすぐ歩け バックシャン」

毎年、某保険会社が一般人に川柳の募集をしていて、巧みに世の中を五七五にまとめた作品が発表されている。

前掲の川柳は、淡い夢を大切にはぐくみたいという男心を心憎いまでに的確に表現していて、文芸史に残る秀作だと、私は信じている。


20190527.jpg
写真はこの記事とは全く関係がない
20 : 20 : 03 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

5月26日(日)

トランプ大統領が来日して、今日はゴルフのラウンドと大相撲千秋楽の観戦であった。

相撲では升席を用意するなど、文字どおり下にも置かない歓待ぶりである。

日本側のもてなしようを見て、一部には卑屈すぎるのではないかと眉をひそめる向きもあるが、国賓として大統領を迎えているのだから当然のことではないかと私は思う。

ましてや、日本にとっては運命共同体とも言うべき国の最高指導者でもあるのだから、礼を尽くしてしかるべきだ。

そもそも、こちらから招待した人には気持ちよく過ごしていただきたいというのは、人間の自然な感情だと思う。

ある国会議員が「外交ではなく社交だ」と言ったそうだが、外交というのは、とりもなおさず社交にほかならない。

個人対個人の関係ではなく、国と国とのレベルになるだけのこと。

だから、お招きした人が満足するようにあれこれと知恵を絞るのは、極めて常識的なふるまいである。

ところで、私は夕方にアベマTVの大相撲をネットで見た。

5時少し前に安倍総理とトランプ大統領が入場してきた。

国営放送ではどうだかわからないが、アベマTVでは、顔が映るようには放映していない。

だから、にらみをきかせているSPの姿と、携帯やスマホで大統領の姿を撮影しようとする観客の姿ばかりが目立っていた。

ただ、アナウンサーの話によると、大統領は相撲のルールがよくわからないのか、観戦中は頻繁に通訳に何か問いかけていたらしい。

格闘技好きだと聞いていたので、相撲の基礎知識は持ち合わせていると思っていたのだが、ここのところは当てがはずれた。

今日は、高ぶった気持ちのまま、表彰式を最後まで見た。

生まれて初めての経験である。

国営放送では午後6時で中継を打ち切るが、アベマは最後まで伝えてくれるのがうれしい。

最後の”神送りの儀式”での行司の胴上げは話には聞いたことがあるが、本当に胴上げをやっているとは、この場面を見るまで思ってもいなかった(汗)。

トランプさんのおかげで、いい勉強をさせてもらった(汗)。

 
20190526a.jpg
結びの一番には懸賞幕が59本も出ていた

20 : 20 : 42 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

5月25日(土)

郵便受けに、マンション修理の工事会社からのお知らせ文書が入っていた。

この会社は、結構、まめにA4のペーパーに連絡事項を書いた文書を回してくれる。

約80世帯のすべての郵便受けに入れるのだから、それだけでも少なからぬ手間である。

メールで一斉送信というわけには行かない。

昨日の日付になっているので、おそらく、きのうの夕方以降に責任者が一戸ずつ投函していったのだろう。

お知らせの中身は、
「26日の日曜日も作業をします」
ということのお断りであった。

主に、屋上の防水作業がメインとなっている。

雨で作業が遅れていることもあって、それを取り戻しておきたいというのが休日作業の趣旨である。

屋上の防水工事は、天気が良くないと物理的に不可能だ。

このところはずっと好天に恵まれ、明日も雨は降らないとの予報である。

このマンションでは、屋上に洗濯ものや布団を干せるようになっていて、私も重宝している。

それが屋上の工事が長引いているので、不便を感じている住民は少なくないと思う。

だから、一日でも早く屋上が使えるようになるのは、住民にとってはウエルカムのはずなのだが、工事会社としては文書を回してお願いしないといけないようだ。

おそらく、工事を行う条件として、日曜日は基本的には工事を休むことになっている原則から逸れるからではないか。

80世帯もあれば、ひとりぐらいはそんなことを言い出す人がいるかもしれない。

正論であるだけに扱いに困るのだ。

そもそも、休日作業ということになると、最も負担を強いられるのは作業者である。

もちろん、その分の日給が増えるからプラスにはなるものの、とりわけ若い作業者にしてみれば、日曜日の休みは大きな楽しみであるのは想像に難くない。

そんなささやかな喜びが奪われるのだから、仕事とはいえ、お気の毒だ。

少数派の声を尊重する姿勢は大切だが、行き過ぎるとロクなことはない。

 
20190525.jpg
用件が終わるまでは、冷蔵庫の扉にマグネットで貼るようにしている。

20 : 20 : 57 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(9) | page top↑

5月24日(金)

同窓会の会場探しのために、母校のキャンパスに行ってきた。

11月の開催だから少し早いかもしれないと思っていたのだが、料金やら料理のおおよその感触をつかみたいと考えてのことである。

あてにしていた会場は、10月と11月は、平日も含めてすべて予約で埋まっていると聞いて驚いた。

遅かりし由良助であった。

ほうほうのていで事務局を後にした。

やむを得ず、学内で営業しているレストランに行って、そちらのパーティールームを押さえた。

予約も全く入っていないし、何より、費用が安くて済む。

本命にしていた部屋はアカデミックな雰囲気があるのに対し、レストランのほうはざっくばらんな普段着の空気が流れている。

考えようによっては、仲間うちだけの集まりなのだから、肩ひじ張らない環境のほうがいいかもしれない。

一種の負け惜しみとは承知しながら、そのように考えて、自分自身を納得させた(汗)。

実は、会場については大阪市内で、という案もあるので、次の打ち合わせの中で最終決定する予定である。

ところで、大学のキャンパスの中にはスターバックスもできている。

私が現役であった40年前の構内には、コーヒーショップがあるなんて想像もしていなかった。

昼どきということもあって、多くの学生さんがコーヒーを飲んだり食事をしたり歓談したりと、結構なにぎわいである。

私も、約半年ぶりにスタバコーヒーを飲んだ。

パンやサンドイッチなどを同時に注文すると、1,000円近くはかかる。

今の学生さんにとっては、通常のランチで1,000円を使うというのは、特別な感覚ではないのだろうか。

他方、自由に使える広場やスペースでは、家から持参したと思われる弁当箱を開けている姿も多く見られた。

あるいは、学生食堂では350円の豚ショウガ焼き定食のコーナーには、長い列ができていた。

学生で1,000円のランチは高いし、かといって弁当を毎朝作るのは手間がかかる。

バランスを考えて、私なら学食で350円の定食を食べるようにするが。

 
20 : 20 : 29 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

5月23日(木)

かかりつけクリニックへ定例の月一診察を受けに行った。

今日は受診のついでに、娘のマンションに寄って用事を済まそうと考えた。

その用事に想像以上に手間がかかり、気がつくとクリニックの受付終了時間の5分前である。

あわててマンションをとびだし、クリニックまで車を走らせた。

5分の遅刻ではあったが、誤差の範囲内ということか、受付では何も言われなかった。

この焦りが血圧測定の結果にもあらわれたのかだろう、「124-74」と、この時期にしては高い数値が出ていたのである。

締切のぎりぎりに行くこと自体が、私に時間管理能力が欠けていることの証にほかならない。

もちろん、医師には応召義務が課せられているので、正当な事由がない限りは、「診ません」は言えないこととなっている。

診察時間外だから診ないというのは、”正当な事由”には当たらないらしい。

もし自宅で開業している医師の場合、真夜中に患者がやってきて「急病です。治療をお願いします。」と言われたら、やはり診察をしなければならないのだろうか。

あるいは、医師とて人の子、たまにはお酒を飲んで羽化登仙の気分に浸りたいこともあろう。

そんなときに患者という立場の人がやってきて、治療を求められたらどうすべきなのか。

しかも、夜間や休日にも空いている医療機関が近くにないとなれば、応召義務は免れないのだろうか。

なお、応召義務に違反しても医師への罰則規定はないので、刑事罰が科せられることはない。

とはいえ、行政処分を受けたり、民事訴訟の対象にはなり得るとのこと。

昨今は患者の権利が極度に尊重されるような風潮が高まっている。

大きな総合病院など、玄関に”患者の権利宣言”などがこれ見よがしに掲示されていることも珍しくない。

昔は医師はエリートであって、そのステータスときたら、すこぶる高いものがあった。

医師のことは”お医者様”との尊称で呼ばれていたものだが、今では、医療機関は患者のことを”患者様”との呼称で表現するのが通例になってしまった。

世間では、一般労働者の長時間勤務にメスを入れられ、残業が厳しく制限されたり、有給休暇を強制的にとらせるなどの施策までがとられている。

片や、医師については、医療中の事故に関しては相当に厳しい責任追及がなされる傾向が強まってきた。

もちろん、不注意や重大な判断ミスであれば、これは医師が責任を問われてしかるべきであるが、不慮の事故としか考えらえない事案についても訴訟に追い込まれたりすることがある。

産婦人科や小児科の医師の絶対数が不足するのは当然の帰結だと思う。

患者の権利の主張をやり過ぎると、結局は医療サービスを受ける側が困る結果になるのは避けられない。

結局は、自分で自分の首を絞めることになる。

 
20 : 20 : 36 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

5月22日(水)

この季節なのに、サンマがスーパーの店頭に並んでいた。

もちろん、去年に獲って冷凍してあったものを解凍したものである。

1尾88円ということもあって、どんなものか試しに買ってみた。

心なしか、脂のノリが足らないような気がする。

とはいえ、塩も醤油もつけなくてグリルで焼いただけなのに、噛んだときの奥深い味わいはサンマならではのものがある。

私の基準では、十分に合格だ。

家で、5月にサンマを食べたという記憶は持っていない。

秋の代名詞とも言えるサンマであるが、春に口にしても決して違和感はないだろう。

近年は、中国や台湾でもサンマを食べる人口が増えてきて、その供給のために日本近海にサンマ漁に来るものだから、日本の漁獲量が激減していることが問題になっている。

そこで、今年からはサンマ漁解禁のタイミングを速めて、5月から漁に出られるようになった。

夏のサンマが夢ではなくなったのである。

一部には、秋の味覚を夏に食べることの抵抗感を懸念する向きもあるが、それは「サンマ=秋」の先入観にとらわれ過ぎているだけだと思う。

野菜にしても本来ならそれぞれに旬の時期があるのだが、サツマイモやイチゴなど、実際にはほとんど一年を通して食べることができる。

必ずしも季節感を求められるものではない。

だから、夏のサンマを喜んで受け入れられると思う。


20190522.jpg
秋には自然のサンマは食べられなくなるのだろうか?
20 : 20 : 58 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

5月21日(火)

同窓会に向けての打ち合わせ会を開いた。

といっても、飲んだり食べたりしながらの軽いもので、開催日を決めた以外は、今後の準備の進め方の大まかな方向づけだけに終わったが。

場所は大阪の北の玄関である梅田で。

さすがに年金生活者ばかりの5人だから、午後4時集合には何の無理もなかったようだ。

午後5時を回れば人の流れに圧倒される梅田の町も、この時間帯ならば普通に歩ける。

といっても、郊外地に住んでいる私からすればまぎれもなく繁華街だ。

出席者の一人は和歌山からやってきたのだが、久しぶりの梅田の光景にはしばし見とれていたようだ。

同じ日本であっても、地域のにぎわいには相当な落差がある。

そんな当たり前すぎる事実を、あらためて認識させてくれた。

「月極駐車場の賃料が1万円」という話をすると、住んでいる地域によって「高い」と「安い」のいずれかに分かれることが多い。

インターネットが世に出始めた30年ほど前、
「ネットワーク化が進むことで国内の地域の差がなくなり、東京一局集中現象がなくなる」
とよく聞かされたものだ。

しかし現実はいまだに東京が優位である。

逆に、大手企業でも、いっときは大阪にも本社があったのに、東京に移転してしまった事例は少なくない。

あるいは、首都機能の分散ということが叫ばれて、ごく一部は実施されたものの、ほとんど実態は変わっていない。

逆にネット化がすんだことで、地方が東京進出するのを後押ししたのではないか、そんな気がする。

それはそれとして、今日の他愛もない会話の中で、学生時代に好意を感じていた女性のことに談義が及んだ。

一人が挙げた名前は、その女性には失礼ながらこの手の話題にはめったに登場しない人であった。

ほかの人が一様に意外という顔をすると、その発言をした彼は、すぐさま、
「ひと月半だけ、次は○○子が3か月ほど好きやった。」
としみじみと語って、宴席は笑いの渦に包まれた。

50年ほど前の多感な学生時代に、すっかり舞い戻ったひとときである。

 
21 : 20 : 20 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

5月20日(月)

以前に記事にしたマンション前に放置された高級車は、あれからもずっと変わらない状態であった。

しかし、今日、フロントガラスに”公告書”が貼りだされているのに気づいた。

要は、「5月29日までに動かさないと撤去する」旨が書かれていたのである。

警察もしびれを切らしたのだろう。

私の記憶では、4月の最初の頃から置かれてあったシロモノだ。

この車があることによって交通事故が起こる恐れはほぼ皆無ではあるが、一応は駐車違反禁止エリアであり、標識も立っている。

警察としては車の所有者と連絡をとるために、いろんな手を尽くして奔走したものの、どうにもlこうにも埒が明かないというので、一定の期間を置いて今日の”公告書”と相成ったに違いない。

ところで、警察に持っていかれた後、この車はどのように処置されるのだろうか?

引き取り後の処分方法が私には気になるところである。

スクラップ工場に持ち込んで、有償でつぶしてしまうというのだろうか。

あるいは、競売にかけて現金化するのだろうか。

法的にはどのようなルールになっているのかわからないが、今までの段階で警察には相当な手間がかかっている。

人件費は税金なのだし、この上さらに税金を持ち出してスクラップとなれば、納税者にとっては二重の負担を強いられる。

さりとて競売にかけたところで、やはり二束三文の価格でしか落とされないのか。

事情はともあれ、腐ってもベンツなのだから、ステータスにふさわしい価格がついてほしいものだ。

ひとりの納税者として、切に望んでやまない。

それにしても、この車がここに置かれたいきさつについては、ついにわからずじまいであった。


20190520.jpg
とんでもない落としものであった

20 : 20 : 20 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

5月19日(日)

亡き父の一年祭に行ってきた。

仏教で言うところの一周忌であるが、天理教では一年祭と呼んでいる。

不思議なことに、父が昨年の5月23日に亡くなってからの1年は、早かったような遅かったようないずれにも通じる感覚に包まれている。

時間に追われるような忙しさは全くないものの、気持ちの上では余裕がなかったのかもしれない。

今日でひと区切りがつくことになるが、私は全く知らなかったのだが、姪が3人目を出産したとのことを知らされた。

女の子である。

4月30日の誕生で、いみじくも平成の最後の日であった。

なお、天理教の見方では、人間が息を引き取ると肉体は活動をとめるものの、魂は絶対神である親神様のもとに行き、およそ1年経ってから故人の子孫として生まれ変わる、とされている。

ということは、この子は亡父の生まれ変わりの可能性がある。

そのことを話題に出すと、「同じ性で生まれ変わるから、それはあり得ない」とのこと。

しかし、子孫に生まれ変わるなんてこと自体が科学的根拠のない話だし、遺伝子検査の結果によってその教えの正確さが検証されたとの事例は見聞きしたことがない。

たまたま、亡くなったご先祖に顔が似ているとか、声がそっくりというレベルの話しかないのが現実だ。

もちろん口角泡と飛ばして議論するようなことでもなく、生後二十日の赤ん坊を囲んでの和やかな時間をすごさせてもらった。

この子が寝ている顔を見ているだけでも、幸せになってくる。

姪には二人の子がすでにいたが、二人とも男の子で、下が10歳だから、こんなに小さい子に恵まれたこと、しかも女の子であったというのがうれしくてたまらないようだ。

亡き父は、息子である私が言うのも妙な話だが徹底した利他の人であって、”世のため人のため”の言葉を何かにつけ口にしていた。

だから、この赤ん坊が父の生まれ変わりだとしても、私は納得の行く思いである。

ともあれ、亡父の1年祭というタイミングで小さな命と対面できたのは、私にとっては得難い体験であったと感謝している。



20190519.jpg
昼間はほとんど寝ているらしい

20 : 20 : 20 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

5月18日(土)

スーパーで刺身を探していたら、とんでもなく安いのが目に飛び込んでいた。

マグロの刺身だと思って手に取って見てみたら、実はそれはカツオであった。

注意力が足らないのか、赤身を見ただけでマグロだと思い込んだようだ。

恥ずかしながら、私は早合点というか思い込みが強いほうだと思う。

考え方に柔軟性がなくて、これはこうだと自分できめてかかっている部分があまりに大きいのかもしれない。

もう20年ほど前だが、ディベートの勉強を熱心にしていた友人から教えてもらった一つのテクニックがある。

議論に勝つ方法として、相手が無意識のうちに前提にしている事柄を探り出して、それが間違っていることを指摘すれば、俄然、論争は有利になる、と。

いいことを聞いたと、そのときは思ったのだが、「相手が無意識のうちに前提にしている事柄」なんて、そう簡単に知ることはできない。

ジャンルを問わず、その道の達人と言われている人は、凡人には説明のつかない特殊な能力を持って、それを駆使するものだから、周囲からはその才能を賞賛されているのだと思う。

国内にいる1億2千万人の人々は、それぞれに自分なりの前提や思い込みを持っているはず。

それを正確に把握できるなんて、天才のみになし得るわざではないか。

私には縁のないレベルの話である。

さて、一般の人々にも思い込みが強いからこそ、あれほど特殊詐欺への注意が喚起されながらも、いまだに事件は後を絶たないのだ。

つい先日のデータでは、平成30年には356億円の被害額であったというから、一日平均すると約1億円になる。

いかに詐欺が横行しているがよくわかるというものである。

古典的な手口である息子からの電話という設定であれば、わが家の場合は難を逃れると思う。

もし、息子と称する人物から妻なり、私なりに電話がかかってきて「すぐに200万円がいる」と泣きつかれても、
「いつ日本に帰ってきたのか?」
「米ドルではなしに、日本円でいいのか?」
の疑問のほうが先に出てしまう。

おそらく、その時点で犯人側は電話を切るのではないか。

いくら思い込みの激しい私であっても、その手は桑名の焼きハマグリだ。

ただ、特殊詐欺にひっかかる人は、「自分だけは絶対に大丈夫だと思っていた」と一様に語っているらしい。

そういった意味では、私も油断大敵だ。

 
20190518.jpg
何かの縁だと思って買った

20 : 20 : 01 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

5月17日(金)

電力会社を大阪ガスに変更する手続きをしたのは、4月24日のことであった。

今日、同社からアマゾンプライムのギフトコードの書かれた葉書が送られてきた。

プライムの年会費4,900円のおまけが目当てで大阪ガスに変更した私なので、電光石火の早わざで、手続きをしたのは言うまでもない。

送られてきた葉書は剥がせるようになっており、その中に
”Amazonプライムギフトコード”
の16桁の文字が印字されている。

これを目で見てサイトの所定のところに、手で打ち込んでいかなければならない。

当たり前だが、コピペするわけには行かないのだ。

数字とアルファベットが混在しているコードを、二文字ずつ目で確かめながらコツコツ入力するのだから、便利さに慣れた私には相当なス十レスを感じた。

アマゾンプライムの特典を手に入れるための条件として、
「大阪ガスのサイトに”マイページ”を登録しなければならない」
というのがある。

その際に連絡用のメールアドレスを大阪ガスには伝えてあるので、そのアドレス宛にコードを送れば簡単に済む話ではないかと思うのだが。

しかも、手続きの仕方についての説明が書かれているのだが、これが小さな字なので読むのにも神経を使う。

遠近両用のメガネをしているがそれでは見えず、裸眼で見ても判読できないのだから、アマゾンプライムの会員というのは若い人ばかりなのだろうかと思ったりもしたほどだ。

ルーペを持ってきてなんとか読んだが、読んでみると目新しい情報はとりたてて書かれていなかった。

極論を言えば、コードだけを印字して葉書を送ってこられても、さして困ることはない。

ともあれ、ギフトの登録は終わり、これで会員期限が1年間、延びた。

これで目標を達成することができたことになる。

なお、すぐにAmazon社から「ご注文の確認」と題するメールが送られてきた。

今回の手続きも、一応は”注文”という形になるらしい。

もちろん、代金は発生しないし、商品レビューを書くことも要求されないが(汗)。


20190517.jpg
”マイページ”には日別・時間別の電気使用量が載っている

20 : 22 : 41 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

5月16日(木)

今朝、散歩に出ようとしたら、エントランスで管理人さんと工事責任者とが話をしている場面に出くわした。

どうやら、オートロックシステムの施工が終わって、その説明をしているようだ。

実は、従来はマンションから外に出るとき、扉についている鍵を自分の手で回して開けなければならなかった。

私のように自分の身だけの移動であればどうということはないが、自転車やバイクをマンション館内で保管している人たちにとっては厄介なことこの上ないのである。

一旦、自転車を止めて手動で鍵を開け、自分の手で扉を押さえながら自転車を外に出すという作業をしなければならない。

少し大きいバイクならば、手で扉を押えるわけにもいかず、ストッパーを扉の下に挟むことで動かないように処置しておいてからバイクを出すことになり、とてつもなく不便であった。

今回、扉がセンサーで自動化されて、煩雑な手間がかからなくなった。

だから、自転車やバイクを使っている人からは拍手喝采を浴びているに違いない。

さて、オートロックそのものの防犯機能ということになると、さほど過大なものは期待できないと思う。

工事後も、入居者がマンションに帰ってきたときは、鍵でもって開けなければならないのは以前のまま。

この鍵というのは、すべての入居者に手渡されており、スペアを作るのも自由である。

だから、その気になれば、犯罪の意図を持っている人が入居者に近づき、隙を見てこっそりと合鍵を作ることは難しくない。

昨今は、指紋認証とか、あるいは登録してあるスマートフォンでの認証をすることで、入居者のみの入館が可能になるシステムもあるらしい。

しかし、このマンションでそこまでするとなると、設備工事のための投資費用がかなり高額になる。

おそらく、そんな事情から、今回の修繕では現行のシステムの改善程度にとどめたのではないかと思う。

なお、管理人さんの話によると、不法に侵入しようとする人間が最も嫌がるのは、自分が入ってきた証拠が残ることらしい。

幸い、このマンションのエントランス部分には防犯カメラによるセキュリティーが施されていて、外からでもすぐに見える位置にモニターが置いてある。

良からぬ意図で忍び込もうとした人がいても、そのモニターが目に入れば踵を返さざるを得ない、という。

なるほど、オートロックとはいえ、正規に入っていく人の後ろをついていけば、簡単に入ることができるのは常識だ。

ただし、動画データの中に自分の顔が残されていれば、言い訳ができなくなる。

そうなると、オートロックのシステムに費用をかけるよりも、防犯カメラをつけておくほうが、セキュリティー確保の上では役に立つことになりそうだ。


20190516.jpg
開く機能だけを持っているので「開閉スイッチ」は間違いである
20 : 20 : 23 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

5月15日(水)

朝の11時のこと、突然、どこかのスピーカーがやや大きめの音を発生させた。

一瞬、体内を緊張が走り、耳をそばだてていると”Jアラートのテスト”であることを伝えられたので、ようやく事態がのみこめた。

今日は、Jアラートの全国一斉の試験日であった。

自慢にはならないが、私は格安スマホを使っているので、携帯での警報は鳴らなかった。

Jアラートといえば、東北大震災のときが記憶に呼び起こされる。

当時はメジャーな携帯会社の電話を使っていて、またたまたま東京に出張していたこともあって、ほぼ間断なく警報が鳴っていた。

慣れてきたとはいえ、あのチャイム音が頭にこびりついて、しばらく耳元でずっと響いてたような気がする。

いまだに、震災の被災者の中にはJアラートの警報音を耳にするだけでPTSDに呻吟する人がいらっしゃるそうだが、十分にあり得ることだと思う。

震災後は、北朝鮮からのミサイルというのか飛翔体というのか、その招かれざる客が来たときの警報としてJアラートは記憶に新しい。

もちろん、実際には北朝鮮から核を搭載したミサイルが飛んでくる可能性は、ほぼないと思う。

北朝鮮にしたって戦争を回避したいからこそ核武装しているのだから、それを自らが先に使うとはあり得ない。

ただ、誤操作や事故により、意図せずに発射されてしまう事態は皆無とは言えない。

もしそれが日本国内を目標に飛んでいるとして、Jアラートの警報が鳴った場合、どんな対応をしたらいいのだろう?

「30分後に津波がやってくる」という警報であれば、うまく行くかどうかは別にして、できるだけ高台の場所に逃げるという明確な対策をとることが可能だ。

しかし、「核を積んだ恐れのあるミサイルが飛んでくる」というとき、政府の指導の「建物の中、または地下に避難」で対応できるかどうかは、はなはだ疑問である。

ゴルフ場でプレー中の人はあきらめざるを得ないことになるし、台風で大きな損傷を受けるレベルの家屋では核の破壊力の前にはなすすべもないと思う。

ちなみに、私がマンションの部屋でミサイルのJアラートを受けたときは、トイレで待機する手はずになっている。

窓がないので外気と触れることなく、また構造的にも爆風や振動には強いと見ているので、私には最も安全な退避場所として考えている。

私のこのアイデアは、場所が場所だけにクソの役ぐらいには立つかもしれない(汗)。

 
20 : 21 : 00 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

5月14日(火)

圧力鍋での炊飯が、私の生活にすっかり根をおろしている。

白米が炊き上がったときの美味を覚えてしまうと、もう炊飯器を使う気にはなれない。

とはいえ、手放しで喜んでばかりもいられないのだ。

従来は、夕食には白米を食べることはなかったのだが、圧力鍋を使うようになってからは朝昼晩が米食となってしまった。

しかも、今までは一食一膳であったのが、ボリュームがにわかに増えてきたのである。

今日の昼は炊き上がった直後のホカホカということもあって、三膳も平らげてしまった。

さすがに自制心が働き、そこでストップをかけたが、内心はもっと食べたいとの気持ちがうごめいていたのである。

おかずには、ジャガイモとサツマイモの蒸したものは欠かさない。

つまり、炭水化物をふんだんに摂っていることとなり、これは過剰摂取の域に達しているのではないかと、やや不安である。

もとより、食事は満腹になるまで摂らないことには満足感を持てない性分であった。

「腹八分目」のフレーズは、私にとっては美しくはあるが現実性を伴わない理想に過ぎなかった、というのが偽らざるところだ。

むしろ「快食快便」については、字句の意味どおりに実践しているとの自信がある。

これで「快眠」が加われば健康優良児そのものだが、残念ながら、60歳を過ぎてからというもの、夜中や早朝に目がさめて眠れないときもある。

去年の5月の健康診断では、血糖値には全く問題がなかった。

そのときの肥満度がマイナス17%であったが、今年はどう変化するだろうか。

なお、いろいろなかたのブログを拝見していると、圧力鍋でご飯を炊くとおいしくない、という話に接することも珍しくない。

味の好みは人によって千差万別だと思う。

この記事はあくまでも私個人の感想であって、確実なおいしさを保証するものではない(汗)。


20190514.jpg
日本に生まれてよかったと思う瞬間である
20 : 19 : 33 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(12) | page top↑

5月13日(月)

学校時代の同窓会をやろうということで、その準備にさしかかろうとしている。

ようやく、準備委員というか幹事というか、5人と連絡を取り合ってあれこれ調整した結果、第一回の打ち合わせ会をする日時を決めるところまで漕ぎつけた。

遠くからやってくる人間もいるので、今度は夕方の4時スタートにした。

これなら、遠来の者であっても、会議と飲み会をこなしても、その日のうちに帰宅することができるはず。

日にち調整の電話をしながら感じたのだが、このことを決めるだけでも相当な時間がかかったのだから、全容を決定するのは相当な苦労を覚悟しなければならない、と。

5人のうちの一人が牛乳店を経営しており、未明の3時に起床しているという。

しかも、携帯ではなく固定電話のほうがつながりやすいと言っている。

彼は携帯電話は持っているものの、自分が電話をかけたいときに使うだけ、とのこと。

だから、メールもSMSも使っていないし、その使い方も知らないらしい。

要は、固定電話をかけることでしか、彼とコミュニケーションをとることができないのだ。

これには困る。

どの時間帯に電話をすればいいのか、そのタイミングがわからないのである。

朝3時起きだから、夜の6時以降は避けたほうがよさそうだ。

また固定電話だけしかつながらないから、午前中は仕事が忙しいだろうからアウト。

昼食の時間に電話を入れると私の常識を疑われることになる。

そもそも、昼食が世間並みに正午からということもなさそうだ・・・・・。

このようにいろんなことを考えていると、電話をするチャンスを逸してしまう。

結局、昨日の夕方からやきもきした結果、今日の午後1時にようやく用件を伝えることができた。

彼がメールをやってくれれば、こちらの用件を書いて送信しておくだけで済む話なのだが。

次回の打ち合わせで彼に会ったときに、それは頼んでみようと思っている。

顔を突き合わせての集まりとなると、遠くに住んでいる人間などは大変だ。

飲み会もついてくるからお金もかかる(汗)。

単なる情報伝達だけであればメールで十分だし、あらかじめ”宿題”をメールで知らせておけば、各自のプライベートタイムで考えておくことができる。

だから、彼にその必要性を訴えて、メールが使えるように環境を整えておいてもらおうと思っている。

彼の奥さんはちゃんとメールを使っているし、検索したりYouTubeも見ているようだから、事と次第によっては奥様に連絡窓口を代行していただくという手もある。

とにかく問題解決への道はいろいろありそうだ。

そう考えると、ちょっとしたパズルを楽しんでいるようで、ちょっとした刺激になる。

何よりも、つき詰めれば友人同士だという安心感があるので気が楽だ。

第一回の集まりは来週の5月21日。

さてどんな展開になることやら、今から腕が鳴る。

 
20 : 20 : 21 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

5月12日(日)

母の日ともなると、いろんなところでサトウハチローの手による母にちなんでの詩を見かける。

子供の目で母を見詰め、母を歌い上げている美しい詩は、人々の心に優しく響いてくる。

もっとも、彼自身は悪行の限りを尽くし、数え切れぬほど警察のお世話になったり勘当されたりと、親不孝そのものの生き方をしてきたから、詩作での表現はあくまでも仕事の上での仮面であったことになる。

そんな彼にしたって、異母妹である佐藤愛子さんの『血脈』を読むと、実母の訃報に接して大粒の涙をこぼしたとあるから、もしこれが事実だとしたら、母への思いも幾分かは持ち合わせていたと言えるかもしれない。

もう一つ、サトウハチローを語るにあたって避けて通ることのできないものが薬物のことである。

彼は覚せい剤のヒロポンを愛用していたことが知られている。

あれだけの膨大な詩や小説を生み出した原動力には、薬がもたらしたパワーもあったのかもしれない。

覚せい剤は、終戦後、軍部から民間に流出し、疲労回復やうつ病治療などに寄与していたものの、副作用がひど過ぎるというので昭和26年には禁止になった。

だから、法律で禁止されていなかった期間にヒロポンを使っていたというのであれば、違法でも何でもない。

ただ、彼の場合は先ほどの『血脈』を読むと、禁止になってからもこっそりと使用していたフシがある。

昨今は芸能界での薬物使用問題が表面化していて、先日もコカインを使っていたとして、その人の関与している作品がすべて公開にストップがかかりそうなムードになっている。

なら、サトウハチローの作品にしたって、何の制限もなく一般の人の目に触れる形で語られるのはまずいのではないか、という気もしてくる。

視点を変えて言えば、覚せい剤やコカインは現行法には反しているものの、その人のかかわっている作品のすべてをご法度にするのは、あまりに行き過ぎではないか、私は考えている。

飛躍した話かもしれないが、法律の適用を過剰に厳しく求めると、芸術も文化も花咲かないし、アーティストの気持ちが萎縮してしまうと思う。

母の寛容な心でもって、実害のない部分は受け入れていく度量が必要ではないか。


20190512.jpg
スーパーは『母の日』商戦でにぎわっていた
20 : 15 : 13 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

5月11日(土)

昼食に、蒸したカボチャを食べた。

実は、昨日に圧力鍋で蒸して、一切れだけ食べた残りは冷凍するつもりで、温度を下げるために部屋の中に置いたままにしておいた。

冷めた頃合いを見計らって冷凍室に入れるはずであったが、うっかり忘れてしまっていて、今朝、気がついた次第である。

あわててフリーザーバッグに入れて冷凍室に収めた。

それを今日の昼におそるおそる食べたのだが、気のせいか、味が違うような気がした。

もしかして食あたりしたのかなと思っていたが、脱力感があるだけのことで、吐き気も下痢の症状も全くない。

心なしかお腹がグルグルしているような感覚がしばらくあったが、その後は、散歩に出ても、あるいは夕方にアルコールを飲んでも、全く平気である。

難を逃れてほっとしたが、これからの季節、だんだんと暑くなってくるので食べものには注意をしなければならない。

まだ5月だからという油断があったが、室内の気温は昨日で23度を超えていた。

そんな中で食べ物を放置していたのは迂闊であった。

1年でも最も快適な季節に、トイレとの往復を強いられるのは嫌だ。

危機管理のためにも、冷凍中のカボチャは廃棄した。

食べものを粗末にするようで気が引けたが、自分の健康が一番大事である。

季節柄、バーベキューを楽しんでいる人々は多い。

肉や貝類はしっかりと加熱することで、たいがいの菌は死滅するが、おにぎりなどの毒素は火に強いので、加熱しても食中毒につながるリスクは高いらしい。

最近はラップでを使いながらおにぎりを握るのが一般化しているが、これは望ましい姿だと思う。

例年、バーベキューで食あたりして病院に運ばれたというニュースが、この時期には頻繁に伝えられる。

危険を伴う作業や大きな責任を持った仕事であれば、言われなくても慎重に事を構えるが、遊びとなると緻密な危機管理を忘れてしまうケースは少なくない。

自戒すべきだ。

 

今の季節になると必ず思い出すのが『若葉のささやき』である
20 : 11 : 28 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

5月10日(金)

朝、スーパーに行ったら、まだオープンまでに3分ほど時間があった。

すでに何人かの客が、まだかまだかと入り口の前で待っている。

こんなときは、スマホでYahooニュースを見て時間調整するようにしている。

すぐ隣に若い女性がいて、何やら沈痛な表情をしていた。

彼女がスマホで電話をし始めたが、つながると同時にむせび泣きになった。

意識してなのかどうかはわからないが、スピーカーボタンが押されたままである。

だから話のやり取りは筒抜けで、どうやら母親相手に語っているようだ。

詳しいいきさつはわからないが、持っていたバッグを失くしたらしい。

その中には、財布や学生証、保険証などが入っている、と。

涙ながらに語っている娘に対して、その母親は非常に冷静に話に相槌を打っていた。

もし母親までもが動揺して狼狽してしまったら、娘さんの混乱はより大きくなる。

母親の対応は評価されるべきものだと思った。

振り返れば、私も今まで2回、財布を失っている。

いずれも独身時代のことであるから、40年ほど前の話だ。

1回は、恥ずかしながら、飲み会からの帰り、ポケットに入れていた財布をうっかりと落としたものである。

このときは、親切な人が拾ってくれていて、運転免許証も入れていたものだから、その住所を頼りに、私の家まで届けてくださった。

指摘されるまで、財布を落としていたことには気がついていなかったお粗末さ。

2回目は、公衆電話ボックスの中で、電話をかけたときに、なぜかはわからないが財布を取りだして電話機の上に置いたまま、持ち帰るのを忘れた、という間抜けな話である。

このケースでは、すぐに気がついたものの、確かめに戻ってもそのときには財布はすでに姿を消していた。

あわてて管轄の警察に届けたはしたが、失せものが見つかることはなかった。

運転免許証は入れていなかったので難を逃れたのが、不幸中の幸いである。

このときはショックが大きかった。

まさか、次に電話ボックスに入った人が気づかないはずがない。

自分の不注意への腹立ちや盗られたことの悔しさなどで、しばらくは気持ちが滅入っていたものだ。

さすがに時間が経てば、いつの間にかネガティブな感情も忘れてしまう。

今朝の女子学生にしても、10年もすれば笑い話のネタにしているかもしれない。

”日にち薬”という言葉があるが、言い得て妙である。

よく、日本は治安が良いので落し物をしても届けてくれる、と言われる。

ただ、すでに40年前から、私に限って言えばそれは50%の真実でしかなかった。

無防備に人々の善意を信じるというのは、自分の身の安全を守る上では得策ではない。

電話ボックスの中で財布を失ったことは、私にはいい教訓になったと今では思っている。

 
20 : 10 : 43 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

5月9日(木)

年金生活に慣れてくると、毎日の生活が単調になっていくのは避けられない。

ただ、流されるままに時を過ごすのではなく、少しでも身のまわりに変化をもたらそうと、私なりのささやかな”冒険”を試みている昨今である。

最も手近なものとしては、散歩のコースをほんのわずかばかり変えてみるという手法がある。

表通りばかりではなく、たまには、目立たない路地の道を歩くとか、今まで通ったことのない道を選んでみるとか、そんなレベルのものだ。

方向感覚の鈍い私なので、時には道に迷ってしまって、スマホのGPSを頼りに現在位置を調べることもある(汗)。

それはそれで、心地よい緊張感と刺激を覚えるものだ。

今日は、料理でもちょっとした冒険をしてみた。

私は基本的には調味料を使わないのだが、焼きそばもその例外ではない。

今日は、焼きそばにカレー粉を小さじ1杯ほど、入れてみたのである。

粉のカレーであれば、塩分はほとんど含まれていないので安心だ。

タマネギ、キャベツ、豚肉を切って炒め、そこにそばを入れて、さらにカレー粉を混ぜ合わせるだけで、簡単にできる。

カレー風味焼きそばである。

ほかの人に召し上がっていただけるようなシロモノではない。

私の場合、自分が食べることだけしか考えなくていいから、その点は楽だ。

味がどうのこうのよりも、むしろ自分自身の栄養の確保のほうが料理での関心事である。

これぐらいの冒険は許してもらえるのではないか。


20190509.jpg
見た目はもうひとつだが、食べてみるとやはり物足りない。

20 : 10 : 33 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

5月8日(水)

ひと月前の統一地方選に立候補したものの、奮戦むなしく落選の憂き目を見た友人に、今日、会った。

リアルに会話をしたのは、投票後は初めてであった。

こちらからは声をかけにくいし、失意の底にいる彼にしたって支援お礼の挨拶まわりに忙しくて、プライベートなんてなかっただろう。

実際に会ってみると、いつもの変わらぬ笑顔で話してくれた。

もちろん、本心ではないだろうが。

そういえば、4年前の落選のときも外面的にはいつもと変わらなかった。

地方議員とはいえ、政治を志す人間というのは、これほどの自制心を持っているのだと、私の胸に迫ってくるものがあった。

今後の彼の方向性については、まだ模索中のようだ。

彼の人生だから自分で決めるべきことであって、私ごときがとやかく口出しするつもりは全くない。

ただ、2回の落選を受けて、これを機に政治にかかわることを断念するのが賢明な選択ではないかと、私は心の奥底では考えていた。

問われでもしない限りは、私が言うべき事柄ではない。

まだ彼は60歳を少し過ぎたばかりであり、議員としてはちょうど脂の乗った年代であるから、簡単に自分の夢をあきらめることは難しいのだろう。

40年近い議員活動をやってきた彼にとっては、政治こそ自分の人生だとの感覚を持っているのは間違いないと思う。

しかし、その陰で、家族は多大の苦労を強いられてきたのも、動かせない事実である。

二人の子供のほうはともかく、奥様にしてみれば、彼の議員活動を前提にしての生活を40年間もやってきたのである。

相当に自分を犠牲にしてきたことは、話を聞かずとも容易に想像ができる。

議員の妻だからそれは当たり前だ、と言い放って済む問題ではないだろう。

今こそ、家族との出会い直しには絶好のタイミングではなかろうか。

彼が私に今後の身の振り方を相談するなんて、99%の確率であり得ない話だが、もし問われたら率直に私の思いを伝えたかった。

 
20 : 20 : 54 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

5月7日(火)

楽天銀行に口座を持っている。

わずかばかりの金額ではあるが預金もしており、私にとっては大切なサイトである。

それが、午後3時過ぎにログインしようとしても、エラーが出て入ることができなくなった。

ネットを検索すると、日経新聞の記事で、システム障害が起こった旨、伝えられている。

記事によると、
「10連休明けとなった7日は、同行ではカードローンの引き落としなどが一括処理される予定だった。同行はこれと関連があるかどうかを含めて原因追及を急いでいる。」
とのこと。

おりしも今朝、楽天カードの口座引き落としは正確になされていたので、そういった意味では、大型連休の影響はなかったと安心していたところであった。

一過性の障害であるならばともかく、万が一、第三者による不正アクセス云々がきっかけであれば、これは見過ごすわけには行かない。

ただ、ATMはちゃんと使えるというので、おそらく人為的な悪意によるトラブルではないと推測できる。

とはいえ、いずれにしても念のためにパスワードは変えることにした。

夜の7時過ぎ頃、重いながらもログインはできるようになり、行きつ戻りつしながらなんとかパスワードのj変更までこぎつけた。

その後、ログアウトしようとしたら、またエラー(涙)。

しばらく頭を冷やす時間を置いて、ほんのつい先ほど8時ごろに再度試してみたら、ログインもログアウトも無事に完了。

胸をなでおろした。

午後からの私の時間は、ほとんどがこの火消しに追われていたことになる。

ネットバンクでなくても、いまや多くの金融機関はオンライン処理が一般になってきた以上、どんなリスクが潜んでいることかわからない。

目に見えないだけに厄介だ。

私が高校生であった半世紀前には、まさか将来の自分がこんなことでやきもきするとは、爪の先ほども思っていなかった。

 
20 : 54 : 23 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(10) | page top↑

5月6日(月)

世間の話題を独り占めした感のある”10連休”だが、今日で終わりだ。

マンションの工事は、4月末からずっと中断していたが、今日から再開している。

とはいえ、なんでも管理組合の理事会からの申入れで、今日も騒音につながる工事はやらないことになっているらしい。

近隣の住民にも仕事が休みで在宅しているケースが多いので、できるだけ平安を保たなければならないからだそうである。

だから足場の解体が完全にはできず、私の部屋の上までの階で止まった状態だ。

あと少しで足場が姿を消すという寸前で、大型連休に突入したのである。

失意に沈んでいるのは私だけではない。

工事責任者にしても、本来なら連休前に足場を取っておけば、後の工程が楽になることを言っていた。

たまたま4月の終わりに雨が続き、解体作業ができなかったところ、5月1日からの連休が始まったので、彼にしても心積もりが大きく変わってしまったのだ。

世の中、努力だけでうまく行くというものではない。

なお、10日間の休みが続くと、曜日の感覚がマヒしてくるとの声がよく耳に入ってくる。

無職生活が2年近くになった私は、実は、曜日のコントロールはしっかりできていると思い込んでいた。

ごみ出しやスーパーの特売などが曜日で決まっている関係で、思い違いはしていなかったように自負していた。

しかし、さすがに今回の10連休で世間の多くの人々が休んでしまうと、私の感覚にもズレが生じてきたのである。

今日が何曜日であるかを確かめるためにカレンダーを見ることが、何回となくあった。

散歩のときに通りかかった散髪屋さんの店頭にも、今日が休みあることを知らせる貼り紙があった。

月曜日が祝祭日であっても理髪店が休みであるというのは、定着しているはず。

おそらく、例年、大型連休のときには曜日を勘違いしてしまって、髪を刈ってもらうために訪れる人がいるのだろう。


20190506.jpg
昔は電力不足で月曜日が休電日であったのが
理髪店の定休日として今も残っているとのこと

20 : 10 : 29 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

5月5日(日)

ガソリンの給油をしてきた。

給油のガソリンスタンドはいつもの決まったところである。

引越し前からの決めごとだ。

何と言ってもこのエリアでは格段に安い。

昨今、原油価格そのものが上がり基調にあるが、今日のこの店でのレギュラーガソリンはリットル132.4円であった。

私はそのスタンドの会員でもなく、プリペイドカードも使っていない。

多くても2か月に一度の給油しかしないので、顔見知りというわけでもない。

なのに、破格の値段で入れてくれるからありがたい。

これで会員にでもなっていれば、さらに魅力的な値段になることだろう。

不思議なことに、看板に掲げている価格は140円台の相場の数字になっている。

普通は逆だと思うのだが。

国道沿いに立地しているということもあって、いつ行っても給油待ちの車が何台かは並んでいる。

だから、ここに行くのは土曜日か日曜日の朝の早い時間帯をねらっている。

少しでも順番が早くなるし、給油して帰るとき、国道を走っている車が少ないほうが合流しやすいからである。

もうひとつ、土日の朝に限定している理由がある。

それは、土曜と日曜の給油にはウドンの玉のプレゼントがあるからだ。

先着何人かの早いもの勝ちだから、ウドンがなくなった時点でこのサービスも終了となる。

私は大人になり切れていないせいか、オマケに弱い人間だ(汗)。

今日は「こどもの日」である。


20190505.jpg
栄養成分表示が載っていないので業務用だと思う

 
20 : 11 : 27 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

5月4日(土)

ゴールデンウイークとなると、当地ではヒラドツツジが豪華に咲き誇る。

今日が満開の季節ではないかと思う。

実は戸建ての家に住んでいたときに、義父が庭木として植えたヒラドツツジがあった。

最初の何年かだけは満開となって目を楽しませてくれていたのだが、いつの頃からか花が咲かないようになり、春の大きな楽しみの一つが姿を消してしまった。

3年ほど前に一念発起、当初のような豪華絢爛に花を咲かせたいと思って造園業者さんに相談し、肥料や水はけなどのいろんな手を打ち始めたのである。

もちろん、結果がすぐに次の年に出るわけではないので、できれば私の元気なうちに満開のツツジを愛でることを楽しみに年月が経つのを待っていた。

しかし、その途上での引越しである。

夢が実現するのを、自分の目で見ることができなかった。

その無念の思いがあるだけに、町を歩いていてヒラドツツジを見るたびに他人のものとは思えないいとおしさがわいてくる。

何日か前から気に留めていたのだが、やはり近所でやや大ぶりなヒラドツツジが咲いている。

おそらく、今日が満開のピークではないか。

5月の日光をふんだんに浴びて、この世の春を謳歌しているようである。

ちなみに、ヒラドツツジのルーツである長崎県平戸市に行くと、高さ3mのものの珍しくないと、平戸市の出身者から聞いたことがある。

彼が大阪に出てきてヒラドツツジを見たとき、たぶんその小ささにカルチャーショックを覚えたのではないか。

しかし、このツツジだと、本家本元の彼も納得するサイズだと思う。

春はソメイヨシノに始まり、八重桜を経て、ツツジが咲き競う。

このヒラドツツジの季節もあっと言う間にサツキにとってかわり、アジサイを経て、そして灼熱の夏がやってくる。

日本という国は四季どころか、十季も二十季もあるのではないか。


20190504.jpg
ツツジの漢字は”躑躅”であり、難読漢字のクイズでよく出てくる。

 
20 : 10 : 37 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

5月3日(金)

孫娘二人のバレエの発表会があった。

世間で言うところの大型連休で、唯一、私に事前に入っていた予定である。

ずっと前からこの日の天候を心配していたが、文句なしの快晴とは言いがたいが、雨の心配は全くなく、安心して出かけることができた。

発表会では、写真や動画の撮影は禁止になっていた。

小さい子供が演技をするのだから、その妨げになってはいけないので、言うならばこれは当然の措置である。

残念ではあるが、自分の孫だけは別・・・なんてことはできないから従ったのは言うまでもない。

私が気になったのは、これは事前に注意はなかったのだが、子供たちの演技がまだ終わっていないのに拍手を送る人が少なくないこと。

踊りが完全に終わって、子供がお辞儀をしてから拍手をするのがあるべき姿だと思う。

大人でも、あらたまった場でのスピーチをしていてまとめの言葉に入ったときに、一部の聴衆が拍手をすることがある。

すると、それにつられてほかの人も手を叩くので、話し手としては、尻切れトンボの思いを余儀なくされることがある。

「早く終われ」の気持ちが出てしまうのだろうが、失礼というよりもお行儀が良くないと思う。

カラオケの場でも、まだ最後まで歌い終わっていないのに拍手をする人がいる。

おそらく、自分も早く歌いたいのにとの思いがそうさせるのだろう。

ずっと昔、スナックのママさんが教えてくれたコツがある。

歌い終わって、画面に出ている歌詞の字幕スーパーが消えたタイミングで拍手をすると、歌っていた人にしてみれば、自分の歌をちゃんと聞いてくれたと満足するらしい。

それ以来、そのテクニックを使っているのはもちろんである。

もっとも、私はカラオケそのものがあまり好きでないので、仕事を辞めてからは全く行っていないが。

子供に対しても、大人が感じるものと基本は同じではないか。

「大人たちはみんなを暖かい目で見ているよ」とのメッセージを送るためにも、拍手のフライングは控えたいものだ。

あれこれ言いながらも、可愛いバレエを楽しませてもらった。

終わってからは、婿のご両親も交えての食事をし、ビッグイベントである発表会は幕をおろした。

満足の行く大型連休であった。


20190503.jpg
小学1年と幼稚園年中の二人の子が6人の大人を連れてきた

21 : 55 : 46 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

5月2日(木)

ときどき阪急電鉄の千里山駅の踏切を通ることがある。

その踏切は「文化踏切道」と名付けられている。

初めて知ったときから、何をもって「文化」なのだろうかとの素朴な疑問を感じていた。

どこにでもある極めて一般的な踏切であり、電車が通るときは遮断機が降りるし、警報も断続的に鳴る。

あえて「文化」を名乗る理由があるのだろうか。

そんな疑問を解明したいとの気持ちが強くなってきたのは、今の社会現象がきっかけである。

昨今、改元に伴って元号にまばゆいばかりの光が当たるようになってきた。

若い人も、私が思っていた以上に元号に関心と親しみを持っていることが、明確に伝わってくる。

元号は、そして皇室は、日本の文化そのものだとの確信を持ったのである。

それで文化というものに興味を覚え始めてきて、頭の片隅にあった「文化踏切」の意味を調べようという気になったのである。

ネットという便利なツールがあれば、検索して幾つかのサイトをチェックするだけであらましのことはわかるものだ。

最初は、”文化包丁”や”文化住宅”などのように、先進的な技術が組み込まれた踏切なのかとも憶測してみたのだが、実際には全くの的外れであった。

その踏切が設置されている街に古くからあった商店に「文化堂」という屋号のところがあって、そこからネーミングされたということがわかった。

つまり、「文化」は固有名詞であったのだ。

店名が地名となって採用されたのだから、当時は相当な存在感を持っていたに違いない。

今はもう閉店したらしいが、その店主のお孫さんが地元で市会議員をしていることも、ご自身のブログで知ることができた。

ネーミングの由来を知ったおかげで、私の取るに足らない好奇心を満足させることにもつながった。

世の中、胸がワクワクすることであふれている。


20190502.jpg
今は、歩行者と自転車しか渡ることができない。

20 : 20 : 08 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
| ホーム | 次ページ

プロフィール

声なき声

Author:声なき声

昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、北摂のマンションに在住。   

月別アーカイブ

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する