夕方、思いもかけない人から電話がかかってきた。
会社勤めをしていた頃、消防に協力する会を地域の多数の会社で作っていて、その会長をしている人からである。
当時、私も役員の末席に名を連ねていたので、私自身が会社退職に伴って会の役員を退任することになり、実に多大のご迷惑をおかけした人でもある。
用件は何なのかと戸惑っていたが、要は、「一緒に食事をしませんか」ということであった。
退任して1年以上経っているし、その団体の役員会では送別会もやっていただき、はたまた、勤続表彰まで頂戴している。
私が
「過分なお心遣いをいたきましたから・・・」
とやんわり辞退のそぶりを見せると、
「いえいえ、ぼく個人として懇親を深めたいと思いまして・・・」
と彼の返事。
このかたは、私より一つだけ年齢は下で、現役で会社経営をされている。
実は、私には苦手な人である(汗)。
関西弁で言うところの”ええかっこしぃ”の部分があって、まわりの人が感嘆するであろうことをやりたがる。
生々しい事例を書くのは差し控えるが、人があっと驚く場面を演出することに情熱を燃やしていた。
ただ、それだけに親分肌なところがあって、面倒見はすこぶる良かった。
また、ピュアな感性の人であり、腹黒さを感じたことは一度もない。
とはいえ、酒を飲むと自慢話をしたがるのでまわりは疲れる。
お誘いを断る理由もないので行かなければならないが、内心は憂うつだ。
まさか、「保証人になってくれ」「儲かる投資話がある」なんて話題ではないはず。
万が一、そんな話に及んだら、1万円札をテーブルの上に置いて、一礼してから辞去するつもりである。
それにしても、意図がわからない食事のお誘いというのは気味が悪い。
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私が日参しているスーパーは、今日は全品5%引きのサービスデーであった。
できるだけたくさん買い込んでおきたいところだが、とはいうものの、生鮮食料品などは日もちがしないからまとめ買いはできない。
まして、私のように自分一人だけの買い物となると、さほど5%の値引き効果というのは大きくないのだ。
そんなこともあって、食料品売り場に行く前に、いつもは立ち寄らないキッチン用品のフロアを覗いてみた。
もしかしたら、何か掘り出し物が出ているかもしれないと思って。
すると目にとまったのが、エスカレーター前の特設コーナーのフライパンの山である。
なんと、一つ500円だという。
フッ素加工というから、そこそこ高機能なのだと思う。
何らかの事情があって、処分品になってしまったのだろう。
当方の事情で。先月、テフロン加工のフライパンにこびりつきができて、そのままでは使えなくなってしまっていた。(ここ)
てかとさんからのご助言で
「フライパンにアルミホイールを敷いて焼く」
と教わり、おかげで炒めものを作ることもできていた。
一応はちゃんと料理らしき形になったから喜んでいた。
また、これだとフライパンの後始末がほとんど要らないので、その面でも非常に楽である。
ただ、いつまでも変則的なやり方は通用しないと思い、今回、新しいものを買うことにした。
今後は、強火では焼かない、使った後の洗いをきちんとする、などの注意事項をしっかり守って、大事に使っていくことを夕日に誓った。
なお、500円で買ったという意識は持たないようにするつもりだ。
どうせ安ものだから、との思いがあると、使い方も雑になってくる。
新品の調理道具を大切に使っていきたい。 
所用があって郵便局に行ってきた。
まずは郵便局の場所がどこにあるのかをネットで探してから、家を出たのである。
線路沿いにひっそりと建っていて、そう言えば、以前に電車の窓から見かけたことがあった。
郵便局へ行った用件は、契約している保険会社からの還付金を「払出通知書」でもって現金で受け取るためである。
金額は500円ちょっと・・・。
保険料は口座振替をしているのだから、そこへ戻してくれれば手間が省けるのだが、なぜか以前からこういうやり方だ。
会社勤めをしているときは、すぐ近くに郵便局があったので、昼休みとか外出ついでに立ち寄って処理することができた。
しかし、現在の生活環境では郵便局に出かけるのは大きな手間である。
もともと、がん保険の特約項目で
「いったん契約の形だけをとって、すぐに解約してください。
その分の費用はお返しします。」
と代理店に言われて、やむを得ず契約したいきさつがあった。
たぶん、ノルマがかかっていたのか、キャンペーンをやっていたのだろうと思う。
約500円はそのお金である。
そういった事情があるのだから、こちらの都合を考慮して返金方法を決めてほしかった、というのが偽らざる気持ちだ。
金額が金額だから何も言わず、今日は散歩を兼ねて郵便局まで行ったが。
いまどき、現金を窓口で手渡しするなんて、あまりに時代遅れではないか。
電子マネーが普及してきて、いずれ1円玉は姿を消すのではないかと言われているのに。
一口に”100均”と言っても、店によって内容は大きく違う。
マンションの近くの100均と、戸建に住んでいたときに近くにあった”ダイソー”とでは、取り扱い商品の品質にも差がある。
私は、歯のケアのために、毎食後デンタルフロスを使っている。
歯と歯の間の歯垢や食べ物の残りを取り除くためである。
消耗品なので、できるだけ単価の安いもののほうがいいと考え、ダイソーで見つけたものを10年近く、ひたすら使っていた。
引っ越しで今のマンションに来てからは、近くの別の100均で探して買ってきたのだが、これが何とも使いにくい。
糸が弱いのか、すぐに切れてしまう。
あまりに何回も糸が切れるので。私も切れそうになった(うそ)。
これは不便だと、わざわざ以前によく行っていたダイソーに出かけて、まとめ買いをしてきた。
やっぱり使用感が全く違う。
丈夫だし、気持ちよく使えるのがうれしい。
しかも、ダイソーが70本入りなのに、くだんの店のは50本しか入っていない。
わずかの金額ではあるが、ダイソーのほうが上質で安価ということになる。
100均業界の中でも、明確に格差が生じているように感じた。
さすがにデフレ時代の勝ち組だけあって、ダイソーは強烈な存在感を見せている。
いま住んでいるマンションから徒歩10分以内で行けるコンビニに、イートインの設けられているところがない。
すべて”調査”したが、どこにもなかった。
散歩の途中でちょっと立ち寄ってコーヒーを飲むには、うってつけの場所なのだが。
ところが、今日、いつも行っているスーパーの片隅に4人だけの椅子が用意されたイートインがあるのを発見した。
ほぼ毎日のように通っているスーパーだが、奥の酒売り場とパン工場の間にひっそりとたたずんでいたので、死角になっていたのかもしれない。
いや、ありていに言えば、私の認知機能が退化していて気づかなかった、というのが真相だろう(汗)。
コンビニと全く同じシステムで、カウンターでカップを100円で買って、所定のサーバーでドリップする形である。
コーヒーの種類は”キリマンジャロブレンド”であった。
コーヒーの味の違いがわからない私にとっては、要は、座ってドリップコーヒーが飲めるというのがうれしい。
ただ贅沢を言わせてもらえば、すぐ目の前は大きな柱があって、違う方向を見ても買い物客しか目に入ってこない、という点が不満だ。
以前に住んでいた家の散歩先には、駅のすぐ前のコンビニがあってそこのイートインがいたく気に入っていた。
目の前がガラス張りで、駅の改札に向かって歩く人の姿がよく見えたのである。
人間観察をする上でも、イマジネーションの広がりがあって妄想しやすかった。
今日のお店だと、買い物客だけが対象なので想像の自由度が低い。
とはいえ、思いも寄らぬ近い場所でイートインに巡り会えたのは大きな喜びだ。
幸せの青い鳥はすぐ身近なところにいたのだ。 
一杯のコーヒーでも存分に幸福感を味わえる
地域の小学生野球大会の開会式があり、そのお手伝いに行ってきた。
手伝いといっても、とにかくたくさんの人間に動員がかかっているので、ほとんどが待ち時間であった。
なんでも「若い人に手順を覚えてもらいたい」ということで、私が出しゃばるのにもストップがかかるぐらい。
まるでおしゃべりのために行ったようなものだ。
のほほんとしていたら集合がかかって、それなりの立場にある人からの訓示があった。
いわく、
「昨今は小学生の野球部でも勝ちにこだわるチームが増えてきて、”美しくない”プレーが増えてきました。
その節は、審判員の立場にある人は厳正に対処してください。」
と。
たとえば、この夏の高校野球でも目立ったが、ピッチャーの投球が体にバッターに当たりそうになってもよけない行為が、小学生野球でも目立ってきたらしい。
高校野球ならボールが硬球だし球速もかなりあるから当たったら痛いが、小学生の野球は軟式ボールで球もゆっくりだ。
ほんのちょっとの我慢で1塁がもらえるのだから、考えようによってはありがたい。
中には、わざと当たりに行く子もいるらしい。
アマチュアスポーツらしからぬ行為があったら、注意をしなさいということである。
もちろん、野球規則では、投球をよけなくて体に当たった場合は、一旦プレーをとめて「ボール」を宣告すると定められている。
いわば「規則どおりにやりましょう」というだけのことだ。
私の憶測であるが、問題行為をする選手のチームには。そういった裏技を教えている指導者がいるのだと思う。
そもそも、野球というスポーツは正々堂々の武士道のスポーツではなく、盗塁やバスターバントなど、相手に悟られないようにこっそりと動くことの多い競技である。
クリーンさを極端に求めるつもりはないが、それだけに規則で決められていることは守るのは当然のこと。
しかも、小学生がするスポーツなのだから、指導者が子供に禁じ手を教えるのはご法度だと思う。
お酒も飲めない、選挙権も持っていない小学生に「当たりに行け!」なんて世も末だ。
部屋の照明ペンダントをちょっとばかり変えてみた。
以前に住まわれていた人が置いていったものであり、北欧家具店のネームが入っている。
結構な高価であったと思う。
芸術的なイメージがあって、最初に見たときはその華やかさに心惹かれたものだ。
しかし、毎晩、その灯りの下で食事をしたりパソコンをたたいていると、どうも違和感に包まれる。
オレンジ色が極度にまばゆいのである。
場違いというものであろうか。
そこで、前の家から持ってきた和風ペンダントと入れ替えたのである。
ほんの2か月前までの灯りの感覚を思い出した。
確実に、私にはこちらのほうが合っている。
北欧のライトはオレンジ色の光で部屋を照らしていたが、落ち着きを保つためには白色が私の好みだ。
風水の世界では「黄色」が金運を上げると聞いたことがあって、そういった意味では「オレンジ」のほうがいいかもしれないとの迷いもあった。
ただ、風水は風水として、いまは気分転換を優先させたい。
そういえば、妻が何年か前に中国に行ったとき、黄色の財布を自分使いで買ってきて、よく使っていたが・・・・・・・。
タイ王国と言えば、大の親日国として知られています。
そんなタイがますます発展することは、日本人にとっても喜ばしい限りです。
経済の面でのサポートができれば、最も望ましいことではないかと私は考えています。
そんな私ですが、いま、
オルグロー株式会社が
株式会社エスエイウェアハウスと東南アジアでのコールセンター・BPO・フルフィルメントの業務提携契約を締結したとの報に接し、心からの快哉を叫んでおります。
その結果、100%外国資本によるタイ法人の設立が可能になって、日本人の就労許可の取得が優遇されることとなったのです。
今後、日本人あるいはタイ人によるコールセンター業務やBPO業務、タイ王国での日本商品を輸出販売したいセラーに向けての支援業務がますます活発化することは間違いありません。
さらにタイ王国と日本との友好関係が密なものとなることを祈っております。

マンションの水槽の掃除をするというので、少しの時間、断水をしていた。
もちろん、ひと月ほど前から各部屋に連絡があって、マンション玄関に掲示もされていた。
午後1時から3時までということで、要は、その間は蛇口をひねっても水が出てこないのである。
2時間だけのことだから、なんら影響はないのだが、一つだけ気になるのが
「断水完了後に給水したとき、汚れた水が出ることがあります」
というい一文であった。
「給水再開後は、風呂場か洗面所でよく水を流してください」
と続いている。
おそらく汚れた水なんて量はわずかだろうし、さほど有害なものは含まれていないとは思う。
知らなければ素通りするだけだが、読んでしまうと気になってくる。
そこで、断水が終わったときに、いつもは土曜日にしている風呂とトイレの掃除を先に済ませた。
少しでも、水道水を消費したかったからだ。
もちろん、飲み水は、断水前にポットの中に貯めこんでおいてある。
だから、給水開始後の水道水は、料理にも使っていないし飲んでもいない。
たぶん、明日の午前までは、備蓄のポットの湯で対処することになると思う。
神経質になり過ぎかもしれないが、慣れていない場所で生水を飲むのには抵抗を感じてならない。
だからマンションに来てからは、必ずポットで沸騰させたものを冷まして飲んでいる。
マンションの蛇口からの水道水をそのまま飲めるようになったら、新生活にすっかり慣れた、ということだと思っている。
台風20号が西日本に向かって近づきつつある。
それと関係しているのかどうかわからないが、無線のネットのつながりが著しく悪い。
とにかく重いし、途中で止まってしまうこともあった。
その都度、ルーターの位置を変えたり、ときにはケーブルを抜いて再起動をかけたりしているが、根本的な解決にはならない。
以前も同じようなことがあった。
日記を繰ってみると、7月の台風12号のときであった。
台風のときは無線がつながりにくいのだろうか。
まさか、風が強過ぎて大気中を飛んでいる電波を弱めているなんて考えられないが。
次にも同様の現象があれば、サポートに問い合わせてみるつもりだ。
ところで、近畿への上陸は今晩から明日の未明になるとの予報である。
風速も雨量もかなりのレベルであると懸念されている。
しかも夜のことだから対処が難しい。
私の居住地は高台にあるし、水害も土砂崩れも無縁と見られている。
注意すべきは”暴風”に対してであるが、こえはマンションを信頼するしかない。
だから、とりたててやるべきことはない。
ただ、これは普段から感じていることであるが、入り口の扉の隙間が強風で音を立てるのが気になるのである。
そこで、養生テープを何カ所か貼ってみた。
すると、扉の音はたちまちしなくなった。
何でも試してみるものだと思った。
もっとも、台風が最接近したときにどうなるかはわからないが。
ファミレス飲みをしてきた。
暑さが戻ってきたこともあって、エアコンの効いたスペースでジョッキを傾けたいと思ったからである。
といっても、中生1杯だけにした。
喉を潤すぐらいでとどめておいて、接近しつつある台風に備えたいからだ。
気象予報では明日の晩に当地に近づく可能性が高いと報じているが、すでに風は強くなってきた。
そんな危機を目前にして飲みに行くのは、あるいは危機管理意識が低いと言われるかもしれない。
ただ、目下のところ、台風の危険な現象はあらわれていないから、そういった意味では今の間なら安全とも言える。
飲みながら思い出していたが、会社勤めをしていた頃に、危機管理に関する研修を受けたことがあった。
7,8人のグループに分かれての討議で、一つのテーマの元に意見を出し合うというものである。
「乗っていた船が難破して、見知らぬ島に自分一人が打ち上げられた。
手元にあるのは、精神安定剤、ナイフ、辞書、ライター・・・・等である。
この中の一つを使って、まず最初にどういう行動をするか?」
という問いかけがあった。
私は”精神安定剤”を選んだ。
自分がどこにいるのかもわからない状況で、メンタル面が不安定につき、まずは気持ちを落ち着かせることが最優先だと考えたからである。
私のグループで”精神安定剤”を選択したのは、私一人であった。
その中で議論を重ねていくうちに私の考えに同調する人も出てきたが。おおむね否定された。
だから、グループ討議の結果をメンバーが発表するときも、”精神安定剤”は少数派ということで含まれていなかった。
そして、講師が最後にまとめをしたときに
「正解というのはありません。
ただし、精神安定剤を飲むというのは誤りです。」
と明確にお話をされたのである。
もちろん、私が主張していたということはご存じない。
赤面の思いを、ひとりでかみしめていた。
ただ、その研修では具体的にこうすべき、という結論めいたものはほとんどなかった。
だから、研修全体を通じて不完全燃焼の思いが残っていた。
あれは東北の地震の前であったから、約10年も過去の出来事である。
ちなみに、難破船のテーマに関しては、今でも私には間違っていたとは思えない。
厳しい環境に身を置くときこそリラクゼーションが必要である、というのは私の変わらぬ思いだ。 
ホウレンソウ炒めを食べてポパイのパワーを得た・・・
高校野球が終わった。
5回を過ぎた時点で大阪桐蔭のワンサイドとなり、緊迫感の点では少々物足りない部分があったのは残念ながら事実である。
優勝戦らしからぬ得点差であり、金足農業の先発投手の顔を見るのが気の毒になったほどだ。
それにしても、大阪桐蔭の選手にとっては、内心、やりにくかったのではないか。
”判官びいき”という表現が適切かどうかはわからないが、試合前から、金足農業への世間のシンパシーが異様に高かった。
公立高校、農業高校、地元出身者のみのチームなどという要素が共感を呼んだのかもしれない。
試合途中、敗色濃厚となった時点で、一般観客席からも金足農業への声援や手拍子が送られるなど、アマチュアスポーツのあり方としては首を傾げる場面もあった。
また、さんざん言われたことであるが、金足農業のエース投手の連投というのは問題視されてしかるべきだと思う。
地方大会から一人で投げ抜いてきたのだから、彼に想像を絶する負担がかかっていたのは当然だ。
大げさな物言いかもしれないが、今年のような極端な暑い夏に、あのような連投は児童虐待に近いのではないか。
漏れ聞いた話では、
「ピッチャーの投球数制限を規則に入れると、頭数が足らなくなるチームがある」
との根拠でもって、つまり、公平性の原則で投球数制限は採用していない、とか。
しかし、全国大会に出てくるレベルのチームではそういったことはあり得ないのだから、”甲子園ルール”があっても問題はないと思う。
今年は”命の危険”が叫ばれる暑さであり、それだけに高校生のクラブ活動は適正なものであるべきだ。
観光列車というのは夢があっていいものです。
のんびりと車窓からの光景を眺めているだけで、心がリフレッシュいたします。
気持ちにゆとりが出てくるのではないでしょうか。
熊本県の鉄道会社、くま川鉄道株式会社は観光列車『田園シンフォニー』運航しています。
その公式テーマソングが2018年9月14日から配信されています。
カサンドラが歌っております。
人吉・球磨を走っている『田園シンフォニー」の魅力が凝縮された歌となっていて、心を打つものがあります。
美しくのどかな田園風景を歌い上げた素晴らしい曲だと思います。


マンションのすぐ目の前の道路で工事が始まった。
前もって告知を受けていたが、実際に工事がスタートすると何かと不便を感じる。
スーパーへの道も対象となっているので、ほんの少しだが迂回しなければならない。
工事車両が近くに車を停めるので、通行の便が悪くなる。
何より、音が大きいのがかなわない。
マンションから離れた場所での道路工事の場面を見ても、「暑い中で大変なご苦労だ」の気持ちが湧いてくるが、すぐ近くで道路の表面を削る音が始終するとなると、落ち着けなくなる。
窓を開けているので、音はストレートに入ってくるから防ぎようがない。
幸い、音は午前中だけで収まったからよかったようなものの、これが一日中続くのであれば、どこかに避難する必要があるかもしれない。
しかも、今回の工事の趣旨というか目的がよくわからないのだ。
”傷んだ道路をなおす工事”と銘打たれているが、私が歩いている感覚では工事をするほどの傷みには気づかないが。
まさか、ビジネス街のように凹み一つなく舗装された美麗な道路を作るつもりなのだろうか?
それは過剰品質というものだ。
ともかく、素人にはわからない事情があるのだろう。
少なくとも、災害に備えての公共工事という性質のものではないようだ。
”道路工事”で良いのではないか
毎年のことだが、お盆を過ぎると夏が去っていく気配を感じる。
日の出が遅くなり、日の入りが早くなるのを体感できるのは、この時期の特徴である。
夕方、スーパーに買い物に行ったら、店の前でテントを張り、”ウチワのお絵かき大会”をやっていた。
無地のウチワに、見本を見ながら、あるいは自分の好きなように絵を描いていって、イラスト入りウチワを完成させるというものである。
もちろん、オリジナル作品になる。
小学生の低学年の子供たちが一心不乱に取り組んでいた。
もしかしたら学校の宿題の自由研究のかわりにするつもりなのだろうか?
私が小学校の頃には自由研究なるものはなかった。
かわりに、”工作”があって、不器用で貧困な発想力しかない私は、結構、苦労したことを覚えている。
しかし、中には得意な子がいて、いまだに鮮明に記憶に焼きついているが、世界地図を畳一畳ぐらいの板の上に書いて、粘土で山の高さまであらわしていたのである。
もちろん、国境もしっかりと線が引かれている。
緯度と経度の線をもとに、地図を見ながらコツコツと作り上げていったらしい。
小学校の5年か6年のときのことであったと思う。
そのとき、彼の見事な仕上がりに感嘆したのと同時に、
「自分にはこういった才能がないから、どれだけ努力してもこんな作品は作ることができない」
と子供心に痛切に感じたものだ。
早々にあきらめてしまう姿勢は、人生への接し方として間違っていたのかもしれない。
昨今、スポーツ競技を見ていると、勝った選手がインタビューに答えて
「あきらめないで最後まで自分を信じてがんばりました」
と語っているシーンによく出食わす。
ただ、私が小学校のときに”工作”にどれだけ熱意を込めていたとしても、彼のように大向こうをうならせる作品はできなかったと確信している。
人間には限界があるというのが事実だと思う。
だから、あのときに「自分には無理だ」と判断したのは、ムダなことをばっさりと切り捨てた、という意味ではよかったのかもしれない。
競走馬が注目を浴びるようになりました。
美しいボディで競馬場を疾駆する美しい姿に共感が寄せられているからです。
競馬場には馬券を買うのではなく、競走馬の姿を見るために足を運んでくる人も少なくありません。
若い女性の中にも馬が大好きな人が増えてきています。
いまや競馬は一種の社会現象となったと言えるかもしれません。
馬の学校 東関東馬事専門学院が、平成31年4月生の最終募集の受付を始めたそうです。
在学中にJRA(日本中央競馬会)の厩務員を目指すことができるのですから、これは大きなチャンスです。
なんでも、目標として5年間で30名の厩務員の誕生を目指しているとのことです。
馬が好きな若者にとっては、
JRA厩務員試験予備教育を受けることで憧れの職業に就ける絶好のチャンスとなります。
積極的な応募が期待されるところです。


高校野球は準々決勝を終えて、あと4チームにまで絞られた。
ここまで来ると、いずれの試合も”好カード”ばかりである。
チーム名を見るだけで話題の選手の名前が頭に浮かび、食指が動く。
なお、私は自主規制をしていてテレビ観戦は、ここぞと決めた試合だけを選んで見るようにしている。
とはいうものの、ニュースを見るつもりでテレビをつけたら、たまたまプレー中で、そんなときに限ってツーアウト満塁のいい場面なのだ。
これを見ないわけにはいかない。
不思議な話だが、なぜか私の場合はそんな事例が多い。
そんなスリリングな場面を見てしまったら、その後の試合展開が気になってくる。
だから、ゲームセットまで見続けてしまうことになる。
地元代表チームを応援する気持ちはもちろんあるが、それ以上に、テンポの良い試合展開を見るのは手に汗握る緊張感を覚える。
この試合に負ければ終わりという崖っぷちの戦いだから、「次の試合につながる」という含みはない。
そんな切迫感が魅力なのだ。
昔は強豪校という言い回しがあったが、昨今の様子を見ていると、どのチームも地方大会を勝ち抜いたのだから強豪チームである。
あえてランキングをして、強豪校といういい表現をするのは実情には合わないと思う。
イギリスの経済雑誌が、「世界で最も住みやすい都市ランキング2018」を発表した。
大阪市が世界第三位になっていた。
ちゃんとした会社が調査したランキングなのだろうが、詳しい人の話によると、治安の良さの項目が重視されているらしい。
なるほど、前回トップのメルボルンが2位に落ちたのは、昨年のテロ事件が響いているのか。
ただ、実際に住んでいる住民の気持ちからすれば、犯罪が少ないということは大前提であって、それ以上に、緑が多いとか、交通アクセスがいいとか、物価が安いなどの項目のほうが優先されるのではないか。
この手のランキングは眉唾ものが多いと私は思う。
久しぶりに涼しい一日であった。
せっかくだからと、いつもの散歩コースを少しばかり変えてみた。
本当ならまっすぐに歩いている道を、辻のところで曲がってみるというレベルのものだが、ちょっとした冒険である。
暑いときにこれをやった場合、もし道に迷ってしまったら炎天下で長時間にわたってさまようことになる。
熱中症がこわい。
だから、今日のようなタイミングでないと冒険はできない。
折り返し点からの帰り道で、順路をはずれて手前の道を曲がってみた。
方角的には、直進すればマンションに着くはず。
迷子になっても、スマホのGPSで何とかなると思い、細い道を前進した。
閑静な住宅街ではあって、商店もレストランもカフェもない。
人通りすらほとんどない。
好奇心がわいてくるのを感じつつ進むと、見慣れた車道が目に飛び込んできた。
間違いない。
そこからは、ちょっとは遠回りになるがマンションまですぐである。
知らないことを知ったというのは、結構、達成感のあるものだ。
散歩コースのマイナーチェンジは脳を刺激することになり、認知症予防にもプラスになると聞いたことがある。
満足度の高い散歩であり、冒険であったと思う。
しかし、いま逃亡中のお騒がせ人間にとっては、逃げ切りたい気持ちしかなく、初めての道を通っても心のときめきなんて全くないだろう。
いずれはつかまるのだから、少しでも罪が軽いうちに出頭するほうが本人のためなのだが。
静けさに包まれた住宅街であった
マンションに住み始めた当初から、不思議に思っていたことがあった。
ほんのときおりだが、物を動かしたり、引っ張ったりする音が聞こえてくるのである。
運送便のドライバーが、配達の品を持ってきたにしては、その時間が長過ぎる。
資源ごみの収集日でもない。
時間帯で言えば、夜が多い。
それが、今日は夕方にその音が聞こえてきたのである。
チャンスとばかり窓から覗き込んだところ、原因がわかった。
私の部屋の近くにトランクルームがあって、それを契約している人が荷物の出し入れをしている音なのである。
わりと、晩にこの作業をする人が多かったのだが、たまたま今日は、外が明るいうちにトランクルームの作業をする人がいたので、原因究明に至った次第である。
音というのは生活の中では重要な位置にあって、マンション生活の場合、ともすればトラブルの種となったりするものだ。
私が気をつけているのは、朝の5時過ぎからつけてるテレビのボリュームのことである。
もしほかの部屋の人にとって大音量であれば、迷惑をかけていることになる。
夏のことで窓は開けているので、音が伝わりやすいこともあり、このことには神経質になっている。
そんな私の心配にお構いなく、テレビのCMは通常以上にボリュームを上げているようだ。
しかも、早朝の時間帯は回数も多いと来ている。
その都度、音量を下げなければならない。
下げたままだと、肝心のニュースが聞こえない。
だから、また音量を上げる。
朝はこれの繰り返しだ。
実にムダなことをしていると自分でも思う(汗)。
終戦の日であった。
私も中学生頃までは、両親から戦争体験をよく耳にしていた。
父も母も原体験としての戦争を知っており、子供ながらに説得力を感じたものである。
母からの話は、決まって空襲のことであった。
当時、母の一家は大阪市内に住んでおり、米軍の攻撃目標とされていた。
夜中に大きな空襲警報が鳴り、焼夷弾が投下される中、泣きわめきながら防空壕まで駆け込んだという。
空襲が何回も繰り返されるうち、「いつ死ぬかしか考えないようになった」との述懐は私の記憶にこびりついている。
想像を絶した恐怖であり、何十年経ってもその恐ろしさは忘れられないと語っていた。
高校野球の試合開始のサイレンが鳴ると、母は耳をふさいでしばらくは席を離れていた光景を思い出す。
殺されるかもしれない危機に直面した母と違って、父の戦争体験はのどかな雰囲気をたたえている。
昭和18年の秋に志願兵として入隊し、広島で訓練を受けていたが、実際に戦闘行為の場面に出たことは全くない。
軍隊には人を殴るのが趣味のようなサディストもいたが、粗食とはいえ1日3食が与えられ、夜は寝る場も提供されていた。
貧乏農家の七男坊にとっては、半ば天国であったかもしれない。
父が軍隊で死を意識したのは8月15日のこと。
日本が無条件降伏をし、軍隊が武装解除されることとなったとき、「全員殺される」との話が伝わってきた。
単に末端兵士の噂だけではなく、軍隊の将校クラスからも正式に通告があって、大事に温存してきたタバコやお酒を宴会で大放出したほどである。
この世の最後の宴席というわけだ。
ちなみに、父がタバコを吸い始めたきっかけがその宴会であるから、これも一種の戦争被害と言えるかもしれない。
もちろん、宴会だからといって死の恐怖が紛れるわけがない。
父が何度も語っていたが、「明日殺されると思ったら、すでに生きている気がしなかった」と。
しかし、武装解除にやってきた米軍は、兵隊に食事やお菓子などを与え家に帰らせたのである。
当時の日本軍の幹部クラスでも、戦時国際法を知らなかったのか、あるいは厳密に実行されているとは考えていなかったのだろう。
ちなみに、父が米軍からもらったお菓子の中にチョコレートがあって、これは珍しそうだからと土産がわりに家に持ち帰って、皆で分けて食べたらしい。
すると、家族全員、次の日の朝まで目が冴えて眠ることができなかったという。
当時はチョコレートのカフェイン含有量が相当に多かったのだろう。
ところで、昭和20年8月15日に日本が降伏した事実が国民に公表されたところから、”終戦の日”と言い慣わされている。
アメリカでは、日本が降伏文書に調印した9月2日を”対日勝戦記念日”にしている。
8月15日以降も、解体されたはずの日本軍は、当時のソ連軍と樺太で戦っていたのだから、必ずしも戦闘行為が終ったという意味合いではない。
国際法の上では、昭和27年4月28日のサンフランシスコ平和条約で多くの国との戦争状態が終ったことになるらしい。
考え方はさまざまだが、中華人民共和国は9月3日を”抗日戦争記念日”と定めているのは明らかな間違いだ。
1945年の時点では、中華人民共和国という国はできていなかったのだから・・・。
物忘れがひどくなってきた私であるが、ごみ出しの日はきっちりと覚えている。
マンションに越してきて収集日が変わっても、忘れたためしはない。
私にとってごみ出しは趣味であり、人生の意義実現であり、ストレス解消であり、とにかく特別な意味合いを持ったイベントなのである。
ごみは朝の8時までに出すことになっているので、私は7時前後に所定の場所までごみ袋を持っていくようにしている。
同じことを考えている人は多いせいか、たくさんの人と出会う。
そのつど、すれ違う人とは挨拶を交わしている。
ほとんどすべての人が挨拶を返してくれるが、必ずしも全員というわけではない。
今朝も、ごみ出しを終えて玄関に入ろうとしたら、自転車を押しながら逆に出ていこうとしている人に会った。
高校生か大学生ぐらいの男の子である。
自転車があるとドアを開けにくいだろうと思って、私が開けて押さえておいた。
彼が通り抜けるときに、「あはようございます」と言ったのだが、全く反応はない。
器の小さい私のこと、礼の一つぐらい言ってほしいと心の中では不満に思った。
あるいは留置場から逃げ出した犯人かもしれないと思って、彼の顔をまじまじと見たら、耳にイヤホンを入れていたのである。
なるほど、もしかしたら椎名林檎さんの音楽に聞き入っていて、心ここにあらずの状態であったのかもしれない。
私からの挨拶の言葉は聞こえなかったはずだ。
理由がわかって、なんとなく安心した。
犬を可愛がっている人からすれば、家族も同然です。そんな人が引越しをするとき、高いハードルとなるのが賃貸マンションに多い「ペット禁止」の条件なのです。犬が大好きで手放すことができなければ、その物件は居住対象からは外さなければなりません。物件そのものが気に入っていても、犬と一緒に住めないのであれば断念するより選択肢がないのです。これは、賃貸物件のオーナーとしても悩みどころであって、ほかの居住者の中には動物を嫌がる人がいるところから、やむを得ない判断でしょう。
そんな悩みを見っているオーナーに朗報です。株式会社ワンエステートが展開する愛犬家住宅では、犬も一緒に住める賃貸住宅のサービスを展開しているのです。静岡県浜松市で、愛犬家や賃貸オーナーを対象にした見学会を開いています。入居促進策の一環として、ペット飼育可を入れる物件が増加傾向にありますが、現実には、犬が快適に暮らせる環境ではないというのが現実なのです。
この
愛犬家住宅ではかけがえのない家族の一員である犬の習性をしっかりと理解して、どんな部屋であれば健康的に楽しく過ごせるかを考えた作りになっております。人と犬の共生が見事なまでに実現しています。いま、人々の熱い注目を集めております。

昨晩、大阪府警の富田林署で留置場から被疑者が逃げ出すとのニュースがあった。
お盆の静かな空気を一変させる事件である。
まだ被疑者段階なのできめつけはできないが、筋金入りの凶悪事件で留置されていたという。
著作権法違反や駐車違反でつかまっていたわけではなく、何を仕出かすかわからないリスクがある。
この4月にも、松山で刑務所から脱走した事件があったばかりだ。
あのときは、海を泳いで渡ったという予想外の逃げ道があったが、今回はどうなのだろう。
大阪の場合、人がたくさん集まる場所なら防犯カメラは間違いなくついているし、電車に乗って逃亡しようとしても、顔写真が公開されているので通報される恐れは十分にある。
ネットカフェにこっそり泊まるにしても、顔が知られているからリスクが大きい。
黒のジャージーのままでずっと逃げ続けるのは無理だろう。
松山の事例よりもはるかに逃走の条件は厳しい。
で、私がこの事件について大きな違和感を持ったのは、大阪府警のWEBを見たときのこと。
「事件情報」のページでは
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被留置者逃走事案の発生[富田林警察署]
8月12日、被疑者は、留置中の富田林警察署の施設の一部を、何らかの方法で壊して逃走しました。
被疑者は男1人です。
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と書かれているだけであった。
もちろん、WEB担当者にしてみれば、自分の落ち度でも何でもないし、悪いのは逃げた人間であるのは確かだ。
ただ、あまりに客観性を装い過ぎではないか。
ひとごとのような扱いをしているようにも感じられる。
大阪府警では3,000人態勢で追っているというのだから本気なのは理解できるが、WEBでももっと切迫感を持たせた書き方があって当然だと思うが。
身長163㎝だから私と一緒である
爪を切りながら、”苦髪楽爪”(くがみらくづめ)の言葉を頭に思い浮かべていた。
「苦労の多いときは髪の毛が伸びて、楽をしているときは爪が伸びる」という意味である。
科学的な根拠があるかどうかはわからない。
ただ、自分の身のことだけを考えると、この言葉は正確ではないように思う。
引越ししてからのほうがメンタル面では非常に楽をさせてもらっている。
なのに、爪を切る回数は減っている。
引っ越し前は、週一回の爪切りが基本であったのだが、ひと月以上経っているのに今日で3回目である。
片や、髪の毛のほうは、従来は二カ月に1回の散髪であったのに、どうやらひと月半に1回の回数となりそうである。
つまり、「髪が伸びて爪が伸びていない」のであるが、私自身の気持ちは極楽トンボ状態なのだ。
ストレスが少ないから血圧も異様に下がったのだと思う。
検索していて、”苦髪楽爪”を真逆にした”苦爪楽髪”という言葉もあると知った。
私が該当する。
おそらく、どちらの言葉も正しくて、どちらも間違っているのだろう。
ことわざとはそういうものだ。
絶対的な真理を伝えているものではない。
「三度目の正直」と「二度あることは三度ある」という正反対のフレーズをめぐって、いずれが正しいかの議論をするのはあまり意味がないと思う。
息子の出身高校で、保護者会の役員をやらせてもらっていた。
もちろん、10年以上も前の話である。
しかし、息子が卒業してからもいまだにつながりがあって、会合の案内が頻繁に送られてくる。
私自身は、その集まりとは距離を置くようにしてきた。
階層が違うのである。
医師や弁護士、税理士、経営者などがほとんどで、私が住んでいる世界とは全く異質なのだ。
話が合うはずがない。
もろもろの事情があって、前任者に代わって私が役員を引き受けたのだが、最初の会合で間違いに気がついた。
息子が卒業するまでと思っていたが、卒業してからも、毎年、親睦旅行やゴルフ、懇親会の案内が送られてくる。
失礼ながら、すべてご辞退申し上げている。
今回は、ゴルフコンペの案内状が郵送されてきた。
出欠については
「ご都合はFAXでお願いします」
と書かれている。
戸建ての家に住んでいるときであれば、すぐにFAXで欠席の回答を送っていたのだが、マンションではFAXを置いていない。
はて、どうしたものかと考えた。
電話をかけても、おそらく事務局は夏期休暇中だろうし、メールアドレスはWEBには公開されていない。
やむを得ず、葉書で欠席の旨を書いて送ることにした。
このデジタル時代に、事務連絡を葉書でするというのもアンバランスだが、ほかに手立てがない。
近年、年賀状のとき以外は葉書はほとんど使わなくなった。
今日は久しぶりに役に立ったので葉書としても本望だろう。