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9月24日(木)

娘の子供たちは、いまだに娘にとっての元夫の戸籍の中に名前が入っている。

いま、娘は自分ひとりの戸籍を作ったのだが、そこに子供たちを招き入れなければならない。

そして「氏」も母親と同じものに変えることとなる。

つまり入籍の手続きが必要になってくる。

氏変更のためには家庭裁判所の許可を得る必要があり、今日、娘を連れて大阪の家庭裁判所に行ってきた。

人口密集地の大阪市のさらに中央部にあるところから、駐車場を探すのに腐心する。

カーナビを持たない私は、昨日、ネットで道順と駐車場を見つけておいた。

家裁からは少し離れているものの、大阪府庁に時間貸しで知られた駐車場があり、そこに停めようと心に誓って家を出た。

実際に着いたのが10時を少し回ったところ。

もう満車になっていて、私の前に1台、ゲートの前で「まだかまだか」と開くのを待っているクルマがあった。

待てど暮らせど、クルマが動く気配がないので、娘を先におろして、家裁での手続きを急がせた。

弁護士からは、「およそ1時間半から2時間ぐらい待つ」と聞いていたので、その間にクルマを駐車場に入れておけばいい、と安易に考えていたのである。

ほどなく、私の前で待っていたクルマは入庫し、いよいよ私が次の番となった。

ところが、それからが長い。

たまたま手にしていた所属団体の会報誌は隅から隅まで読んだし、スマホのメールやニュースサイトのチェックもすべて終わった。

どこかに活字はないものか探したところ、駐車場の料金表看板が目の前にあったので眺めていた。

料金表を見て、なぜクルマの動きがないのかがすぐに判明した。

「1時間600円」「一日最大1500円」となっていたのである。

つまり、この駐車場は、長時間にわたってクルマを停める前提の人が利用しているのだ。

人口集中地区では、「30分300円」というように、短いサイクルの駐車時間で料金設定をしていることが多い。

しかし、ここは違う。

おそらく、ほぼ一日近くクルマを停めておいて、人間はその間に大阪市内で、ビジネスなり用事を済ませる、という発想なのだろう。

だから、中で停まっているクルマが出ていく場面は、1時間半近くいて、たったの1回だけしか見なかったのである。

折りよく、娘から「いま終わった」との電話があった。

入庫はあきらめて、引き返すことにした。

後ろのクルマの人にバックしていただくようお願いしたら、快く応じていただいた。

自分の順番が一台分早く回ってくるので、「儲けた」という喜びもあったのだろう。

とにもかくにも駐車場での順番待ちから抜け出して市役所まで走り、入籍手続きをお願いしてきて、私と娘は今日の任務を果たすことができた。

娘と出かけると、なぜか珍道中となる。



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ネクストバッターズサークルで1時間以上も待つことはない
 
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9月23日(水)

弁護士との打ち合わせがあった。

入籍手続きやマンション分配金、面接交渉の3つの課題をめぐってである。

といっても、最初の二つは決められたことをそのまま実行するだけだから、議論の余地はない。

問題は「面接交渉」である。

相変わらず、娘の元夫は弁護士のもとに、連日、メールを送り付けているようである。

弁護士としてもいつまでも知らん顔はできないということで、その返事もしなければならない。

なお、娘が診察を受けている心療内科の医師からのアドバイスで、
「面接交渉の日程を、たとえば毎月第二日曜日とかいうふうにルール化しておけば、その都度、手を煩わせなくてもいいので、そこで受けるストレスを減らすことにつながるのではありませんか」
との言葉があって、弁護士もそれには共鳴する部分があったようだ。

元夫側はかねてから
「自分は正規社員、元妻は家庭の主婦だから、自分の都合に合わせてもらのは当然」
というスタンスを主張していた。

医師は、その考えも間違いだし、それを正す意味でのルール化は大いに意義があると述べたらしい。

実は、弁護士と医師とで電話で話をしていただく心積もりになっていたが、今日の水曜日は心療内科が休みで、直接対話は早くでも明日以降になる。

それ以前に、娘が医師から直接聞いた話を伝えることでも、弁護士の判断の上では有益な情報になったのではないかと思う。

元夫が、今、血眼になって求めている9月中の面接交渉の日程も今日の打ち合わせで決めて、弁護士から彼に連絡していただく段取りとなった。

元夫からの返事がどうなるかはわからないが。

そもそもが、最初に決めていた日時が都合が悪いと言い出したのは彼である。

そして彼が指定した代わりの日について、こちらが都合がつかないとなると、「その理由を明示してほしい」と開き直ってくるのである。

大人の論理が通用しない相手であるが、さりとて「面接交渉には一切応じない」というわけにはいかない。

法律で決まっているから。

しかし、あまりにわがままに終始するようであれば、家庭裁判所での調停にゆだねるしかないと覚悟している。

本来は午前中には終わるであろうと思っていた打ち合わせだが、夕方近くまでかかってしまった。

娘を実家まで送ると、スーパーで買ってきたという弁当が置かれてあった。

空腹であったせいか、頭が疲れていたせいか、すこぶる美味であった。



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ワサビ入りの鉄火巻きは久しく口にしていなかった
 
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9月22日(火)

今朝は不覚にも寝過ごしてしまった。

目がさめて、いつもの習慣で枕元の時計を見ると、「4:45AM」を示しているではないか。

寝ぼけているのかなと思って再度確認したが、間違いない。

目覚ましのアラームは、夏時間ということもあって「3:00AM」で設定している。

おそらく、目ざまし音が鳴ってもすぐに止めてしまって、それに気づかずにそのまま寝続けたのだろう。

妄想をたくましくするならば、昨日の建築契約締結で肩の荷がおりたことで、緊張感が緩んでしまったというのもあるかもしれない。

さらに、6月以降は睡眠不足の状態がずっと続いていたというのもあって、体の疲れも溜まっていたのだと思う。

昨晩はいつもどおりに9時に寝たものだから、計算すると約8時間は眠ったことになる。

久しぶりの長時間睡眠となった。

おかげで体の倦怠感はすっかり消え去ってしまった。

2時間寝過ごしたことでのマイナスの影響は、たぶん何もないと思っている。

毎朝、このブログに足跡を残してくださったかたのブログを拝見するという私のお楽しみタイムが、いつもより遅くなったことだけだ。

もし私が電車の運転士の仕事にあたっていて、うっかり寝坊してしまった、というのであればこれは由々しき事態である。

その点、一年金生活者の寝坊なんて自分のことだけで済んでしまうから気楽なものだ。

ところで、世間では「早寝早起き」が健康の秘訣のごとく言われている。

極めて私的な狭い範囲の話であるが、私に限って言えば、深い眠りを得るためには、適度に夜更かしをするほうが望ましいと感じている。

起床の時刻は一定にしておき、就寝時刻を、時おりあえて遅くして眠ることで熟睡効果を得られるのではないか、という仮説である。

6月から睡眠時間は、3時間とか5時間とか、とにかく短かったが、それだけに夜の寝つきは良かった。

もちろん、昼間に眠けを持ち越して、ウトウトすることは多々あったが。

あまりに「早寝」にこだわると、寝つきが悪くなり、深い睡眠がとりにくくなるような気がする。

これは私だけのことだから、万人に共通しているかどうかはわからない。



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目ざめたときは周りは暗かったので私に罪悪感はなかった
 
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9月21日(月)

娘が建てる家について、工務店との正式契約の場に立ち会った。

当初は娘一人で行くつもりにしていたのだが、妻から「お父さんにも行ってもらったら?」と言われたらしい。

30代の女性ひとりでは押しが弱いかもしれないが、何の役にも立たないとはいえ相応の年齢のオッサンがいれば、ちょっとはインパクトが出ると考えたのだろう。

枯れ木も山の賑わいである。

なお、子供向けのキッズルームも用意されてあり、それを知った孫も一緒に行きたいと言い出し、妻がその面倒を見るために同行することとなった。

何のことはない、家族そろってのレジャーではないか。

そんなお祭り気分での契約であるが、当初は約1時間と言われていて、朝の10時からスタートした。

そこから契約の前に重要事項説明があり、見積書の詳細にわたっての内容説明があり、その間の質疑応答があって、とにかく契約書への署名捺印が終わったのは正午を30分も回っていたころであった。

昼ご飯を食べるのを忘れていて、工務店の担当者にはお気の毒なことをしたものだ。

娘は学校で建築を学んでいたし、仕事はCADであった関係で建築のことは浅いながらも、通り一遍の知識は持っている。

私が横で聞いていても言葉や用語そのものがわからないものが多々あり、たぶんそれが私の表情に出たのであろう、幾度となく、担当の人は話を途中でとめて、言葉の意味の説明をしてくださった。

そんなこんなで、気がつけば2時間半も経っていたことになる。

最も夢中になっていたのは娘だろう。

自分の長年の夢を形にできるチャンスがやってきたのだから。

娘の口調には、この何か月か聞いたことのない充実感がこもっていた。

自分が心から実現したかった目標に前向きに取り組んでいる娘の姿を見て、私も、自分の魂が揺さぶられる思いがしてならない。

半年後の竣工のときまで、私なりに精いっぱい応援しようと、あらためて心に誓った。



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その工務店はコロナ期になってから来客や問い合わせが増えたらしい
 
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9月20日(日)

インターネットというのは便利なもので、ぶらぶらとサイトを見ているだけで、新しいトレンドや珍しい発想に巡り会うことができる。

今日は、「瞬読」(しゅんどく)という言葉があることを知った。

うたい文句は、”1冊3分で読めて99%忘れない読書術”というものである。

このキャッチコピーと同名の本が原典のようだ。

かねてより「速読」というのはあった。

事実、人によっては速読法を身につけて、多忙な生活の中にあっても大量の書物を読破している話はよく見聞きした。

しかし、「瞬読」は、それよりもはるかに先進的なテクニックであると言えよう。

ポイントは、右脳を使って読書をする、という点に尽きるらしい。

証拠もないのに否定するのはまずいかもしれないが、これを読んだ瞬間に眉唾だと感じた。

「速読」でも、一分間に5,000文字程度というのが標準のスピードで、本一冊は10万文字と聞いたことがあるから、計算すると20分かかる。

それを3分で読めるのだから、3倍以上の効率化を達成したことになる。

「ホンマかいな?」というのが私の偽らざる思いだ。

テクノロジーの発達であれば、3倍以上のスピード化は十分にあり得る。

新幹線が開業した当初、こだま号で、東京と大阪は4時間かかっていた。

目下計画中のリニアモーターカーだと、1時間で行けるというから、まさに3倍を超えるスピードアップである。

しかし、たとえば人間が100mを走るとなると、10秒を切ることができれば、抜きん出て足の早い部類と見られる。

おそらく、人類がいくら頑張っても、10秒を5秒に縮めることは不可能だろう。

人間がみずからの体を使ってやることには限界があると思う。

ちなみに、アマゾンの同書の書評を読むと、酷評がこれでもかこれでもかと連なっている。

これらは「瞬読」の実際の姿を余すところなく語っているのだと思うと、私も納得する。




この手法では六法全書を読んでも内容を把握できないだろう
 
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声なき声

Author:声なき声

昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、北摂のマンションに在住。   

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