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12月4日(金)

私の住んでいる市には、「伊射奈岐神社」(いざなぎじんじゃ)を名乗る神社が2社ある。

やや複雑な話なのだが、片方が女性の神様である伊耶那美命(いざなみのみこと)を祀り、もう一社が男性神の伊耶那岐命(いざなぎのみこと)を祭神として祀っている。

戸建ての家に住んでいた頃は、わが家はそろって女性神のイザナミ様をお祀りしている神社に初詣や七五三などでお世話になっていた。

イザナミ様が祭神なのに、この神社も「伊射奈岐神社」(いざなぎじんじゃ)という名称なのだから、ややこしい。

必ずしも名は体をあらわすというものではないようだ。

むろん、神様には神様のご都合というものがあってのことだろうから、現代に生きている人間がこの神社に行って、「どっちやねん?!」と問いただすのは無礼そのものである(汗)。

それはさておき、私が今住んでいるマンションの地域は、男性神のイザナギ様を祭神とする神社が、氏神様に相当する存在だと思う。

引っ越してきて以来、一度もその氏神様にはお参りをさせてもらっていない。

以前から気になっていたので、今日、初めての参拝をさせていただいた。

それというのも、娘の離婚にまつわることで、女性の神様ばかりに頼っていたのでは男性神のイザナギ様から嫉妬されるのではないか、それを心配したからである。

もちろん、私とて科学の目で見て、神話はフィクションだと承知している。

ただ、人間の運命というのは不思議な力によって左右されることが多いのは確かだ。

もともと、イザナギ様とイザナミ様はお互いに深い愛情を捧げ合い、多くの子をなしたのに、最後には大ゲンカの果てに破局に至ってしまったという物語は、大筋では私の娘の事例にも重なり合う部分がある。

神話の時代には離婚という制度はなかったものの、お二人とも完全に袂を分かったのだから、現代でいうところの「離婚」と中身は変わらない。

イザナギ様にしてもイザナミ様にしても、双方に言い分があると思う。

現実の世界で、私は娘の父親として元娘婿を悪玉の極致として見ていたが、あるいは、彼にしても弁明したい部分があるかもしれない。

目下、彼は会社での長期研修のさなかにあって、関心はほぼすべて研修に向かっているはずだが、来週には研修も終わる。

わが家のハネムーン期間もあと一週間しかない。

どうか、その後は大きな波乱が起こらないように、すさんだ彼の心を鎮めてくださることを、男性神であるイザナギ様にお願いをしてきた。

文字どおり「苦しいときの神頼み」だと気がついて、自分に対して失笑した。



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拝殿に行くまでの階段は角度が45度ぐらいあった

 
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12月3日(木)

きのう作った筑前煮を妻のところに持っていった。

娘の話では、先に持っていた黒豆を、下の孫娘がいたく気に入ったらしく、大半をひとりで食べたらしい。

それとなく催促されたような気がしないでもないが、私には名誉な話なので、喜んで引き受けたのは言うまでもない。

来週中には、また黒豆煮を作って持っていくつもりだ。

片や、上の孫娘のほうは豆類が苦手で、今回の黒豆も一粒を口にしただけで、コメントもなかったという。

豆類が好きでない理由は「もさっとしているから」らしい。

だから、ジャガイモやナンキンも食べられない。

さて、「もさっと」なる日本語は、正式には学校では習わなかったと思う。

しかし、それでいて何となく私にも意味がわかるから不思議と言えば不思議だ。

”ぼんやり”とか”曖昧”とか、いずれにしても好印象の表現ではない。

外国の人に日本語を教えるボランティアをしている人から聞いたことがあるが、日本人が日常的に使っているオノマトペは、ネイティブでない人が日本語学習をする上では高いハードルになっている、と。

これが日本語を母国語とする人間だと、すんなりと理解できる。

「雨がしとしと降る」と「雨がザアザア降る」と聞けば、降雨量や風速などの客観的数値を言われなくても、そのときの様子は手にとるように体感できるものである。

カーペットを掃除する道具に、通称”コロコロ”がある。

使っていない人間でも、”コロコロ”ち言われれば何のことかはわかる。

調べてみると、正式な商品名は”粘着カーペットクリーナー”と呼ぶそうだが、おそらく99%の人には、”コロコロ”のほうが伝わりやすいのではないか。

これは理屈や論理の話ではなく、最終的には感性の問題に行き着くのだと思う。

小学2年生の孫娘がどのようにして「もさっと」の言葉を覚えたのか、そのプロセスに私は興味がある。



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「もさっと」と「もっさりと」は意味が違うのだろうか

 
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12月2日(水)

黒豆煮に引きつづき、筑前煮を作った。

文章で書けば簡単だが、準備段階から振り返ってみると、人知れず相当な手間をかけていたものだ。

黒豆煮同様、筑前煮もインターネット検索をかければ、レシピは尽きることなく出てくる。

贅沢を言うようだが、選択肢が多過ぎて迷っていて、時間だけがどんどん経っていったのである。

そこで、”COOKPAD”のサイトから「筑前煮」を選び出して、それを参考にさせていただいた。

恥ずかしながら、今まで、ニンジンやゴボウ、レンコンなどの野菜は、料理の前に皮を剥くのは国民としての義務だ、と信じ込んでいた。

しかし、タワシでこする、アルミホイルで表面だけ削る等々、汚れのついている外側部分を取り除く方法があるということを、今回、初めて知った。

ほとんどの野菜や果物は、皮の部分にこそ滋養分が含まれている、ということは聞いていたので、私は、サツマイモ、ジャガイモなどはよく洗ってから調理にかかることにしていた。

今日学んだのは、ゴボウやニンジンなども包丁で皮を剥く必要はない、ということ。

なんでも、ニンジンはすてに皮をとった状態で市場に出荷されているらしい。

そういった意味では、「皮」ではなくて「実」と表現すべきであるが。

ゴボウの汚れは、水洗いしてからアルミホイルでこすれば、気持ちいいぐらいにきれいになる。

こんなことも、もし筑前煮を作ろうとしなければ、気がつかないままで人生を終えていたことだろう(大げさ)。

なお、
「鶏もも肉を一口サイズにカットして、醤油と料理酒を揉み込んでおく」
のくだりにも、結構、考えさせられた。

「揉み込む」の意味するところは漠然とはわかるのだが、具体的にどんな作業をすればいいのか、それが見えなかったのである。

ほかのサイトを調べてみて、どうやらボールの中にもも肉を入れておき、そこに料理酒と醤油を加えてこね回すことのようだ、と判明した。

ただ、手で直接揉んでもいいのだろうか。

使い捨ての手袋をはめて揉むのが衛生的なのか、それが私にはわからない。

そこで、、ボールに入っている食材を食品ラップでくるんで、それを揉んでいくことにした。

しっかりともも肉の中に料理酒や醤油が練り込まれたかどうか、自信はないが(汗)。

あと、調理は圧力鍋がすべてをやってくれるので、何の苦労もない。

いざ出来上がってみると、ちゃんと筑前煮の匂いが漂ってくるではないか。

調味料をレシピどおりに入れているから、当たり前と言えば当たり前だが。

食べてみると、思っていた以上に柔らかい。

私などは硬くて噛み応えのある食べもののほうが好きなのだが、好き嫌いの基準は人によってさまざまだ。

新しいジャンルに挑戦するというのは、知らないことを知る絶好のチャンスである。

今回も何かと勉強をさせてもらった。



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九州では「筑前煮」のことを「がめ煮」と呼ぶらしい

 
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12月1日(火)

時節柄、喪中はがきを受け取ることが多くなってきた。

「近親者が亡くなったので新年の挨拶を欠礼させていただきます」という通知である。

今日は、学校時代の友人からも送られてきていた。

御母堂が93歳でお亡くなりになったとのことである。

ちょうど、昨年に同窓会を開いたとき、一緒に幹事をやった同期生であった。

同窓会の準備中に、彼の母が病院に入ったとの連絡があって、困惑したのをはっきりと覚えている。

彼は自分の母の容態が気で気でならなかったのだろうが、私は、ここだけの話だが、同窓会の役割分担に支障が出やしないか、そちらのほうを実は懸念していた(汗)。

おかげさまで、ご母堂は順調に体調を回復され、無事に同窓会当日を迎えることができて安堵したものである。

もしや、母の思いとしてわが子が熱心に取り組んでいる任務を完遂させるべく、渾身の力を振り絞って命を残されたのかもしれない。

それを思うと、不謹慎な妄想は慎まなければならないと、自責の念に駆られる次第である。

ご母堂には彼の結婚披露宴のときにお目にかかっただけだが、あらためて御霊の安からんことを祈った。

さて、喪中欠礼の葉書を受け取ったとき、私の場合はとりたてて特別なことはせずに、単に、そのかたへの年賀状を送らないようにしているだけである。

相手によっては、年が明けて松が取れてから、寒中見舞いを送ることもある。

最近は、喪中はがきを受け取ったとき、「喪中見舞い」のはがきをすぐさま返す人もいるようだ。

これだと年内に相手方に届く。

しかし、彼には、正月明けに「寒中見舞い」を送るつもりでいる。

もし「喪中見舞い」を彼に送ったら、変に気を遣うかもしれない。

だから「寒中見舞い」にしておく。

ちなみに、全く知らなかったのだが、「年始状」というのがあるらしい。

東北の大震災の後でよく使われているスタイルのようで、災害にあわれた相手を気遣って、「謹賀新年」や「おめでとう」の言葉を使わずに、新年の挨拶だけを書いたハガキだという。

なるほど、被災者の思いを察すると、浮かれた気持ちでの「おめでとうございます」は空虚に響くかもしれない。

こういった慣習というのは、地域や家庭、あるいは個人によって実にさまざまである。

定着してしまえば、それが「常識」というものになってしまうのだろう。



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年賀欠礼はがきに貼る切手代もバカにならない

 
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11月30日(月)

11月も今日で終わりである。

私にとっては、月末恒例のアルコール解禁日ということになる。

今年の2月にピロリ菌の駆除をしてからというもの、胃の上の当たりの調子がすこぶる良い。

正確に言えば、逆流性食道炎の症状が改善した、ということだと思う。

以前のように、胸が焼けたり、酸っぱいものが胃の奥から上がってくるような不快感は、ものの見事に消えてしまった。

せっかく気持ちの良い状態になったのだから、できるだけ長くキープしていきたい。

だから、治療後は暴飲暴食は厳に慎んでおり、とりわけアルコールの量も極端に少なくした。

この3月からはウイスキーをシングル1杯で抑えている。

さらに、今日はストレート飲みはやめて、水割りでウイスキーを味わうことにした。

少しでも体への負担を少なくしたいと考えてのことである。

自宅で水割りを飲むなんて、おそらくこの10年間はなかったと思う。

だから、マドラーも見当たらなくて、割りばしでかき回さざるを得なかった(汗)。

出来上がった水割りを口に含んでみたところ、思っていたほどの水臭さはなかった。

これならウイスキーの風味を損なうことはない、と胸をなでおろした。

考えてみれば、ストレートで飲むときも、6,7年前からはチェイサーで水を飲んでいるので、成分だけをとらえれば同じである。

ただ、少しばかりの誤算は、水割りにすると氷を入れるので、この季節には冷たい飲みものになってしまうことだ。

これには参った。

とはいえ、総合的に言えば、水割りで飲むことに何の問題もないとわかった。

今後は、このパターンで家飲みをするつもりである。

なお、年末年始は特別な季節なので、月1回の原則にかかわらずウイスキーを飲ませてもらう。

八百万の神々もお許し下さるに違いない(笑)。



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酔うことはできなくても極楽気分は楽しめた

 
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Author:声なき声

昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、北摂のマンションに在住。   

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