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12月9日(月)

近所で大がかりな建設工事をやっている。

それを見に行ってきた人の話によると、公団マンションが建てられているらしい。

たまたま散歩の帰りに玄関先でその人と出くわし、しばらくお話を伺っていた。

スペースにかなりゆとりがあって自由に部屋を使えるとか、収納もゆったりしているなど、おそらくは案内パンフレットに書かれている言葉のままを私に語っていた。

そのかたは女性で、もう後期高齢者だという。

余生の過ごし方として、今のマンションを出て新築のマンションに引っ越すのかと思い、尋ねてみたが、単に冷やかしで見に行っただけらしい。

なんでも、かなり以前にご主人を亡くされたとき、子供たちに
「自分一人だけで住んでいてももったいないから、賃貸のマンションに引っ越そうか」
と相談したところ、猛反対を食らったとのこと。

「賃貸だと毎月家賃を払わなければならないし、そもそも、あと何年生きられると思っているの?」
と露骨に言われたそうだから、遠慮のない親子関係だと思った。

マンションを選ぶにあたって、自己所有か賃貸かは古くからの議論のテーマである。

いっときの費用はマンションのほうがはるかに高いものの、毎月のコストを考えると、賃貸となれば家賃は必ず発生する費用だ。

とはいえ、マンションにしても、管理費や修繕積立金などは毎月かかるし、年に一度の固定資産税も無視できない。

そうなると、コストの面では自己所有も破格に安いとは言えない。

それよりも、自己所有マンションだと資産価値が得られる部分が大きなメリットになるのではないか。

逆に、大手企業や国家公務員のように、いつなんどき転勤があってもすぐに引越しができるのは、賃貸ならではのメリットだろう。

また、家は年月が経てばいろんなところが傷んでくるのは避けられない。

そんな場合でも、賃貸であれば大家さんが対処してくれるから、自分の腹が痛む心配は無用である。

このように、果てしなく論争は続いていくだろうが、私が短絡的に思ったことは、
「賃貸だと管理組合がないので、理事会云々という煩わしさがない」
ということ。

新しいマンション建築現場を見に行った彼女も理事会メンバーであるが、内心は私と同じことを考えているのではないか。



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高齢になって家賃を払い続けるのは厳しいと思う
20 : 20 : 07 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

12月8日(日)

今に始まったことではないが、物忘れがはなはだしい。

今日は二つの物忘れ事件があった。

まずは、用事を済ませて帰宅したとき、乗っていったクルマの施錠をちゃんとしたかどうか、全く覚えていないのである。

かけたかもしれないし、かけてないかもしれない、「どっちやねん!」と自分に問いかけたくなるほど、印象に残っていないのである。

クルマの鍵をかけなくても、車内に貴重品は置いていないので車上荒らしで持っていかれるものはない。

ただ、火をつけられたり、汚されたりするのがイヤなのだ。

その駐車場では防犯カメラの設備はしていない。

セキュリティの面では貧弱なので、不安がますます昂じてくる。

念のためにというので、その駐車場まで確かめに行ったところ、鍵はかかっていた。

その瞬間は安心したものの、自分の記憶力の減退には少なからぬ衝撃を受けた。

そして、いま一つは、牛乳の買い忘れがあったこと。

たいがいの場合、前日の晩に買う商品をリストアップしておく。

書き忘れていた品を思い出したら、そのつど、リストに追加するようにしている。

今日の買い物の予定は、「バナナ」と「ソバ」だけであったので、あえてリストも作らなかった。

明後日は10%割引デーだから、必要最小限の品しか買わないつもりであった。

「2つだけなら私でも覚えられる」との自信があったので、頭にインプットしておいた。

今朝、パックの牛乳を飲んだら空っぽになったので、本当ならばリストに追加するはずなのだが、横着して、このことも記憶しておくことにしたのである。

ところが、いざスーパーに行ったらすっかり牛乳のことは忘れてしまっていた。

これも家に帰ってから気がついた。

迷ったものの、結局、牛乳だけを買いに出ることにした。

私にも奇妙なプライドがあって、最初に行った店とは違うスーパーへと向かった。

それにしても、1日で忘れものを連発するとは、私の症状もかなり深刻化しているようだ。

ちなみに、脳科学の専門家に言わせると、物忘れをした事実を人に語ったり、日記に書いたりすると、一層、忘れやすい環境が自分の中に作られるという。

私のやっていることは、自分で自分の首を絞めている愚かな行為にすぎない(汗)。

今後は、買い物は少しであってもメモ書きしていこう。


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物忘れは必ずしも認知症とは限らないらしい
20 : 20 : 57 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(16) | page top↑

12月7日(土)

いつも使っているマウスの調子が良くない。

私が意図している方向には行かないことも多々あり、エラー音が頻繁に出て、こちらもフラストレーションがたまってくる。

マウスは消耗品だし、もうかなり長きにわたって使っているので、そろそろ寿命かもしれない。

新しいのを買おうかと思ったが、ずっと昔に使っていた無線マウスがどこかにあるはずだ、と思い出した。

それを引っ張り出してきて、早速、パソコンにセットした。

やってみると、ぎこちなさがあるとはいえ、ちゃんと動作するではないか。

喜ばしいことだが、はてさて、この無線マウスはいつ頃使っていたのか、そして、なぜ使わなくなったのか、そんな疑問が浮かんできた。

たしか、私が会社でこのマウスを使い始めた頃は、まだ無線マウスというのが少数派の時代であったと記憶している。

職場の人たちも物珍しそうな目つきで見ていた場面を思い出す。

そんな中で、ある朝、経理課の女性社員が来て、やはり無線マウスを見て驚いたような表情を見せた。

彼女はジョークが通用する人なので、私が無線マウスを手に持って
「おはようございマウス」
とやったら、予想外に笑いをとれたものであった。

平成の時代であったからだろうとは思うが。

そういったエピソードがあったのは、たぶん15年ぐらい前のことだと思う。

そして、なぜ使わなくなったのかというと、実際に試していて、上下のスクロールが円滑には行かないからだと気がついた。

これは操作性の点で大きなハンディとなる。

使いにくいということで、有線のマウスに変えたのだろう。

マウス一つとっても何かとドラマが秘められていることに、新鮮な驚きを感じた。

これも何かの縁だから、しばらくはこの無線マウスを使うことにしよう。



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ケーブルがないのでスペースを有効に使えるのがメリットだ
20 : 20 : 15 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

12月6日(金)

加齢現象なのだろうか、年々、冬の寒さが身に沁みるようになった。

寒さ対策には、なけなしの知恵を絞っていろんな方法をめぐらせている。

その一環で、今日、タッチパネル対応の手袋を買った。

今年も指の先がしもやけに見舞われた。

せっかく天から与えられた小枝のような美しい指に、拭いがたい汚点を残している(汗)。

何としてもガードしたいと考え、室内でも手袋の着用をしょうと思った。

今日買ったグッズは、手袋をしていてもスマホが使えるという謳い文句であるが、そのこと以上に狙いがあった。

この商品に私が惹かれたのは、生地が薄いからパソコンでのキー入力にも便利だろうというところに着目したからである。

実は、何日か前から、朝と晩にパソコンを使うときは、外出用の革製の手袋を両手にはめていた。

これだと分厚い生地なので、クリックするだけであれば問題はないが、文字の入力となると私には無理である。

そこで、スマホ対応の手袋を試してみたのだ。

期待にたがわぬ使用感であった。

ただ一つの難点がある。

商品本来の目的であるスマホで使うとき、指紋認証をすることでメニューに入っていく手順になっているのだが、この手袋をしていると指紋の読み取りができない、ということ。

冬の間に限っては暗証番号を指で打っていくしかないようだ。

大がかりな手間ではないが、指紋認証で慣れていただけに面倒に感じる。



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100均ショップには役立つ商品がそろっている
20 : 20 : 56 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑

12月5日(木)

喪中につき・・・という年賀欠礼はがきを受け取った。

今年は昨日までは1枚しか送られてこなかったので、これで2枚になった。

おそらく、時期的に考えてもこれが最後の年賀欠礼はがきだろうと思う。

例年に比べれば異様に少ないように感じる。

もちろん、このほうが望ましいのであるが。

さて、前にも記事にしたかもしれないが、そもそも喪中の考え方が現代にはなじまないのではないかと思えてならない。

ご不幸のあった家では新春を迎えてもお祝いをしてはならないなんて、何にも合理的な根拠はない。

松飾りや年賀状、年始参りもしないということとと、喪に服することとは関係がないのではないか。

昔はご不幸があったら、家族は1年間の服喪期間があって、その間は結婚式が決まっていても先に延ばし、外出すら控えていた人もいたらしい。

しかし、多忙な現代では通用しないしきたりである。

今は、たとえば喪中であっても勤務先の関係者には年始の挨拶もし、新年行事にも参加している人が増えてきたという。

いわば、親族の不孝は「私」の領域のことであり、職場は「公」のものだからというので区別しているのだろう。

私がそれが自然なありようだ。

さらに言えば、四十九日が明ければ服喪期間は終わったと判断していいと思う。

来年の正月まで束縛するのは意味のないことだ。

あくまでも妄想の世界での話であるが、故人にしても子孫を拘束するようなふるまいは望んでいないはず。

とはいえ、いまだに社会的な常識としてはお正月もつつましくすることが求められているから、露骨にそれに逆行する言動はできない。

無意味な慣習が徐々に消えていくことを心の奥底で願うだけが、無力な私にできる最大のレジスタンスである。


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返礼としての寒中見舞いは書いたことがない
20 : 20 : 30 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
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声なき声

Author:声なき声

昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、北摂のマンションに在住。   

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